第43話 雲を掴むかのような
「娘が言うには、この世界はゲームの世界だと。ヒロインが恋をする乙女ゲームというものだそうだ。
娘は、そのゲームに出てくる悪役令嬢という役回りらしい。ヒロインである君を虐げることで、自身は処刑、我が公爵家は没落の憂き目にあうとか」
公爵の言葉に、私は口を挟まなかった。正直なところ、挟めなかったというほかない。
どう考えても、その未来がイメージ出来なかったからだ。どの程度虐げられるのかも分からないし、それが理由での処刑もピンとこない。公爵家の没落などそれ以上に理解ができなかった。
聖女を不当に虐げたとしよう。それが大きな騒ぎになり、当事者が謹慎させられるのならば分かる。貴族社会において悪評は致命的だ。忘れ去られるのを待つか、一生を領地で暮らすかは分からないが、瑕疵のない令嬢ではいられない。
騒ぎにさえならなければどうだろうか。社交の場などもとより欲望渦巻くもの。大なり小なり嫌がらせは横行している。それら全てを取り締まるなど現実的ではない。騒ぎにならなければ、皆何食わぬ顔で社交の場に出るものだ。
そう考えると、ただ虐げただけで処刑、生家は没落など、やはり考え難い。虐げるという基準にもよるが。
万が一殺害を企てたのであれば、場合によっては処刑もあり得るだろう。公爵家が主導したのならば、家にも裁きが下る。先ほど公爵は、ご息女が私を殺したがっていると言っていた。それならば、処刑も視野に入る可能性はある。
だが、コードウェル公爵がそのような事態をみすみす見逃すだろうか。この方は、他者にも自身にも厳しいお方のようだ。潰すつもりであれば、もっと正攻法でくるだろう。
相手の粗を徹底的に指摘し、相手が引き下がらざるをえない状況を作るくらい、容易いはずだ。自身の手を汚し、家すら潰しかねない選択を、彼がするとは思えない。
「最初は妄想に取り付かれているのではと考えた。しかし、ブリジットは君が聖女になるということを言い当てたのだ。君自身ですら、能力に気づいていないうちに、だ」
コードウェル公爵は、一度我が領に来たことがある。おそらく、その頃にはブリジット嬢の話を聞いていたのだろう。事実を確認するために、わざわざ足を運んだのか。
「だからこそ、全てを妄言と言うこともできなかった。そして詳しく話を聞くと、ゲームという単語が出てきたわけだ」
そう言って、公爵はワイングラスを傾けた。つられるように、私もグラスへ手を伸ばす。
グラスの中には、赤ワインが注がれている。緩やかに波打つそれが、血のように思えるのは話の不穏さゆえか。
「ブリジットの発言は二種類に分けられる。一つは殿下や側近候補たちへ話した内容。こちらは表向きの内容と言って良い。
そしてもう一つが、私たち家族に語った内容だ。こちらは殿下たちへ話した内容より踏み込んだものとなっている。より正確に言うのなら、こちらの内容こそがブリジットにとって真実だろう」
口中にワインの風味が広がる。独特の渋みは、私の心を表すようだ。喉を通る冷たさと、アルコールによって引き起こされる熱。そのアンバランスさに、小さく息を吐いた。
「表向きには、ブリジットは自身が悪いのだと言っている。聖女を虐げるような自分が悪いのだと。そんなことをするつもりはないが、自身の知る未来ではそのように振る舞っていた。だから自分は殿下に相応しくない。そう言って殿下の気を惹いているようだ」
苦々しく言う公爵に、ソフィーが穏やかに微笑んだ。「そのような内容に心惹かれること自体、可笑しな話ですこと」と告げる声は、表情に反し低い。
「ソフィア嬢の言うとおり。ジェームズ殿下は頼られるのに弱いようだ。娘が頼ってきたこと、それに加え殿下のため身を引く姿に愛情が芽生えたらしい。本当の意味で身を引こうなど、あの娘は考えてもいないが」
「そうでしょうね。本当に身を引くというのであれば、御父上である公爵に婚約解消を願い出ればいい話。ジェームズ殿下の立太子が難しい以上、それを訴え出れば公爵とて一考したでしょう」
ソフィーの言葉に公爵は無言で頷いた。それを見るに、お爺様の読みは当たっていたらしい。
お爺様は、この婚約はコードウェル公爵家にとって旨味がないと言っていた。公爵自身、同じように考えていたのだろう。
