第8話 迷子のような少女


 「シャーリー、窓を見てごらん。そろそろデゼル男爵家が見えてくるよ」


 馬車に揺られる中、父の言葉に窓へ視線を向ける。

 窓の外は美しい緑が広がっており、そこかしこに畑作業を行う人の姿があった。

 ここ数日は雨が降り続いていたため、土がぬかるんでいるのだろう。人々の手や服は泥で汚れていたが、その表情は今日の空のように明るかった。しばらく手入れができなかったのを挽回するかのように、精力的に作業をしているようだ。


 シャーロット・ベハティ・アクランド、5歳。今日私は、初めてのお友達づくりに挑戦することになった。




 伯父との初対面からおよそ1年が経ち、私の生活は様変わりした。一番の大きな変化は、何と言っても魔術の勉強が始まったことだ。


 しかし、勉強を開始するには厄介な問題があった。私の才能の高さだ。

 基本的に魔術の勉強は6歳から開始される。6歳を前に勉強を開始するということは、それだけ早く才能が開花したということだ。

 当然、人によってはそれをよく思わないこともある。突出した才能というのは疎まれることも多いし、妬みも買いやすい。


 そのため、専門の魔術の教師は6歳になってから迎えるという。見慣れない外部の魔術師が出入りするようになれば、それだけで周囲の人間は異変を察知する。そこから既に魔術の勉強をしていることを悟らる可能性もあるのだ。要らぬ危険を招かぬよう、専門教師による指導は周囲から浮かない時期まで待つことになった。

 一方で、6歳を迎えた際スムーズに授業が開始できるよう、既に教師の方には話を通しているという。


 それらを整えてくれたのが、伯父であるペイリン伯爵だ。正確にはより上位の人が関わっているようだが、詳しく教えてもらってはいない。機会を見つけて会わせてくれるようなので、その際はきちんとお礼を言おうと思う。


 6歳までの魔術の勉強は、父とカーターが見てくれることとなった。

 完璧執事なカーターは、どうやら魔術も優秀なようだ。忙しい父が全ての勉学を見ることは困難なため、彼が手伝ってくれている。


 今学んでいるのは、座学と魔力コントロールだ。座学は父が、魔力コントロールはカーターが担当している。

 今後専門教師を迎える予定なので、下手に手を出さず基本的なことのみとしたようだ。


 座学では魔術の基礎知識と魔術史について勉強している。本が好きな父らしく知識量がとても多い。教科書代わりに使っている本があるが、そこには載っていない小話も交えながら授業をしてくれる。

 授業で一番驚いたのはマンサクの木についてだ。


 以前アンナに読んでもらった本にマンサクの木が出てきたが、あれは全くの作り物というわけではないそうだ。


 どうやらマンサクの木には不思議な力があるそうで、ちょっとしたお願い事を叶えてくれるらしい。

 さすがに人間を蛇に変えるとか、死んだ人を生き返らせるなどの大きな力は使えないが、おまじない程度の効力があるとか。魔力のない者でもマンサクの木の力を借りれば、簡単なおまじないができるらしい。


 とはいえ、話はそう簡単ではなく、マンサクの木の力を借りるには毎日同じ時間にマンサクの木を訪れ、祈らなければならない。きちんと祈り続けること、そしてそれを絶えず実行できる思いの強さが必要なのだ。だからか、実際にマンサクの木を使っておまじないをする者は出てこないようだ。


 まぁ当然と言えば当然だ。平民は皆、今日の食い扶持を稼ぐために一生懸命働いている。そんな中、おまじないの為に時間を空けようなんて余裕はない。かつての私だって鼻で笑ってスルーしたはずだ。

 

 では貴族ではどうかというと、これもまたマンサクの木を使うことはない。魔力を持たない平民が有難がる木だ。魔力持ちの多い貴族からすると、そんな木に頼ることは恥だとすら考えているらしい。


 今では、マンサクの木は平民のお守りのようなものらしい。落ちた枝を家に飾り、邪気を払ってくれるのを期待しているそうだ。日本でもお守りや縁起物を持つ人は多いが、それと同じような理由なのだろう。

 『マンサクの贈り物』という物語が今なお読まれているのは、不思議な力を持つ木が人々に愛されている証なのかもしれない。



 そして実技の授業。こちらは魔力コントロールが主だが、これが中々厄介だ。私はかなり苦戦していた。

 元々多い魔力がここに来て悪影響を及ぼしているのだ。体内に渦巻く魔力が、出口を見つけて我先にと流れ出てしまう。本来なら10の魔力を使いたいところを、20も30も出てしまうようなものだ。


