第11話 埋まるピース


 日本には、古来より言われている言葉がある。

 人を呪わば穴二つ。他人を呪って殺そうとすれば、自分もその報いを受け墓穴が2つ必要になることから転じた言葉だ。平安時代の陰陽師は呪い返しに遭うことも覚悟していたと聞く。


 そして、呪い返しというのは当初の呪いよりも強く跳ね返ることがあるらしい。私自身詳しくはないが、時間をかけて進めた呪いを返されたのならばそういうこともあるだろう。




 「……カミラ……これは、一体……」


 向かった先で待っていたのは、うずくまり、血を吐いているカミラ夫人の姿だった。

 男爵は困惑の色を隠すことなく、部屋の入り口で問いかける。カミラ夫人はそれに答えず、メイド達に身体を支えられ背を撫でられていた。

 

 おそらく、突然の吐血に手で受け止めきれなかったのだろう。彼女の両手は血に汚れ、白いシュミーズドレスの胸元も赤く染まっていた。

 そのまま床へ視線を下ろすと、カーペットにも血が落ちているのが見える。床に広がるドレスの裾は赤や茶色で汚れていた。


 カミラ夫人の姿を、父が黙って見据えているのに気がついた。おそらく事の次第に気づいたのだろう。彼女を見下ろす瞳は酷く冷たい。


 「シャーリー、これ以上は見るべきではない。賢い君はこの女がしでかしたことに気づいていたのだろう。それでも、これ以上関わる必要はないよ。君が目にするに値しない。

 ……見るに堪えない女だ」


 冷たくそう切り捨てる父に、男爵が振り返るも反論の声は上がらない。

 彼も真相に気づいたようだ。その上で、自分が信じてきたものが張りぼてだったことに強い衝撃を受けているのだろう。

 カミラ夫人を冷たく切り捨てる父に返す言葉がないようだった。


 「お義母さま……?」


 震える声で夫人を呼ぶのは、今まで黙っていたメアリーだ。急な展開に思考がついていけないようだ。血を吐く義母を、ただ震えながら見つめていた。


 震えるその姿は頼りなく、とても放り出せるようなものではなかった。もとより、彼女を放っておけなかったからこそ私は動いたのだ。

 それならば、今ここで引き下がるわけにはいかない。


 「お父様、お気遣いいただきありがとうございます。けれど、ここで放り出したくはないのです。

 私の、初めてのお友達のためにも」





 カミラ夫人の吐血が落ち着き、全員がソファーに着席した。

 先ほどはいなかったグレイソンも今は同席している。吐血騒ぎに屋敷内が騒然としていたからだろう、慌ててこの場へとやってきた。

 また、屋敷の主要な使用人たちは部屋の隅に控えている。


 全員が沈黙を守る中、私は静かに口を開く。

 子どもらしい演技も今は置いておくと決めた。一歩間違えれば少女の命が失われていた可能性があるのだ。変な小細工などせず、今ここで全力を出さなければ一生後悔するだろう。


 「まず初めに、違和感を覚えたのはメアリー様のお姿でした。顔色は悪く身体もお痩せになっていて、確かに体調が優れないのだろうと思いました。

 けれど、随分髪が美しいまま保たれているなと疑問に思ったのです」


 通常、食事もままならないのなら髪も痛みが出るだろう。栄養が行き届かないのは同じなのだから。

 それでも、彼女の髪は美しかった。足りない栄養を補うかの如く、丁寧に手入れされていることに気づいたのだ。


 「服は誤魔化しが効いても、髪は難しいものです。柔らかな銀色の髪は美しく、艶がありました。その日1日だけ綺麗にするというのでは限度がある。

 ましてや、彼女の髪は長い。伸びれば伸びるほど毛先は傷みやすいものですが、それを感じることはありませんでした」


 あそこまでの美しさを保つには、懸命な努力が必要だ。それができている以上、メアリーに対して懸念していた一つの問題――彼女への虐待はないのだろうと考えた。

 男爵の娘を思う気持ちも伝わっていたし、その懸念は割と早く捨てていたのだが。


 「次に違和感があったのは、貴女です。カミラ夫人」

 「……わたし……?」


 怪訝そうに言うその顔は、青褪めている。それを気にしないかのように私は言葉を続けた。


 「カミラ夫人がお茶会の場で口を開いたのは、たった一度だけでした。それがメアリーについての話です。今まで口を開かず聞き役に徹していた貴女が、急に口数が多くなりました。

