第7話 過去と苦悩と後悔と


 「それじゃあ、本題に入るとするか」


 伯父の言葉を皮切りに、室内の空気は大きく変わった。和やかな雰囲気から一転、張り詰めた空気が流れる。

 切り出されたのはやはり先日のこと。薔薇園で起きた魔術行使についてだった。やはり父から報告は受けていたようで、何があったのかを既に伯父は知っていた。その上で、これからの相談をしたいのだという。


 「君が使った魔術は素晴らしいものだった。素晴らしすぎるほどに」


 そう言う伯父の顔は、緊張感からかどこかこわばっていた。それを聞く父の顔も険しい。


 「ペイリン伯爵家は、代々優秀な魔術師を排出する家柄だった。しかし、それは君の曾祖母までの話だ。それ以降は優秀な魔術師が生まれることはなく、ただ過去の栄光だけが残った」


 アンナが言っていたことを思い出す。ペイリン伯爵家は代々高い魔力を持った者が生まれるのだと。

 曾祖母までの話だったことが、今の世代を生きるアンナにも知られているほど有名だったようだ。伯父の話では、それは過ぎ去った過去らしいが。


 「魔力というのは誰にでも備わっているわけではない。貴族には魔力持ちが多いが、その魔力量はバラバラだ。基本的に魔力ランクはABCの3つに分かれる。かつてのペイリン伯爵家は、8割方Aランクの魔力持ちだった。

 しかし、近年ではそれほど優秀な魔力持ちが生まれることはなく、唯一魔力量が多かったのがオスカー、君の父だ」


 8割Aランク、それは驚異的な確率だろう。中にはBランクやCランクの人もいたようだが、数としてはかなり少なかったようだ。


 しかしその栄光も過去のこと。優秀な魔術師を排出すると言われた家系で、そのような状況は耐え難い苦痛だったはずだ。

 その中で、Aランクの魔力を持つ父が生まれた。きっとペイリン伯爵家は歓喜に沸いたのだろう。やっと過去の栄光を取り戻せると。


 「しかし、オスカーはさほど魔術に興味を示さなかった。才能こそあったものの、薬学の方が肌に合っていたようだ。それに、一族の身勝手な期待も嫌だったのだろうと俺は思っている」


 その伯父の言葉に、父はぐっと唇を嚙み締めた。同意することも反論することもなかったが、ペイリン伯爵家は父にとって好ましい環境ではなかったのだろうことはうかがえた。


 「魔術師としての大成を願わないオスカーに、周りは厳しい言葉を投げかけた。

 いや、はっきりというべきだな。俺たちの両親でさえ怒り狂った。何のためにお前を産んだのかと、そう言った母の顔を今でも覚えている」


 実の親に否定される、それはどれほど苦しいことだっただろう。確かに才能はあった。貴族としてそれを活かす必要もあったのかもしれない。


 しかし、当人が望まぬ未来でどれほどの成果があげられるというのか。道徳的にどうかというのは置いておこう。それでも、望まぬ未来を歩まされた人間が、本当に周囲が望む成果を出したと思うのだろうか。


 「それからオスカーへの関心はなくなったかに見えた。けれど、両親は一族の悲願を捨てきれなかった。それが表面化したのが、オスカーと君の母、マーガレットの結婚だ」


 魔力ランクAの父と魔力ランクCの母の結婚は、周囲から猛反発を受けたようだ。生まれてくる子どもの魔力が低くなるのではと懸念したのだろう。父が魔術師にならないのならせめて子どもはと、優秀な次代をつくることを望んだのだ。


 それでも父と母は結婚し、私が生まれた。どのように周囲を納得させたのか、それとも反対を押し切ったのかは私には分からない。けれど、多くの葛藤を抱え私が生まれてきたこと。それだけは間違いない事実だった。


 「周囲の予想を裏切り、君が生まれた。ペイリン伯爵家が長年望んできた、魔力ランクSを持つ子どもだ」

 「まりょくランクS……?」


 聞き覚えのない言葉に眉をひそめる。そう言えば、ペイリン伯爵家ではローズピンクの色を持つ者が尊ばれてきたと聞く。

 ローズピンクの髪と瞳を持つ私。伯父の言葉を信じるのならば魔力ランクはS。

 つまり、曾祖母までは生まれてきたという、規格外の子どもが私なのだろう。


 「そうだ。君はとても強い魔力をもって生まれてきた。ペイリン伯爵家にとっては悲願の子どもだ。周囲は歓喜に沸いた。

 君の母、マーガレットが死したことも忘れて」


 私を産むのと引き換えに命を落とした母。周囲は母の死を悼むことも悲しむこともなく、ただ私が生まれたことに歓喜したという。

 母の葬儀は行われず、ただ静かに埋葬されたらしい。埋葬に立ち会ったのは父オスカーと伯父のアルフィー。そして母の両親だけだった。


 その間、ペイリン伯爵家では宴が行われていたそうだ。やっと生まれた希望の子。ペイリン伯爵家の悲願を果たす子どもが生まれたことは、一族にとってなによりの慶事だった。彼らにとって、母の葬儀など祝いに水を差すものだったのだろう。



