第17話 変わり始めた未来(悪役令嬢side)



 「ナーシングドリンク、ですか?」


 寒い冬が終わりを告げ、花々が咲く季節。コードウェル公爵家の応接間に、私とジェームズ殿下はいた。

 忙しい殿下が、合間を縫って会いに来てくれたのは一時間ほど前のこと。せっかく殿下が会いに来てくれるのだからと身支度を命じ、美しく着飾った。

  

 私はヒロインのような可愛らしい顔立ちはしていない。

 悪役令嬢として生まれたからだろうか。可愛らしさより美しさが際立つ顔立ちで、愛らしいデザインは似合わなかった。


 髪の色も青く、ヒロインが持つローズピンクの髪とは対照的だ。

 意識が芽生える前は可愛らしいドレスを好んでいたようだが、一掃した。似合わないものを着ても意味はない。

 メイドは再三確認をして来たが、私は変わらず捨てるように命じた。


 今となっては、比較的落ち着いた色合いのドレスを着るようにしている。

 これは、自分とヒロインは違うのだという意思表示でもあった。


 私の今日のドレスは、アーモンドグリーンの落ち着いたものだ。くすみがかった緑は落ち着きがあるものの、ダークカラーではない。子どもが着て違和感のない色味だ。


 造りはシンプルで、胸の下で切り替えたスカートは広がることなくストンと下りている。

 子どもらしい部分と言えばチュール素材でできていることだろうか。そのおかげで、大人びたドレスに少しばかりの可愛らしさがあった。


 花のような愛らしさを持つヒロインは、本当に外見だけは可愛らしいのだ。悪役令嬢である私では、愛らしさでは叶わない。


 だからこそ、私が身につけるべきは美しさだった。髪や服装のみでなく、立ち居振る舞いも完璧に。

 愛らしく天真爛漫に見えるのが彼女の武器ならば、私が持つべきは何にも勝る完璧な美しさだ。



 そうして向かったお茶の席。和やかに談笑していた殿下から出たのは、聞きなれない言葉だった。

 

 「何でも、体調不良を予防する効果があるジュースらしい。国でも騎士のためにまとめ買いをしたほどだ。医師も認めるほどの効果があると聞いているよ」


 そう笑顔で言う殿下に、私は微笑みを浮かべた。


 「それは良いことですね。騎士は身体が資本ですから。

 でもそんなに素晴らしいジュースができるなんて驚きです。どこの商会のものですか?」


 そう問いかける私に、殿下はキラリと目を輝かせる。

 きっと、殿下にとっても興味深い話だったのだろう。誰かに話をしたくて仕方がなかったようだ。


 「それがね、商会の商品ではないらしい。

 今年の2月に我が国初の株式会社ができたんだよ。僕はまだ詳しくわからないけれど、とても画期的な取り組みだそうだ。父上もとてもお喜びになっていた」

 「国王陛下が?」


 株式会社、それは前世ではよく聞いた単語だ。世間でよく見る会社はほとんどが株式会社だった。私は特段詳しくないが、そうすべき理由はあったのだろう。

 歴史の授業で初めての株式会社というのは学んだことがあった。受験対策で覚えたりもしたが、内容は既に忘れてしまっている。


 前世では、4人家族の末っ子として生まれた。父の家系は代々医師をしており、兄がその跡取りとして育てられた。

 私は末娘だったこともあり、可愛がって育ててもらえた覚えがある。母の躾は厳しかったけれど、理不尽なことは一切なかった。


 進路を決める際も、私は自分の意思を認めてもらえた。兄は父の跡を継ぐため医学部以外の選択肢はなかったが、私には自由に選ぶように言ってくれたのだ。


 あのまま生きていれば、父の認める男性と結婚し、それなりに幸せな人生だったに違いない。

 けれど、ドラマティックな人生は送れなかったはずだ。


 それを思えば、今の人生は理想そのものだ。誰もが羨む地位に生まれ、誰もが憧れる王子様に溺愛される。こんな夢のような日々はない。


 そんな幸せに浸っていた私の思考を凍らせたのは、殿下の何気ない一言だった。


 「その株式会社もナーシングドリンクも、アクランド子爵家のご令嬢が発案したそうだ。それほど優秀な者がいるなら、この国の未来も明るいね」


 微笑んでそう語る殿下に、私は手元のカップを滑らせた。


 陶器の割れる音に、控えていたメイドが慌てて駆け寄ってくる。殿下も驚きの表情を浮かべていたが、すぐに手を取って心配してくれた。


 「ブリジットお嬢様!? お怪我はございませんか!?」

 「リジー! 大丈夫かい? 痛いところは!?」


 心配する二人に大丈夫だと告げる。しかし、私の内心は穏やかではなかった。


 (アクランド子爵……ヒロインの生家じゃない……!)