 流しそうめんがいい例だろうか。あれは水をゆっくり流すことで、流れたそうめんを箸で掬うことができる。

 しかし、水の量が多く流れが急速に早まってしまったらどうか。到底目的は達成されず、そうめんもおじゃんだ。私は今まさにその状態だと言える。


 何を成したいのかを決め、それに合う魔術を使う。しかし、流れ込む魔力量がコントロールできず、思うとおりの魔術を行使できないのだ。


 魔力で鉢植えの中にある土を操ろうとした際、勢いあまって鉢植えごと操ってしまったことがある。あまつさえ、その鉢植えは土に戻ってしまった。プラスチック製の鉢植えが恋しくなったのは仕方のないことだろう。


 ちなみに、その光景を見ていたカーターが面白そうに笑ったのは言うまでもない。

 




 「ようこそ、我が家へ。よく来てくれた、オスカー」


 馬車が停まり、降りた先には見事な洋館があった。アクランド家の屋敷より少し小さいだろうか。

 しかし、よく手入れされた上品な屋敷は、快く私たち来訪者を迎えてくれた。


 「君がオスカーのお姫様だね。はじめまして、私はジョン・ウィリアム・デゼル。君の父上とは学生時代からの友人だ」


 よろしくね、という男爵は優し気な顔立ちをしていた。ヘーゼルの瞳はたれ目がちで、それが彼を一層優しそうに見せているのだろう。銀色の髪はさらりと長く、首下で一つに結ばれている。

 その身は上品なブラウンのスーツを纏っており、柔らかな色合いは男爵によく似合っていた。


 「お初にお目にかかります。シャーロット・ベハティ・アクランドです。お会いできて嬉しいです!」


 そう言って私はカーテシーで挨拶をする。1年前何とか形になる程度だった挨拶も、今ではしっかりこなせるようになった。

 また、この1年間必死に努力した甲斐もあり、舌足らずな喋り方も大分改善されたのだ。


 元々成人済みだったこともあり、舌足らずな言葉遣いには中々ストレスを感じていた。おかげで子どもらしさを演出できてはいたものの、やはり羞恥心はある。


 そのため、次こそはもっと立派な挨拶がしたいと理由をつけて、アンナの前で話し方の練習をしていた。必死になって練習している姿が、子どもが背伸びをしているように見えたのだろう。アンナは微笑ましそうに私を見守っていた。

 正直なところ、微笑ましく私を見る彼女の姿に、一層羞恥心がこみ上げたのだが。


 「これは可愛いお嬢さんだ。オスカーから君の話は数え切れないほど聞いてきたが、なるほど。オスカーが親馬鹿になるのも仕方がないね」

 「シャーリーは僕の天使だからな。語ることが尽きる日は来ないだろう」


 相変わらずの親馬鹿発言はあったものの、和やかに挨拶が終わり屋敷の中へ通された。玄関ホールには多くの使用人たちが控え、こちらへ向けて一礼している。

 ホールの中心部には、男爵のご家族だろうか、3人の人影があり私たちを出迎えてくれた。


 「紹介するよ。妻のカミラ、その隣にいるのが長男のグレイソンと娘のメアリーだ」


 赤毛に茶色の瞳をした女性は、一礼すると両隣の子どもの背をそっと押した。それに従うように子どもたちが一礼する。

 どうやら子どもたちは父親似のようだ。2人ともに銀の髪にヘーゼルの瞳をしていた。



 しかし、どうにも気になることがある。


 娘のメアリーの顔色が酷く悪かったのだ。髪や服は綺麗に整えられているものの、体は酷くやせ細っている。カーテシーをした際も、身体が少し揺れていた。おそらく、支えられるだけの筋力が備わっていないのだ。


 彼女は本来、とても美しい少女なのだろう。柔らかな銀色の髪は艶があり、彼女の白い肌と相まって、白銀の雪を思い起こさせる。ヘーゼルの瞳は少しつり目がちで、彼女をクールに見せていた。

 父の言葉を借りるのであれば、雪の妖精といったところか。


 美しい雪の妖精のような少女。

 しかし、その顔色の悪さや痩せ細った身体が、その美しさに影を落としていた。


 「すまない、メアリーは身体が弱くてね。何とか挨拶だけはしたいと言っていたからこうして連れてきたのだが……」


 そう言ってメアリーを見る男爵の瞳は、酷く心配そうだ。愛娘の調子が悪いのであれば当然だろう。


 父が、無理をさせず休ませてやってくれと言うと、男爵はほっとしたように頷き、メアリーに優しく声をかけた。戻って休むように言われた彼女の表情は暗い。


 「どうぞ、ごゆっくりなさってください」


 美しい少女は、そう言って一礼した。折れそうなほどに細いその身体へ、カミラ夫人がそっと手を伸ばす。

 夫人に支えられ顔を上げた彼女は、メイド達に促され玄関ホールを後にした。


 彼女が玄関ホールから出るときのことだ。

 自室へ戻る彼女を見送っていると、一瞬、彼女と視線が交わった。


 その瞳が、どこか迷子の子供のような、泣きだしそうな色をしているのが酷く気になった。



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