「娘が婚約解消を申し出れば、それを受け入れるつもりではあった。もちろん、時期については考慮が必要になるが、無理に婚姻させる必要はないのだ。あの子が自分で判断し、そう申し出るのなら無下にするつもりはなかった」
しかし、現実はそうはならなかったようだ。彼女は口では自身を卑下するものの、第一王子の婚約者の座に就いたままである。
「ここで重要となったのが、もう一つの話だ。家族へのみ語った内容、それはまるで物語の続きのような、それでいて別の話のような、不可解な内容だった」
物語の続きならゲームの続編と考えるのが自然だ。だが、別の話のようという言葉に疑問が浮かぶ。マルチエンディングゆえの、違うエンディングでも語ったのか。それとも、アナザーストーリーが存在するのか。
私が無言で思考している中、彼はこちらへゆっくりと視線を向けた。
「聖女を虐げることもなく、慎ましやかに生きた自分が冤罪で断罪される。その犯人こそがシャーロット嬢、君だと娘は言うのだ」
その言葉に、ピクリと指先が動く。ナイフを動かす手を止め、こてりと首を傾げる。その表情には笑みを張り付けた。
「なんとまあ……随分と不穏なお話にございますね? 私が犯人、ですか」
「娘が言うにはだがね」
「ちなみに、動機は何なのでしょうか? 私がご息女に冤罪を着せようとする、その動機は」
「君が第一王子殿下の愛欲しさに、婚約者であるブリジットを陥れるらしい」
なるほど。ここで先ほどのソフィーの発言につながるのか。王城のテラスで、ソフィーは私に告げていた。「あなたがゲームとやらのヒロインとして、彼女を処刑するのだそうよ。第一王子殿下の愛欲しさにね」と。
第一王子の愛欲しさに冤罪を着せるとは、恐ろしいヒロインもいたものだ。
「私が第一王子殿下の愛を欲する、ですか。面白いお話ですね。もちろん、公爵様ならば私の本意はご存知かと思いますが」
「あぁ、君が王家との婚姻を望まないのは知っている。初めて会った際に、君はきっぱりと否定していたからね」
初めて公爵と対面したとき、彼に第二王子との縁談話を語られたことがある。言葉に気を遣ったとはいえ、しっかりお断りの意は伝えていた。公爵もそれをよく覚えておられるようだ。
「だからこそ、これが荒唐無稽な話であると分かっている。
しかし、我が娘にとってはそうではない。それこそが真実だと信じて疑わないのだ。
娘は君に強い猜疑心を抱いている。今日の入場時、君を睨みつけたようにね」
公爵はどうやら気づいていたらしい。それもそうか。娘の入場とあれば注目して見ているだろう。表情の変化にもすぐ気づけたようだ。
「あら、そんな面白いことがございましたの? 私たちの方が先の入場であれば、それも見られたでしょうに」
「ルーク殿下がご出席されない以上、陛下はジェームズ殿下を下手に目立たせたくなかったのでしょう。ソフィア嬢とイアン様のご入場が最後とされたのは、自然なことです」
ソフィーの言葉に、公爵が続ける。やはり陛下は第一王子に王位を継がせる気はないようだ。それを暗に示すため、入場順に手を加えたのだろう。
「一つ、お聞きしたいのですが」
ナイフを置き、ワインに口をつける。空いた皿は下げられ、次の料理が運び込まれた。出されたのは、梨のソルベ。ひんやりとしており、口直しにはぴったりだ。
「ブリジット嬢に疎まれている理由は理解しました。
私を恋敵と思っているのなら、疎んでしまうのも致し方ないでしょう。
ですが、そこから私への殺意に発展するのが分かりません。少々度が過ぎているのでは」
そう告げる私に、公爵は頷く。意見は同じようだ。しかし、わざわざ忠告してきたとなると、それだけでは片付けられない危険性があるのだろう。
「シャーロット嬢が言うことはもっともだ。
しかし、ブリジットは君を異様に警戒している。君に陥れられると本気で信じているのだ。
だからこそ、そのような問題が起きないよう、あの子なりに手回しをしているようだ」
「殿下や側近候補たちに話をしているのも、その一環だ」と公爵は続ける。
何というか、してもいないことで悪く言われるのは気持ちのいいものではない。憮然とした表情を浮かべる私に、ソフィーは困ったように笑った。
「シャーリーが納得いかないのは仕方ないわ。彼女の思考は飛躍しすぎているしね。
