第35話 彼の想いと恋の味(オーウェンside)
「それで? わざわざ君の家にソレが届いたということかな?」
麗らかな日差しが差し込む室内。心地よい日差しと暖かな室温は、春の訪れを感じるほどに居心地の良さがあった。窓から白銀に染まる木々が見えなければ、穏やかな春の日と表現してしまうほどだ。
窓際には小さな円卓と、椅子が二脚ある。暖かな日差しが感じられる良き日、本来であればそちらの席に座る方が良いだろう。
しかし、そこに使用された痕跡はない。使用しているのは窓から離れた部屋の中心だ。
シャンデリアが煌々と輝く真下、二台のソファーで挟むようにローテーブルが置かれている。ローテーブルには、二つのティーカップとケーキスタンドが並ぶ。
日差しを楽しむ必要などないかのように、窓から離れた席に腰を下ろしていた。
「スカビオサの花束ねぇ……。まぁ、くれるというのならば受け取るけれど」
渡された花束を一瞥し、興味が失せたのかパサリとソファーへ放った。振動により紫色の花びらがひらりと床に落ちる。白い床に落ちた紫色は、どこか物悲しい気持ちにさせる。
「それにしても、姉上の慧眼は素晴らしいね。仮面をつけた弟とは、言い得て妙だと思わないかい?」
くすくすと楽し気な笑みを浮かべる少年に、小さくため息を吐く。笑いごとではない、と怒鳴りたくなるのを必死で抑えた。
「自分としては、笑いごとだとは思えませんがね」
「おや、相変わらず君は固いね。まぁ、紫色の花という時点で、俺が何をしているのか想像ついているんだろう。君が慎重になるのも無理はない。
それはともかく、ここには二人しかいないのだから、話し方など気にする必要はないよ?」
目を細めて笑う姿は、まるで猫のようだ。気まぐれにこちらに構い、するりと手から抜けていく。この男の厄介さは、誰よりも知っていた。
「はぁ、お前は本当に変わらないな」
「人間など、そう変わるものではないだろう? それは俺とて同じさ。普段はご希望通り大人しくしているのだから、それだけでも褒めてもらいたいものだね」
にこりと微笑むその姿に、他者を気遣うという素振りはない。この男にそれを求めること自体、間違いかもしれないが。
彼は、相手が自分に近しい存在であるほどに、遠慮というものをどこかへ放り投げてしまうのだ。親しくなった時点で、この未来は決まっていたともいえる。
「とりあえず、レティシア殿下には十分に気をつけてくれ。彼女自身は決して悪い人間ではないが、頭の切れる方だ。
ここまでの行動力があるとは思わなかったが」
「うーん、まぁそうだね。姉上は地味姫だもの」
地味姫、姉をそう称する彼に悪意は一片も見当たらない。当然のように口にした単語に、殿下がどれほど傷ついているのか知った上で。そう評するのが正しいことであると、彼が思っているからだろう。
「俺は別に、姉上の外見が地味だとは思っていないさ。王妃や城内の人間は違うようだけれどね。姉上は一般的に見て整った顔立ちだろう。地味というにはほど遠い。
彼らは姉上の髪や目の色でそう呼んでいるようだけどね」
ティーカップに手を伸ばし、紅茶へ口をつける。おいしいね、と笑う彼の髪が揺れた。青空を切り取ったかのような青。王家の色だ。同色の瞳も、一切の陰り無く輝いている。
「ただ、姉上の行動については地味姫と呼ばれても仕方ないと思っていたよ。いつだって下を向いて、目立たぬように息をしている。王女とは思えない慎ましさに涙が出るほどだ」
彼の瞳には雫一つ見当たらない。分かっていたことだが、この男が同情で涙するなどあり得ない。要は、レティシア王女殿下に対する苛立ちを揶揄しているのだ。今までの彼女に許しがたい感情を抱いていたのだろう。
