第19話 家族の愛が向かう先


 「突然すまない。少し話を聞かせてもらえるか?」


 父の問いかけに、おじいさんは頭を下げ、自分に答えられることならばと告げた。

 中々貴族と会話することなどないのだろう。おろおろとさ迷う視線は、彼の緊張感をあらわにしていた。


 「どうやら畑が上手くいっていないようだが……何かあったのか?」


 父の表情は真剣そのものだ。

 何も植わっていない畑はどこか寂れて見えた。本来であればきちんと作物を育てているだろうこの場所に、何もないのは寂しさがこみ上げる。

 

 その問いかけに、おじいさんは弱り切った顔で語ってくれた。

 どうやら人手が足りないらしい。というのも、娘夫婦が突然出て行ってしまったのだとか。


 元々は娘夫婦と共に畑仕事をしていたらしい。娘夫婦には可愛い一人娘がいたようで、その子もとても働き者ないい孫だったそうだ。


 家族全員で細々と生活していたものの、一ヶ月ほど前に娘夫婦は孫を連れて行方を眩ませたのだとか。


 「何があってそんなことになったのか、ワシには全くわかりません。ただ、何かあったのではないかと心配で堪らないのです。


 婿にきた男は、決して働き者というわけではありませんでした。娘やデイジー……孫の方がよく働いてくれたくらいです。わしがもっとしっかり見てりゃぁ、こんなことにはならんかったのではと……」


 娘さんとお孫さんが心配なのだろう。二人を案ずるあまり、一層仕事に手がつかなかったそうだ。

 愛する娘と孫の安全が分からないというのは、どれほどの苦痛だろうか。察するにあまりある。


 そんなことを考えながら父の方を見ると、私は驚きで目を見開いた。


 泣いていたのだ。何かをこらえるかのように震えながら、ぽろぽろと涙を流している。

 これはマズいと思っていると、おじいさんの奥様だろうか。おばあさんがこちらへ近づいてきた。その表情は慌てているようで、申し訳ない気持ちになる。

 自分のところの領主が亭主の前で泣いているのだ。慌てるなという方が無理だろう。


 「じいさん! あんた何してんだい! 領主さまが泣いてらっしゃるじゃないか! とんだ失礼でもしたんじゃないだろうね!?」


 そういうおばあさんにおじいさんが慌てて首を横に振る。本当に申し訳ない、と私は口を開いた。


 「おばあさん、そんなことはないんですよ。ただ、おじいさんが困っていらしたので、お話を聞かせてもらっていたのです。

 お父様はその……涙もろいところがありまして。きっと、おじいさんのお話に涙がこぼれてしまったのでしょう。いらぬご心配をおかけして申し訳ございません」


 うちの父泣き虫なんですー! 心配かけてごめんなさい! というのをオブラートに包みながら伝えると、おばあさんはほっとしたように息を吐いた。


 そしてこちらへ顔を向けると嬉しそうな笑顔で話しかけてくれた。


 「そうでしたか。ワシらのような平民にまで優しくしてくださるとは、本当にありがたいことです。


 お嬢様は平民にまで手が届くように、ナーシングドリンクを安く売ってくださったと聞いています。ワシら平民はこの領に暮らせて幸せだと、周りのやつらともよく話しているんですよ」


