第16話 稼ぐために必要なこと


 ナーシングドリンクの披露から一ヶ月、アクランド子爵家には株式会社設立に向けて人が集まっていた。

 

 私が株式会社の設立を提案した際、まず飛んできた質問が「株式会社とは何か」だった。


 はっきり言おう。失念していた。前世では当たり前にあった知識だったため、そこから聞かれるとは考えていなかった。端的に答えられる範囲の説明をすると、大人たちは全員耳を傾けてくれた。


 そして前向きに検討されることとなり、お爺様たちはすかさず動いてくれた。各自家への説明をすること。お爺様はそれとは別に、この話を持っていきたい人がいるとも言っていた。


 私はというと、改めて自分の意見を説明するための資料作りに奔走した。皆様に納得してもらえる材料作りも惜しまなかった。父にその大部分を助けてもらったのは言うまでもない。


 学生だった私は、研究発表のための資料作りをしたことはあっても、事業のための資料作りなどしたことがない。

 父だけでなく、伯父やカーターも協力をしてくれて、何とか形になったのだ。


 そんな慌ただしい準備期間を経て、今日の会合が開かれた。

 場所は応接間。今日はソファー席ではなく、10人掛けの大きなテーブルがあるスペースだ。


 出席者は、ランシアン前侯爵であるお爺様、フローレス伯爵夫人であるナタリア先生、ペイリン伯爵である伯父。この三人は前回のお客様と同様だ。


 本日新しくお越しいただいたのは、お二方。

 一人はお爺様のご息女である、サブリナ・ド・ランシアン侯爵。赤く豊かな長髪に、琥珀色の瞳をした美女だ。スタイルは驚くほどよく、身長が高いこともありカッコいい女性と言った印象を受ける。


 侯爵をお爺様から譲受け、今は女侯爵として家門を守っているらしい。外見だけでなく中身もカッコいい彼女に、女性として憧れてしまうのも無理はないだろう。


 そしてもうお一方が、ヘンリー・キャンベル・ウィルソン公爵。

 私が度肝を抜かれたのは想像できるだろう。子爵家に過ぎないうちに王家の血を引くお方が!? と泡を食いそうになった。そもそも侯爵家の時点で驚きだったのに、ついに公爵家だ。驚くなという方が無理である。


 しかし、公爵はその肩書に反してかなりフレンドリーな方だった。表情はとても明るく朗らかで、親しみやすさを覚える。

 その内面を表したかのような美しい金の髪は、彼の笑顔を一層輝かせていた。瞳は青く、海を見つめているかのような美しさがある。


 「本日はご多忙の中、お越しいただきありがとうございます。概要等はご存じかと存じますが、改めてご説明させていただきます」


 冒頭、父の挨拶と共に各人へ資料が配られる。その資料に並々ならぬ苦労が詰まっているわけで。皆様の手元に届くのを感慨深く見守っていた。


 「今回のことは、愛娘シャーロットが開発したナーシングドリンクがきっかけです。

 このドリンクは、鍛錬や発熱時など、急激に汗をかく場合を想定し、手軽に栄養補給ができるよう開発しました。


 多量の汗をかくことで体内の水分と共に塩分なども失われます。その際に水のみを摂取すると、体液中の塩分濃度の減少を招くのです。


 皆さまも騎士が鍛錬中に倒れることがあるのはご存じでしょう。あのような事態を避ける一手としてこちらのドリンクの服用は効果があると断言します」


 父の説明に、皆が納得したように頷く。やはり専門家というべきか、その言葉には不思議な説得力があった。


 私が説明したときは、極力難しい言葉を避けねばならなかった。それゆえに、引き込まれるような説得力を作ることは難しい。

 その点、父は職業柄信頼感もあり、その言葉には誰よりも重みがある。ここでの商品プレゼンは父こそ適役だった。


 「元々は、娘が体調を崩した友人のために作ったのがきっかけです。そのため、味付けは子どもが飲めるよう甘めに作られていますが、ある程度の調整は可能です。

 カーター、ドリンクの用意を」


 父がそう命じると、二種類のドリンクが各人の前に置かれる。

 一つは標準的な甘さのもの。輪切りのレモンをプラスしている。

 そしてもう一つが、甘さを抑えミントを添えたものだ。こちらはすっきりとした飲み口になるよう心掛けた。


 既に味を知っているお爺様たちは、嬉しそうに手を伸ばす。特に伯父はミント入りに興味津々だ。甘さを抑えられると告げたとき、とても嬉しそうにしていた姿を思い出す。ずっと試してみたかったのだろう。