「王族なんてね、最初から批判の対象さ。必要な時は持ち上げて、都合が悪くなったらこき下ろす。貴族たちにとってはそういうものだよ。
だというのに、一つ一つに傷ついていてどうするんだい? 逆手に取るくらい出来なければ、早かれ遅かれ潰されるだけさ」
ぐちゅり、と真っ赤な苺を握りつぶす。ぽたり、ぽたりと彼の手を赤い水滴が滑り落ちた。潰された苺を一瞥すらせず、口に入れて飲み下す。
彼にとってみれば、潰された苺は捨てるまでもないものだったのかもしれない。潰した事実すら覆い隠すかのように、それは胃の中へと落ちていくのだ。二度と、人目に触れることのない場所へ。
「まぁ、姉上が行動的になったことはいいことだ。それもあの子のためというのならそんなに都合のいい事はない。こちらに協力しそうもないことだけは、いただけないけどね」
父上に協力するようで嫌なんだろうけれど、と口にする彼の目はショートケーキに注がれている。上に乗っていた苺は既に食べてしまっているので、どこか不恰好だ。
フォークを差し入れて口に含むと、嬉しそうに微笑んだ。彼好みの甘さだったのだろうか。甘すぎるものは好まないため、成人男性にも好まれる味付けにしたのがよかったのかもしれない。
「ルーク。一応聞いておくが、本当に聖女様を未来の王太子妃にするつもりか?」
「そうだけど? 彼女以上に適任もいないだろう? お飾りの妃なんてもらうつもりはないよ。自分の足で立てる精神性がなければ役に立たないだろう?」
「その点、彼女は向かないね」と続ける彼に、内心でため息を吐く。彼のいう彼女が誰を指しているのか、それは言わずとも分かっていた。
「一応、お前の兄の婚約者なのだがな」
「あぁ、そうだね。お似合いなんじゃないかな? あの二人」
にこやかな笑顔で言う彼に、返す言葉はない。そもそも、彼も返答など求めていないだろう。彼にとってみれば、異母兄もその婚約者も、炉端に転がる石程度しかないのだ。そうなってしまったことには、彼ら自身にも問題があるのだが。
「コードウェル公爵が言っていたよ。彼女、ブリジットだっけ? その子はジェームズと結ばれるのが望みなんだって。それ以上は望んでいないらしいよ?」
「……それは、ただ口にしていないだけでは?」
「俺もそう思ったのだけれどね。どうやら彼女、未来を知っているらしくて」
「は?」
素っ頓狂な声が出る。話の流れを遮るかのような話題にも驚いたが、その馬鹿馬鹿しい内容にも驚きだ。未来を知っているなど、眉唾物だと思うのも普通だろう。
「ははっ! まぁ、君のその反応も当然かな! 俺も最初に聞いたときは馬鹿馬鹿しい話と切り捨てたものだよ。でもね、当てたんだよ。彼女」
笑いを一瞬で収めると、彼は声を落として言葉を続けた。それに自然とこちらの表情も引き締まるのを感じた。
「聖女になるのがアクランド子爵令嬢だって、当てていたんだよ。まだ話にすら上がっていなかった段階でね」
アクランド子爵令嬢とは未だに会ったことはないそうだよ? と続ける彼に、頭を抱えてしまう。未発表の内容、それも王家すら補足していなかった情報を箱入り令嬢が当てた? 一体何の冗談だ、と思っても仕方がないだろう。
そんな自分を愉快そうに見つめて、彼は再び口を開いた。
「しかもね、彼女は17歳になる前に断罪されるそうだ。聖女を虐げた罪でね」
「っ、ぁあ゛!?」
「ちょっと、柄悪いよ。あぁ、そうだ。彼女曰く冤罪だとも言っていたかな」
「何を言っているんだそいつは!!」
感情そのままに声を荒げる。それも無理はないだろう。聖女を虐げた罪? 実は冤罪で、それが判明されることもなく公爵令嬢が断罪されたと?
