第42話 掴めない恐怖
双子に連れられ、辿り着いたのは小さなレストランだった。王都の外れに佇む店は、木々に囲まれているためか人の気配がない。
促されるままに店内へ入る。中には一人の客もおらず、フロア内は閑散としていた。それもそのはず。店の入口には閉店の二文字が書かれていたのだから。
もう営業時間は過ぎたのだろうか。それにしては、店内に従業員の数が多い。丁寧に迎え入れてくれたウェイターは、私たちをフロア奥へと案内した。
狭い通路を抜けると、一つの扉が見える。どうやらこの先に部屋があるようだ。ウェイターによって開かれた扉の先には、予想外の人が待っていた。
「あぁ、待っていたよ。かけなさい」
こちらを見て、静かに声をかけるのは美しい青を持つ男性。渦中の人物とも言える、コードウェル公爵だ。慌てて礼をしようとする私を、手を振ることで静止する。自身の前の席を手で示し、席に着くよう促した。
軽く会釈をし、指定の席につく。私の両隣にはソフィーとイアンが座った。コードウェル公爵の隣にも席が用意されているが、そこは未だ空席だ。
「さて、デビュタントという大事な日に、申し訳ないことをした。せめてもの詫びとして、私の好む店へ招待させていただいた。料理の味は保証しよう」
気楽にしてくれという公爵に、内心頭を抱える。気楽になどできるわけがないだろう。何を考えているのかと警戒せずにはいられない。
そんな私の心境に気づいているのだろうか。どこか面白い生き物を見るかのように、こちらへ視線を向けていた。
手元のグラスにシャンパンが注がれる。華やかな薔薇色の海を、小さな泡が泳いでいた。食前酒に合う酒を選んだようだ。愛らしい見た目のロゼは、真っ白なテーブルクロスに花を添えている。
公爵に合わせて私もグラスへ手を伸ばす。すっと掲げられたグラスが乾杯の合図だ。視線を合わせ目礼し、グラスへと口をつける。
――うん、美味しい
デビュタントを迎える今日まで、飲酒はできなかった。元々お酒は好きな方だ。飲めないのが辛いとまでは言わないが、解禁されたのは喜ばしい。それも馴染みのあるシャンパンだ。この重苦しい食事会も、美味しいお酒があれば何とかやっていけるかもと気分が上向いた。
「フルーティーな味わいですね。ラズベリーでしょうか」
「よく分かったね。これはラズベリーの味が強く出たものだ。口当たりがよく、女性にも好まれると聞いている」
公爵はシャンパングラスを傾け、穏やかに微笑んだ。初対面があのような状況だったせいか、この方の印象はあまりよくない。悪い人だとは言わないが、氷のように冷徹な方だと思っていた。
貴族然とした姿は、公爵の名に相応しい立ち居振る舞いだろう。高位貴族である以上、品格が求められる。貴族というものに馴染み切れていない私には、それが殊更に冷たく感じるのかもしれない。
ウェイターにより、料理が運び込まれる。まず初めに出されたのはオードブルだ。
緑色が鮮やかなサラダに、サーモンのテリーヌ。晩秋という季節を意識したのか、温かなキッシュも添えられていた。飾りに黄色や桃色の小花が添えられており、目にも美しい。
その料理を味わいながらも、私は思考を巡らせる。何故私がここに呼ばれたのか。この集まりは何のためなのか。
そして、気掛かりなことが一つ。私の父だ。イアンやソフィーから言伝済みと聞いているが、心配していないだろうか。父はウィルソン公爵夫妻と談笑していた。問題なく話は伝わっているはずだが、少しばかり心配だ。
「何か気がかりがあるかな?」
私の思考が逸れていることを察したのだろう。問いかける公爵に、私は笑みを張り付けた。理由こそ分からないが、招待を受けた身だ。失態を犯すわけにはいかない。
「いえ、とても美味しく夢中になってしまいました。我が社では食料品も扱っておりますから、どうしても料理は気になってしまうのです」
「この前はヨーグルトを販売していたね。あれはとても良いものだ。我が家でも定番のメニューになっている」
甘酸っぱさが癖になると妻にも好評でね、と言う公爵の顔に不快そうな感情は見当たらない。咎められているわけではなさそうだと、ほっと胸を撫でおろした。
「お気に召したのならばそれほど嬉しいことはございません。開発時の苦労が報われるようです」
「新しいものを作るというのは、相当な苦労がいることだろう。君の功績は目を見張るようだ」
「いえ、私一人では到底成し遂げられませんでした。父はもちろんのこと、ウィルソン公爵をはじめとする様々な方のお力添えあってのことです」
私の返答に、ソフィーとイアンが誇らしげに笑う。父親が感謝されるというのは、子どもとして嬉しいことだろう。親子仲が良ければなおさらだ。
そんな私たちを眺め、一つ頷いた公爵はおもむろに口を開いた。
「それでも、君の成し遂げたことは賞賛に値する。平民にも意識を向けられる点も素晴らしい。