 ありがとうございます、と頭を下げるおばあさんに、慌てて声をかける。喜んでもらえたのは嬉しいが、こうして頭を下げさせたかったわけではない。


 かつて、誰かに助けてほしかった自分を思い出しただけなのだ。その願いが叶えられたなら、それは私としても嬉しいことなのだから。


 そんな私の姿に、おじいさんとおばあさんはありがたやと頭を下げる。しまいには拝み始めたのでさすがに居心地が悪い。


 空気を変えるため、先ほどのおじいさんの話に戻した。


 「おじいさんは娘さんとお孫さんが心配で、仕事に手が付かなかったのですね。苗や種は問題なくあるのですか?」


 問いかける私に、おじいさんはへぇ、と頷く。植えるものはあるのだが、そのための畑仕事ができていなかったようだ。


 「なら、ここは私に任せてください。その後の種まきや苗を植えるのはできませんけど、それくらいならお安い御用です」


 そう言って、私は地面にそっと手をつく。

 父は驚いた顔でこちらを見ていた。おじいさんとおばあさんは意味が分かっていないのだろう、何事かと首を傾げている。


 呼吸を整え、意識を手に向ける。大丈夫、あれほど無茶ぶりを受けてきた身だ。魔力放出したままの走り込みや、突然の攻撃を避けるよりも遥かに簡単じゃないか。


 そう自分に言い聞かすと、魔力を解放した。足元には黄色の魔術陣。これは、私が使える土属性の魔術陣だ。

 光り輝く魔術陣に、おじいさんとおばあさんは驚いたような声を上げる。そういえば、平民に魔力持ちはほぼいないのだったか。普段見ることもないだろうし、驚かせてしまったようだ。


 とはいえ、手を止めるつもりはない。

 まずは、魔力を土に送り込む。少しでもいい土になるよう願いを込めた。

 娘さんとお孫さんのことだけでも、相当な心労のはずだ。せめて、食べ物の心配はせずにいてほしい。


 魔力が十分に行き渡ったことを確認すると、私は土を操り始めた。

 これはカーターとの練習でもひたすら続けた作業だ。魔力の多さで想像以上のことをやらかす私に、カーターはよく笑っていた。堪えようともしない。吹き出すことすらあったのだ。


 そのときの悔しさといったら、言葉で言い表せるものではない。何としてもこの男の鼻を明かしてやるのだと意気込み、コントロールに意欲を燃やした。

 なお、その意気込みのせいでより一層コントロールが乱れたときは、カーターは声をあげて笑っていた。

 私は、一度くらいあの男を殴っても許されるのではないだろうか。



 悔しさにまみれた回想を打ち切り、閉じていた瞼を開けた。

 耕すことすら忘れられていた畑は、今はふかふかの土になっている。きちんと畝も作り上げ、あとは種まきを待つばかりだ。

 納得のいく出来に内心にんまりと笑うと、土から手を離しおじいさんたちを見上げた。


 「ほら、これでもう種まきができますよ。美味しい野菜を育ててくださいね」


 そう言う私に、おじいさんは声もなくパクパクと口を開く。おばあさんは感極まったように私のそばにくるとぎゅっと手を握った。


 「ありがてぇ、ありがてぇことです! お嬢様、ワシらはなんとお嬢様にお礼を言えばいいのか……!」

 「そんなにお気になさらないでください。私にできるのはここまでですから」


 本当に、気にしてもらうほどではないのだ。確かに魔力を使用はしたが、失う物でもなし。しばらくすれば回復するのだから出し惜しみする必要もない。

 収入減を失う怖さはよく分かるのだ。キャバクラの営停、怖いです。


 「ほら、おばあさん。手を離さないと汚れてしまいますよ?」

 「何をそんな! ワシらの手は土まみれが普通です。お嬢様こそ、土に汚れちまってまぁ……」


 手ぬぐいを使い、私の手をそっと拭ってくれる。その手は皺が多く、昔よく見たおばあちゃんの手だった。

 前世では、忙しい両親に変わりおばあちゃんが面倒を見てくれたこともあった。まだ弟も生まれていない頃、一人ぼっちで寂しいと泣く私を撫でてくれたのは、こんな温かい手だったのを思い出した。



 

