第9話 小さな違和感
「今日は来てくれてありがとう。昨日まで雨続きだったから、天気を心配していたのだけれどね。君たちに足を運んでもらうのに、雨では大変だろうと思っていたから。晴れてくれて本当に良かったよ」
テラス席へと通されると、お茶が給仕される。始まったお茶会にはメアリーを除くデゼル家の方々が参加された。
5人でテーブルを囲むと、デゼル男爵の言葉を皮切りに談笑が始まった。
「しかし、オスカー。君がシャーロット嬢を可愛がっているのは知っていたが、なぜもっと早く会わせてくれなかったんだい?先ほどの挨拶もとてもしっかりとしていたし、外の者にお披露目しても何の問題もないだろうに」
そう言って不思議そうに首を傾げる男爵に、父は不機嫌そうに顔をゆがませた。
「シャーリーがしっかりしているのは分かっている。この子はどこに出しても恥ずかしくない立派なレディさ」
「ならば何故?」
「こんなに可愛く賢い子なんだぞ?婚約話を持ち掛けられたらどうする。まぁ、そもそも打診されようと受け入れる気はないが」
しれっとそう告げる父に、男爵が困ったようにため息を吐く。そんな男爵と父を見ながら、気が早すぎるのでは? と私は内心頭を抱えていた。
「君の心配は分からないでもないけれどね。私も娘がいる身ではあるし。
でも、あまり内にこもらせても可哀想だろう。幼友達ができるのは今だけだ。
学生からの友達ももちろんいいものだが、その学生時代を送る際に心細くては可哀想じゃないかい?」
「分かっているさ。だから僕もこうしてシャーリーをここに連れてきたのだからね」
父がティーカップを傾ける。まるで、これ以上この話はしないというかのようなその姿に、男爵は困り顔で笑みを浮かべた。
そして私の方へ視線を向けると、心底申し訳なさそうに言葉を続けた。
「シャーロット嬢、今回は本当に申し訳ない。是非メアリーと友人になってもらえればと思い、我が家に招待させていただいたのに……」
そう、本来の目的は私の友達作りだった。
とはいえ、当の本人であるメアリーの体調が悪いのであれば仕方がない。友達になる機会はこれからもあるだろうし、まだ幼い少女に無理をさせるのは本意ではない。
「いいえ、大丈夫です。今度元気なときに一緒に遊んでもらえると嬉しいです。
メアリー様が体調のよろしいときは、また遊びに来てもいいですか?」
私の言葉に男爵が嬉しそうに笑顔を浮かべる。本当に娘を愛しているのだろう。娘への愛情に満ちた温かな笑みだった。
「ありがとう、シャーロット嬢。そう言ってもらえると、私はもちろん、メアリーも喜ぶことだろう。
あの子は半年ほど前からあの調子でね。おそらく、母親を亡くしたショックが大きいのだろうとは思うのだが……私としても心配なんだ」
明るい笑顔から一転、悲しそうにそう告げる男爵に私は内心納得する。
初めて彼女たちを見たときにも思ったが、兄弟2人ともに父親似で、母であろうカミラ夫人に似てはいなかった。
カミラ夫人は美しい赤毛に茶色の瞳をしている。素朴な顔立ちで、頬にあるそばかすはどこか愛嬌があった。
彼女は身長が高く、180センチほどの背丈がある男爵とあまり差がない。ヒールで底上げされているだろうが、それでも175センチくらいはありそうだ。玄関ホールに立っていた際も、周囲にいたメイド達より飛びぬけて背が高かったのを覚えている。
背丈の高い彼女は威圧的に見えそうなものだが、どこか控えめな顔立ちからそのような印象は感じられなかった。
仮に、彼女との間に血のつながりがあろうとも、二人揃って両親のどちらかに似るということはあるだろう。
しかし、血が繋がっていないのなら彼女に似ていないのは当然のことだった。
「前の奥方が亡くなったのは2年前だったか?」
「あぁ、オスカーの言うとおり。もう2年程前になる。母親を亡くしたんだ。どれほど時が経とうとも悲しみは消えないだろうが、こうも体調を崩してしまうと心配でたまらない。
カミラが献身的にあの子を支えようとしてくれることもあり、今のところ何とか過ごせているものの……このままではどうなることか」
ティーカップをソーサーに戻し、男爵は俯いた。娘のことを思えばこそ、不安になる気持ちはよくわかる。そんな男爵を夫人は揺れる瞳で見つめていた。
「私としても、メアリーのことはとても心配です。日に日に細くなっていくあの子を見ているのは、ひどく心が痛むもの。料理長とも何度も話し合って、食べやすいものを作ってもらっているのだけれど……パン粥も全く食べてもらえず、果物も少し口にするのがせいぜいなの。
シャーロット嬢は体調があまりよくないとき、どんなものを食べたいと思いますか?
