第39話 社交界の入口へ


 「っ、シャーリー! 大きくなって……!」


 赤く色づく葉も落ち始める冬隣。晩秋の良き日、私は貴族令嬢として大きなイベントを迎える。


 本日は我が国でデビュタントが開催される。今年15歳を迎える男女は、今日から成人の仲間入りとなるのだ。私は現在14歳。来月の19日に15歳となる。ばっちりデビュタントの対象者だ。


 まだ社交界では雛のような私。婚約者がいるわけでもないため、エスコートは父が行う。今は感動に咽び泣いており、不安が残るのだが。


 「お嬢様、本当にお似合いです。ご成人おめでとうございます」


 そう言って涙ぐむのはアンナだ。デイジーも手伝ってくれているが、舞踏会の支度はアンナを中心として行われた。元々が商家の生まれ。流行りものを取り入れるのも上手く、いつも彼女にはお世話になっている。


 「ありがとう、アンナ。アンナが美しくしてくれたおかげよ。デイジーも、本当にありがとう」

 「私には勿体ないお言葉です。ご成人おめでとうございます」


 すっと礼をするデイジーの所作は美しい。侍女として懸命な努力を続けた彼女は、今では瑕疵一つない振る舞いを見せている。お嬢様が成人するまでには完璧にしてみせます! と意気込んでいたが、その言葉は無事実現されたようだ。


 「シャーロットお嬢様、ご成人おめでとうございます。よくお似合いです。こうしてデビュタントの日を迎えるのは、感慨深いものですね」

 「ありがとう、カーター。幼い頃からあなたやアンナにはお世話になったもの。余計そう感じるのかもしれないわね」


 いつもの腹黒さはなりを潜め、カーターは穏やかな瞳でそう告げる。感謝の言葉を口にすると、彼は微笑みを浮かべた。


 今日の私は、デビュタントの伝統に則り白のドレスを着ている。その年に成人する貴族令嬢は白のドレスを着用するのが決まりだ。色こそ指定があるものの、デザインは人によってそれぞれ。制限のある中でどのようなドレスにするのか、貴族令嬢としての腕試しはここから始まっている。


 アンナの勧めもあり、型は定番のプリンセスドレスだ。

 私自身はマーメイド型が好きだが、残念ながら今世でもあまり似合わなかった。子どもが精一杯背伸びしているようにしか見えない。試しに合わせてはみたものの、無言で諦めるくらいには違和感があった。

 デビュタントまで待ったというのに、無念である。次は日本でいう成人、20歳を目安に試してみるつもりだが。好きなものへの執着は中々消えない。


 ドレスの袖はパフスリーブ。袖口にギャザーを寄せているため、ふんわりと膨らみ愛らしい印象だ。童話のお姫様が着ているような形をしている。

 胸元には花の刺繍が施され、中心部は白いリボンで編み上げている。胸下から切り替えられたスカートにも、贅沢に花の刺繍が散りばめてある。


 髪型は三つ編みをサイドに寄せて、編み下ろしにしている。ふんわりとほぐされた三つ編みに、白い小花を差し入れた。ドレスが白いからこそ、私のローズピンクの髪色はよく映える。唯一の色味を活かさなければと、アップスタイルでまとめるのは避けることにした。

 全体的に花をあしらうことで、統一感ある装いだ。なお、それを見た父から「やっぱりシャーリーは華の妖精だ!」という言葉をいただいたのは言うまでもない。


 「では、行って参ります。お父様、王宮へ向かいましょう?」

 「うぅ、こんなに可愛いシャーリーを魔窟のような社交界に出すなんて……。やっぱり心配だ! デビュタントは休んだ方が」

 「いい加減にしてください、旦那様。シャーロットお嬢様の将来にケチをつけるおつもりですか」


 娘可愛さに暴走する父を、カーターがぴしゃりと撥ねつける。言っていることはカーターが正しいため、私も父の援護はしない。

 そもそも、王宮主宰のデビュタントを欠席するなど、正気の沙汰ではない。父からすれば、王家の前に顔を出すこと自体嫌なのだろう。気持ちは分かるが、こればかりは諦めてくれというほかない。


 グズグズと半泣き状態の父を押し込み、馬車は一路、王都へ向かう。

 初めての社交界。誕生日に小規模なパーティーはしたが、身内だけのものだった。ときにはハプニングもあったけれど、基本的に気楽なパーティーだ。


 しかし、今日は違う。一人前のレディとして認められ、社交界へ足を踏み入れる。その先に気楽さなどない。隙あらば足元を掬われる世界である。油断は禁物だ。


 窓の外へ視線を向ける。太陽の位置は少し低くなり、しばらくすれば夕焼けが見られるだろう時刻。明るい陽射しに別れを告げる様は、大人の階段を登る、今の私を表しているようだった。





