第15話 『清く、正しく、金稼ぎ』
集まった全員の挨拶が終わり、応接間へと移動した。
今回使うスペースも、伯父との初対面時に使ったソファー席の方だ。ソファー背面にある窓からは、白銀に染まった庭が見える。季節ごとの美しさを楽しめるこの席は、伯父のお気に入りだ。
「それにしても、シャーリーがこんなに愛らしいお嬢さんだとは思ってもみなかったな! 素晴らしい才能に優れた知能を持つと聞いていたから、少しは居丈高なところがあるかと思ったが。
とても可愛らしく利発なお嬢さんだ」
お爺様はそう言うと、優しく私の頭を撫でてくれた。子どもの身になってから6年ほどになるにも関わらず、未だに照れくさい気持ちになってしまう。照れたような笑みを向けると、お爺様は一層優しく笑ってくれた。
「確かに賢い子です。ですが、シャーリーは人を思いやる気持ちに長けた子でもあるのです。初めての友人を救おうと、全力を尽くせる子ですから」
そう言って笑う父の顔は得意げだ。大好きな娘を掛け値なしで褒められて嬉しいらしい。お爺様が「君の教育も素晴らしかったのだろう」と言うと、父は照れくさそうな笑みを浮かべた。
その姿を見て、お爺様がよく似た親子だと笑う。今まで似ていると言われたことがなかったため、父と二人顔を見合わせ笑ってしまった。
「結局、デゼル男爵は離婚したのだったか。子どものためを思えば、それも当然だろう。
シャーリー、友人を救おうというのはとても勇敢だった。よく頑張ったな」
伯父にも褒められた私は、さすがに照れくさくて頬が赤くなってしまう。両手で頬を押さえる私を、大人たちは微笑まし気に見つめていた。
「そういえば、その件に関してシャーロット嬢が何かお作りになったとか。とても画期的な物だと聞いています。わたくし、それにとても興味がありましたの!」
楽しそうに言うナタリア先生の瞳は、キラキラとして美しい。元々は魔術の研究者であるようで、人より知識欲が高いのだろう。是非教えてほしい、と美しい笑顔で言う彼女に元気よく頷いた。
メイドに指定の物を持ってきてもらうよう頼むと、すぐに人数分を用意してくれた。それを各人のテーブルの前に置く。
「これは……ジュースですか?」
「はい、ナタリア先生。私はナーシングドリンクと呼んでいます」
不思議そうに尋ねる彼女の前には、乳白色のドリンクが置いてある。中身はかつてよく見た、スポーツドリンクだ。
この世界にはスポーツドリンクがない。それを知るきっかけになったのが、メアリーの件だ。栄養補給は専ら食事からという印象のようで、飲み物は然程重要視されていなかった。そのせいか、食が細くなった彼女はほぼ水しか取れず、一層やせ細ることになった。
それを知り、アクランド子爵家へ帰った私は一念発起。スポーツドリンク作りに励むこととなった。
そもそも、スポーツドリンクの歴史は浅い。かつての世界でも、普及したのは1960年以降と聞いている。それまではいわゆる根性論が根強く、脱水症状や熱中症の被害が多かったようだ。
そしてそれは、この世界でも同様だ。騎士などが鍛錬する際に飲むのは水。栄養は食事の際に取ることになる。それもあり、夏にはよく倒れる人が出るのだと父から聞いた。
ちなみに、この世界ではスポーツというものの普及があまりない。ファンタジーの世界だからだろうか。身体を動かすのは専ら鍛錬なのだ。そのため、馴染みのないスポーツという言葉を使うのは諦めた。
「これは、鍛錬や高熱時など、急激に汗をかいた際の栄養補給を目的に作ったものです。そう言ったときに、必要な栄養が手軽に取れないかと考えて作りました。
そのため、名前は看護の意味からナーシングドリンクとしています。
お医者様にかからなくても、軽い不調なら治せるように。もっと言えば不調が出ないようにと飲んでもらいたいんです」
日本で生きていた私は、スポーツドリンクの簡単な作り方を知っていた。貧乏だった我が家では、スポーツドリンクは買う物ではなく作る物だったからだ。
しかし、何故その材料を入れるのかと言われると返答に困ってしまう。そこで頼ったのが父の知識だった。
「お父様に、鉱山で働く方々や大工の方は塩をよく食べるのだと聞きました。何でも、仕事中マメに塩を食べることで倒れるのを防げると知っていたようなんです」
父の話のおかげで、違和感なくドリンク作りを開始することができたことは本当に幸運だった。また、父の持つ医学知識のおかげで、このドリンクには効果があるとお墨付きももらえたのだ。
「塩分を摂れるドリンクは、医学的にもいいと父から言ってもらえました。ですが、塩分を摂らなければならないとはいえ、しょっぱいだけでは飲みにくくて。
なので、味には少しだけ工夫をしてみました。私のような子どもでも飲みやすいように、甘くしてみたんです!」
