第36話 初めての討伐任務


 「聖女様、準備はよろしいでしょうか?」

 「えぇ、もうできているわ」


 瑞々しい青葉が樹木を彩り、夏めく日差しを遮る頃。私は人生初の大仕事を迎えることとなった。

 薫風が私の髪を攫う。青空に広がるローズピンクの髪は、遠い日本の桜を思い起こさせた。


 今日は私にとって、初めての魔獣討伐だ。あの波乱だらけな誕生日会から一年半ほどが経過した。あの後も色々とハプニングはあったものの、大きな事件には至らず、表面上は変わりない日々を送っていた。


 「聖女様、騎士団が前面に立ちますので、あまり心配なさらないでくださいね。僕も聖女様をお支えしますから!」


 そう言って笑うのは側付きであるカイルだ。魔術に長けた彼は、祈信術も優れている。攻守ともに頼れる者として私の側付きになったこともあり、本日も同行予定だ。


 「私どももお側におります。聖女様には怪我一つ負わせませんのでご安心ください」


 そう言って笑うのはルーファスだ。その隣にはオーウェンが立っている。どちらも腰に剣を差し、準備万端といったところだ。

 辺境伯子息であるオーウェンが付いてきていいものかと悩んだのだが、その悩みは当の本人に一蹴された。「辺境伯家出身だからこそ、魔獣討伐の参加は当然です」とあっさりと返されたのは記憶に新しい。そもそもが、優れた武力を持たねば任を全うできぬ家柄だ。今更の話だったか、と自分を納得させた。


 「お嬢様、馬車の準備も整いました。いつでも出発可能です」

 「ありがとう、デイジー。あなたも、今日はよろしくね」


 私の言葉に、デイジーは嬉しそうな笑みを浮かべる。やっと護衛としてもお役に立てると意気込んでいるようだ。

 彼女が魔術の腕を磨いてきたのは知っている。それだけでなく武器の扱いも嗜んでいるようだが、幸いというべきか、私はその腕前を見たことがない。


 馬車に乗り込み、窓から外の景色を一瞥する。新緑に囲まれた風景は、若々しい生命に溢れていた。魔獣討伐に行く身で何をと言われるかもしれないが、どうか被害が出ませんようにと心の中で祈った。






 「到着しました、聖女様。こちらの森に魔獣の姿が見受けられるとのことです」


 騎士の声に、馬車を降りて森を見渡す。

 現在私たちがいるのは、神殿から片道一時間ほどの距離にある森だ。普段は近隣の村人たちが遊びに来るような、穏やかな森である。


 そんな森に、数か月ほど前から魔獣の姿が確認されるようになったのだとか。極めて危険な魔獣という訳ではないものの、下手に住み着かれてしまっては大変だ。その魔獣を餌とする強いものまで引き寄せてしまいかねない。そのため、なるべく早いうちに討伐の必要があったのだ。


 そして、私としてもいずれは聖女として魔獣討伐に参加しなければならない身。最初の慣らしとしては丁度よかろうと、この森に訪れることとなった。


 「では、聖女様。ここからは決して騎士の前には出ないように。その上で支援をお願いします」

 「はい、分かりました」


 カイルにそう言われ、静かに頷く。魔術の才能があるとはいえ、所詮私は素人だ。出過ぎず周囲の迷惑にならないようにしなくては。聖女の主な役目は支援だ。それ以上を望む必要はないし、その実力も今はない。


 心の中でそう自分に言い聞かせる。そうしなければ、恐怖が前に来てしまいそうだった。どれだけ周囲に護衛がいようと、魔獣に相対するという恐怖はなくならない。今回は軽い討伐と聞いているが、討伐初参戦の私にすればそれは何の気休めにもならなかった。


 森の中へ足を踏み入れ、20分ほど経ったときだ。不意に前を歩く騎士の歩みが止まった。騎士たちは地面を見ながら、何かを話し合っている。

 それに不審に思ったルーファスが彼らに問いかけた。


 「どうしました? 目的のポイントまではまだ少しあるかと思いますが」

 「っ、あぁ、そうなんだが……どうやらこの場所にも足跡があるようだ。事前の調査ではもっと奥にいるはずだったのだが」


 騎士の言葉に、彼らの足元へと視線を向ける。そこには、小動物の足跡が複数つけられていた。

 今日討伐する予定なのは、ホーンラビットという魔獣だ。見た目はうさぎに似た生き物のようだが、極めて気性が荒い。また、名前の通り角を持っており、油断すればその角で刺されることもあるそうだ。万が一近隣の村人に被害が出ては困ると、こうして討伐に来たのだが。