 ――はっきりと言おう、それは異常だ。人の死とはそんなに軽いものだっただろうか。

 本来であれば、喪に服すべきだ。慶事は控え、故人を偲ぶ。そうすることで少しずつ故人の死を受け入れる。生者にこそ、もっとも必要な期間だろう。それを、


 「ひとのしをいたむことすら、しなかったというのですか……!」


 目がじんわりと熱くなる。これは怒りか。それとも母への同情か。おそらく両方だろう。


 私は母に会ったことがない。きっと、私が本当の意味で母と認識できる日は遠い。もしかしたら死ぬまで実感できずに終わるのかもしれない。


 貧乏であっても、私には前世の母がいる。貧しいながら懸命に私を育てた母が。そう思えば、会うこともなかった、思い出一つない相手を心から母と呼べるのかは分からない。


 それでも、このような非道を受けたと聞いて、何も思わずにいられるほど薄情な人間にはなれない。なりたくはない。


 いつもなら徹底していた子どもの演技も、今ばかりは剝がれてしまう。許せない。その気持ちが心の中で荒れ狂うのだ。

 そんな私に、父や伯父がどう感じたかは分からない。けれど、この怒りだけはなくしてはいけないと思った。


 私がこの世界を生き抜くと、そう決意したきっかけは母だった。母の命と引き換えに生まれたからこそ、せめてこの命は全うしようと思ったのだ。右も左も分からず、元の世界から引き離された私に、どんな形であれ決意させてくれた人。

 その人の命は、その死は、決して軽んじていいものではないのだと。誰が理解しなくても私だけは知っていなければ。


 「……君が生まれたこと、それは我が一族にとって悲願だった。けれど、俺は君に魔術師としての生を強いたいわけではない。君には、君の望む人生を歩んでほしい」


 その言葉に、私は顔を上げて伯父を見据える。見極めなければ、そう思ったのだ。

 伯父はペイリン伯爵家の当主。おそらく家の再興を期待されている。その彼が一族の悲願を放棄するというのは、どうにも信じ難い。


 母の埋葬に立ち会ってくれた人だ。母の死を無下に扱うような人ではないのだろう。そして父の、ともすれば我儘と言われても可笑しくない生き方を、ずっと否定しなかった人でもある。

 だが、貴族社会で生きる人間が、その当主ともあろう者が、ただ情け深く生きていけるとは思えなかった。


 なぜ、そう問いかける私に、伯父は苦く笑って理由を語ってくれた。


 「俺は伯爵家の当主だ。だからこそ、家族も領民も守らなければならない。我が家が潰えるということは、家族だけでなく領民も飢えさせるということだ。俺の肩には、それだけの命がかかっている。


 だからこそ、変えなければならない。誰かの才のみを頼りに、全てを賄おうという愚行は」


 かつてのペイリン伯爵家は、優秀な魔術師の力で方々に助力をしてきたそうだ。

 魔獣の出現や戦争が起きればその戦地へ、王に望まれれば王宮へ、貴族から依頼がくればそれをこなしに。その対価として金銭を受け取った。極めて優秀な魔術師を排出していたからこそ、成り立っていた稼ぎ方だ。


 当然、人のみに依存した稼ぎは波がある。Aランクの魔術師を排出できなくなることは、それ即ち貴重な収入源が途絶えることを意味する。

 領地からの税収等はあるものの、高額の収入がなくなることは決して楽観視できるものではなかっただろう。

 だからこそ優秀な次代をつくることに固執したのだ。


 「長期的に見て、成り立つ商売ではなかったのだ。今はまだ数が少ないが、魔道具の開発も始まっている。便利な魔道具が作られれば、魔術師の力を借りる機会も減るだろう。

 我が国では、魔術師の利権もあり、魔道具の開発は疎まれている。


 だが、他国はそうではない。エクセツィオーレでは、既に魔道具開発に力を入れている。いずれ魔術師に求められる舞台は大きく変わってくるはずだ。

 戦争などの武力行使では魔術師の力は絶大だ。けれど、日常的な魔術の使用は、魔道具が開発されれば必要などなくなるだろう。

 そうなれば、どちらにせよ商売として成り立たなくなるのは目に見えている」


 そこで言葉を切ると、伯父は私を見つめ直す。そして、先ほどまでの深刻な表情から一転、からりと笑みを浮かべた。


 「君は君の思うとおりに生きればいい。優秀な魔術師になりたいのならそれでもいいし、違う道に進みたいのなら応援しよう。

 周りの人間達についても何とかするさ。

 なに、こういうのは大人の役目だ。任せておけばいい」


 そう言って笑う伯父の笑顔に曇りはない。大したことは言っていないかのように、軽い口調でそう告げた。その言葉の意味を、誰よりも分かっているはずなのに。


 ――強い人だ。そう思う。

 確かに、ペイリン伯爵家のかつての在り方は、いずれ困難を迎えることだろう。けれど、他の稼ぎ方を模索する間、私に稼がせる方法もあったはずだ。おそらく、それが一番確実で。

 それでも伯父はそれを選ばないのだ。それがどれほど難しく、また険しい道かも知っていて。


 「俺には才能がなかった。それを悔しく思ったのは一度や二度じゃない。俺に才能があれば、オスカーを苦しめることもマーガレットをあんな形で死なせることもなかった。

 それでも、諦めることはできない。家族の幸せも領民の未来も。

 だからこそ俺は、今ここに立っている」


  きっと捨てられた方が楽だっただろう。諦めてしまえば苦しむこともなかったのだ。

 それでも、この人はそれをしなかった。そこにどれだけの葛藤と苦悩があったのか。私には考えも及ばないことだけれど。


 「生きたいように生きなさい。

 斜陽の家に、特別な才能を持って生まれたんだ。苦しいことも多いだろう。社会に出れば、きっと嫌なことも見聞きする。


 だからこそ、君が幸せになれる道を支えよう。それが、一族の当主として、君の伯父として、君にしてやれるたったひとつのことだ」



 私の人生は、これから険しくなるのだろう。きっと、私が想像できないような困難に当たることすらあるのだろう。


 それでも、きっと思い出す。

 どれだけ苦境に立たされようとも、自分の信念を曲げず、困難に立ち向かうこの人の言葉を。



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