私は平民の生まれですから、貴族の方々の食事にはあまり詳しくないのです。何とかしたいと思っても上手くいかず空回ってばかり。母としてあの子の役に立てておらず、不甲斐ないのですが……」
小さな子どもに何が好まれるのかが分からない、と告げる彼女には焦燥感のようなものが感じられた。今まで微笑みを浮かべて会話を聞く側に徹していた彼女が、言葉多く語り掛けてくる。
その姿を見ながら、私は思考を巡らせた。
幸いにして、大きく体調を崩したことのない私は、看病というものをあまりされたことがない。
前世では当然のようにお粥が出てきたが、こちらの世界ではまだ米を見ていない。当然お粥は選択に入らないだろう。
こちらの世界でベターなのがパン粥だろうが、それもあまり食べられないようだ。果物ですら少し口にする程度では、大分深刻だろう。
「メアリー様は、お飲み物は口にされますか?」
私がそう尋ねると、彼女は一瞬目を丸くした。おそらく質問で返されるとは思っていなかったのだろう。すぐに頷いて答えてくれた。
「はい。水は飲んでくれています」
「それなら、まずは飲み物から変えてみてはいかがでしょうか。果物を絞ったフルーツジュースやはちみつを入れたホットミルクとか。
パン粥が食べられないときに、しっかりしたものは食べたくないと思います」
水分を口にするのがせいぜいであれば、固形物などもってのほかだ。とはいえ、水だけ飲んでいても仕方がない。
「水以外の飲み物を普通に飲めるようになったら、スープも飲めるようになるかもしれません。温かいものを食べると、お腹もほっとして少し元気が出ますよね!」
とにかく今は無理させず、少しでも栄養を取ることが大切だ。水ばかり飲ませるのはやめて飲み物から攻めていくべきだろう。
そんな気持ちで言葉を続けると、カミラ様は驚きの表情をした後、納得したように頷いた。
「とにかく栄養をと思ってパン粥を出していましたが、少しでも形のあるものは避けた方がよかったのかもしれませんね。味付けばかりに気をとられて、形には考えが及んでいませんでした」
そう言って俯く彼女に、男爵は優しく声をかける。彼女なりに看病していたことは認めているのだろう。励ましの声をかける姿は、家族を思う優しさに満ちていた。
「シャーロット嬢にお話が聞けて良かった。すぐにでもメアリーに持って行ってもらおう」
男爵は控えていたメイドに声をかけ、厨房へと向かわせた。少しでも元気になる可能性があるのなら、それに縋ってみたかったのだろう。日に日にやせ細っていく娘を見ていたのだ。気持ちはよく分かる。
「さて、暗いお話ばかりになってすまなかったね。シャーロット嬢、花はお好きかな?せっかくのいい天気だし、我が家の庭を紹介しよう。
グレイソン、シャーロット嬢に庭をご案内するように。分かっているとは思うが、屋敷の結界からは出ないようにね」
「はい、父上」
そして私は、メアリーの兄であるグレイソンに連れられて庭を見に行くこととなった。男爵としては子どもに暗い話を聞かせてしまった罪悪感があったようだ。
また、カミラ様は不甲斐ないと自分を責めているのか、依然として俯いていた。そんな姿を子どもに見せるのが忍びなかったのも理由かもしれない。
男爵のその提案に、ごねたのはわが父だ。男の子と2人にさせたくなかったのだろう。一目見て不機嫌だと分かる顔をしており、こちらとしては申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
邪魔にならない程度にメイドが付いてくるにもかかわらず、不満気な表情を崩さない父にあきれ返ったのは言うまでもない。
しかし、男爵の説得と、昔からの友人同士積もる話もあったのだろう。最終的には引き下がり、グレイソンと私は庭を散策することになった。
「今一番花が咲いているのは、このスノードロップです」
グレイソンに連れられてやってきたのは、先ほどのテラスからほど近いところにある花壇。そこには、可愛らしい白い花が咲いていた。白い下向きの花は、その名の通り雪の雫のような美しさがあった。
「まだ寒い日もあるのに、もうお花が咲いているんですね」
私がそう告げると、グレイソンは少し得意げに説明してくれた。
「スノードロップは2月から開花を始めるんです。なので、今お花を見るならこの花壇が一番です」
