第40話 世界と衝突する
「シャーリー、どうかしたかい?」
父の言葉に、はっと意識を戻す。ずっと上の空だった私を心配しているのだろう。眉は下がり、困ったようにこちらを覗き込んでいた。
「初めての場所で緊張していたようです。お気になさらないでください、お父様」
先ほどコードウェル公爵令嬢に向けられた視線。それに、私はずっと頭を悩ませていた。
何か失礼を働いただろうか。そう考えるけれど、そもそもお会いしたことはない。
可能性があるとしたら、私が第二王子と婚約するのではという危機感だろうか。正式に打診されているわけではないが、元々は彼女の父の発言が発端だ。彼女自身それを怪しんでいる可能性は高い。仮に私が第二王子と婚約すれば、彼女にとっては政敵といえる相手。いい感情が抱けないのも当然か。
「アクランド子爵、シャーロット嬢! こちらにいたか!」
考え込む私に、明るい声がかけられる。慌てて振り返ると、明るい笑みを浮かべるウィルソン公爵の姿があった。
彼の後ろには、美しい女性と二人の子どもがいる。今までお会いしたことはなかったが、ご家族の皆様だろう。確かもう一人息子さんがいらっしゃったはずだが、今は不在のようだ。
「お久しぶりです、ウィルソン公爵。お声がけいただき光栄です」
父の返答に続くように、私は一礼する。
身分が下の者は、高位の方へみだりに声をかけることはできない。そのため、彼から声をかけてもらわねば、私たちは話すことすらできないのだ。
今はデビュタントの入場が終わり、パーティーが開始された直後。そのタイミングで公爵家から子爵家に声をかけるのは、異例のことと言える。そのせいか、周囲の視線はこちらへ注がれていた。
「今日はシャーロット嬢のデビュタントだからね。是非とも祝わねばとこちらへ来させてもらったよ。
あぁ、そうだ! 今日は家族を紹介したくてね。こちらが妻のビアンカだ」
そっと奥方の肩を抱き、私たちへ紹介してくれる。
豊かな黒髪は腰あたりまで伸ばされ、絡まり一つない。濡れ羽色とはこういうことかとうっとりする美しさだ。
エクセツィオーレ出身だけあり、褐色の肌は健康的だ。黒髪と相まってエキゾチックな印象を受ける。女性らしい身体を目立たせるドレス姿は扇情的で、同じ女性なのにドキドキしてしまうほどだ。迫力ある美女に感嘆の息を漏らした。
「そしてこちらが、息子のイアンと娘のソフィアだ。来春から同じ学校に通うことになる。仲良くしてやってくれ」
次に紹介いただいたのは、子どもたち。どうやら二人は双子のようで、とてもよく似ていた。
金色の髪と青い瞳は公爵譲りのようだ。奥方からは肌色を引き継いだらしい。褐色の肌に太陽のごとくきらめく髪色と、海を映したかのような青い瞳。その全てが互いを引き立て合い、調和が取れている。
双方の国の特徴を受け継いだ二人は、華やかな容姿をしていた。
よく似た二人は髪型もお揃いで、耳が隠れる程度のボブヘアーだ。
ソフィア嬢もボブヘアーというのは少々驚いた。もちろん顔には出さず、微笑みをキープしているが。
貴族令嬢は、通常髪を伸ばすものだ。長い髪が一種のステータスといえる。短くしているのは、平民くらいだろう。
しかし、彼女にはボブヘアーこそが似合っているように思う。それは何も悪い意味ではない。
綺麗に整えられた髪は、長い髪と違わぬ魅力があった。単に短くしているだけではなく、きちんとアレンジもされている。サイドには編み込みを施し、アクアマリンのついた髪飾りで留めていた。女性らしさのあるアレンジに、これも良いものだと内心で頷く。
そもそも、現代日本において髪の長さは個人の自由だった。ボブは人気も高かったため、私も試したことがある。そういう意味では親近感を覚える姿であり、好感が持てた。
「ご丁寧にありがとうございます。
アクランド子爵家が娘、シャーロット・ベハティ・アクランドと申します。お見知りおきいただけますと幸いです」
