第20話 鋭い指摘は誰が為
風を切る鋭い音の後、何かが強くぶつかる音がした。
一拍ほどすると、ガラガラと崩れ落ちる音が辺りに響き渡る。
誰一人声を出さず、路地は静まり返っていた。
攻撃を向けられた女は、悲鳴を上げることなくただ唖然としている。
直感的に、自分が死ぬと理解していたのだろうか。彼女の左手は、心臓を守るかのように胸にあてられていた。
「おかあさん……」
座り込んでいる少女がポツリと呟く。やはり、この女は少女の母親だったのか。静まり返った中、少女の声が聞こえないはずはない。
けれど、その女が少女へ視線を向けることはなかった。
「シャーリー……、何故、」
父の困惑した声が路地に落ちる。先ほどまでの怒りに満ちた声ではなかった。
何故自分の行為を止めたのかが分からない、そんな戸惑いの感情が満ちた声だ。
「駄目です、お父様」
私の足元には、黄色の光が瞬いている。土属性の魔術陣だ。父の攻撃から女の庇うため、土の壁を顕現させたのである。
おそらく、父にはその行動の意図が理解できないのだろう。愛する娘を侮辱した平民。父にとって、その命は驚くほど軽いようだ。
「殺してはいけないのです。お父様」
そう告げる私に、父が振り返る。
私を見る瞳は迷子の子どものようだった。自分が間違っているとは思っておらず、ただ為すべきことをしたとそう思っているのだろう。
だからこそ止められたことが理解できないし、私の否定の言葉を受け入れられないのだ。
「……なぜ……」
小さく呟くその声は弱い。
きっと、私に否定されたことが何より辛いのだろう。その気持ちが痛いほど伝わる。
けれど、殺害するという行為の理由が私ならば、決して受け入れることはできない。
「私は、お父様のことを愛しています」
愛を告げるその言葉に、父の瞳が揺れる。
ならばなぜ、と言葉なく告げる瞳に、私は言葉を紡いだ。
「愛しています。だからこそ止めるのです。私を理由に、お父様が人を殺さないように」
家族として、私は父が大切なのだ。私に甘く、泣き虫で、社交性のない父。それでも、いつだって私のために精一杯努力してくれているのを知っている。
そんな優しくて頑張り屋さんな父を、私は愛しているのだ。
私たちは互いを家族として愛していて、ただ、その感情の向け方が違っただけだ。父は私を害する者を処分するため、私は父の手を血で染めないため、選んだ方法が違った。
「今、彼女を殺したとして、お父様が公に罪を問われることはないでしょう。身分制度の世の中を思えば、彼女の発言には大いに問題がありますし、余罪もありそうですから。
ですが、それでも問わせていただきたいのです。
お父様、貴方が今彼女を殺すのは、領主としての立場ですか? それとも、私の父としての立場でしょうか」
身分制度の社会で、平民の命は驚くほど軽い。気に食わなかった、というだけで虐げられて命を落とす民もいる。
命の重さが平等だとは、とても言えない社会だ。
そんな中で、道徳的なことを語っても然程意味はないだろう。心優しい、という評価をもらうことに意味はない。
私がしなければならないのは、父を止めること。そして、できることならばこの先も、こういった事態を起こさせないことだ。
そのためならば、どれほど厳しいと思われようとも、言葉を重ねるべきだ。
「もし、領主として処断するというのならば、止めさせていただきます。彼女にはおそらく、余罪がある。その男と同じ罪があるでしょう。それら全てを詳らかにした上で、処罰する必要があります」
先ほど、少女に向けて「売る」と発言していたのは覚えている。
人身売買は我が国では重罪だ。残念ながら、水面下では起きているのだろう。それでも、法の下裁かれるべき罪であるのは確かだ。
