第34話 スカビオサの花束を
美しい姿だった。
外見だけではない。少女が何より美しいのは、その立ち居振る舞いだ。ヒールのついた靴を履いているが、カツカツと音が鳴るようなことはない。
静かな足音に、揺らがぬ姿勢。凛と立つ姿は芍薬の花のようだ。すらりと伸びた背は、曲がることなく前を見据えている。
「これは驚きましたね。レティシア第一王女殿下に、ご挨拶申し上げる」
私の斜め前に進み、ウィリアム公爵が一礼する。少女の視線を遮るように立ったのは、私のためだろう。
公爵の告げる王女という言葉に、私は内心驚愕を覚えながらカーテシーをした。
「まぁ、ウィリアム公爵。お久しぶりですね。仕事も事業も好調と聞いていますよ」
「恐れ入ります。若輩者ではありますが、今後とも国のため邁進してまいります」
完璧な微笑みと共に交わされる言葉は、どこか空虚だった。心が伴っていないと言えばいいのだろうか。儀礼的に交わされる言葉に、両者が然程重きを置いていないのがわかる。
「あぁ、他の者たちの挨拶は結構よ。今回飛び込みで入らせていただいたのは私ですもの。ご自由にお過ごしになって」
周囲を見渡してそう告げる彼女に、招待客たちは改めて一礼をした。その後、何事もなかったかのように近くの者たちと会話を始める。
その声は決して大きくはなく、彼女の挙動に注視しているのは見て取れた。メアリーに至っては、こちらを心配そうに見つめている。
「さて、改めて久しぶりね、シャーリー」
私の前に立ち、そう告げる彼女に深く礼をする。
「お久しゅうございます。レティシア王女殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「あぁ、いいのよ、そんなにかしこまらないで」
パタパタと眼前で手を振る彼女は、にこやかに微笑んでいる。先ほど公爵に向けていた笑顔とは異なり、彼女自身の生き生きとした表情だ。
それにほっと息を吐き、身を起こした。
「それよりも、レティシア王女殿下なんて水臭いこと言わないで。
前みたいにシアお姉さまと呼んでくれていいのよ?」
「ちょ、ちょっとそれはハードルが高いかと思うのですが……」
「なに言っているの、今更でしょう? 私はあの呼び名が気に入ったの。ほら、呼んでみて?」
「シ、シアお姉さま……」
にこにことした彼女に、内心冷や汗をかく。
彼女は以前王都で出会った少女だ。一日デートをした相手である。
あのとき高位の家柄だろうと予想してはいたが、まさか王家だなんて思わなかった。どこの世界に、護衛なしで飛び出す王女様がいるというのだ!
彼女の話を思い返せば、王家に不満を持っていたというのは分かる。だとしても、一人で王女が外出するなど正気の沙汰ではない。
「っ、シャーリー!」
引きつった笑みを見せる私に、父が慌てて駆け寄ってくる。
父の後ろからは、伯父とその娘であるカーリーが続いている。伯父もカーリーもどこか困ったような表情を浮かべており、私を見ると申し訳なさそうな顔をした。
「あら、アクランド子爵。事情はペイリン伯爵からお聞きになったかしら?」
「えぇ、それについては確認済みです。失礼ですが殿下、我が娘といつお会いに?」
「以前王都でね。困っていたところをシャーリーが助けてくれたのよ。
そのとき、シアお姉さまと呼んでくれてね? とっても愛らしくて気に入ってしまったの。私には可愛げのない弟しかいないのだもの。妹が欲しくなってもおかしくないとは思わない?」
父が私へ視線を向ける。その表情は困ったような、泣き出しそうな表情だった。
王家へ絶賛警戒中の父にしてみれば、娘がいつの間にか縁を繋いでいたのだ。頭を抱えたくもなるだろう。娘であるレティシア王女をきっかけとして、子爵家へ関わりを持とうとしないか不安なようだ。
「あぁ、アクランド子爵。余計な心配は不要だわ。私はシャーリーに感謝をしているし、可愛い妹のように思っているけれど。王家に引っ張っていこうだなんて思っていないわ。あくまでも、個人的な繋がりよ」
「個人的、ですか」