 「へぇ! これは美味しいな! レモンの方は甘みが多く、疲れた時に飲めば疲労が飛びそうだ」

 「本当に。ミントの方はすっきりとしていて、とても飲みやすいわ。朝の一杯に飲むのも良さそうですね」


 感心したように言うウィルソン公爵とランシアン侯爵に、自然と頬が緩む。高評価をいただけるのは何よりだ。


 「おっしゃる通り。このドリンクには砂糖が入っておりますので、糖分から疲労回復効果も見込めます。

 また、朝の一杯というのもよろしいかと。朝は体内の水分量が低下します。人は寝ている間にも汗や呼気などから水分を失っていますから。その際の水分補給に丁度いい飲み物と言えるでしょう」


 そう言った父に、公爵たちは感心したように頷いた。そしておもむろに公爵が口を開いた。


 「となると、一番の問題は砂糖というわけだ。我が国では生産ができず、高級品だからね。

 そこはなんとかクリアできそうだと聞いているが、どうなのかな?」

 「はい。数量の確保については、エクセツィオーレのフローレス伯爵家の協力のもと問題はありません」

 「なるほど。フローレス伯爵領はサトウキビで有名だ。そこから買付を確約できるなら安心だね。

 大量に買い付けるのだから、金額も勉強してもらえるのだろうね?」


 公爵は当然だろうと言わんばかりに、ナタリア先生へ笑顔を向けた。

 対する彼女もまた、そう言われるのは分かっていたのだろう。穏やかな笑顔を崩さず頷いた。


 「では、ここからが本題だ。この商品の値段を、採算が合う形で売ればいい。多少高くとも、国や教会、辺境伯あたりはこぞって買うだろう。

 ……けれど、望みはそれよりも遥かに高い。そういうことだね?」


 そう言う公爵は、私へ視線を向ける。おおよその話をお爺様から聞いていたからだろう。私がそれでは納得しないことを十分ご理解いただいているようだ。

 

 父へ視線を向けると、私の意図を汲んだのか頷いた。

 ここからは私の出番だ。何としても、協力を仰がねばならない。子どもらしからぬ喋り方であろうとも、清く正しい金稼ぎのため、譲るわけにはいかないのだ。

 ……最近、子どもらしくいる機会が減っているような気がするのは置いておこう。


 「ここからは私がお話しさせていただきます。

 公爵のおっしゃる通り、私はこの商品をあまり高値で販売することは考えていません。この商品は体調を崩さぬよう、予防するためのものです。また、発熱した際に少しでも体調を整えるためのものでもあります。

 体調を崩すのも、予防が必要なのも、貴族や騎士だけではありません。

 むしろ、薬を買えない、お医者様にすぐ診てもらえない平民の方々にこそ飲んでいただきたいと考えています」


 そう。どうあってもこれは譲れないのだ。前世ほどの安価な販売は無理でも、少し高いけど身体のために、と手に取ってもらえる価格でなければ意味がない。


 「そうね。確かに貴女の言うとおりだわ。その歳で民を思える人柄も素晴らしいものよ。

 でも、それがどれほど困難かわかっていて?慈善事業とするには、原材料が高価すぎるわ。利益が出なければ継続することはできないのよ」


 ランシアン侯爵が私へ問いただす。

 彼女の言うとおり、この道のりは困難だ。原材料が高く慈善事業にもできやしない。一回限りで済むならいざ知らず、予防のために飲んでもらうのだ。継続してもらわなければ意味がない。