「そして、父として処断するというのであれば、やはり止めさせてもらいます。子どもの前で親を殺す、その行為をしてほしくはないからです。
もし、お父様が目の前で殺されたとしたら、私はきっと身を切り裂くほどの苦痛を強いられるでしょう。それが例え罰せられるべき罪であったとしてもです。
――その思いを、今まさに苦しんでいる少女に背負わせるのですか?」
私の言葉に、父が目を見開いた。そして、その視線は座り込んだままの少女に向かう。
少女にとって、この両親がどんな存在かは分からない。
けれど、目の前で殺されて、何も思わないとは思えないのだ。自分を虐げてきた敵が倒されたように思うのか、それとも、こんなのでも親だと、涙を流すのか。その気持ちは本人でなければ分からない。
だとしても、少しでも傷つく可能性があるのなら、それは止めるべきだろう。もう十分、その身に苦痛を味わってきたのだ。この先の未来まで、余計な負債を抱えるべきではない。
「お父様。お父様は私を愛するがゆえに、彼女を傷つけようとした。私は、お父様を愛するがゆえに、彼女を守ろうとした。
ただ、愛情の示し方が違っただけです。私を思って怒ってくれたこと、ちゃんと分かっていますから。
ありがとうございます、お父様。私の代わりに、怒ってくれたこと嬉しく思います」
そっと父に向けて微笑みかける。それを見た父は、静かに涙を流した。
様々な思いが胸を駆け巡っているのだろう。私に否定されたことで、嫌われたのではと不安にもなったのかもしれない。
父に近づきそっと抱きつく。大丈夫、嫌いじゃないよと伝わるように。
思いが伝わったのか、かすかに震える腕が私を抱きしめ返した。
そうして全てハッピーエンド、と言いたいところだが、そうはいかない。根本的な問題が片付いていないからだ。
すぐに自警団が駆け付け、男女を拘束した。余罪も含め調査をすることになったのだ。人身売買は重罪だ。ここは徹底的に絞り上げなければならない。
「それじゃあ、お名前を聞いてもいいかしら?」
私がそう尋ねるのは、被害者の少女。両親が連れていかれたことで、恐怖が少しほぐれたのだろうか。こわばっていた表情がいくらか緩んだようだ。
「私の名前はデイジーです。お嬢様、先ほどは助けていただきありがとうございました。領主様も、助けに来てくださってありがとうございます」
そう言ってお辞儀をする彼女は、外見よりもしっかりした印象だ。もともと賢い子どもなのだろう。
「デイジーはお父様のことを知っていたの?」
「はい。私はじいちゃ、祖父と共に街に来たことがあるんです。そのときに、凍らせた魔獣を持って歩く領主様をお見掛けしました」
それは申し訳ない。即座にそう思ったのも無理はないだろう。だって、魔獣とはいえ凍らせた死体抱えて歩いているんですよ?……死体だよね?
もしや生きたままか!? と内心慄いていたが、父の言葉にはっと意識を戻す。
「デイジー……ということは、あの老夫婦のお孫さんかな?」
「お会いになったことが?」
デイジーが不思議そうに首を傾げる。そんな彼女に、父が街に来るまでの話をすると、彼女は納得したように頷いた。
「確かに、それは私の祖父と祖母です。畑仕事に手が付かないほど心配させちゃったんだ……。
それにお嬢様、うちの畑仕事まで手伝ってくださったなんて……!」
感動第二弾である。割と気楽な気持ちでやったことだったが、周囲の反応が大きすぎて困る。然程疲れるわけでもないし、おじいさんたちだけじゃ無理だろうと思ってやっただけだったのだ。前世の家訓は、立っている者は親でも使えだったもので。
それなのにここまで感謝されると、かえって申し訳ない気持ちになる。
「そうだ、デイジー。話しにくいことかもしれないけれど、なぜこんな目にあったのか聞いてもいい? その……この先のためにも、大切なことなの」
