第21話 ありえない婚約話


 「閣下のおっしゃるとおり、私はまだ子ども。


 ――これから、時間はありますから」



 そう言ってにっこりと笑みを深める私を、男は驚いたように見つめていた。

 しかし、数拍置くと突然大きな声を上げ笑い出した。


 「あはははははっ! 君は随分と肝が据わっているようだ!」


 笑う男は傍目から見ても楽しそうで、その笑顔に何とも言えない気持ちにさせられる。


 ――正面切って喧嘩売ってきた男に、何故爆笑されなきゃならないのか


 苛立つ気持ちを胸に押しとどめ、完璧な笑みをキープする。これくらいなんてことはないと自分に言い聞かせた。


 そうだ、なんてことはない。同じキャスト同士の嫌味の応酬や、お客様からの心無い言葉だって何度も聞いてきたではないか。

 大したことはない。そう、大したことなんてないのだ。ただ……腹が立たないとも言っていないがな。


 未だ笑いが止まらない様子の男に、苛立ちとともに内心呆れをこぼす。

 いつになったらその笑いは止まるのだろう。一発酒瓶で殴れば再起動するか? と思考が危うい方向に逸れてきた頃、男は笑いを何とかかみ殺し口を開いた。


 「いや、素晴らしいお嬢さんだ。度胸はあるが、決して向こう見ずでもないらしい。その上、魔術の才能も随分とあるように見受けられる。


 ――良かったな、アクランド子爵。彼女なら縁繋ぎの役目も立派に果たせるのでは?」


 そう言って流し目でみる男に、父は眉をひそめた。


 「我が娘はまだ7歳です。それに、私としては政略結婚を特段望んでおりませんので」

 「なるほど? 確かに、君は大層な恋愛結婚だったと聞く。それであれば我が子にもと、そう思うのかもしれないが……」


 顎に手を当てて考える男に、私は心の中でぼやく。

 違いますよ。うちの父は、そもそも結婚自体認める気がないだけです。

 

 決して口に出せることではないので言わないが、男が真面目に考えている姿に、喧嘩を売ってきた相手ながら同情してしまった。



 「まぁいいだろう。君が何を考えていようとも、このお嬢さんの才が埋もれることはない。これだけの度胸があれば、どんな場所でも渡っていけるだろう。


 ――そう、陰謀渦巻く王宮だとしてもな」


 片頬を上げ不敵な笑みを浮かべる男の言葉に、私は呆気にとられた。予想外の言葉が出てきたのだからそれも致し方あるまい。


 まさか、ただの子爵令嬢が王宮でやっていけると太鼓判を押されるなど、予想できるはずもないだろう。


 「……何をおっしゃっているのか、私には分かりかねます。我が娘は確かに賢い子ではありますが、所詮は子爵家の娘。王宮に上がれる身分ではございません」


 そう告げる父に、深く同意する。

 王族との婚姻は伯爵家以上の身分が必要だ。ときには例外もあったかもしれないが、それでも伯爵以上の家に養子へ出すなどの対策を取らなければならない。

 そこまでしなければならない婚姻を、王家が望むとは思えない。


 それ以前の話として、親馬鹿な父が形だけとはいえ私を養子に出すことはないだろう。私自身、王族などという重責を背負いたいとは思えないし、結婚はそこそこでいいのだ。

 貧乏一家の娘だった私が、王族とか考えるはずもない。大体、王族の姿は遠くにいるからこそ良く見えるというものだ。権力争いの中枢に身を置いている以上、内情はかなり厳しいだろう。


 要するに、夜目遠目笠の内、である。はっきり見えないからこそ美しく見えるだけだ。そんなものに、人生などかけられるはずもない。


 心の中、全力でお断りしていた私は、父と男へ視線を向ける。父は依然厳しい顔を崩さないが、男はどこ吹く風というように笑みを深めた。


 「確かに、一般的には婚姻を結ぶのは無理だろうな。しかし、彼女が世界に一人しかいない才能を持つのであれば、それも可能だろう?」

 「っ! お戯れはお止めいただきたい、コードウェル公爵! そんな根拠のない話にどんな可能性があるというのか!