「……あり得ないだろう。そんなことになって、誰が得をすると?」
「んー、彼女が言うには聖女が犯人らしいけど?」
「もっとあり得ないだろう!? 聖女様が彼女を陥れる理由がない!」
「ふふ、君も聖女には気を許してきたのかな? それは何より」
激昂する自分を見て、彼は嬉しそうに笑う。将来の側近から覚えめでたいことが嬉しいのだろう。いずれ王太子妃にする予定の聖女。彼は殊の外聖女を気に入っているのだ。
だからこそか。続く言葉は彼にとって不愉快極まりない内容のようだ。
「聖女が彼女を陥れるのはね、聖女がジェームズに恋をするかららしい」
今までの明るい声から一転、研ぎ澄まされたナイフのように鋭い声が響く。瞳に温度はなく、口にするのも忌々しいと言わんばかりだ。
「聖女様が……? こう言ってはなんだが、彼女はジェームズ殿下のような男性を好みはしないのでは……?」
「まぁ、そう思うよね。コードウェル公爵もそう言っていたよ。俺自身も、聖女がジェームズを好くことはないだろうと思う」
ジェームズ殿下は、一般的には好まれるタイプの人間だろう。絵にかいたような王子様で、令嬢たちの羨望の的だ。学問も剣術も秀でていて、そつのない姿を見せている。
しかし、彼の優秀さには問題もあった。
「ジェームズは確かに同年代の中では優秀だ。けれど、飛びぬけた才があるわけではない。まんべんなく一定程度の優秀さを見せるけれど、光るものがないんだ。それがアイツ自身のコンプレックスにもなっている」
ルークの言うとおりだ。ジェームズ殿下の優秀さは、突出したものではない。どうしても、目の前にいる男には劣ってしまう。そして、そうであるために、殿下は大きな問題を抱え込んだ。
「王家の青もなく、才能も劣る。それが俺へのコンプレックスとなっているのは知っている。そのコンプレックスが転じて、過度に生まれをこだわるようになってしまったこともね」
そう。ジェームズ殿下の何よりもの問題はそこにある。貴族である以上、生まれを重要視するのは当然だ。しかし、彼は貴族の中でもその意識がひと際強い。行き過ぎた選民思想の持主と言って良いだろう。
何よりも問題なのは、殿下自身、それに気づいていないことだ。
「ジェームズは無意識に人を見下す傾向にある。コードウェル公爵邸でもその姿が見られたようだよ。聖女について語っていた時にね」
ナーシングドリンクについて、コードウェル公爵令嬢とジェームズ殿下が話題にしたことがあるらしい。
その際、殿下は聖女について言ったようだ。「彼女自身下級貴族の娘だ。きっと、民の大変な姿を目にする機会もあるのかもしれないね」と。
聖女が下級貴族出身なのは事実だ。しかし、だからと言って、民の大変な姿を目にするとは限らないだろう。
その言葉の背景には、下級貴族と平民に大差はないという前提がある。自分たちのような上流階級では気づかないことに気づけるほど、聖女は平民に近い暮らしなのだ、という前提が。
本人にそういった意図があったのかは分からない。しかし、意図がないのなら一層問題は深刻だ。本人でも直せないのだから。
そして自覚がないからこそ、この先失言をするのは目に見えている。
「貴族には、下級貴族の方が多いとご存じないのですかね」
苦言を呈したくなるほどに、その発言は危うい。上級貴族の重要性は口にするまでもないが、それを支えているのは下級貴族たちだ。彼らに恨みを買えば、実務面で相当な苦労をするのは目に見えている。
各部門にいる官僚は、大体が貴族の二男、三男だ。実家に金銭的余裕のない下級貴族は、職を求めて官僚を目指すのが一般的。政治の実務面を担っているのは、まさに彼らである。
「さてね。どちらにせよ、あのまま育てばロクな人間にはならない。そんな男を聖女が選ぶとは思えないし、王になることも無理だろうね」
「それは確かに。ならば何故、コードウェル公爵令嬢はそんなことを?」
「理解していないんじゃないかな?」
こちらを見ることもなく、あっさりとそう口にする。彼の瞳は変わらず、とても冷ややかだ。