 きっと彼女は私という人間を図っているのだろう。ここで諦めるならばそれもよし。現実的な判断ができたという評価はくれるだろう。


 逆に、何もなく諦めないというのなら、呆れられるのは明白だ。子どもの我儘に付き合うような女性ではないだろう。

 ましてや、彼女は侯爵という地位にいる人だ。その肩には、一族と領民の命がかかっている。


 「おっしゃるとおりです。とても困難な道であること、それは承知しています。

 その上で、私は少しでも理想の形で実現したいのです。


 皆様、まずはこちらの資料をご覧ください」


 そう言って持ち上げたのは、先ほどカーターが配った資料だ。そこには、株式会社の設立についてまとめた資料がある。


 「こちらにあるのは、私が提案させていただく株式会社の設立についての資料です。今回、少しでも民にナーシングドリンクが届くよう、考えた方法になります」


 その言葉に、全員が資料に目を落とす。

 この世界には株式会社という概念がない。あるのは、個人の商会が主だ。主要都市ではギルドもあるようだが、今は関係がないため置いておこう。


 「株式会社というのは、外部からの資金調達を主として活動を行う組織のことです。誰かに出資してもらうのが前提となります。

 その資本を基に、商業活動を行うのです」


 それに首を捻ったのは公爵だ。馴染みのない概念である以上、素直に飲み込めないのだろう。


 「つまり、パトロンのように支援をしてもらって事業を行うというのかい?

 確かに、慈善事業は貴族の義務でもある。一定程度出資を募ることはできるかもしれないが、継続的に民へ届かせるというには難しいのではないかな?」

 「確かに、パトロンの援助を得て行うのは困難でしょう。

 ですが、株主としてならばどうでしょうか。


 ――商業活動の結果、リターンを受けられるという地位であれば」


 私のその言葉に、公爵の表情が一気に変わる。同じく、侯爵の表情にも真剣みが増した。

 先ほどまでは懸念の表情を浮かべていた二人だが、話の風向きが変わったのを意識したのだろう。


 「私が提案するのは、出資者に経済的利益をもたらすことができる組織です。

 株式会社は、出資者から金銭を募る。他方、利益が出た場合は出資者に還元するものとします。

 出資者からすれば、会社の利益が出れば出るほどに配当される金額は吊り上がり、儲けが出ます。もちろん、会社が利益を出せなければ損と言えるかもしれませんが……自身が商売するのとは異なる、ある強みがあります」