「えぇ、そうよ。あなたも、私の立ち位置はご存知でしょう?」
彼女の言葉に、父は思案気に頷く。
彼女とご両親の不仲は有名なようだ。陛下が王妃の子を認めなかったという話は私も聞いたことがある。
それゆえに、王妃が彼女に冷たい態度を取っている可能性は極めて高い。男の子であればいざ知らず、女の子だ。王位継承の対象でない彼女は、真っ先に切り捨てられたのだろう。
彼女は言外に、両親へ協力をするつもりはないと宣言した。自分を疎む両親に協力しないというのは理解ができる。親子仲は冷え切っているとみて間違いなさそうだ。
「とはいえ、私が直接ここに来れば王都で噂になるのは目に見えているもの。だから今回はペイリン伯爵家を経由させてもらったの。利用するみたいで申し訳ないけれどね」
「殿下が謝罪なさることではございません。直接アクランド子爵家へお越しになられるのと、我が家を経由するのでは意味合いが異なります。
それに、我が家にはカーリーがいる。殿下が同い年の友人を訪ねに来たとして、訝しく思う者はいないでしょう」
彼女の言葉に、伯父は即座に否定を入れた。それを聞いていたカーリーも横で頷いている。
「私としても、レティシア殿下とお話しできるのはとても楽しかったですし、何も気になさることはございません。
それに、従妹であるシャーリーを妹のように可愛がってくださるのは、嬉しいことですわ」
カーリーは両手を合わせ、花がほころぶような笑顔を見せた。
この従姉はこういうところがある。おっとりとした少女なのだ。悪意や策略には無縁な、穏やかな少女。それがカーリーである。
そう言った性格ゆえに、事業等の話し合いでは我が家に来ることはない。伯父としても、彼女には向かないだろうという判断から、連れてこないのだ。
個人的に、そんな彼女はかなりの癒し要員だ。疲れているときに彼女の顔を見ると、不思議と安らげる。彼女の持つ柔らかな雰囲気は、自然と強張っていた身体を楽にしてくれるのだ。そんな彼女は、私にとって大切な存在だ。
「ふふ、そう言ってくださると嬉しいわ。私もカーリーとお話するのは楽しかったもの。あなたの柔らかな雰囲気は、側にいて心地がいいわ」
「まぁ! ありがとうございます、レティシア殿下」
にこやかに笑い合う少女たちに、伯父は片手で目を覆った。重い溜息を吐いたところを見るに、相当な心労があったに違いない。
身内だけのパーティーにするつもりが、大物を連れてきてしまったわけで。その心労は計り知れないものがあっただろう。
伯父にそっと近づき、空いている片手を握る。驚いてこちらを見てきたので、にっこりと微笑んだ。まぁ、そんな気にすんなよ! と。
「気を遣わせたか? 悪かったな、シャーリー。遅くなったが、誕生日おめでとう。プレゼントはカーターに預けてあるから、後で見てくれ」
「ありがとうございます、伯父様。楽しみにしていますね」
「私からもプレゼントを用意してあるの! 気に入ってくれたら嬉しいわ」
「本当? ありがとう、カーリー!」
他の皆さんもプレゼントは預けてくれているようだ。パーティーが終わったら早速見に行ってみよう。パーティーに来てくれるだけでもありがたいが、プレゼントというのは格別だ。自分のために用意してくれるというのは、やはり嬉しい。
プレゼントについて期待が高まる中、ふいに声がかけられた。
「ご歓談中失礼いたします、聖女様」
かけられた声に振り向くと、そこには黒いタキシードに身を包むオーウェンの姿があった。
ミステリアスな雰囲気をもった彼は、正装だと一層美しく見える。服も髪も黒に包まれている中、きらりと輝く赤い瞳はとても目を惹いた。
「お誕生日おめでとうございます、聖女様。ご挨拶が遅くなり、申し訳ございません」
「気にしなくていいわ、格式ばったものでもないのだから。ヴァレンティ辺境伯領から我が家は遠いしね」
「そうおっしゃっていただけると助かります。ルーファスのプレゼントと合わせて、執事に預けております。お気に召してくだされば幸いです」