 何より、貴方のご息女が殿下の婚約者であると記憶している。よもや、ご息女の婚約を破棄するつもりではないでしょう!」


 父が声を荒げるのを、唖然と見つめる。何の話をしているのか、さっぱり把握ができない。


 いや、正確に言えば分かる部分はある。

 目の前の男がコードウェル公爵という恐ろしいほどに地位の高い方だということ、また、そのご息女が殿下の婚約者だということだ。


 ふむ、それが分かると一層謎が深まるのだが。

 そもそも何故、自分の娘が婚約者だというのに私にこんな話をしたのか。その殿下がろくでなしで婚約破棄でもしたいのか?

 その場合なら、押し付ける代わりに私の身分を保証するくらいはするかもしれない。


 口に出したら間違いなく不敬罪になることを考えていると、男の顔から笑みが消えたのに気づいた。

 真顔になると同時に、辺りには緊張感が張り詰める。

 何を口にするつもりだ、と静かに息を飲んだ。


 「その言葉には些か不足があるようだ。確かに、我が娘ブリジットは第一王子殿下の婚約者である。


 しかし、第二王子であらせられるルーク殿下に婚約者はいない。

 公の場に出られることはないため、君のご息女や民が知らないことは致し方ないが、成人した貴族である君が知らないはずはないだろう」


 男の言葉が、静まり返った場に落とされる。第二王子殿下、という単語に父がピクリと反応したのに気づいた。


 当然成人済みである父は、最低限とはいえ社交の場に立つ。王家の人間については把握していただろう。

 その考えはなかったのか、それとも考えたくなかったのかは定かではないが、今の男の発言は父にとって望ましくないようだ。


 「それに、君の言う根拠のない話、だったか? まさか、本当にそう思っているわけではあるまい。


 どこの世界に、あの短時間で土の壁を錬成できる少女がいるのだ。それも、二回目に至っては優秀な魔術師である君の魔術を相殺するほどの威力だ。

 仮に、彼女が熟練の魔術師というのであればそれも可能だろう。


 しかし、そうではない。今はまだ完全に能力が目覚めてはいないのだろうが、そう遠くない未来に目覚めのときがくるだろう。そうすれば、望むと望まざるとに関わらず彼女の人生は一変する。


 ――それほどの才能を持つ彼女が、本当に普通の子爵令嬢として生きていけると思うのか」



 切り捨てるような声が響く。

 私の才能が通常よりも抜きん出ていたことは知っていた。叔父の話からも理解はしていたのだ。

 だが、ここまで言われるほどのことだったのか、と驚きが先に来る。


 デイジーを助けるために土の壁を作ったとき、父は私の方を不安げに見ていた。それは魔力消費を心配してのことだと思っていた。その前に、畑仕事で魔力を使っていたから心配しているのだと。

 しかし、男の言葉を鑑みるにそれが理由ではなかったのだろう。


 「……娘には、非常に優秀な師がついておりますので」


 濁すかのような父の言葉に、私は自分の手を見つめた。

 おそらく、今の言葉は苦しい言い訳だ。さすがの私も、ここまで言われれば自分の能力が人とは大きく違うのだろうと分かる。

 私を溺愛する父が、ナタリア先生のスパルタ授業に口を出さない理由はここにあるのだろう。


 「……お父様……」


 ぽつりと声をこぼすも、視線が合うことはなかった。

 父の瞳は油断なく男を見据え、全ての神経をそちらに向けている。


 きっと、父は私のことを第一に考えているのだろう。だからこそ、私に全てを話さなかった。優れた才があるということは言っても、それがどんな影響を及ぼすのか、そこまで語ることはなかった。