 「リジー……どうかしたかい? 手が震えている。火傷でもしてしまったかな?」

 「いいえ……いいえ、殿下。そうではないのです……」


 首を横に振り、否定の意を述べる。火傷なんてしていない。

 ただ、その名前をこんなに早く聞くと思っていなかっただけだ。


 (ヒロインは小説でも転生者だった。でも、こんな風に早い段階で名前が知られることはなかったはず)


 だとするならば、この世界にいるヒロインは何者だ?

 小説のヒロインは、聖女として以外にロクな功績はなかった。彼女はどこまでも欲深い女で、自分が愛されること以外興味がなかったのだから。

 しかし、現状彼女の存在は国王にまで知れ渡ることとなった。どういうことなのか。彼女は小説通りのヒロインではないのか?


 考えられるのは、私と同じ世界からこちらに来たという可能性だ。そうであるならば、このようなイレギュラーもあり得るだろう。


 しかし、そうなると問題がある。ヒロインもこの物語を知っているということだ。


 「リジー、大丈夫かい?」


 割れた食器を片しに、メイドが部屋を退出する。扉の閉まる音は何故だか私の不安をかき立てた。


 そんな私を、殿下は心配そうな表情で見つめている。

 私を呼ぶ声を聞き、ぎゅっと眉を寄せた。不安でたまらないのだと分かる表情を作り、言葉をこぼす。


 「アクランド子爵家のご令嬢は、以前お話した聖女になる方なのです。

 今からそんなに優秀だなんて……私とは、やはり違うのですね」


 言い切ると、俯いて顔を伏せた。予想外の展開に苛立ちが募っていたのだ。


 小説通りのヒロインならばなかったであろう展開。これは私にとってかなりのストレスだ。小説そのままに生きていけば幸せになれる私にとって、小説外の動きをする者など迷惑と言ってもいい。


 しかし、そんな苛立ちを殿下に見せるわけにはいかない。私は心優しいブリジット。そうでなければならないのだから。


 俯いたままの私を心配してくれたのだろう。殿下はそっと私の背に触れて、安心させるように撫でてくれた。


 「リジー、何も心配することはないよ。僕は前に言っただろう? 君以外の傍にいるつもりはないと。僕のためを思って身を引こうとする優しい君がいいんだ。

 例え、アクランド子爵令嬢がどれほど素晴らしい女性でも、僕にとっての唯一は君だ。


 だからそんなに不安そうにしないで。君には笑顔が似合うよ」


 そうだ。私は何も間違えていない。ブリジットとして正しい道を歩んでいる。

 殿下との絆を結び、今もこうして私のために心を砕いてくれているのだ。本来なら、ただこのまま生きていれば良かった。


 しかし、ヒロインが同じ世界からの転生者なら、別の策が必要だろう。ただ黙ってブリジットの幸せを認めるとは思えない。

 殿下ほど結婚相手として素晴らしい方もいないのだ。ヒロインが小説どおりに殿下を狙う可能性は高い。


 幸い、私と殿下の仲は良好だ。それならば、殿下が彼女を特別視することがないよう、私も何かしらの功績を立てればいい。


 本来、私の未来には輝かしいハッピーエンドが待っているのだ。ヒロインを倒し、殿下と結ばれる。そんな未来が。

 その未来を正しく実現するため、私は自分の価値をヒロイン以上のものにしなければ。



 「ありがとうございます、殿下。ごめんなさい、心配をおかけして……」


 謝罪する私に、殿下はほっとしたような顔で笑った。


 「気にすることはないよ、リジー。君は僕の大切な婚約者なんだ。君の悩みも不安も、僕が一緒に背負うのは当然さ」

 「殿下……!」


 彼の言葉に、思わず声が漏れた。

 そう、彼はこうしてブリジットを優しく包み込んでくれるのだ。心優しいブリジットを支えなければと、殿下が懸命に言葉を尽くすシーンはどれも心惹かれるものだった。


 「そうですわ、殿下。せっかくですから、アクランド子爵令嬢のなさったことを教えてくれませんか? 素晴らしいことをされたのですもの。私、後学のためにも知りたいと思います」

 「リジー、君は本当に真面目だね。心が不安定なときにも努力するなんて」

 「私は殿下の婚約者ですもの。殿下に相応しくあるために、努力は惜しみません」


 私がそう告げると、殿下は嬉しそうに笑った。自分のために努力する、そんな私の姿が好ましいようだ。


 私個人としても彼と結ばれたいと思っているし、そうあるべきだと思っている。


 そもそもこの世界は、あの小説の世界なのだ。悪役令嬢と王子様が結ばれる逆転劇。ヒロインの活躍など不要な存在だ。

 彼女はただ愚かしく、断罪されるための存在だというのに。


 「アクランド子爵令嬢のことだね。彼女がナーシングドリンクと株式会社の発案者だという話はしたね?

