第24話 交渉の席に着く


 「はじめまして、アクランド子爵令嬢。私はポール・ハリソン。大神官を勤めております。どうぞよろしくお願いいたします」


 そう言って笑ったのは、グレイヘアが良く似合うおじいさんだった。

 髪の長さは肩に届くくらいだろうか。豊かな髪は下ろされているものの、綺麗に梳かされ野暮ったさはない。

 口元には同色の髭があり、目元の皺は年齢を感じさせる。


 その一方で、その表情はにこにこと輝いており、どこか若々しく少年のようでもあった。


 大神官の横には若い神官が立っており、こちらに一礼している。年の頃は16、7だろうか。まだ幼さの残る顔は、緊張の面持ちで私を見つめていた。


 「お初にお目にかかります、ハリソン大神官。シャーロット・ベハティ・アクランドです。本日はお越しいただきありがとうございます」


 微笑みを浮かべカーテシーをすると、大神官は髭を撫でながらにこやかに笑った。


 「これはこれは。とても愛らしいお嬢さんだ。礼儀もしっかりされている。

 たしか歳は7歳と聞いているが……しっかりとしたいい娘さんだ」


 お爺様たちと集まって話をした日から、およそ二ヶ月。

 私は今、アクランド子爵邸でアシュベルク正教会の方々と対面している。


 アシュベルク教は我が国の国教であり、アシュベルク正教会はその総本山。

 聖女という存在の重要性ゆえだろうか。大神官という高位の方がアクランド子爵領まで足を運んでくれたのだ。

 

 私が教会に行くと宣言したあと、対策を立てるため話はすぐに進められた。

 まずは王家から横やりが入らぬよう、速やかに教会へ連絡。

 その上で、私本人がまだ事情を受け止めきれていないため、落ち着いてから面会させてほしいと申し入れた。


 もちろん、事情を受け止めきれていないというのは詭弁だ。本音は、交渉に向けて準備期間を設けるためだった。


 一度教会へ連絡を入れている以上、教会と不可侵の関係にある王家から横やりは入らないだろうと踏んでいた。だからこそ、交渉準備に多少の時間をかけても問題はないと判断したのだ。


 その読みが当たったのかどうかは定かでないが、現時点において王家からの干渉はない。厄介事を抑えられたのならなによりだと、ほっと胸を下ろした。



 そうして二ヶ月ほどの準備期間を得た私は、まず会社の事業に尽力した。というのも、この先の交渉に必要だったからである。

 