「まぁ、嬉しいわ。後で必ず見るわね」
本当にありがとう、と笑みを浮かべる。オーウェンも同じように微笑み、一通りの挨拶を終えた。
やはり、ルーファスの出席はなかった。
彼は平民の出。こういったパーティーなどは無縁だと本人も言っていた。いずれ出席することはあっても、未熟なままパーティーにはいけないと断られたのだ。
無理やり出席させることに意味はないと、それを了承した。マナーを学ぶ必要もあるだろうし、まだ子どもの彼に業務外の負担はかけたくなかった。
彼の誕生日には、教会でアットホームなパーティーでもしようかと考えていると、険のある声が聞こえた。
「……あら? ヴァレンティ辺境伯子息ではありませんか。どうしてこちらに?」
そう問いかけるのはレティシアだ。流し目でオーウェンを見つめるが、その瞳に温度はない。
対するオーウェンも微笑んではいるものの、無機質な瞳をしていた。
「ご無沙汰しております、レティシア殿下。まさかこちらでお会いすることになるとは思いませんでした」
「それは私とて同じこと。何故こちらに?」
「聖女様の従者に任ぜられましたので。関係者としてご挨拶申し上げているのです」
「……あなたが、従者?」
扇を広げ、口元を隠す。流れるように行われた動作はとても自然で、今の自分には到底できそうもない。この空気の中何を考えているのかと怒られそうだが、それでもいいから今すぐここを離れたい。恐ろしいほど冷たい空気に凍えてしまいそうだ。
私の誕生日祝いだというのに、何故こんなことになっているのだろうか。そんな思いで音もなく息を吐いた。
「ヴァレンティ辺境伯子息がシャーリーの従者ねぇ……。
大方、下手な貴族が寄り付かないようにということでしょうけれど、それは一体誰のためかしら?」
「私は聖女様をお守りするためにいる存在です」
「……つまり、他意はないと?」
レティシアの問いに、オーウェンは微笑みを浮かべるだけで何も口にはしなかった。彼女もそれを咎めることはなく、じっと互いを見据えている。
氷の城に閉じ込められたかのように、冷ややかな空気が場に満ちる。しん、と静まり返る空間は、音というものから切り離されたかのようだ。
聞こえるのは自身の脈の音。それ以外に音はなく、ただ痛いほどの静寂が広がっている。
室内を煌々と照らすシャンデリアが、何故だか虚しく見えた。
「あぁ、そうだわ。私の弟は元気にしているかしら?」
沈黙を破ったのはレティシアだった。
先ほどまでの冷めた瞳から一転、にこりと楽しそうな笑みを浮かべる。未だ、扇は開いたままだ。
「ジェームズ殿下ならば、レティシア殿下の方がお詳しいのではありませんか? 王城でお会いになるでしょう」
「あらいやだ、私がアレのことをあなたに聞くと思って?」
わざとらしいほどに驚いた表情を作る彼女に、オーウェンの眉根が寄る。
そんな無意味なことするわけないじゃないの、と軽やかに笑って彼女は言葉を続けた。
「私が言っているのは、あの仮面をつけた弟の方よ。王城にはいないのですもの。姉である私が心配するのは当然でしょう?あなたなら、あの子の側から離れるはずがないものね」
「……さて、何のことでしょうか。自分は聖女様にお仕えする身。若輩者ですから、他のことにまで手は伸ばせません」
形成逆転だ。先ほどまではオーウェンの方が余裕のある表情を浮かべていたのだが。今ではその表情に陰りがある。
さすがは貴族の嫡男というべきか、分かりやすい動揺などは見られない。しかし、彼の持つ雰囲気までは誤魔化せなかった。
わずかばかり変化を見せた彼に、レティシアは嬉しそうに笑みを深めた。
「そう、それなら仕方ないわ。まだ子どもですものね。私としてはあの子に花を届けたかったのだけれど、あなたに頼れないのは痛手だわ」
「花、ですか?」
「えぇ、そうよ。スカビオサの花束を贈ろうと思うの。美しい紫色は、男性でも受け取りやすいでしょう?」
ピンクの花束では可愛すぎるものね、と明るく言う彼女に、私は内心首を傾げた。