 「アクランド子爵家ご令嬢、シャーロット・ベハティ・アクランド様ご入場です!」


 騎士の声に導かれるように、ホールの入口が開かれる。

 会場内は、多くの人で溢れかえっていた。一年に一度のイベントだからか、ほぼ全ての貴族が出席しているようだ。

 中には既に入場を終えたデビュー直後の者たちも見受けられる。爵位が下の者から入場するため、男爵家と子爵家の令息・令嬢だろう。


 私は子爵家の中で最後の入場者だ。おそらく我が家の経済力と、私が聖女であることが理由だろう。

 聖女としてのお披露目はまだ行っていないが、貴族にとっては暗黙の了解となっている。お披露目がされるまでは子爵令嬢として扱ってくれるようだが、それが終わればこの順番で入ることはなくなるだろう。


 「行こうか、シャーリー」


 声をかけてくれた父に、穏やかに微笑みを向ける。


 さて、ここからだ。陰謀渦巻く社交界に足を踏み入れる。株式会社の設立者にして聖女という無駄に大きな肩書がある私。いいように使われないためにも、社交の場での立ち位置を確保せねばなるまい。

 そのためには、ここで舐められないようにしなくては。


 真っすぐと前を向き、胸を張る。口元には穏やかな笑みを張り付けた。会場中の視線が私に向けられているのが分かる。それに動じる素振りは見せず、王家の方々がおられる場所まで足を進めた。そこには、国王陛下と王妃殿下、シアお姉さまことレティシア王女殿下がおられる。王子殿下は、二人ともにこの場にはいなかった。


 「我が国を抱く大空、国王陛下にご挨拶申し上げます」


 指先まで美しさを意識し、カーテシーを見せる。深い敬意を表すため、上体は起こさず深くお辞儀をした。うむ、と感心するかのような声が聞こえると、陛下はすぐに顔を上げるよう勧めてくれた。


 「今まで多くの挨拶を受けてきたが、大空と呼ばれたのは初めてだ。太陽や海と呼ばれるのが多いか。例えをつけねばならぬ訳でもないからな。

 して、なぜ余を大空と?」

 「陛下の青き髪や瞳は、澄み渡る空のように美しいもの。空は我ら民をあまねく見つめ、抱いてくれる偉大なものにございます。尊き御身にこそ、合う表現ではないかと愚考いたしました」


 私の返答に、陛下の瞳がきらりと輝いた。どうやら内容は気に入っていただけたようだ。口角を引き上げるだけでなく、愉快そうに破顔した。


 「なるほど! 愚考などと謙遜が過ぎる。中々風情のある言葉選びだ。優秀だという噂は耳にしていたが、どうやらユーモアもあるようだ」

 「温かなお言葉、光栄に存じます」


 ははは! と明るい笑い声を上げる陛下へ微笑みかける。気を良くした陛下は、同伴者である父へ視線を向けた。


 「アクランド子爵、貴殿のご息女は随分と優秀なようだ。その上社交性もある。君にとってもありがたい存在ではないかね?」

 「我が娘へ過分な評価を賜り、恐悦至極に存じます。私は社交性に乏しい身。父親として恥ずべきことではありますが、我が娘なくして当家の繁栄はないでしょう」


 そう言って私を見る父の目は、穏やかだ。

 しかし、その言葉には少々含みがある。私がいるからアクランド子爵家は栄えている、だから持っていかないでね、と言う内容だ。仮に私がいなくとも、アクランド子爵家が裕福であることは変わらない。父の仕事は需要が多いのだから。

 王家もそれはよく分かっているだろうが、父としては言わずにいられなかったのだろう。娘を手放す気はないと、宣言しておきたかったようだ。


 「何を言う。貴殿の能力は高いものだ。開発者として優れた才の持主と、我が国の者は皆知っている。これからも貴殿には期待している」

 「ご期待に沿えるよう、精進してまいります」


 父が一礼すると、陛下は満足気に頷いた。私がいなくても十分優秀だと、言っておきたかったのだろうか。陛下の顔は明るく、それに反して父の表情は複雑そうだ。

 そんな二人をよそに、王妃が私へと声をかけてきた。


 「噂には聞いていたけれど、本当に知的で愛らしいお嬢さんね。陛下が大空ならば、私は何と呼んでくれるのかしら」


 金色の髪が、シャンデリアの光を受けて星のような輝きを見せる。頭を彩るティアラにも負けないほどの美しい髪は、王妃に相応しいケアが施されているのだろう。

 その顔には完璧な笑顔が浮かんでおり、彼女の感情はうかがえない。王妃としては完璧な姿であろうが、対峙する相手にとっては威圧感を感じるだろう。


 「我が国を育む大地、王妃殿下にご挨拶申し上げます」

 「まぁ! 私が大地?」


 意外な回答だったのだろうか。表情の見えなかった笑顔から一転、驚いたように目を丸くしている。

 おそらく、月や星と言った表現が多かったのではないだろうか。陛下は、太陽と呼ばれることが多いと言っていた。それであれば、太陽の対である月を選ぶのが自然だろう。次点で星々だろうか。彼女の美しい金の髪は、そう表現するに相応しい輝きを放っている。