そう言ってトレーニングドリンクに手を伸ばし、一番乗りで口をつけた。甘めの味付けのドリンクには、輪切りのレモンが浮かんでいる。
すっと通るレモンの爽やかさが、飲みやすさには重要だと考えていた。かつてもレモンは欠かさず入れていたのだ。……生のレモンではなく、レモン汁だったが。
「ほぉ、これは……」
私が飲んだのを見て、お爺様たちも次々と試しに飲んでくれた。
お爺様は口に含むと驚いたように目を開ける。塩分を摂る物と聞いて、味に不安があったのだろう。半信半疑で口を付けていたようだが、思わずと言った風に声を漏らしていた。
「これはいい! 塩分を摂る飲み物と聞いてしょっぱいのではと思っていたが、全くそんなことはない! むしろ飲みやすくてついつい飲みたくなってしまう!」
お爺様は案外甘いものがお好きなようだ。ナーシングドリンクの甘さに目を輝かせている。ナタリア先生も気に入ったのだろう。美味しそうにグラスを傾けていた。
「この甘さはあくまでも標準として作っています。塩の量は変えずに、砂糖の量や種類を変えることである程度甘さの調節は可能です」
「本当か!?」
私の補足に、伯父が目を輝かせる。おそらく、伯父には甘すぎたのだろう。甘さの調節ができるのは朗報だったようだ。
「俺には少々甘いと思っていたんだが、味の調節ができるのはありがたい! 子どもたちにはこの味で、俺には甘さ控えめのものをと分けることができるのはいいな」
「はい、それにお好みであれば砂糖をハチミツに変えても美味しいです。すっきりとした飲みやすさが欲しければ、ミントをプラスするのもおすすめですよ!」
私の言葉を受けて、伯父たち三人は思い思いの組み合わせを話し合っていた。
その姿を見て、ちらりと父に視線を向ける。父もこちらを見ていて、温かな笑顔を向けてくれた。その目元には、きらりと涙が光っている、私の努力が評価されたことに、父は誰よりも喜んでくれたのだ。
「しかし、砂糖か。これだけいい物なら是非売り込みたいところだが、原材料に難があるな」
伯父は小さく唸る。それもそのはず、砂糖というのはこの国ではまだ高級品なのだ。昔のように安価で手に入るわけではない。
我が家は父のおかげもあり、裕福な家庭だ。けれど、貴族だからと言ってどの家も金回りがいいというわけではない。ましてや、平民に購入してもらおうとするには、相当厳しいハードルになる。
「確かにそうだね。これだけいい物だ、貴族なら高くても買うだろうけど……。
シャーリー、君の望みは違うのだろう?」
お爺様は先ほどの私の話から、意図を汲んでいたのだろう。
お爺様の言うとおり、私としてはナーシングドリンクを高値で売るつもりはなかった。もちろん採算が合う範囲ではあるが、極力安い値段で売り出したいのだ。
ナーシングドリンクは、元々体調不良を予防するためのもの。予防が必要なのは貴族だけではない。むしろ、労働環境の厳しい平民にこそ手にしてほしいものだ。
また、手軽に医者に診てもらえないのも平民だ。貧しい人の苦労を、私はイヤというほど知っている。
今の私は貧乏ではないけれど、貧しいゆえの苦労を知っている。だからこそ、できる範囲で手を伸ばしたかった。それは、かつての自分が欲しかった救いでもあるからだ。
「はい。難しいことと分かっていますが、これは余裕のない方にこそ手に取ってほしいと思っています。薬を買えないのも、お医者様に診てもらえないのもそういう方々です。私にできることは少ないですが、それでもと願ってしまいます」
わがままは百も承知だ。実現困難なことも分かっている。これが何十年と経てば話は違うのかもしれないが、現状では厳しい。
うちの領地で砂糖が採れれば多少は変わったかもしれないが、気候が合わず砂糖の生産はできないのだ。
しょんぼりと俯いていると、美しい手が私の手を握った。
驚いて顔を上げると、ナタリア先生が微笑んでいる。それがまるで女神のように見えたのは、私の願いを叶える一手を彼女が持っていたからかもしれない。
「シャーロット嬢のお気持ちは分かりましたわ。民を思うその心、決して無下にすべきではないと思いますの。
ですから、シャーロット嬢。その願い、叶えてみませんか?」
その言葉に、私は驚きですぐに返事ができなかった。固まっていた私をよそに、父が口を開いた。
「なるほど……。確かフローレス伯爵家はサトウキビの一大産地でしたか」
父の言葉にナタリア先生は笑みを深める。私はただ、ポカンと両者のやり取りを見守っていた。
「えぇ、エクセツィオーレは暖かい気候ですから。特に我が領はサトウキビ栽培に適しており、主要な作物となっています。
当家の商会を通して販売しておりますが、国内ではそう高値はつきません。土地柄育てることができますからね。今は他国への輸出がメインとなっています。