気持ちを切り替えるように、本題へ入る。彼女の両親をきちんと裁くためにも、ここはしっかりと把握しなければなるまい。
そんな思いで彼女に問いかけると、彼女は真剣な顔で頷いた。
「私がここにいるのは、父が私を売るためでした。私はその……不思議な力が使えるのです」
「不思議な力?」
そう言う私に、デイジーが頷く。もしやと思って父を見上げると、父が答えてくれた。
「おそらく、魔力があるのだろう。平民で魔力持ちは少ないから、魔術について習うことはほぼない。
その上、人によっては恐怖のあまり差別の対象になるという。
……君のお母さんは、そういうタイプの人だろうね」
苦い顔でいう父に、私はさもありなんと頷く。
人間は自分と異なるものに恐怖を抱くものだ。だからこそ排斥しようとする。おそらく、デイジーのお母さんはそういう人だったのだろう。私を見て化け物と言ったことからも想像がつく。
「私は手に炎を出すことができました。父が働きもせず遊んでばかりなのを見て、私怒ってしまったんです。そのときに、手に炎がつきました。
……それを見た母の顔は、何か恐ろしいものを見るようでした」
私がこの世界にきて間もない頃、魔女狩りを警戒していたことがある。その後、魔術が存在する世界だと知り、そのことはすっかりと忘れていたのだが。
しかし、異端を恐れる人間の心理に世界の差はないのだろう。実際に魔女狩りが起こるかどうかはともかくも、自分にない能力を持つ者を恐れる人はいるのだ。
「父は私を恐れるというより、金になると思ったそうです。高く売れると思ったのか、街に連れてこられました。
ですが父の思うようにはいかず、ずっと私に怒ってばかりでした」
理不尽、というしかないだろう。そもそも、人身売買など上手くいってたまるか。男にとっては不幸なことだったかもしれないが、それが普通だ。
「なるほど……。その計画が上手くいかなかったのは幸いだった。しかし、炎か」
父はそう言うと、何かを考え込んでいるのか口を閉じた。そんな父を見上げ、私は一つ提案をする。
「お父様、デイジーを屋敷に連れて帰ることはできませんか?」
「え、お嬢様!?」
私の言葉にデイジーは驚いた顔をする。父は私に視線を向けると、黙ったまま話を促してきた。
「デイジーが魔力持ちなのは確かでしょう。しかし、現状制御できていない状態です。おじいさんのお家は農家。万が一火がついて広がってしまったら大事になります。
ですが、平民では魔術を学ぶ機会はないのでしょう?」
私の言葉に父は黙ったまま頷く。今のところダメ出しはされていない。とりあえず言えるところまで話してしまえ、と言葉を続けた。
「それならば、我が家に来て魔力制御を覚えてもらってはどうでしょう。もちろん無償というわけにはいきませんから、ランドリーメイドとして雇う傍ら魔術を覚えてもらうのです。
本人の意思も大切ですが、このまま不慮の事故が起きるのではあまりにも……」
そう続けた私に父が深く頷いた。ここは何としても納得してほしいところだ。農地で火事とかダメでしょう、絶対。
それに、彼女のこれからを考えれば、魔力制御は必須だ。制御さえできれば誰かにいたずらに怯えられることもないだろう。
「どういった役職で雇うかはともかく、デイジーを屋敷に連れていくことは賛成だ。あとは本人の意思次第だけど……どうかな?」
デイジーへと視線を向ける。彼女が望まないのであれば無理強いはできないが、できれば頷いてほしい。
そんな気持ちで視線を向けると、彼女は頬を紅潮させて口を開いた。
「わ、私でよろしいのならば是非! 私を助けてくださったお嬢様のため、領主様のためになるのならばどんな仕事でもやってみせます!