 私がまず行ったのは、新商品の開発予定に挙げていたものの精査だ。いかに早く製品化できるかの調査と、作成に向けてのスケジュール組みを行った。

 幸いにして、いくつか新商品の構想が練られていたこともあり、おおよそスムーズに行えた。


 実際に苦労したのはどうやって売り出すかだ。基本は貴族向けの高額商品として利益を上げたいが、それだけではダメだった。


 元々私たちの会社――ペチュニア株式会社と名付けた――は、貧しい人々にもナーシングドリンクを口にしてもらいたいと設立した会社だ。

 それゆえに、明け透けな言い方にはなるが、会社に対する好感度が極めて高かった。民を救うためにできた会社、そう認識した人も少なくなかった。


 そのイメージを壊さず、しかし偏らせすぎないこと。これが今の私たちの課題だった。


 ハンドクリームを民ではなく貴族向けとして売り出すことに問題はなかった。これは、ナーシングドリンクとほぼ同時期の販売であったことが大きな理由だ。

 ナーシングドリンクと共に貴族向けの商品が売られたことで、民と貴族の双方からバランスよく顧客獲得ができた。

 民を思いやると同時に貴族への売り出しを行ったことで、貴族から反感を買うことなく事業が開始できたのは大きい。


 現在、ナーシングドリンクやハンドクリームの売れ行きは驚くほどに好調で、問題はない。企業イメージもすこぶる高く、評判はうなぎ登りである。


 しかし、良い印象以上に悪い印象というのは広まりやすいものだ。どちらかに偏れば、どちらかから疎まれる可能性がある。高い高感度から一転、失望されることもあるのだ。


 例えば、次の商品でどちらかのみに舵を切ったとしよう。そうすると次のような懸念が考えられる。

 平民向けの商品のみを出した場合、貴族からすると面白くない。他方、貴族向けの商品のみとなると、結局貴族の方がいいのかと民を失望させてしまう。


 それゆえ、片方にしか売り出せない商品はリスクが高く、双方ともに販売できるものを考える必要があった。

 その上で、貴族が買うに相応しい付加価値をいかにしてつけられるか、それが課題となったのである。


 企業イメージを損なわず、かと言って貴族に背を向けられないようにすること。その点で次の商品についてはかなりシビアに精査する必要があった。


 そうして議論と調整を重ね、今日、この日に新商品を初披露することとなった。



 「む。これは一体……?」


 首を傾げる大神官の前には、ガラス製の器が置かれている。

 中に入っているのは乳白色の食べ物。前世ではおなじみのヨーグルトである。上からハチミツをかけており、飾りに薔薇の花びらを添えた。


 「こちらは、ペチュニア株式会社にて発売予定のヨーグルトというものです。遠い子爵領まで足を運んでいただいておりますから、少しでも楽しんでいただきたくお出しいたしました」


 こちらの世界にも以前から牛乳はあった。しかし、何故かヨーグルトの販売がなかったのだ。


 我が領でも牛乳の生産は行われており、おかげで私は毎日新鮮な牛乳を口にすることが出来ていた。

 身体を鍛えるために毎日牛乳を飲んでいたのだが、今ではすっかり牛乳が好きな子どもと認識されている。


 だというのに、ヨーグルトは一度として食卓に上らなかった。牛乳好きの子どもがいれば、一度はヨーグルトが食卓に並ぶだろう。にも関わらず、影も形も見なかったのである。


 そこで、領内の酪農家を訪ねてみると、バターは生産していてもヨーグルトの生産はしていないことがわかったのだ。


 生産者たちは自然発酵したヨーグルト状のものを口にしていたようだが、販売する勇気がなかったそうだ。

 確かに、ある程度の知識がないと口にするのを躊躇われる可能性が高い。発酵食品というものが当たり前の環境ならばいざ知らず、そうでなければ中々食べようとはならないだろう。

 売れない商品を出しても意味はないと、自分たちだけで消費していたそうだ。


 そんな中、商品化にあたり最も活躍したのが我が父である。生産者たちの体験談からおおよその効果を把握すると、率先して本人がテスターとなった。

 さすがに当主のみをテスターにするわけにはいかず、屋敷の者たちも参加した。


 父は、自分や他のテスターの体調観察など、日々研究に没頭した。商品開発のためというのを通り越し、ほぼ趣味の研究になっていたような気がしなくもないが……何も言うまい。

 父の研究と、私や調理人が率先して行った味の改良を経て、新商品のヨーグルトは出来上がったのである。


 「ヨーグルトは牛乳をもとに作られております。ヨーグルトを食べることで腸内バランスを整えることができ、健康や美容に効果的なんです。

 私や父も毎日食べているんですよ!」


 そう言って私が手元のヨーグルトを口に運ぶと、大神官も同じようにヨーグルトへ手を付けた。驚きに目を見開いたかと思うと、一転、幼い子どものように目を輝かせた。


 「なんと! これは不思議な味だ! 酸味があると同時に、ほんのりと甘みも感じられる。舌触りが滑らかなのもいい! これなら今日みたいに暑い日でも食べたいと思える味だ!」


 大神官はご機嫌で次々と食べ進めていく。それを見ていた若い神官、カイル・エドワーズは恐る恐る口に運んだ。


 「え!? 美味しい! こんなものは初めてだ! 甘すぎず、かと言って酸っぱすぎるわけでもない……。すごいですね、この食べ物は……」


 感心したように器を見つめながら言うエドワーズに、私は微笑みを浮かべる。掴みはいいようで安心だ。


 「お口にあったなら何よりです。

 こちらは貴族向けの提供の仕方となっておりますが、民にはもっとシンプルに販売しようと思っています。

 ハチミツや砂糖などは高価格なため敷居が高いでしょうし、プレーンのまま売る予定です。


 その代わり、売るときに食べ方の紹介をしようと考えているんです。果物を混ぜて食べれば甘味も足せますし、ヨーグルトはジュースにすることも可能です。

 食べ方を工夫することで美味しく食べることができ、民の健康に役立てるでしょうから」

 