 いつか語ってくれる日は来るのだろう。男の言葉が正しければ、遠くない未来に語らなければならない日が来るのだから。きっと、その覚悟はしているはずだ。


 その上で、父は選ばせてくれるのだと思う。私がどう生きたいのかを。



 「お話し中失礼いたしますわ、閣下」



 だからこそ、私にできるのはどんな道に立たされようとも後悔しない道を選ぶこと。それだけだ。


 声をかける私に、男が黙したまま視線を向ける。その瞳に温度はなく、ただこちらを見定めようとしていた。


 「残念ながら、私には閣下のおっしゃることが理解できません。自分のことなのに分からないなど、お恥ずかしい限りですが。

 けれど、それでいいとも思っています。だって、どれほど優れた才があろうとも、私が私であることに変わりありませんもの」


 そう、結局のところそうなのだ。身分制度というものに今一馴染み切れないところも、自分の能力が高いと言われて然程重要に考えられないことも。


 私は私。優れた才があると褒め称えられたところで、考え方などそう変わらない。やりたいことはやるし、やりたくないことは極力避けたい。やるべきだと自分が判断したことなら精一杯努力するが、そうでなければ見向きもしないだろう。


 今まで、自分の行動を褒められることはあった。

 だが、そのような行動をしたのは、自分に特別な才があったからではない。自分でやりたいと、やるべきだと思ったからだ。自分の気持ちがあったからこそ、努力することができたのだ。


 ゆえに、私に勝手な期待を求められても困る。それがやりたいことでないのなら、やるべきことと思えないのなら、きっと私は相手の望む結果は出せないだろう。


 「いずれ閣下のいう素晴らしい才能が目覚めるのかもしれません。国のために力をと言われれば、必要な範囲で使うこともあるでしょう。

 ですが、そこに婚姻が関係あるでしょうか? 私の能力こそが必要なのであれば、かつてのペイリン伯爵家のように適宜助力することで問題はないのでは?」


 そう問いかける私に、男は一瞬眉を寄せる。そして重苦しく口を開いた。


 「確かにその方法もあるだろう。かつてペイリン伯爵家が王家に助力していたことは事実だ。

 しかし、君は女性だ。ならばその協力の一種として、結婚が視野に入るのも当然では? 君の血を王家に入れたいということも可笑しなことではあるまい」

 「えぇ、あり得る話かもしれません。けれど、私は子爵家の出身。周囲から否定を受けるのは目に見えています。

 どんなに優れた才能があろうとも、子爵家風情に王子妃の座を渡したくないと考える貴族は多いのでは?」


 正直な話、この結婚とやらは我が家に旨味がない。

 結婚ではなく、国へ助力するという形であれば問題はない。国への貢献は義務であるし、対価をもらうのであればこちらは願ったりかなったりだ。


 しかし、結婚となると話が違う。子爵家の娘が嫁ぐとあらば、どれほど優秀でも反発を招くのは必至だ。

 そうなれば我が家の家業に砂をかけられる可能性が高い。父がいかに優秀な開発者でも、本気で向かってこられれば被害が出るのは間違いない。


 その上、嫁いだ娘は苦労することが目に見えているのだ。下手をすれば命を狙われることすらあるだろう。


 そんな婚姻をするくらいなら、堅実な伯爵家との縁繋ぎの方が遥かに良い。さすがに、うちにメリットないんで結婚しません、とは言えないが。

 