その上、私の心配までしてくださるのです。こんな素晴らしい方のお役に立てるのなら、迷うことなんて一つもありません!」
祖父たちも応援してくれるはずです! とキラキラした表情でいう彼女に、ほっと息を吐く。本人は前向きなようだ。
これなら問題なかろうと父を見上げると、父は笑って頷いた。
「それなら、一度君のお家に行ってご挨拶をしようか。今頃、君のことを心配しているだろうしね」
「……さすがはアクランド子爵令嬢。聖女のようだ、という話しはあながち間違いではないらしい」
全員でおじいさんの家へ向かおうという流れになったところに、鋭い声がかかる。その声の方へ振り向くと、見覚えのない男性が立っていた。
空のように澄んだ青い髪と同色の瞳。髪は無造作にかきあげられ、その厳格そうな顔がよく見える。
その顔に目立った表情はなく、あるのは研ぎ澄まされた剣のような鋭さだけだった。
その男はまっすぐに私を見据えている。見覚えのないその男の姿に、私は内心首を傾げた。
「っ、あなたは……!」
父の驚いたような声が響く。私は会ったことはないが、どうやら父はご存じのようだ。焦りの混じった声に、もしかしたら上位の貴族かもしれないと背を正す。
男の服装は軽装であったが、その身に纏う覇気、とでもいうのだろうか。男は独特の威圧感を持っているのだが、貴族だと言われればそれも納得だ。
男は父へ軽く手を振ると、私へ向き直る。何が理由かは知らないが、どうやら私に用があるらしい。
「はじめまして、アクランド子爵令嬢。君たちの様子は見させてもらった。その上で聞きたいことがあるのだが、かまわないか?」
男の言葉に、私は微笑みを浮かべる。どこの誰だか知らないが、父の反応を見る限り下手なことはしない方が身のためだ。
「お初にお目にかかります、シャーロット・ベハティ・アクランドです。私で答えられることであれば、喜んでお話しさせていただきます、閣下」
微笑みはそのままに、カーテシーをする。体の細部にまで意識を向けた。ここで舐められないように、私の出来得る限りの礼を捧げた。
「ほぉ、綺麗なカーテシーだ。子爵家のご令嬢としては、かなりいい教育を受けているようだ。
では、本題に入ろう。君はその少女を拾い上げるつもりのようだが、それは
男のストレートな言葉に、内心驚いてしまった。多少遠まわしな言い方をするだろうと思っていただけに、これは予想外だ。
しかし、微笑みは絶やさず男へ視線を向ける。無言で話の続きを促した。
「苦境に立たされているのは何もその少女だけではないだろう。そうして全ての人間を救い上げると?
そんなことは出来やしない。今君がしているのは子どもの自己満足ではないのか?」
男の言葉には一理ある。
確かに、デイジー以外にも苦しんでいる人々はいるだろう。その人たちからすれば、デイジーだけ救うというのは不公平だ。
だからと言って、領内の困っている人間全てを屋敷に抱えることは不可能だ。男は、この不公平さについて暗に指摘しているのだろう。
「おっしゃるとおり、全ての人を救い上げることはできないでしょう。人の世に争いがなくならないのと同じこと。例え優れた治世であっても、問題はなくなりません。
それでも、ここはアクランドの領地です。私が民を救おうとする、それに何の問題が?」
男の言葉に直答は避け、やんわりと濁す。こてり、と首を傾げ片頬に手を添えた。
「苦しんでいる人を0にはできません。ですが、100を50や30にすること。それはできると思っています」
頬から手を外し、男を見据える。ここからだ、とお腹に力を入れた。
「いえ、できるかどうかではありませんね。やらなければならないのです。
ここは当家の領地。ペイリン伯爵より任せられた大切な土地です。その信頼に応えるため、我が領の民のため、模索し続ける責任が私たちにはあります」
「……君にはその道筋があると?」
「いえ、ありません」
胡乱な瞳でこちらを見る男にきっぱりと告げる。そう、道筋などないのだ。少なくとも、今は。
「けれどそれは、今は、という話です」
ちらりと父へ視線を向けると、ハラハラとした表情をしていた。私が傷つくのではと心配しているようだが、相手ゆえに口を挟めないらしい。
心配しないで、と父に微笑みを向け、今一度男へ向き直る。
真正面から喧嘩を売ってきたのだ。それも言葉で。女性でも戦える舞台なのに、ここで引き下がるわけにはいかないだろう。
「閣下のおっしゃるとおり、私はまだ子ども。
――これから
にっこりと笑みを深めて男へ宣言する。
男が私に向ける揶揄をそのままそっくり使わせてもらおう。
恥じることは何もない。そもそも、民の不幸をただ眺めるつもりもない。
臆することなく胸を張り、笑顔で言い切った私を、男は驚いたような顔で見つめていた。
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