 それはどうやら、貴族だけでなく平民にも行き届くようにするためだったそうだ。平民では貧しいものが多いし、薬も買えない。もっと言えば医者に診てもらうことも難しいらしい。

 そんな平民たちに少しでも届くようにと、価格を下げようと努力した結果だそうだよ。


 アクランド子爵家は比較的裕福らしいけど、彼女自身下級貴族の娘だ。きっと、民の大変な姿を目にする機会もあるのかもしれないね」


 殿下の言葉に微笑んで相槌を打つ。


 要するに、平民への人気取りだったというわけだ。聖女という立ち位置につく人間としては、申し分ない功績だろう。

 とても愛らしく、心優しい貴族令嬢が平民のために動く。その姿は様々な人の心を打つことだろう。その上、将来聖女になるのだ。


 聖女として目覚める前から素晴らしい人間だった、という意識付けとしては完璧だ。

 何とも腹黒い女だ。そういうところは小説のヒロインらしい。


 小説のヒロインは、ときに自分の可愛らしさを前面に出してか弱いフリをし、またあるときは聖女というステータスを存分に使っていた。その二面性のある姿は、腹黒いとしか言いようがなかった。


 例えば、悪役令嬢であるブリジットに対し「身分を笠に着るのはおやめください」などと言っていたことがある。

 自分自身が聖女という高位な身であるにも関わらず、ブリジットの前ではあくまでも子爵令嬢としてあろうとするのだ。


 本来、数百年に一人しかいない聖女は、国王と同じく貴重な人材だ。国王ですら、一定程度の礼は尽くす。

 そんな地位にあるヒロインは、あるときは聖女として、またあるときは子爵令嬢として、自分に都合のいいように在り方を変えるのだ。

 そんなことができる彼女が、純真無垢なはずもない。


 そして、この世界にいるヒロインも同様なのだろう。いや、もっとタチが悪いのかもしれない。

 早々に功績を上げ、聖女になる前からアピールをするような女なのだから。


 「アクランド子爵令嬢は素晴らしいですね。私も、何か民のためになることをできればいいのですが……」

 「何を言っているんだい、リジー。君はもう十分に民のために動いているじゃないか。君はもう、妃教育を受けているだろう? 母上からもよく頑張っていると聞いているよ。

 僕が王位を継ぐとき、隣にいるのは君だ。立派な王妃になろうと努力することは、民のためになることじゃないか」

 「ジェームズ殿下……はい、そうですね。民のためにも、立派な王妃にならなければ」


 確かに、私は既に妃教育を受けている。授業は厳しいけれど、必要なことだから仕方ない。

 それに、小説の最後で私と殿下は結ばれる。それならば、必ずいつか必要になること。きちんとこなすのは当たり前だ。


 だが、それだけでは大勢からの理解は得られないだろう。妃教育の大変さなどほとんどの人が知らない。頑張っているからといって、ありがたく思ってくれる人なんていないのだ。

 それならば、やはり私にも功績が必要だ。それも、ヒロインが一番嫌がる方法で。


 「ですが、それとは別に、何か慈善事業になることをしてみようかと思います。慈善事業は貴族としての義務ですし、民とのふれあいも大切でしょうから」


 私の言葉に殿下は一瞬驚いた顔をすると、少し心配そうにこう尋ねた。


「それは素晴らしいことだけれど……大丈夫かい? 君の負担になったりしないかな?」


 そう尋ねる殿下の表情は不安げで、私をとても心配してくれているのだと分かる。その気持ちを嬉しく思いながら頷くと、殿下はほっとしたような顔をした。


 「そうだ、リジー。せっかく婚約者になったんだ、そろそろ君も僕のことを名前で呼んでほしい。リジーさえよければ、愛称でもいいよ?」


 軽くウィンクをしてそう言う彼に、私の胸が高鳴る。


 本来なら、彼を愛称で呼ぶイベントはもう少し先だ。それでも、小説より早く許してくれるということは、それだけ私を思ってくれているのだろう。


 「殿下、本当によろしいのですか……?」


 確認するように問う私に、殿下は優しい笑顔で頷いてくれた。

 それに安堵の息をこぼすと、小説で出ていた彼の愛称を口にする。


 「……ジェイミー……」


 私がそう呼ぶと、彼はぱっと明るい笑顔を浮かべてくれた。

 王族ゆえに愛称で呼び合う相手はいないのだろう。心から嬉しそうにする姿に、私も嬉しさが募った。




 自分は確かにこの人に愛されている。だから、何も心配する必要はない。

 私にできることをしていれば、ヒロインに負けることなどきっとないのだ。


 そう思いながら彼の笑顔を見つめる私は、気づかなかった。


 ――扉の先、酷く冷たい瞳で話を聞いていた者がいることを


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