 何度もお礼を言うおじいさんたちに見送られ、私と父は再び町へ向かった。


 馬車の中では、父が何度も私のことを褒めてくれた。魔術行使の正確さだけでなく、貴族としても。領民に力を貸せるというのは尊いことだと言ってくれた。


 貴族の中には、領民は自分の所有物だから何をしてもいい、と考える人もいるらしい。

 嫌な話だ。立場は異なるが、相手は生きた人間だ。物のようには思えない。自分が特別いい人間だとは思わないが、他者を傷つけようなどと考えるつもりもない。


 そもそも、現代日本で生きてきた身としては、身分制度自体遠い話だ。この世界で生きる以上理解しなければならないが、そう簡単に価値観は変わらない。


 この国の根幹を支えるのは身分制度だ。いつか遠い未来で廃止する日が来るかもしれないが、今ではないだろう。

 だからこそ、身分制度そのものを否定するつもりはない。だからと言って、平民をいたずらに傷つけたいとも思わない。


 どこまでいっても、私は私だ。譲れないものはある。例え、他の貴族には理解されないものであろうとも、曲げてはいけないものもあるはずだ。

 周りから弾き出されず、しかし自分の在り方は捨てずに。難しくともそれだけは守り抜かなくては。


 そんなことを考えていると、馬車が速度を落とすのに気づいた。どうやら街の近くまでついたらしい。



 「シャーリー、街に着いたよ。さぁ、少し歩いてみようか」


 そう言う父に笑顔で頷くと、二人揃って街の中を歩き出した。

 父の顔は知られているようで、気づいた人々が頭を下げてくる。父は気にしないように言うと、私の方へ視線を向けた。


 「そう広くない領地だからね。顔は案外知られているんだ。それに、僕は結構素材探しで街に来ることも多いからね」

 「素材探し、ですか?」


 医薬品の研究段階では、自分で欲しい素材を探しに行くこともあるようだ。

 効果があるかどうか分からないうちに発注する気にはなれないらしい。たしかに、発注をかけたが効果がなかった、では勿体ないだろう。


 自分で森へ採取に出かけ、ときには魔獣を倒すこともあるそうだ。使わない部位は街で売るのだとか。

 そういうときは、魔獣を氷漬けにして自ら街を訪れるらしい。父は水属性のため、これが一番手っ取り早いと言っていた。

 氷漬けの魔獣を持つクマの濃い男……うん、ホラーかな?


 父のことは好きだけれど、それはそれとしてちょっと怖いな、と冷静に考えてしまった。


 「シャーリー、あの店に行ってみよう。あそこは街一番のカフェでね、美味しいケーキがあるんだよ」


 父が指さす先には、可愛らしい黄色の看板を掲げた店があった。どうやら人気店のようで、お店の中は人で賑わっている。

 これは楽しみだ、と一歩踏み出そうとすると、路地の方から怒鳴り声が聞こえてきた。


 思わず父と顔を見合わせる。美味しいケーキには惹かれるものの、このような声を聞いて無視するのもどうかと思う。

 第一、気になることを放ったままにすると、ケーキを楽しむこともできやしない。


 「お父様、その……」


 おずおずと声をかけると、私の言いたいことを察しているのだろう、父は困った顔で笑った。


 「怒鳴り声が気になるんだろう? それは僕も同じだしね。

 とはいえ、何が起きているのかは分からない。決して僕の前に出ないように。約束できるね?」


 父の言葉にしっかりと頷き、返事を返す。私の身体はまだ7歳だ。力では大人に敵わないのだから、父の不安も当然のことだ。


 私が頷いたのを確認すると、父が声のした方へ歩みを進める。路地の外側には数人ほど人が集まっており、心配そうに路地の中を見つめていた。


 「何をしている」


 人の合間から父が路地へ入る。父の後ろから路地の中を覗くと、ものすごい剣幕で少女を睨む男がいた。少女の方は尻餅をついており、服はボロボロだ。

 奥を見るともう一人の人影が見える。どうやら女性のようだ。両手を胸の前で組み、おろおろと二人を見つめている。


 「あぁ!? 何の用だ、テメェは! 部外者が首突っ込むんじゃねぇ!」


 そう言う男は酷く苛立った顔つきで父を睨む。その顔は赤く紅潮していた。怒りゆえかと思ったが、鼻に濃いアルコールの匂いが届く。


 (酔っ払いか……?)


 酔っ払いに絡まれたということなら、まぁよくある話だ。しかし、何かが引っかかる。そう思ってみていると、ある共通点に気づいた。


 (あの女の子とこの男、似ているな)