貴族とは、平民に対する責任も負っている。権利だけを享受するような者は、当然認められまい。
君のような娘がいるアクランド子爵を羨むほどだ。我が娘ブリジットに君の才が一割でも備わっていればよかったものを」
室内の空気ががらりと変わった。談笑の雰囲気は無くなり、全員の表情も一変する。
公爵の言葉は、本題へと進む合図だった。
テーブルの上にはポタージュが並べられた。鮮やかなオレンジ色のそれは、海老のビスクだ。海老の風味を湯気とともに立ち昇らせている。
しかし、それに手を付ける気にはなれず、シャンパンで喉を潤した。
「本日、初めてご息女をお見かけすることが叶いました。とてもお美しい方ですね。将来が楽しみなのではありませんか?」
「ふむ。君の言うとおり、娘の容姿は美しい部類に入るだろう。そういう意味では、将来性もあるだろうな」
随分と含みのある言い方だ。口にしているのは容姿のみ。その内面には一切触れていない。
本来であれば、内面の良さもアピールするものだろうが、ついぞその言葉はなかった。
「しかし、外見だけで渡っていけるほど貴族社会は甘くない。特に女性の社会は複雑だ。ソフィア嬢ならご存じであろうが」
「えぇ、そうですね。コードウェル公爵を前に口にするのはどうかと思いますが……」
困ったような顔でため息をつくソフィーに、公爵が無言で続きを促す。彼女は微笑みを一つ浮かべると、穏やかな口調で話を続けた。
「女性社会というのは厳しいものです。貴族女性であれば、美しさは当然の話。それだけで光ることなどできないでしょう。教養深さは必須と言えます。
その点、ブリジット嬢はおっとりとしていらっしゃるようですね。これからたゆまぬ努力をなさるのでしょうね」
要するに、頭が悪いから何とかしろということだ。端から聞くと恐ろしい会話である。公爵令嬢であるソフィーだから言えることだ。私のような子爵令嬢が口にすれば、明日の我が身が危ぶまれる。
公爵はそれに反論することなく、黙って頷いていた。公爵の目から見てもそう見えるのだろうか。娘がけなされているというのにこの反応。反論できるポイントがないということか。
「返す言葉がないな。我が娘は以前、あなたに大変無礼な口をきいたことがある。何度謝罪しても足りぬほどだ」
「あら、謝罪ならば公爵から十分にいただきましたわ。……生憎と、あれ以降ご息女とお話する機会には恵まれませんでしたが」
何があったのかは知らないが、ソフィーとコードウェル公爵令嬢――ブリジット嬢の間には、因縁があるようだ。そして、どうやら本人による謝罪が未だないらしい。どの程度前の話かは知らないが、中々難しい間柄のようだ。
海老のビスクを口に運ぶ。口に広がる旨味に、本来であれば笑みを浮かべるところだ。この空気では、到底できそうにもない。
「そういえばシャーリー、あなたは何も言わなかったわね」
「? 何のことでしょうか」
突然水を向けられ、どきりとする。これは慎重に返答しなければと思うものの、続けられた言葉は思いがけぬ内容だった。
「あなた、私の容姿を見ても何も言わなかったでしょう?」
その言葉に、内心で首を捻る。この流れからするに、彼女はブリジット嬢に悪く言われたことでもあるのだろうか。
ソフィーは欠点のない美貌を持っている。仮に指摘を受けることがあるとすれば、髪型だろうか。貴族女性は長い髪が定石。それを破る彼女に、指摘でもしたのかもしれない。
「ソフィー様は華やかなお方です。私が口にするようなことは何もございません。整えられた髪も、きらめく太陽のようにお美しいもの。アクアマリンで飾られた姿は、エクセツィオーレの美しい海を思わせるほどです」
南方にあるエクセツィオーレは、美しい海に囲まれた島国。南国の血を受け継いだ彼女は、エキゾチックさのある美少女だ。
顔立ちは美人というよりも愛らしいタイプ。彼女の母親は迫力ある美人のため、大人になったらどうなるかは分からない。けれど、今のところは愛らしさが先にくる顔立ちをしている。
愛らしい彼女に、指摘すべき箇所などどこにもない。そんな気持ちで言葉を紡ぐと、ソフィーは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ふふ、ありがとうシャーリー! 嬉しいわ。分かっていたことだけれど、あなたは私を色眼鏡では見ない方ね」
「色眼鏡、ですか?」
首を傾げる私に、ソフィーが楽しそうに口を開く。その内容があまりにも予想外で、私は絶句してしまった。
「ブリジット嬢は、私の肌の色がお気に召さないようなの。日焼けするなんて令嬢にあるまじき姿と言われてしまったわ」
「――、」
ふふ、と可笑しそうに笑う彼女に、私は返す言葉が見当たらなかった。
彼女が褐色肌なのは、母親がエクセツィオーレの出身だからだ。他国の血を受け継いだ彼女に、肌の色を指摘するなど無礼にもほどがある。彼女のルーツそのものを否定することになる。