 「大地は多くの命を育む我らの母にございます。国母たる王妃殿下にこそ相応しいものでしょう」

 「ふふ、あなたに言われると、不思議と似合っているように思えるわ」


 先ほどの完璧な笑顔とは異なり、機嫌よくコロコロと笑みを見せた。この方については、私は大人たちの会話の中でしか知らない。陛下と元婚約者の間を割って入った王妃。それだけを聞けば酷い悪人のようにも思える。


 だが、真実は他人の話だけでは分からない。適切な距離感を保つためにも、下手な先入観は捨てなければ。王妃へ微笑みかけながら、見極めねばと気を引き締めた。






 次々と入場が続き、残りは公爵家の方々のみとなった。

 我が国に公爵家は二つ。事業で縁のあるウィルソン公爵家、そして第一王子の婚約者を輩出したコードウェル公爵家だ。

 おそらくコードウェル公爵家が最後になるだろう。第一王子とともに入場するであろう彼女を、先に回すとは思えない。そんなことをぼんやりと考えていると、思いがけないアナウンスが流れた。



 「第一王子、ジェームズ・フォン・ジャーヴィス殿下、並びにコードウェル公爵家ご令嬢、ブリジット・セシリア・コードウェル様ご入場です!」



 ホール内に動揺が走る。それもそのはず。誰もがこの二人が最後になるだろうと思っていたからだ。ウィルソン公爵家の入場はないのだろうか。確か今年二名ほどデビュタントを控えていたはずだが。

 周囲の貴族たちも何事かと囁き合っている。中には、少々過激な発言をしている者もいた。


 「殿下とコードウェル公爵家が先だと? どうなっている?」

 「陛下はジェームズ殿下に対し、我が子か疑わしいと発言したそうだが……それが影響しているのだろうか」

 「これはもう、ジェームズ殿下の王位継承はないのでは?」

 「馬鹿、余計なことを言うな。耳に入ったらどうする。ケンドール辺境伯に睨まれるぞ」


 交わされる言葉は、ジェームズ殿下に対する懸念の声だ。本来であれば、第一王子という盤石な生まれ。それがこうも目に見えて冷遇されているのだ、話題にするなという方が難しい。王妃の生家であるケンドール辺境伯からすれば、腹立たしいことだろう。


 そもそも、コードウェル公爵はどう見ているのか。このような待遇をされ、普通であれば黙っているとも思えないが。


 ホールの奥へと視線を向ける。美しい青の色彩は、すぐに見つけることができた。

 コードウェル公爵の表情を見るも、そこに特段の感情は浮かんでいない。貴族然とした方であるのは、初対面でよく分かっている。感情を表に出さないくらいのことはできるだろう。その甲斐あってか、今の表情からは何も読み取れない。

 この状況を当然と捉えているようにも見えるが、本心はいかほどか。


 ぱちり、と視線が絡み合う。コードウェル公爵だ。極力自然に見えるように、ゆっくりと視線を動かした。

 何ら悪いことはしていないが、野次馬のようだったのは事実。

 そして、あのどこまでも貴族らしい人に、私は少々苦手意識を持っていた。彼が悪いというのではなく、単に性質の違いだ。根が庶民な私にとって、彼のありようは素晴らしいと同時に遠い存在のように思える。


 逸らした視線の先には、ジェームズ殿下とコードウェル公爵令嬢が肩を並べ歩いていた。

 ジェームズ殿下は王妃譲りの美しい金髪に緑色の瞳をしている。黒地に金色の意匠が施されたタキシードは、彼の髪によく似合っていた。

 穏やかに微笑む様は、まるで物語に描かれる王子様のよう。少女たちの憧れとも言えるその姿は、人目を惹くものだった。


 対するコードウェル公爵令嬢は、きりりとした雰囲気を持つ美少女だ。将来は間違いなく美女になるだろうと予想できる。

 美しい青の髪は結い上げられ、ほっそりとしたうなじがさらされている。白のマーメイドドレスを身に纏い、その美しさを前面に押し出していた。胸元に飾りはなく、少女にしては豊かなバストラインが強調されている。

 息を飲むような美しさに、ほう、と息を吐いた。


 ――羨ましい、その一言だった


 私だってマーメイドドレスとかかっこよく着たい。彼女のように美しい顔立ちならば着こなせるが、童顔なこの顔では難しい。可愛く生んでくれた母には感謝しかないが、好みの問題だ。心の中で羨むくらいは許してほしい。


 青い薔薇のような彼女を、うっとりと見つめる。その視線に気づいたのだろうか。彼女の視線がこちらへ向けられた。


 「……え?」


 驚きに声を漏らす。幸い、周囲が噂話に興じていたため、私の声を拾う者はいなかった。


 すっ、と彼女の視線が外された。未だ衝撃から立ち直れずにいる私を置き去りにして。


 彼女に向けられた視線、そこには目を疑うほどの嫌悪感が滲んでいた。

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