三者へ視線を送り、カーテシーをする。悪い印象は与えずに済んだようだ。私の挨拶は好意的に受け止められた。
「まぁ、聞いていたとおり可愛らしい子だわ! 主人がいつもお世話になっているわね」
「こちらこそ大変お世話になっております。今後はビアンカ夫人ともお話させていただければ嬉しく思います」
「あら、嬉しいことを言ってくれるのね。今度お茶でもいかが? あなたが作る美容グッズの話も聞きたいわ」
シアバターのハンドクリームは私も愛用しているの! 明るい笑みと共に言われた言葉に、自然と顔が綻ぶ。自分が開発した商品を愛用してくれるとあれば、当然嬉しくもなる。喜びはそのままに、是非ご一緒させてくださいと返事をした。
「はじめまして、シャーロット嬢。父から話を聞いていて、是非一度お会いしたいと思っていたのよ!」
「ありがとうございます、ソフィア様。私もこうしてお目にかかれて嬉しく思っております」
にこやかな笑みを浮かべる彼女に、私も微笑みながら返事をする。太陽のような髪色の彼女は、イメージそのままに快活なようだ。はきはきとした喋り方は、聞いていて心地よい。
会社の商品についても詳しい彼女は、商品のどこが良かったかを自分の言葉で伝えてくれる。さすが公爵令嬢といったところか。相手が喜ぶ話題を選べる姿を見るに、社交の場でもさぞ活躍することだろう。
話が盛り上がったところで、少しあちらで話をしないかと、彼女から提案を受けた。特に反論もないため喜んでお受けする。指し示す場所はテラスのようだ。中座するにはまだ早いが、少し席を外すことにした。
「ごめんなさいね、シャーロット嬢。まだ話したい方々もいるでしょうに」
「いいえ、ソフィア様。私としてもこの時間を楽しく思っておりますから」
テラスに出て、真っ先に彼女が謝罪を口にする。確かに挨拶周りができないというデメリットはあるものの、公爵家との繋がりを大事にしたい気持ちはある。
それに、パーティーはまだ序盤だ。気にするほどのことでもないだろう。
「シャーロット嬢、ソフィー。飲み物を持ってきたよ」
続くようにテラスへと顔を出したのは、彼女の兄イアンだ。シャンパングラスを持ち、控えめな笑みを浮かべている。先ほどホールで話していた時は、終始聞き役に徹していた彼。つまらないのではと思っていたが、どうやら控えめな性格のようだ。
「イアン様、お気遣いいただきありがとうございます」
「こちらこそ、ソフィーに付き合ってくれてありがとう」
ふんわりと微笑む様は、妹への愛情に満ちている。仲のいい兄妹なのだろう。思いやる姿は自然で、普段の関係が目に見えるようだった。
「シャーロット嬢、いえ、シャーリーとお呼びしても?」
「もちろんです。お好きにお呼びくださいませ」
「ありがとう。では私のこともソフィーと呼んでちょうだい」
にこにこと微笑んでそう言う彼女に、私はぱちり、と目を瞬いた。
公爵令嬢がこれほど気さくに接してくれるとは思ってもみなかったのだ。テラスに誘われるだけでも驚きなのに、愛称まで許してくれるとは。よろしいのですか? と尋ねると、彼女は微笑んで頷いた。
また、イアンも私を愛称で呼ぶことにしたようだ。ソフィーが呼ぶなら、といったところだろうか。双子ゆえに通ずるものがあるのかもしれない。
「さて、それでは本題に入りましょうか、シャーリー」
穏やかな雰囲気が一転、彼女の言葉により空気が変わる。穏やかに微笑んでいた姿はとうになく、その表情は真剣そのものだ。
自然、私もつられるように表情を変えた。何の話をしたくてここへ呼んだのかは分からないが、どうやら重要な話のようだ。
「あなた、コードウェル公爵令嬢はご存じかしら?」
「えぇ、第一王子殿下の婚約者の方ですよね。お見かけしたのは、本日が初めてとなりますが」
「……今日が初……?」
私の言葉に、反応を示したのはイアンだった。その表情はわずかながらも驚いているように見える。その反応に、私はこてりと首を傾げた。
「それほど驚かれることでしょうか……私は子爵家の生まれ。公爵家の方々に早々お目にかかれる身分ではございません」