そもそも、エクセツィオーレは我が国の友好国。そんなこと、普通であれば口にはしない。色白肌が好まれるのは、あくまでも我が国の価値観である。心の中で思うだけならばいざ知らず、本人を前に口にしただなんて。
絶句する私をよそに、コードウェル公爵はため息を吐いた。このような話を聞けば、ため息をつきたくもなるだろう。その無礼を働いたのが自分の娘とあっては、公爵にとって頭痛の種に違いない。
「……ビアンカ夫人はエクセツィオーレのご出身とお聞きしております。夫人の血を継ぐソフィー様が小麦色の肌をされているのは当然のことでしょう。
そして、ソフィー様はウィルソン公爵の髪と瞳の色も受け継いでおられます。エクセツィオーレと我が国の友好を、御身が示しているも同義。
歓迎こそされ、疎む理由などどこにございましょうか」
胃に冷たいものが落ちる。氷が滑り落ちたかのようなそれは、私に言いようのない不快感を与えた。
私は、ブリジット嬢という人間が一層分からなくなっていた。イアンの言葉を思い出す限りでは、彼女は私と同じく転生者だ。私とは異なり、この世界がどんな世界なのかを知っているらしい。
乙女ゲームと断言し、その未来までも語ったとされる彼女。それならば、世界観は当然理解しているはずだ。だというのに、ソフィーへの発言はあまりにも不可解といえる。
仮に、ウィルソン公爵家に攻略対象者がいないというのならば理解もできる。しかし、イアンという同年代の子息がいるのだ。ストーリーに全く関わらないとは思えない。
ソフィーが登場しない可能性はあるだろう。女性向けの恋愛ゲームだ。登場する女性キャラクターが限られていても可笑しくはない。
それでも、イアンは間違いなくゲームに出てきたはずだ。公爵令息にして、第一王子の側近候補。出ない方がおかしい。キャラクターの背景として、その生い立ちにも触れているだろう。彼の外見についても、言及があるのが自然だ。
それなのに、なぜ彼女はソフィーに無礼を働いたのだろうか。殿下を筆頭に、イアンたち側近を味方につけたかったのではないのか? 妹に無礼を働く女を支持するはずもなかろうに。そんなこと、考えなくてもわかる。
私の頭の中に、混乱が巻き起こる。何か得体の知れないものを前にしたような、そんな薄ら寒さすら覚えた。
ふるり、と震える肩にそっと手が添えられる。
「君の動揺はもっともだ。気にすることはない」
「イアン様……」
表情こそあまり動かないが、どこか心配そうにこちらを見つめている。おそらく、私の抱える疑念が分かるのだろう。その瞳には同情の色があった。
「僕にも彼女の考えは理解できなかった。だからこそ、コードウェル公爵に面会を申し出た。公爵は誰よりも貴族らしい方だ。必要とあれば、ご息女のことであろうとも隠し立てはしないと信じてね」
イアンの言葉に、公爵へと視線を向ける。彼はただ静かに、私を見つめていた。
「……アクランド子爵令嬢、いや、シャーロット嬢と呼ばせてもらおうか」
「……はい、閣下が呼びやすいようにお呼びくださいませ」
この方に名前で呼ばれる日が来るとは。私という人間を疎んでいても可笑しくない相手だ。ご息女であるブリジット嬢は私を疎んでいるようだから。
この貴族然とした方は、そこまで娘に深入りはしないのだろうか。娘とご自身の感情をはっきりと切り分けているように見える。
「シャーロット嬢、このようなことを話さなければならないこと、私としても心苦しい。内容が我が娘であれば、なおのことだ。
……我らは貴族。果たすべき責任があり、備えるべき品格がある。それを汚すような者を、私は認めるわけにはいかない。
それが例え、血を分けた娘であってもだ」
低く、地を這うような声だった。その表情は一切動いていない。変わったのは声色だけだ。怒りを押し隠すかのようなその声は、彼の表情よりよほど感情が見て取れる。
メイン料理が運び込まれる。始まりはポワソンだ。蒸し焼きにされた白身魚は、身がふんわりと仕上げられている。表面は焼き目がついており、輪切りのレモンが重ねられていた。添えられているのはマスタードソースだろうか。淡い黄色をしたソースが、魚の周りを縁取っている。
ウェイターが下がると、公爵は一つ息を吐いた。一瞬眉を寄せたものの、その皺はすぐに取り払われる。表情を取り繕うスピードが速く、気を抜いたら見逃してしまいそうだ。
「話は長くなる。そのため、最初に要点を話しておこう。君にとって重要なことを。
――我が娘ブリジットは、君を殺したくて仕方がないようだ」
温かな湯気を立てるポワソンを、一瞬で凍らせるような言葉。
どこか現実離れしているように思うのは、この豪華すぎる空間か。それとも、告げられた言葉の残酷さゆえか。
夜はまだ、終わりそうにない。
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