何より恐ろしいのは、その思考の可笑しさに本人が気づいていないことよ。自分の中で正しいと思っている論理が、他人から見て異常だと気づかない。どこまでも自身が正しいと思い込み進んでしまう。
誰かに指摘されたとしても、本人はその言葉を信じないでしょうね」
自分が正しい、それに囚われている以上、苦言は受け入れないだろう。余計意固地になることすらあり得る。
彼女にしてみれば、私は自身の婚約者欲しさに冤罪をふっかける悪女。私を断罪したとして、悪いことをしたなどとは思わないだろう。罪人を裁いて何が悪い、そう思っている可能性すらある。
片方が完全な悪なら話は簡単だ。
他方、正対正の構図は厄介だ。客観的な正しさではなく、当人が正しいと信じている場合も同様である。正しさの名の下に振るわれる刃は、往々にして過激になりやすい。
下手に公爵が口を出さないのはこれもあるだろう。娘が可笑しいと分かっていて、それを正そうとしないのにはそれなりに理由があるはずだ。自分の正しさを証明しようと、彼女が予想外の行動に出るのを警戒しているのかもしれない。
「本来であれば、親である私が止めるべきではあるが、それで理解するとも思えない。
また、あの子は貴族だ。領民への責任がある身。それを果たせない者を、私は我が家の人間とは認められない」
それは、事実上の縁切りに近い。このまま彼女が変わろうとしなければ、公爵は娘を切り捨てても構わないと言っているのだ。普通であれば、親がこれほどまでに子どもへ厳しいこともないだろう。貴族という身分故の厳しさか。
「仮に、あの子がどうしようもない失態を犯すというのなら、そこまでの娘だったと言うこと。後始末まではするが、コードウェル公爵家に名を連ねることは許さない」
その言葉は、とても重い。公爵にとって、今の彼女はギリギリのラインに立っているのだろう。娘として何とかしたい気持ちと、貴族として許せない気持ち。その双方に挟まれ、彼女をどう扱うべきか考えあぐねているのかもしれない。
「それで、わざわざその話を私にしたのは何のためでしょうか?
公爵ご自身がご息女を止められない以上、私に被害が及ぶのは間違いないでしょう。そのために、事前に忠告してくださったと?」
正直、本当にそう考えているのなら勘弁してほしい。公爵家の内情など私には関係ないし、娘の面倒くらい自分で見ろという話だ。
下手に言い聞かせようとすれば面倒ごとになるだろう。それを嫌がる気持ちは分かるが、私は被害者だ。どうでも良いから何とかしろというのが本音である。
「事前の忠告、確かにその意味合いはある。
だが一つ、君に伝えておこう。私があの子に特段の対応をしないのは、それによる利益があるからだ」
「利益、ですか」
「あぁ。そもそも、あの子の婚約関係を維持させているのは私だ。婚約打診を受け入れたのも私。
我が家にとってはさしてメリットがないとされる婚約を、受け入れるだけの理由があった」
とぷん、とワインが揺れる。公爵はワイングラスを傾けると、一気に中を飲み干した。
「君に以前伝えた言葉は覚えているかな?
君に今見えているモノ、それが全て真実だと思わないことだ。人には様々な立場と、様々な思惑がある。
今の君には分からないこと、見えていないもの。それこそが重要だと思う人間もいるのだ」
音もなく、ワイングラスをテーブルに戻す。一つ一つの所作の美しさ。それが何故だか酷く目についた。
「最後に一つ、お聞かせいただけますでしょうか。
ご息女の話には、不自然に出てこない方がいらっしゃいます」
私の言葉に、公爵は片眉を上げた。それを見つめながら、私は続きを紡ぐ。
「ご息女は、何故第二王子殿下の話をされないのでしょうか。本来であれば、彼女が真っ先に気にする相手のはずです。
第二王子殿下が立太子されれば、彼女の王妃への道は閉ざされるのだから」
テーブルの下で、ぎゅっと手を握る。言いようのない感情を抑えつけるように。
「彼女は、第二王子殿下についてわざと語らないのですか?それとも、
私の言葉を聞き、公爵の口元が緩く弧を描く。
手の震えは、まだ止まりそうにない。
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