「彼女が見た未来とやらが、現実離れしていることが理解できていないんだろう。御伽噺を信じて白馬の王子様を待つ少女そのものだ。自分の見た未来こそ正しいと信じて、幸せになろうと苦心しているわけだ
その幸せがジェームズと結ばれることとは、随分とささやかだと思わないかい?見たとおりのハッピーエンドを迎えたいそうだ」
「ハッピーエンド? ……まさか、」
「そう。彼女の知る未来はまさに物語だ。お姫様と王子様が結ばれてハッピーエンド。その先王子様が王位に就いたかなんて、考慮の外さ」
これでやっと意味が繋がった。ジェームズ殿下と結ばれることだけが望み、と聞いたときには彼女が本心を隠しているのではと思った。
しかし、そうではないのだ。彼女はその未来とやらを心から信じていて、ハッピーエンドを迎えることしか考えていない。その先に待つ、王位継承争いなどは気にしてもいない。
寧ろ、頭の中にすらないのではないか。第一王子だから当然王位を継ぐだろうと、疑ってもいないのかもしれない。
「可愛らしいよね、彼女。少女らしい夢じゃないか。それくらいの願いなら、俺としても叶えてあげてもいいと思うよ」
「王位継承争いについて気づいていないだけです。事の次第に気づけば、彼女が泣きわめくのは目に見えていますが」
「うん? まぁ、それはあるかもね。でも、仕方ないんじゃないかな? そこに思い至らない時点で、王太子妃に相応しくはないのだから」
いずれ国母になる人間とは思えない欠落だろう、とルークが笑う。その姿に、「あぁ、本当に興味がないんだな」と腑に落ちた。炉端の石を見るように、ではない。ルークにとっては、コードウェル公爵令嬢も異母兄も炉端の石そのものなのだ。自身の価値も証明できない石ころ、それが彼らへのルークの評価だ。
この男は、自分にも他人にもとても厳しい男だ。自身に与えられるものに見合う成果を出す。それを当然のことと考えている。そのための努力は惜しまないし、努力を重ねる人間には寛容だ。どれほど相手が失敗しようとも、立ち上がれるように手を貸すことを厭わない。
しかし、生まれに胡坐をかくような人間には、恐ろしいほど冷たい。為すべきことから目を背ける人間にも。自身に特権があるのなら、それに相応しい結果を出せということだ。その意思すらないものは、彼にとって見るに値しない存在なのだ。
そう考えるのも無理からぬことだ。彼は王族。誰にでもいい顔などできない。政治の腐敗を引き起こさないため、国の安定のため、人を見る目が厳しくなるのは当然。
自分自身、そんな彼を気に入って従っているのだから。
「さて、君にはこれからも活躍してもらわないとね? 間違っても、聖女にいらぬ傷を負わせないように」
「あぁ、心得ている」
その傷が身体だけを指しているわけではないのは、当に理解していた。聖女の心や評判にも傷を負わせるわけにはいかない。未来の王太子妃に、余計な傷は不要だ。
「とはいえ、お前が聖女様に気に入られなければ無意味だ。そこは自力で何とかしてもらおう」
「王家から打診しても頷きはしないだろうからね。さすがにそれは理解しているさ」
肩をすくめていう彼に、疑わし気な目を向ける。この男が優秀であるのは間違いないが、恋愛面においてどうかは定かではない。
彼が珍しく興味をもった相手。本気で恋に落ちるのも時間の問題かもしれない。そのとき、この皮肉気な性格が足かせにならなければいいが。
ケーキスタンドから、苺のムースを取る。表面はつやつやと輝き、ミントが添えられている。スプーンで掬うと、濃さの異なるピンク色が顔を出した。
甘酸っぱい味に、口元が綻ぶ。甘すぎず酸っぱすぎないそれは、絶妙なバランスを保っていた。
男の恋の行く末も、こんな風になればいいと願う。皮肉屋な性格の男に、一筋縄ではいかなそうな聖女だ。簡単に片が付くとは思えない。それなりの紆余曲折を辿るだろうことは目に見えている。それでも。
どうか苦いだけの恋にはなりませんように、自分はただそれだけを願うのだ。
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