 まるで、やましいことを隠そうとしているかのように」

 「っ! 何てことを言うの!? そんなことはっ」

 「うるさい」


 私の言葉に激昂した夫人を、父が冷たく遮る。その声は低く、私が未だかつて聞いたことのない声だった。


 「シャーリーの言うとおりだ。やましいことがあれば、人は口数が増える。今の君のようにな」


 後ろ暗いことがないなら堂々としていればいい、と言い捨てる父に、夫人は二の句が継げぬようだった。パクパクと口を開けていたが、そこから音を発することはなかった。


 「3つ目の違和感は、グレイソン様とマンサクの花を見に行ったときです。

 失礼ですが、男爵。男爵はここ最近でマンサクの木に近づかれたことはありますか?」


 突然水を向けられたからだろう。男爵は驚いた表情をするも、すぐに答えてくれた。


 「私がかい? 近づいたことはないな。 敷地内でもかなり奥の方にあるし、手入れも特にさせていなかったはずだ」


 そもそも、マンサクは山で自生しているような木だ。特段手入れというのは考えていなかったのだろう。庭師が主に仕事をするのも花壇などの人目につく範囲のようだ。

 男爵が確認するように庭師へ目線を向けると、彼も首を横に振った。業務範囲外なのは明白だった。


 その他の使用人にも目線を向けていたが、誰もが近づいていないようだ。それ以上に、なぜそんなことを聞かれるのか分からないといった様子だった。


 「男爵、皆様ありがとうございます。

 一度、話を変えさせてください。メアリー様が体調不良になった際、当然お医者様に診せられましたよね?」

 「もちろんだ。何度も医者に診てもらったが、特に病気等の兆候はないと言われた。それに……」


 男爵が口ごもる。おそらく、使用人がいる中では言い難い気持ちがあるのだろう。

 しかし、男爵が今口にしようとしていることは大切なことだ。そして、このような状況下であれば誰もが一度は疑うべき内容だった。


 「毒物の混入がなかったか、それも調べられたのですね?」


 その言葉に、カミラ夫人は勢いよく顔を上げる。顔色は悪いままだが、その瞳には苛立ちが見て取れた。


 彼女は料理長とメアリーの食事について話し合っていた。当然、それは以前から男爵の耳にも入っていたはずだ。

 食事が食べられなくなった娘は、病気ではないのだという。それであれば、食事自体に問題があるのではと考えても不思議はなかった。


 しかしそれは、カミラ夫人にとっては早くから自分が疑われていたとも考えられる。それに憤りを感じているのかもしれない。


 「恐れながら、発言をお許しいただけますでしょうか」


 そう言って頭を下げたのは、コック服に身を包んだ男性だ。歳は50頃だろうか。顔は憔悴しており、あまり眠れていないのか目元には薄っすらとクマがあった。

 そんな彼に男爵が許しを与えると、深々と頭を下げ、口を開いた。


 「旦那様が毒物を疑うのは当然のことです。もちろん、私たち料理人は決して毒物など入れてはおりません。他の料理人2人も同じことを言うでしょう。私たちは女神に誓って我が身が潔白だと宣言できます。


 その上でお話をさせていただきます。夫人は確かに料理について意見をくださることはありましたが、ご自身で料理をされることはありませんでした。

 また、夫人がご自身で料理を運ぶことも同様です。作り終えた料理は、必ずこちらからメイドに声をかけて運ばせていました。

 そのメイドも固定するのではなく、連日お嬢様のもとに運んだ者はおりません」


 料理長自身、毒物がどこかで混入されているのではと疑いがあったようだ。自分のところで入れてはいなくても、給仕されるまでのどこかで入れられる可能性はある。

 けれど、誰を信用すればいいのか分からなかったのだろう。そもそも、入れられているか定かではなかったのだ。不用意に口にすることもできない。


 結果として、極力毒物を入れ難い環境を作ろうと策を講じたのだ。

 同じ屋敷で働く仲間すら信用ができず、その仲間を疑わなければならないことには罪悪感もあっただろう。彼の姿は、半年間の苦悩をイヤというほど感じさせた。


 「ありがとうございます。おっしゃる通り毒物は混入されていないのでしょう。料理長や男爵が疑いを持っていたほどです。仮に毒物が入っていたのならば、既に発見されていたはすです。

 なにより、男爵は父と友人関係にある。もし毒物が入れられた兆候があったのなら、医薬品開発を仕事としている父に相談することもできたでしょうから」


 そう言って父を見ると、穏やかに笑っていた。本当に相談があったかは知らないが、仮に毒物が混入されていれば間違いなく相談を受けていただろう。

 そして、その話があったのなら、父は私をここに連れてこなかったはずだ。毒物混入が発生している屋敷に、私を近づかせるとは思えない。


 「ですから、毒物の線もないだろうと考えました。きつい物言いになり申し訳ありませんが、虐待も毒物も病気もないということ、それはある程度の確信を持てたのです。


 さて、ここで話を戻させていただきましょう。

 カミラ夫人、最近マンサクの木へ近づいたことはありますか?」


 そう問いかけると、予想通りと言うべきか夫人はすぐに否定した。


 「いいえ、近づいたこともありません」

 「そうですか。では、昨夜はどこにおられましたか?メアリー様との夕食が終わった後は」


 その問いに夫人は怪訝な顔をした。おそらく、小娘に追及されていること自体が気に食わないのだろう。不快感を隠すことなく言葉を続けた。


 「何をおっしゃりたいのかわかりませんが。メアリーとの食事が終わったあとは、自室に戻りました。寝るための支度を整えさせた後は、すぐに眠っています」


 そうでしょう、と夫人が1人のメイドに声をかけると、彼女はこくりと頷いた。彼女が主に夫人のお世話をしているようだ。いつも通り就寝準備を整えて、部屋を出たと語った。


 「普段から貴女が夫人のお世話をなさっているのですね。メアリー様との食事が終わってすぐに就寝準備をされたのなら、大人の方にとっては少々早い時間のように思えます。

 夫人はいつも早くおやすみになるのですか?」

 「はい。美容には睡眠が必要だと、いつも早い時間におやすみになります」


 そう言うメイドに、私は穏やかにほほ笑んだ。

 そう、私に必要なピース、それがその答えだったのだから。




 「ありがとうございます。


 私としては、昨日からこの問題を解決したいと考えていました。

 メアリー様は私にとって初めてのお友達です。その彼女が、いたずらに苦しまれているのなら何とかしたいと思ったのです。

 そのため、昨晩は早く寝たフリをしました。そうすれば、調べ回っていることを協力者以外に気づかれることはありませんから。そうして出来得る限り調べ回りました。



 ――では、カミラ夫人。改めて質問をさせていただきましょう。


 昨晩、マンサクの木に近づく姿を誰かに見られた可能性はありますか?」



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