 赤茶の髪に緑色の瞳。二人とも全く同じ色味だ。顔の方もつり目なところもよく似ている。まさか、親子なのだろうか。


 「外まで怒鳴り声が響いている。人が来るのは当然だろう。見たところ君たちは親子のようだが……何故こんなことになっているのか聞かせてもらおうか」


 抑揚のない父の声が、路地に響く。男は父に反論しようとするも、少女が声を上げる方が早かった。


 「っ! こんなヤツ、父親なんかじゃない!」


 少女の声は怒りに満ちている。見上げる瞳も同様で、この男を父親と認めていないのは明白だ。

 ボロボロな服や父親の様子から見るに、まともな暮らしではないだろう。


 「このクソガキ! 誰のおかげで生きていられると思ってんだ!! 売れもしないお前を生かしてやってるんだぞ! 」

 「お前のおかげなんかじゃない! ロクに働きもしないで! じいちゃんやばあちゃんと一緒にいたときの方が、ずっとよかった!」


 その言葉に、おや? と首を傾げる。何だか少し前に聞いた話だ。具体的には街に来る前に。

 娘夫婦が孫を連れて出て行った、と語るおじいさんはとても寂しそうだった。もし彼女がお孫さんなら連れて帰ってあげたいところだが。


 しかし、それ以前に気になることがある。あの男は少女に「売れもしない」と吐き捨てた。売る、の意味がどういったことかは定かではないが、ロクな話ではないだろう。


 「このっ……! ガキは親の言うことを聞いてりゃいいんだよ!」


 男は顔を一層赤くすると、右手を振り上げる。勢い良く振り上げられた手は、勢いそのままに少女へ向かっていった。

 少女は痛みに備えるかのように両腕で頭を守ろうとする。その姿を見て、とっさに魔力を解放した。


 少女を守るようにそびえる土の壁。男の手は壁に弾かれ、振り下ろす先をなくした。


 突然現れた土の壁に、少女は息を飲む。無事な姿を確認すると、私はほっと息を吐いた。


 「どういう事情があったとしても、ロクに話も聞かず我が子を殴ろうとするとは……呆れた男だな。」


 そう吐き捨てるように言った父は、私へそっと振り返る。その表情はどこか不安げで、私は首を傾げた。


 先ほど畑を耕すのに魔力を使ったばかりだから、心配されているのだろうか。普段のナタリア先生との授業より遥かに楽なレベルだが。

 そんなことを考えながら、少女へ視線を戻す。すると、彼女もこちらを見ていたのか視線が絡んだ。


 「大丈夫?痛いところはない?」

 「……貴女が、助けてくれたの……?」


 その言葉は、助けられたことが意外だというようだった。

 胸が傷む。彼女はまだ幼い少女だ。守られてしかるべき歳なのに、それを既に諦めてしまったのか。


 「……うん、そうだよ。ごめんね、もっと早く助けてあげられなくて」


 強気な少女だが、恐怖がなかったわけではないだろう。大きな男に怒鳴られるだけで、相当な恐怖だったはずだ。怪我がなかったからいい、そう言える問題ではない。

 身体の怪我は増えなくても、心の怪我は蓄積されたはずだ。


 少女の瞳に涙が浮かぶ。声も上げず泣く姿に、心が酷く傷んだ。声を上げて泣くこともできなかったのかと思うと、男に怒りがこみ上げた。




 

 「ひっ、バケモノ……!」


 その言葉に、空気が一瞬で凍った。声の主は女性。先ほどまで何をするでもなく二人を見ていた女だ。


 「……ほう? まさかそれは、我が愛娘への言葉ではないだろうな」


 父の声が低く響く。怒りを露わにした声は、寒気を連れてきた。

 怒りにより魔力が抑えられずにいるのだろう。父の周りには、薄く氷霧が立ち込めている。


 女は父の姿に絶句した。魔術を見たことがなかったのだろうか。目の前の光景を脳で処理しきれないのか、言葉一つ返せずにいる。


 「平民である貴様が、最愛の娘に吐いた暴言。どう償ってもらうべきか……」


 ゆっくりと言葉を発する父と比べ、魔力の高まりは急速だった。父の足元には水色の魔術陣が顕現し、手元を見ると氷で作られた槍が浮かんでいた。


 氷で作られた槍は、父の手元を離れるとゆっくりと上昇していく。刃先は一寸のぶれもなく、女の心臓を捉えていた。


 女の顔は恐怖に染まっており、悲鳴一つ上げられないようだ。その傍にいる男もまた、唖然と槍を見上げていた。


 父の手が宙に掲げられる。

 冷たく女を見下ろす姿は、まるで氷像のようだった。美しい作りの顔は一切の表情をそぎ落とし、ただ罪人を見据えている。

 今の父を突き動かしているのは、私という娘を愛するがゆえの怒りだけだった。


 手が空を切る。それに合わせて打ち出された氷の槍は、まっすぐ女へ向かっていく。

 

 女に突き刺さるその瞬間、私の足元で黄色い光が瞬いた。



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