スカビオサは美しい花ではあるが、プレゼントには少々不向きだからだ。
「スカビオサですか。失礼ながら、あまり良いプレゼントとは言えないのでは?」
オーウェンは鋭く指摘する。スカビオサの花言葉を知っているのだろう。
花言葉は、“私は全てを失った”。その他にも“不幸な愛”など、プレゼント向きとは言えない花言葉が付けられている。
美しければいいというタイプであればよいが、王女であるレティシアが贈るものとしては不適切だろう。贈られる相手が王子ならばなおさらだ。
「そうかしら。あの花は可愛らしくて、色味も素敵よ。あの子にとても似合うと思うのだけど」
首を傾げて言う彼女に、一見悪意などは見受けられない。
スカビオサの花は、美しい紫色をしている。和名はマツムシソウ。
外側の花びらは放射状に広がりを見せ、中心部には小花が集まっている。蕾状態の小花が花開くと、まるでレースを重ねたかのような美しさへと変わる。成長の過程で印象を変える、独特な作りの花だ。
レティシアの言うとおり、花そのものは愛らしい。花言葉さえ違えば、花束に入れて贈るのも悪くはないだろうが。
「それに……紫色、なんて。今のあの子にぴったりだと思わない?」
尋ねるかのような言葉は、その実、否定を許さないという圧をはらんでいた。扇はわずかに下げられ、口元が見えている。おそらく、これはわざとだ。
口角は上がり、顔には穏やかな笑みを浮かべている。
しかし、吐き出された言葉は重く、瞳に穏やかさは一切ない。ちぐはぐなその姿は、オーウェンの口を封じていた。
「……残念ながら、私は男ですので。女性のような美しい感性は持ち合わせておりません。ですが、レティシア殿下がお贈りになられたものであれば、殿下は喜ばれることでしょう」
そう発する声に、覇気はない。レティシアの威圧に耐え難かったのか、それとも他に理由があるのか。彼はそれ以上口を開くことはなかった。
祝いの席を騒がせたと私に謝罪し、彼は帰っていった。急ぎ戻らなければならない用事があるという。
これ以上いても、レティシアとやり合うことは目に見えている。私も彼を引き留めることはしなかった。
見ていた父も同様だ。来てくれた礼を丁寧に述べ、彼を見送った。父としては、オーウェンに警戒していることもある。早くに帰ったことは都合が良かったのかもしれない。
「シャーリー」
レティシアが私の名を呼ぶ。振り返って見た彼女の表情は、真剣そのものだった。
「シアお姉さま?」
「いい、シャーリー。あれは簡単に信用してはダメよ」
扇を閉じ、真っ直ぐにこちらを見つめる彼女に、私は表情を引き締める。
彼女にとっては、何か思い当たることがあるのだろう。今の私では分からないことまで、彼女は見えているのかもしれない。
「ヴァレンティ辺境伯子息、彼自体は優秀よ。人柄も悪くない。本来であれば、頼りになる人間なのは間違いないわ。
でも、彼にはあの子がついてる」
ギシリ、と扇から音が鳴る。彼女が強く握りしめたためだ。何かをこらえるかのような姿は、複雑な表情をしていた。
「あなたに近づく者には注意なさい。まだ証拠は何もないけれど……、既に事態は動いているはず。きちんとその目で見極めなければ、後悔することになるわ」
怒りなのか、悲しみか。彼女の表情からは、その感情が何であるのかは掴めない。ただ、形容しがたい感情が彼女の中で渦巻いているのは確かだ。
「あなたが全てを知った上であの子を選ぶのなら、何の問題もないわ。でも、そうでなければ話は別よ。
むやみに巻き込まれるようなことがないように、しっかりと自衛なさい。困ったことがあれば私も力になるから。
……何だか、嫌な予感がするわ」
そう言ったきり、彼女は口を噤んだ。
今の私に彼女へ返せる言葉はない。自分自身、現状がおかしいことは分かっている。けれど、何が起きているのか明確には分からないのだ。
彼女の懸念を一笑することもできず、私はゆっくりと瞼を下ろした。
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