 本来であればもっと奥の方にいるはずの魔獣が、森の入口から20分ほどの距離まで来ている。それは決して看過できることではない。


 「一先ず周囲に警戒を、」


 騎士の声が途切れる。何かがこちらへ向けて駆けてくる音が聞こえたからだ。それも、一体や二体ではない。群れと呼ぶに相応しいであろう足音の数が聞こえ、一気に緊張感が高まった。


 「っ、来ます!!」


 若い騎士が声を張り上げる。視線の先には20体ほどはいるだろうか。ホーンラビットの群れがこちらへ猛スピードで駆けてきた。うさぎは群れで生活する生き物であるが、こんなときはその習性に苛立ってしまう。鋭い角を携えてこちらに走ってくる様は、決して可愛いとは言えない姿だ。


 「《時は流転する――我らに追い風を》!」


 桜色の魔術陣が足元に顕現する。ホーンラビットの想像以上の速さに、こちらの動きを速めることを選択した。ホーンラビットが止まっていれば、相手の動きを遅くすることもできるのだが、この状態では捕捉出来そうもない。ならばせめて味方をと、補助魔術を使用した。


 「ありがとうございます、聖女様!」


 若い騎士の言葉を皮切りに、騎士たちは魔獣へと走り出す。スピードを上げた甲斐もあり、騎士たちはすぐに接敵した。一撃で屠るものもいれば、二撃、三撃と与えて仕留めるものもいる。

 今の私にできることはなく、いざというとき助力できるよう戦況を見定めることに専念した。即座に魔術陣を展開するため、集中を維持する。


 見ているだけ、言葉にすればそれだけだが、中々に苦しいものがある。それも当然だろう。前世では武力行使を目にすることなどなかったのだから。ホーンラビットから上がる血しぶきに、何も思わないなど出来なかった。

 必要なことだと、それは分かっている。けれど、理解しているからといって生理的な反応を抑えられるわけではないのだ。


 青々とした緑に、紅い花が咲く。流れたばかりの血は鮮やかで、どこか現実離れしているようにも思えた。鼻に付く錆のような匂いがなければ、目の前の光景が現実のものだと認識出来なかったかもしれない。


 「……みなさん、お怪我はございませんか?」


 戦闘が終了し、騎士たちへ声をかける。彼らは一斉にこちらへ振り返り、笑顔で問題ないと告げた。その後、口々に補助魔術のお礼を口にする彼らに、私も意識して微笑みを浮かべた。

 そうしなければ、足元に横たわるモノへ意識を向けてしまいそうだからだ。


 「しかし、何故ホーンラビットはこちらに近づいてきたのでしょう。ここが彼らの巣であったのならば分かりますが、そのような痕跡は見受けられない。そもそも、ここまで人里近いところに巣など作らないでしょう」


 ルーファスの言葉に、騎士たちも渋い顔をする。彼らとしてもそこは疑問だったのだろう。相手が人間であれば問い詰めることもできるが、魔獣だ。意思疎通などできようはずもなく、ただ討伐を優先した。それゆえ、疑問だけが残ってしまったのだ。


 「群れで行動しているとはいえ、本来であればこちらに駆け寄っては来なかったでしょう。巣を荒らされたならいざ知らず、武装した人間が複数いる部隊に襲い掛かってくるとは思えません」


 オーウェンのその言葉に、私も無言で頷いた。

 体の大きさという面で、ホーンラビットは侮られやすい。それは自然に生きる彼らが一番よく知っているはずだ。だからこそ敵には一丸となって挑んでくるものの、敵対行動に出ない限りは荒事に発展しない生き物だ。

 人間が少人数でいるのなら話は別だが、今回のように部隊を率いているところに突っ込んでくるとは考えにくい。


 「こちらに攻め込まざるを得ない何かがあった、そういうことかしら」


 ルーファスとオーウェンへ視線を向けてそう問いかけると、彼らは無言で頷いた。

 二人と同意見なのだろう。カイルや騎士たちもその言葉に異を唱えることはなかった。


 「状況が変わっているというのであれば、このまま討伐任務を続けるわけにはいきません。ホーンラビットの討伐自体は一定数上げておりますし、ここは一度戻る方がよろしいのでは」


 再度の討伐は調査後でも問題ないでしょう、というカイルに騎士たちも同意する。生態系の変化が起きているのであれば、不測の事態が起きる可能性がある。私の初陣という意味では成果もあるのだし、ここで引き上げるべきということだろう。