「あぁ、それは確かに。普通であれば、学園までは会うこともないか」
口元に手を当てて、何かを考え込むイアン。それを横目で見ながら、ソフィーが口を開いた。
「あなたの言うとおり、あなたと彼女に接点がないのは自然なことよ。けれど、あちらはそうでもないようでね」
「……と、いうのは?」
あちらは違う、とはどういうことだろうか。
会ったことがないのは確実だ。あれほどの美少女ならば間違いなく覚えている。にも関わらず、あちらは私を認識しているというのか。第二王子殿下との兼ね合いならば分からなくもないが、それでも私たちの間に接点がないことは変わらない。
ソフィーの口ぶりでは、あちらは私と何かしらの接点がある、そう主張しているように聞こえる。
「コードウェル公爵令嬢は、あなたのことを目の敵にしているようなの。何か、心当たりはおあり?」
歯に衣着せぬ物言いで、ソフィーが切り込む。その言葉選びに驚きながらも、内容には首を傾げた。接点がない以上、コードウェル公爵令嬢に失礼はしていないはずだが……目の敵にされるようなことはあっただろうか。
「あぁ、先に言っておくけれど、第二王子殿下は関係ないわよ。そもそも、彼女は第二王子殿下の存在自体忘れているのではないかしら」
その言葉に、一層謎が深まる。第二王子を忘れているという、不敬極まりない発言は横に置いておこう。
問題は、これで心当たりがなくなってしまったことだ。強いて言えば、第一王子の婚約者候補に名を挙げられた場合だが、その可能性は今のところ薄い。
今日、彼女をエスコートしていたのは第一王子だ。デビュタントという特別な日にエスコートしているのを見る限り、現時点で二人の婚約は固いと見るべきだろう。今後についてまでは分からないが。
だからこそ、余計に困ってしまう。一体、何が理由で目の敵にされていると言うのか。頭を捻らせるものの、一向に思いつくことがない。
せいぜい分かったことと言えば、コードウェル公爵令嬢の視線についてだ。入場時、彼女の私を見る瞳には、強烈なまでの嫌悪感があった。あのときは唖然としてしまったが、目の敵にされているというなら納得だ。
その目の敵にされた理由こそ不明なのだが。
うーん、と頭を捻らせる私を、双子は黙って見つめている。私が嘘をついているとは思っていないのだろう。私の様子に眉を顰めるようなことはなかった。
どちらかと言うと、納得した顔をしている。やはりそうだったのか、と言いたげな顔だ。
「大方そんなことだろうとは思っていたが……度し難い女だ」
ぼそり、と紡がれた言葉は、恐ろしいほどに冷え切っている。弾かれたように顔を上げると、イアンがホールの方へ視線を向けていた。
その視線の先には、第一王子と笑い合う彼女の姿がある。
「まぁ、今更よね。あの頭の可笑しい女のこと。常人が理解などできるわけもない」
イアンの言葉を肯定するように、ソフィーが吐き捨てる。その手にはいつの間にか扇が握られており、口元は隠されていた。口調には、どこか荒々しさが滲んでいる。
きっと、その口元は冷たく象られているだろう。それが分かるほどに、彼女の態度は冷ややかだ。
「可哀そうなことね、シャーリー。あの女の妄想に巻き込まれるだなんて」
「……妄想、ですか?」
ぎゅ、と手を握り、動揺を隠す。何を言われるのか分からないという不安が、私の身体を巡っていた。唯一の救いは、双子の嫌悪感が私には向けられていないことだ。
あくまでも、双子にとって厭う存在はコードウェル公爵令嬢、ただ一人のようだ。こちらには純粋に憐れむような、心配げな瞳を向けるだけである。
私の問いに一つ頷き、ソフィーが口を開く。それは、私にとって思いがけない言葉だった。
「あなたがゲームとやらのヒロインとして、彼女を処刑するそうよ。第一王子殿下の愛欲しさにね」
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