今までは利益があるため問題なく売っていましたが、このままの商売でいいのかという疑問はありました。他国で砂糖を望んでいるのはよくわかっていますが、この状況がいつまで続くか分かったものではないでしょう?」
ナタリア先生の言葉に、内心で感心のため息を吐いた。
そういえば、かつての世界でも同じ道を辿ったのだ。昔は高価だった砂糖も、私が生きていた時代では安価に購入ができた。それは各国で砂糖の生産が叫ばれたからだ。
日本でも沖縄ではサトウキビ、北海道では甜菜が栽培されていた。すっかり頭から抜けていたが、甜菜からも砂糖はできる。
残る問題は精糖技術だが、それもいつまでも独占できるわけではないだろう。いずれ、どこかで普及するのは目に見えている。
「でしたら、ここで一つ大きな変化を求めてみてもいいのではと思うのです。元々輸出が主でしたから、こちらとしては取引先の変更のみで然したるダメージはありません。
何より一定量を、それもかなりの量を必ず購入してもらえるというのはありがたい話です。先方の都合により、輸出量が減る年もありましたから。
後は関税の問題でしょうが、そもそも現時点で砂糖の生産がされていないこともあり、然程高額の関税がかけられることはないでしょう」
それもそうだ。関税の目的の一つには、自国の産業を守ることが挙げられる。現時点で砂糖の生産が出来ていない以上、高額な関税をかけるメリットがあまりない。
もちろん、財源という側面においては必要だろうが、それ以上に高額にすれば国内で買い手がつかなくなる。結果として輸入量が減り、税収も目減りするとなれば、必要以上の高値はつけないだろう。
「なるほど、一つの手ではあるな。もちろん、フローレス伯爵家の現取引先からしたら納得いかない話だろうが……。
しかし、商売とは得てしてそういうものだ。相手の求めるメリットを提示できなければ切られることもやむを得ないだろう」
伯父の言葉にお爺様が頷く。今までそういった動きを見たことがあったのだろう。顎に手を当て、何かを思い出すように口を開いた。
「ふむ。現時点においては良い手ではないかね? この商品なら間違いなく売れるだろう。味の良さは勿論のこと、国有数の医薬品開発者であるアクランド子爵家から出されたものだ。信頼性は抜群といえる。知名度が高いという意味でも売り出すにはいいだろう。
国が買いたがるのは勿論のこと、辺境伯のように強い軍事力を持つ家としても必要性は高いだろう。教会も騎士団を抱えているため、購入するだろうな。少なくとも。大口の顧客は間違いなく見込める商品だ。
価格についてはできる限り安く、という限定になるものの商売は成り立つ。
あとは妨害されないよう、どれだけ上手く立ち回るかだな……。
アクランド子爵の医学的な優秀さは言うに及ばずだが、社交的な意味では……」
お爺様の言葉に父ががっくりと項垂れる。それこそ言うには及ばずというやつだ。父の社交性のなさは身をもって知っている。実の娘と話すのにすら苦戦していたくらいなのだから。
とはいえ、嘆いていても仕方がない。父の不足を補うのも娘の役目だ。社交界で乗り切ると決めたからには、この程度乗り越えねばなるまい。
「あの……この商品、本当に売れると思いますか?」
そう尋ねる私に、お爺様は驚いたように目を丸くした。
「もちろんだとも。そもそも酒などの嗜好品以外だと、牛乳かフルーツジュースしかまともになかったのだ。そんな中、健康にもいいジュースというだけで評判も出るだろう。
その上体調不良を防ぐこともできるのなら、薬を求めるのと同じように手を伸ばすだろうね」
「でしたら、この事業に出資してくれる方も出てくるでしょうか?」
重ねて問う私に、全員の視線が集まる。
空気は一瞬で変わり、先ほどまでの和やかな空気は霧散した。私を見る瞳は真剣そのもので、決して子どもの発言と侮る者はいない。
まずはここを乗り切らねば、私の望みは叶わない。貴族令嬢として生まれたと知ったとき、欲望渦巻く社交界を渡りきると決めたのだ。
ここがRPG世界だとしても、生活は別だ。
いつか大きな困難を乗り越えエンディングを迎えることができたとして、そこで私の人生がプログラム終了とばかりに途切れるわけではないのだ。それならば、より良い生活をするためにその努力をしなければならない。
小さく息を吸い、全員の顔を見渡す。不安な時ほど笑顔を作れ。かつて先輩に教わったことを思い出し、顔に完璧な微笑みを浮かべた。
「では……株式会社の設立、なんていかがでしょう?」
――これが、今世の私が掲げるモットー、『清く、正しく、金稼ぎ』の第一歩となる。
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