 ごくり、と息を飲む音が聞こえる。誰が発した音かは分からない。緊張のあまり私が発したのかもしれないし、話に引き込まれた誰かが発した音かもしれない。


 「その強みとは……?」


 公爵が水を向ける。それに私はにっこりと笑みを浮かべた。


 「出資者は出資額以上の損をしない、ということです」


 そう、ここは非常に重要なポイントだ。

 事業というのは、始まってみなければどれだけ利益が出るかわからない。ある程度の見込みがあっても、蓋を開ければ、ということは十分にあるのだ。


 「個人で事業をした場合、失敗してしまえば負債は山のようになることもあります。ときには家を失うこともあるでしょう。

 しかし、出資者に責任はありません。あくまでも、出資した時点で責任は果たされていますから。


 そして会社にとっての資金は出資金しかないのです。運用できる額が決まっている以上、堅実に業務をこなせば問題はありません。

 もちろん、最初の出資額以上の利益が出なければマイナスと言えますが……私はそうはならないと考えています」


 そう言って話を一度切ると、カーターへ視線を向ける。彼はすぐに意図を察し、全員の前に手のひら大の金属ケースを配った。


 「皆様の前に置いているのは、今回もう一つ、私が皆さまに提案したいものとなります」


 その予想はしていなかったのだろう。父以外の全員が不思議そうな顔で缶を見つめた。私が開けるように伝えると、伯父が一番に蓋を開けた。


 「これは……何に使うものなんだ?食べ物、ではないよな?」


 缶を開けた伯父は首を捻る。どうやら用途が分からないようだ。

 その姿を見て、私も説明をしながら缶を開けた。


 「これはハンドクリームというものです。手を保護し美しくする美容グッズ、と言いましょうか。是非一度手に塗ってみてください」


 やはりと言うべきか。私の言葉を受けて、女性陣はいち早く手を伸ばした。

 手に伸ばすと、体温で溶けて肌によく馴染む。それに女性陣は歓声を上げた。


 「何これ! 凄いわ! 少し塗っただけなのにすぐ肌に馴染んだの!」

 「えぇ、こんなに簡単なのに肌が保護できるなんて! それに香りもとてもいいです!」


 女性陣の言葉に、よっしゃ! と内心ガッツポーズを決める。ちなみに香りはベルガモットを使用している。ローズとも迷ったが、男性でもつけやすい香りを今回は優先させてもらった。


 「おぉ! これは凄いな! すごくいい香りだ。男の俺でもつけやすい」

 「ふむ、確かに。もうこの歳だから美容はと思っていたが、これはいい。香りがいいからかリラックスできるな」


 公爵とお爺様もどうやら満足しているご様子。それにふと伯父の方をみると、伯父は何やらぶつぶつと呟いていた。


 「伯父様?どうかされましたか?」

 「え!? いや、悪かった、シャーリー。これなら妻にプレゼントしても喜んでもらえるかと思ってな」


 そう言って照れくさそうに笑う伯父に、ほっこりと笑みをこぼす。夫婦仲がいいようで何よりだ。


 周りを見渡すと、予想以上の好反応だ。男性陣も女性陣も楽しそうに笑って話をしている。

 畳みかけるなら今だ、と両手を打ち合わせた。


 「はい! ではこちらにご注目を!

 私がご提案したかった商品とは、まさにこのハンドクリームです。これなら、


 ――貴族の皆様も高値で買ってくれると思いませんか?」


 はっとしたように全員が目を開く。私は笑顔を変えることなく、話を続けた。


 「このハンドクリームは、美容に興味のある女性はもちろんのこと、香りによっては男性にも好まれるでしょう。特に、濃い香りが苦手という方であれば、香水代わりにご使用いただいてもよいかと思います。

 ですので、こちらのハンドクリームを貴族向け商品として売り出そうと思っています。

 万が一、ナーシングドリンクの採算が合わなかった際には、こちらで補填する予定です」


 その言葉に侯爵は頷くと、問いを投げかけてきた。そしてそれは、私にとってありがたい援護でもあった。


 「それはいい案だと思うわ。でも、こちらの原材料も必要でしょう?その辺り問題はないのかしら?」

 「はい。原価がとても安いのです。こちら、シアバターで作られているので」

 「シアバター!?」


 私の言葉に驚いたのはナタリア先生だ。それも当然だろう。これは彼女の国で当たり前に見る植物だからだ。

 私としては、父の仕事場にごろん、と置かれたままになっていたのを見つけて大喜びした。


 「はい、シアバターです。エクセツィオーレでは民間療法に使われるくらいで、特段流通のない作物ですよね。ですから、原価も高くつきません。

 それに、サトウキビを輸入するのですから、どちらにせよ輸送費がかかります。

 一度の輸送費用を無駄にしないよう、一緒に輸入できればコスト削減にもなるでしょう?」


 そう言った私の顔は輝かしい笑顔だっただろう。無駄な浪費などしてなるものか、と必死に考えた末のものだ。

 そんな私を、大人たちは呆気にとられた顔で見つめている。



 「ちなみに……利益の還元率はどう決めるつもりかな……?」



 公爵がおそるおそる、というように疑問を口にする。

 その姿に、笑みを深めてはっきりと断言した。



 「もちろん、出資者の出資額をもとに算定します。貢献度合いに応じたリターンこそが公平でしょう?」




 ――とどのつまり、儲けたければ金を出せ、ということである。


 貧しい人から金をもらうのには抵抗があるが、相手が金持ちなら法に触れない限り気にしない。


 何ならシャンパン入れてくれ! とかつての私が叫んでいるような気がした。


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