 私の言葉に、大神官は感心したように息を吐いた。そしてにこりと微笑むと、顎を撫でて口を開いた。


 「なるほど。アクランド子爵令嬢がとても民思いだというのは聞いていたが……本当に素晴らしい人柄ですな。若いうちにそこまで考えられる人はそういないだろう」

 「お褒めいただき光栄です。少しでも民に届き、彼らの健康を支えられればと願っております」


 一先ず、最初の壁は突破したようだ。私の目的の一つは、まさに事業を認めてもらうことにあった。これ無しには、私の希望を通せないのだから。


 「これほど心優しい方に、聖女の力が宿っているというのはまさに神の思し召しかもしれん。

 既に無意識で力を使われることがあったと聞いているのだが……間違いないかな?」

 「はい。咄嗟の際に使っていたようです。今は簡単なものなら扱えるようになりました」

 「なんと! 既に意識して使うことができるのか!」


 私の言葉に大神官は驚きを露わにした。


 そう、この二ヶ月の間に私が準備していたのは何も事業だけではない。時属性魔術、この鍛錬だ。


 ナタリア先生の指導を受けながら、必死に時属性魔術の腕を磨いた。ヨーグルト開発が落ち着いて以降はこちらに全力を注いでいたのだ。


 とはいえ、時属性魔術は適正者が驚くほど少ない。

 そのため、鍛錬は基本的にはいつも通りの内容だった。その上で、対象物の時間を動かす練習を別枠で設けることにしたのだ。


 「はい、シャーリー。用意していた薔薇だよ」


 父から白薔薇の鉢植えを受け取る。

 対象物の時間を動かす、一番イメージしやすかったのが植物だ。まだ蕾の薔薇を持ってきて、それを開花させる。薔薇がこれから辿るであろう時間を、魔術で早めるのだ。


 術の発動は、どれだけ明確に開花までをイメージできるかが重要だった。最初は苦労したのだが、一度感覚を掴んだ後は早かった。

 

 「おぉ……! これはまさに!」


 キラキラと輝く目で大神官が見つめるのは、桜色の光に包まれた薔薇。まだ蕾だった白薔薇は、光を受けてゆっくりと花びらを開いていく。

 光がやむと、そこには美しく咲き誇る大輪の白薔薇が残った。


 「素晴らしい! その歳で既にここまで使えるとは……!」

 「いえ、まだ使えるようになったばかりなんです。時属性魔術については、何も資料がありませんでしたから……」


 資料がない以上、徹底的に基礎を叩き込みます! というナタリア先生の宣言とともに始まった鍛錬は、過酷としか言えないレベルだった。走り込みの量も先生から飛んでくる攻撃の数も格段に上がり、内心悲鳴を上げたものだ。