今は3月の始め。緑が芽吹きだす季節ではあるが、多くの花が咲くのはもう少し後になる。スノードロップは他の花々より先んじて、花壇に色を添えていた。
「春を告げるお花なんですね。まるでマンサクの花のようです」
少しかがみ、スノードロップを見つめてそう言うと、グレイソンの声にどこか嬉しそうな色合いが混じった。
おそらく彼は植物が好きなのだろう。お茶会では口を開くことなく無表情だったが、今は楽しそうに花を見て言葉を重ねてくれる。眼鏡の下にある瞳は優し気に細められ、父譲りだろう穏やかな笑顔を見せていた。
「シャーロット嬢は植物に詳しいのですね。おっしゃる通り、マンサクの花も開花時期が早く、春を告げる花として知られています。
うちの庭にもマンサクの木があるんです。まだ花は残っていますから、見に行ってみませんか?」
グレイソンの言葉に、ぱっと彼の方へ向き直る。思ってもみなかった提案に顔が綻ぶのを感じた。
日本では度々目にした花だったが、こちらに来てからは本の中でしか見られなかった。
それに、日本人に馴染み深い桜は、その存在すら分からない状態だ。少なくとも、家の周囲に咲いていないことは確実で、少し寂しさを覚えたものだ。
グレイソンに是非見せて欲しいと伝えると、彼は笑顔で道案内をしてくれた。どうやらマンサクの木はこの花壇より奥まったところにあるようだ。
「そんなに奥まで行ってしまっても大丈夫ですか?」
「問題ありません。マンサクの木周辺はまだ屋敷の結界内ですから。それに、メイド達も本当に問題のある場所なら止めてきますし」
そう言って少し離れたところに控えるメイドを見ると、特に止める素振りはない。それどころか、散策を楽しむ姿を好意的に受け止めているようだった。
先ほど給仕をしていた者たちとは異なるところから、おそらくナースメイドだろう。普段から子守を担当しているからか、彼女は子どもの動きにも慣れているようだ。行先の変更にも焦る素振りは一切なかった。
魔術の授業で習ったが、貴族の屋敷には必ずと言っていいほど結界が張られるようだ。というのも、魔術が当たり前なこの世界では、悪意をもって屋敷に向けて術を行使してくる人間がいるのだとか。
物理的な攻撃は屋敷の護衛で対応できるものの、離れたところから術を飛ばされると護衛では対処できない可能性が高い。
かつては、離れた場所から屋敷へ放火するなどの事件が起きたこともあるらしい。犯人が屋敷から離れたところで魔術を使ったため、犯人を見つけるのに時間がかかったそうだ。
そういった経緯もあり、魔術や悪意を持った攻撃を避けるため、屋敷に結界を張るのだそうだ。この結界は貴族であれば扱えるというものではないが、その話はひとまず置いておこう。
「うわぁ! 綺麗ですね!」
木々の合間を20分ほどかけて進むと、開けた場所に出た。800メートルほど距離があっただろうか。子どもの足であることと、雨上がりで地面がぬかるんでいたこともあり少し時間がかかってしまった。
しかし、木々の合間にも様々な植物があり、目を楽しませてくれていた。おかげで全く飽きることなく散策ができたのだ。
マンサクの木の根元まで近づき、木を見上げる。見慣れた黄色い花は遠い日本を思い起こさせた。花も終わりかけの頃だからか、咲いている花の数は少なくなっていたけれど。懐かしいその姿にほう、と息が漏れた。
マンサクの木が風で揺れる。まだ少し冷たさの残る風は、ぱきりと細い枝を落としていった。
丁度足元に落下した枝を拾いあげる。長さはおそらく9センチ程度だろうか。枝が落ちた傍には大人ほどの足跡があるが、その三分の一程度の長さだった。風で落ちるのも無理はないと思えるほどに、その枝は細く、とても軽かった。
マンサクの枝は人々にお守りとして親しまれていると聞く。せっかくだからもらってもいいかと聞くと、グレイソンは快く受け入れてくれた。ハンカチにくるみ、装飾された巾着袋に入れる。
「グレイソン様、時間も経ってまいりましたし、皆様のもとにお戻りになられては」
メイドの言葉に了承の意を返すと、2人揃って元の道を戻る。その道すがら、考えていたのは小さな違和感についてだ。
私はずっと、何かが頭の中に引っかかっていた。
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