 私もそれに同意しようと口を開いたが、その言葉が声になることはなかった。咄嗟をついて出たのは、全く別の言葉だったからだ。


 「《流転せよ! 守護のヴェールを我らに》!」


 それはただ、必死に紡いだだけの言葉だった。私の魔力はそれに答え、時属性魔術と祈信術の並列行使を可能とした。敵からの攻撃を防ぐ術を、時属性魔術で短縮行使したのだ。

 白い光で作られたヴェールが私たちを覆う。その直後、土の塊とともに大きな尾のような物がヴェールに叩きつけられた。


 「な!?」

 「何が起こった!?」


 騎士たちの声に驚愕の色が滲む。ヴェールの外は土埃が広がっており、視界が判然としない。私自身、何が襲ってきたのかの判別はついていなかった。


 ただ、二つほど運が良かったことがある。一つは、相手が土の中を潜ってきたことだ。私が最も早く目覚めた魔術は土属性。土との親和性は高い。

 また、初めての討伐任務で気を張っていたことも功を奏した。誰より怯えていたからこそ、警戒を解かずにいられたのだ。ホーンラビットとの戦闘中と変わらず、いつでも魔術陣の展開を可能にしていた。そのおかげで魔力の流れに異変を感じることができた。

 仮に、これが討伐任務に慣れてきた頃ならこうはいかなかっただろう。私の米神に、静かに冷や汗が伝った。


 「……これは……」


 唖然としたルーファスの声が響く。誰かの息を飲むような音が聞こえた。

 それも無理はないだろう。土煙が収まるにつれて、視界に入ったのは信じ難い存在だったのだから。


 「っ、ソイルボアか!」


 カイルの声が、敵の正体を知らせる。ソイルボア。土を潜り移動する蛇のことだ。そう聞くと通常の蛇を想像するかもしれないが、大きさが全く異なる。

 首をもたげた姿は、2メートル程の高さがあり、人間とは比較にならない巨体だ。この巨体の尾を止められたことに、自分のことながら驚いてしまう。


 しかし、二度目も止められるかと言われれば定かではない。私の足は、みっともなくも竦んでいるのだから。


 「聖女様、下がってください! カイル殿、聖女様たちを!」

 「はい、分かりました!」


 騎士の声に、カイルが即座に動く。オーウェンとルーファスも私を守るように陣取った。私の背後には、デイジーが控えている。


 「お嬢様、大丈夫です。いざとなったら、必ず私がお嬢様を逃がしますから」

 「デイジー……」


 笑み一つない真剣な顔でデイジーが告げる。本当は怖いだろうに、私を守ろうとしてくれることに胸が締め付けられた。


 聖女と言われようとも、元は成人済みであっても、怖いものは怖いのだ。自分より遥かに大きい獲物は、私の足を竦ませた。

 頭にあるのはただ、死にたくないという感情だけだ。あれほど魔術を練習していたにも関わらず、恐怖心は抑えられなかった。


 ゲームと現実は違う。RPGの世界でも生きていけるようにしないと、と始めた魔術の勉強。無意味だなどとは思わない。けれど、勉強しただけでは現実の恐怖には打ち勝てないのだと知った。


 足が震える。守られているというのに、胸の動悸は一向に収まらない。知らなかったのだ。魔獣がこんなに恐ろしいものだなんて、実感がなかった。ただぼんやりと、昔見たゲームのキャラクターしか想像できなかった。目の前にするとこれほど怖いなんて、理解できやしなかった。


 ソイルボアの目が、ひたりと自分を見つめる。わずかに開いた口からは、鋭い牙が覗いていた。牙からは、ぽたり、ぽたりと赤い液体が滑り落ちる。あぁ、きっとあれは、


 「ホーンラビットの血か。あいつらがこちらに仕掛けざるを得なかったのは、ソイルボアに追われていたからかもしれないな」


 ルーファスの言葉が、私の思考を引き継いだ。牙を染める鮮血は、先ほど見た覚えのあるものだった。

 青々しい緑を染める鮮血。意識を向けぬよう必死にこらえたソレを、ソイルボアはまざまざと見せつけてきた。


 生死の危機に瀕しているからか、動揺しているはずなのに思考だけはせわしなく回っていた。自身の危機を知らせる耳鳴りに、鬱陶しく思うことすらなく思考を繰り返す。


 生き残りたい、できることならば全員無事で。そのために自分に何ができるのだろう。


 どうしようもなく震える足に、笑いすら込み上げてくる。これだけ守られていて、それでも怖いなんて。みっともないと心の中で嘲笑った。そうでもしなければ、崩れ落ちてしまいそうで。


 華々しい勝利よりも生き残ること、そのための覚悟を決めなければと私は息を吐いた。

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