 資料さえあればもっと効率よくできたのだが、と悔し気にいう先生の言葉に複雑な気持ちになったのを覚えている。

 その効率とは時属性魔術のみを練習させるという意味か、あのスパルタ鍛錬中に時属性魔術の練習を入れこむという意味か。それを聞く勇気は私にはなかった。


 そんなことをぼんやりと考えていると、大神官はとんでもない! と言って笑った。


 「そもそも時属性魔術は聖女様のみがお使いになられるもの。ゆえに、教会にしか資料がないのです。

 だというのに、ここまで使いこなせるとは……このハリソン、感服いたしました」


 気づけば、大神官の口調は改まったものに変わっていた。

 おそらく、聖女かどうか分からないうちは普通の子どもとして扱っていたのだろう。それはこちらとしてもありがたいことだ。


 万が一私が聖女でなかったとしても、聖女として遇する前なら神殿のダメージはほとんどない。

 私としても、敬われてしまった後に聖女でないと分かったら申し訳なくなる。

 そういった事態を避ける意味では、判明するまでは普通に接する方が余程いいだろう。


 「では、今後のことについてですが、まずは教会の方へ身を寄せていただく日を……」

 「お待ちください、大神官。そのことで、私からもお話があるのです」


 当然のように教会へ行く日を決めようとする大神官に、私が静止をかける。それに大神官はきょとんと目を丸くすると、こちらへ水を向けた。


 「ふむ、お話とは?」

 「私としては、アクランド子爵邸に残りたいと思っております」

 「っ! 聖女様!? 何をおっしゃるのです!?」


 私の言葉に、大神官よりも早くエドワーズ神官が驚きの声を上げた。

 まさか教会に行かないと言いだすとは思わなかったのだろう。顔には驚愕の色が浮かんでいる。


 「うぅむ、聖女様、それには何か……理由がおありなのですね?」


 困ったように唸りながら問いかける大神官に、私は頷きを一つ返した。


 さぁ、ここからが正念場だ。


 「ご存じのように、私はペチュニア株式会社の事業に関わっております。

 これは単にお金を稼ぐだけでなく、民に少しでも良い暮らしを提案したかったからです」


 そう、ナーシングドリンクは貧しい人々も体調を気遣えるようにとわざわざ迂遠な手を取ってまで販売した。単に貴族向けで売るのなら、もっと簡単だったのだ。


 けれど、それはしたくなかった。民にこそ届く必要がある。私がそう思い、選んだからだ。


 「それは聞き及んでおります。

 ですが、民の為というのであれば、なおのこと教会にお越しになればよいのでは?

 教会主導の慈善事業は数多く行っております。孤児院の慰問や被災地の炊き出し、祭りの際のバザーなどやるべきことは多くある。

 聖女様のお力があれば、より素晴らしいものとなり民も喜ぶでしょう」


 確かに、教会であれば慈善事業は多く執り行っているだろう。慈善事業の中心地と言ってもいいほどだ。しかし、それだけでは意味がないのだ。


 「おっしゃるとおり、それらの慈善事業には数え切れないほどの価値があります。民もその行いにより救われていることでしょう。

 ですが、救いが必要なのは孤児や被災者だけでしょうか?」


 そう、私が一番思っていたのはここだ。

 孤児や被災者へのフォロー。これは絶対的に必要だ。そのために教会が力を尽くすというのならそれは願ってもない話。

 けれど、その人たちだけが救いを求めているのではない。


 「親がいようとも、災害に見舞われていなくても、今まさに苦しい生活をしている人々がいます。その人たちの支援だって必要なはずです」


 孤児院の慰問や被災地での活動、これは多くの人の目に留まることもあり、協力者が多い。貴族であれば、孤児院への支援は当然のように行われている。


 けれど、苦しんでいる人々はそれで全てではない。親もいて、家もあって、仕事もある。それでも何らかの事情を抱え苦しんでいる人々がいるのだ。

 残念ながら、そういう人々への支援はほとんどない状態だ。


 「単にお金を配ればいいわけではない。その場限りの支援でも意味がない。彼らが少しでも豊かに暮らしていくだけの基盤。それこそが重要だと思うのです」


 株式会社を設立した理由の一つもここにある。


 会社はペイリン伯爵領に設置したが、それは伯爵領に暮らす民の雇用へ繋がっている。支店のある我が領も同様だ。

 一時的な支援ではなく、生活を立て直すこと。それには安定した収入源を民が得ることが必要なのだ。それは、単なる慈善事業では難しい。


 一見すると分からないが、苦しい生活を強いられている人は想像より多くいる。

 かつての私も、両親がいて、二人とも仕事をしてくれていたが貧しかった。

 どの世界にも、一定程度の水準に達していたがために、セーフティーネットから弾き出されてしまう人々がいる。


 「全てを救うことは不可能でしょう。けれど、一人でも多く救い上げたいと願うのなら、それに見合う支援が必要です。

 貴族や教会が孤児院の慰問や被災地への支援をするのは賛成です。けれど、まだ行き届いていない場所があるのは事実。

 それならば、せめて私は他の人の支援が届かない範囲に手を差し伸べたいのです」


 いつかの私が願ったこと。助けてほしい、もう少し生活が楽になってほしい、その機会がほしい。そう思ったことは数え切れなかった。

 けれど救いが与えられることはなく、私は夜の街へ出ることになった。

 それに後悔はない。不満だってないけれど、違う方法を選べればと思わなかったと言えば嘘になる。


 「そのためには、教会だけでなく、貴族としてのみでもなく、この会社という場所が必要なんです。

 直接的に雇用を生み出し、民へ還元できる場所。新たな商品により、民を支えられる場所。これを、私は手放す気はありません」


 そういう私に、大神官は眩しそうに目を細めた。口を開くことはなく、ただ私の話を聞いてくれている。


 「私は、教会にのみ身を寄せることはできません。


 私がすべきことは、教会の中だけにあるわけではありませんから」


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