 「こちらとしては、国のための助力は当然のことと思います。臣下の義務ですもの。

 ですが、先ほど閣下がおっしゃったのは、第二王子殿下とのこと。今公の場にお出にならない殿下のもとへ、優れた血を入れるために私が嫁ぐ。


 ……それを好ましく思う方が、王宮にどれほどいらっしゃるのかしら」


 薄く笑みを浮かべ、首を傾げる。

 どんな理由かは知らないが、第二王子殿下が公の場に出ないというのは異常だ。どうせロクな話ではない。


 そんな立場の王子の下に、優れた血を持つ女が嫁ぐ。どうあがいても権力争いが起こるのは明白だ。

 王子の代か、その下の代になるかは定かではないが、何もなく平穏に終わることはないだろう。


 「アクランド子爵家は陛下へ忠誠を捧げる臣下にございます。

 そうであればこそ、王宮に要らぬ諍いが起こることは望みません。もちろん、我が家の者が火種になるなどもっての外です。

 臣下であるがゆえに、陛下の御世が安寧に満ちたものであるよう、尽くすべきと考えております」


 要するに、余計な問題持ってくるんじゃねぇ、ということである。こちらとしては厄介事にしかならない結婚は意味がない。そもそも旨味がないのだ。堂々と言えた話ではないため、からめ手で断るしかないのだが。

 陛下のために火種は持ち込まないよ! そんなつもりはないんだよ! という主張しかできないのが悲しい。


 そもそも、第一王子と公爵令嬢の婚姻が決まっているというのであれば、普通に考えてそちらが立太子するだろう。第一王子の後ろ盾に公爵家があるのだ。その地盤は固いと見るのが妥当だ。


 だというのに、第二王子に優秀な才を持つ女を嫁がせるなど正気の沙汰ではない。いくら第一王子の地盤が固かろうと、国は一枚岩ではないのだ。公爵家ばかりが持ち上げられるのを良しとしない家は数多くあるだろう。


 それに、全ての公爵家が第一王子を支持しているのかも不明だ。

 例えば、ウィルソン公爵家が第二王子派だった場合、第一王子の地盤は決して盤石とは言えないだろう。その状況で、わざわざ火種を入れる意味が分からない。


 正直なところ、そうならないように先制を打ってきたのではと考える方が余程自然だ。わざわざ公爵家の当主が子爵領まで足を運ぶ必要があるとは思えないが。


 「私にできることは、陛下の御世が太平であるよう、お支えするのみにございます」


 微笑みを浮かべたまま、はっきりと言い切る。余計なことをする気はありませんのでご心配なく! と心の中で呟き、話をしめた。


 男はそれを聞き終えると、静かに頷きこちらを見つめる。それがどういった意図なのかは不明だが、私がご息女の邪魔にならない存在と思ってもらえていることを願いたい。


 「……なるほど。君は余程思慮深いようだ。現在の政情を知らずとも、自らの家を守り切るだけのバランス感覚がある。世渡りに長けていると言ってもいいかもしれないな。

 7歳の少女としては驚くべきことだ」


 中身成人済みなので、と言えないところが辛い。とはいえ、大きな失態もなく場を収められるのならばこれで良い。

 結局この男が何を目的としてこんな話をしたのかは判断がつかないが、ご息女の邪魔はしませんというアピールは届いただろう。


 何とかなりそうだとほっとしているところに、男が水を差す。

 何故楽に終わらせてくれないのかと文句が出そうになるが、その言葉は聞き逃せないものだった。


 「では、賢い君に一つ忠告を。その目を覆う霧を晴らしなさい」


 男の真剣な声に、自然と私の表情も強張る。私が真剣に耳を傾けていることに気づいたのだろう。男の紡ぐ言葉に、次第に力が込められてきた。


 「君に今見えているモノ、それが全て真実だと思わないことだ。人には様々な立場と、様々な思惑がある。

 君ほど賢い子なら理解できるだろうが、正しい判断を下すには正しい知識が必要だ。

 ……今の君は、その身に宿す才の重要性に比べ、知らないことが多すぎる」


 男の空色の瞳に光が差す。いつしか空は茜色に染まり、私たちに降り注ぐのは夕日へと変わっていた。

 しかし、男の瞳の色は変わることなく、晴れやかな青空の色をしている。何故だかそれが、酷く気にかかった。



 

 「もっと広く目を向けなさい。君に求められているモノが何なのか。何故君に多くのモノが求められるのか。それを知らなければ、君は本当の意味で君自身が望む道を選ぶことはできない。


 誰かに道を決められたくないのならば、そのための知識を身につけるべきだ」




 ――この言葉の真意を、私は何年も後に理解させられることになる


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