第4話 4話 色彩
「すごい!きらきらしてておいしそう!」
目の前には色とりどりのフルーツがのったタルト。オレンジ、苺、メロン、白桃にマスカット。各種類の果物で作られた一口大のフルーツは、まるで宝石のような輝きを放ち、テーブルの上を彩っていた。
父との話が収まったところで、カーターの提案により父とお茶をすることになった。
今日は晴天。初夏の風を感じられるようにと庭へ出てのお茶会だ。新緑が庭を彩り、風で揺れる葉の音が心地よい。さやさやと流れる風の音に癒されている中、色とりどりのデザートがテーブルに運ばれた。
「どれでも好きなものを食べていいんだよ。シャーリーはどれから食べたい?」
そう言って微笑みを浮かべる父の手には、白磁のティーカップが。その中にはカーターが淹れた紅茶が注がれている。
湯気と共に立ち上るのはかぐわしい香り。私は紅茶を嗜めるような優雅な生活とは無縁だったが、この香りを思えば世界中で好まれる理由がよくわかる。
私の手元に置かれているのは牛乳だ。あえて言うが、紅茶が飲めないわけではないし、淹れてもらえなかったわけでもない。これは私が願ったからだ。
魔術の練習をすぐに始められないと分かった私は、とりあえず身体を成長させようと考えた。将来魔術師として戦うかも日がくるかもしれない以上、戦闘に備えることは急務といえた。
戦場に立つのなら身体が資本だ。健康でなければ訓練を乗り切ることも戦闘に耐えることもできない。強くなるため、しっかりと肉体を育てる必要があった。…少しだけ、前世より身長を伸ばしたいという願望があるのは認めよう。
ともあれ、まずは大きくなることからだと考えた私は、手っ取り早く牛乳を飲むことから始めたのである。そんな試みもそろそろ1年になる。今ではすっかり牛乳好きな娘として定着しているようだ。
「ほんとうにどれでもいいんですか?」
「もちろんだよ。シャーリーのために用意させたんだ。どれでも好きなものを食べていいんだよ」
そう言う父に、私は内心歓声を上げる。どのタルトも美味しそうではあるが、一目見たときから絶対に食べたいものがあった。前世の実家ではまずお目にかかれないそれに、私の目は釘付けだ。
「それなら、わたしメロンがたべたいです!」
片手をピンと上に伸ばし、メロンを希望する。子どもらしく無邪気さをアピールしてみたが、何も演技だけというわけでもない。メロンは高価なものとしてかつては食べる機会がほぼなかった。
キャバクラで働くようになると、フルーツ盛り合わせをお客様におねだりすることで食べる機会に恵まれたが、自分で買って食べることはまずない。子どもの頃のイメージは根深く、私にとっては高級品なのだ。
メロンタルトを載せた皿が目の前に置かれる。柔らかな薄緑色をしたメロンは、ツヤツヤと輝いていた。確かナパージュと言うのだったか。タルトなどの表面に塗ることでツヤを出すのだそうだ。
メロンの周りには縁取るように真っ白な生クリームが飾られている。いかにもお高そうなデザートにごくりと唾を飲んだ。
「い、いただきます」
どきどきと緊張しながら口に入れる。タルトというと、下の生地が固くなりがちなイメージがあったが、この生地は絶妙な食感だった。
ふんわりとバターの香りがする生地は甘すぎず、生クリームとの相性抜群。そして主役であるメロンの瑞々しい味を引き立てていた。
「おいしい……」
メロンは果汁たっぷりで、嚙む度美味しさが口の中に広がっていく。これは高級品になるはずだ。一口食べるごとに口の中に幸せが広がっていく。メロンを食べられるというめったにない幸運に、頬が自然と緩むのを感じた。
「かっ……! かわいい……! もはや可愛さの暴力では? 可愛さというのはただただ愛でるものかと思っていたが、これは違う! 可愛すぎるというのはもはや凶器にもなるんだ! デザート一つでこんなに可愛い顔を見せてくれるなんて、僕は世界一幸福な父親に違いない!」
何か聞こえてきた。正直聞かなかったことにしたいが難しい。何故なら私の羞恥心をがんがん煽ってきているからだ。
もう何度も可愛いと言われていただろうと思われるかもしれないが、それはあくまでも意識してのことだ。今回は違う。手が出せなかった高級品、メロンを食べるという幸運に表情が緩み切っていた。
要するに自分で表情を繕うことができなかったのだ。それをこうも褒められると、嬉しいやら恥ずかしいやらで羞恥心が煽られる。
タルトを飲み込み、牛乳を口にする。飲み物を挟むことで一息入れ、未だでれでれとした父に向き直った。
「おとうさまは、なにかたべないのですか?」
頬が若干熱くなっている気がするが、ここは無視だ。何とか取り繕い話しかけると、父は自分はいらないと答えた。
どうやら甘い物は苦手らしい。もっぱらお茶をするときは、飲み物と軽食を口にするだけなのだとか。
こんなに美味しいのに勿体ないと思ったけれど、好きでもない物を食べさせられるのは苦痛だろうと口をつぐんだ。
「そういえば、シャーリーは普段どんなことをして過ごすんだい?」
そう言って話しかけてきた父の表情はどこか固い。恐らく緊張しているのだろう。
私の部屋でした会話は、その場の勢いで成り立っていたようなものだ。元々まともな会話が出来ていなかったため、父としては雑談一つ緊張してしまうようだ。
そんな父が仲良くなろうと努力してくれているのだ。その気持ちに応えなければと、私から話題を広げることにした。
「アンナがほんをよんでくれます。このまえは『マンサクの贈り物』をよんでもらいました! おとうさまは、このものがたりをよんだことがありますか?」
にこにこと笑顔を浮かべて父へ問いかける。話題が途切れずに済んでほっとしたのか、こわばっていた表情が少し緩んでいるようだ。嬉しそうに頷くと、自分の思い出を話出した。
「あぁ、読んだことがあるよ。その本はね、マーガレットと読んだ思い出のお話なんだ」
「おかあさまとですか?」
「そう。まだ僕とマーガレットが幼かった頃にね。僕は昔から本を読むのが好きだったから、マーガレットが『マンサクの贈り物』を家から持ってきてくれたんだよ」
幼い頃から読むのは植物の図鑑だったようで、物語はほとんど読まなかったのだそうだ。そんな父に母が持ってきたのが『マンサクの贈り物』。せっかくだから一緒に読もうと二人で本を開いたらしい。
「双子の兄が倒れてしまうところがあるだろう?僕はそこで泣いてしまってね。妹が兄を置いて帰り道を探すことにしたときは、僕が兄だったら寂しくて泣いてしまうと思ったんだ。そのときの僕は、森になんか一生行かない! なんて思っていたな。森に行ったら迷子になって死んでしまうと信じていたんだ。
今思えば、子どもたちが勝手に森に遊びに行かないように、教訓としてその本が読まれ続けているのかもしれないね」
そう言って恥ずかしそうに笑う父に、私の顔もほころんでいく。いつも不健康そうな顔で研究開発に没頭している父だが、そんな可愛らしい一面があったのだなと笑った。
私の部屋で話をするまでは、父はよくわからない人というイメージだった。初対面のときは不審者、次に会ったときは娘を愛する父親、そして私が言葉を発するようになると会話が成り立たないというよくわからない人。
いつも仕事が忙しそうで、共に過ごす時間もほとんどなかった。それもあって父の性格や考え方を知る機会などなかったのだ。
蓋を開けてみれば、娘溺愛の親馬鹿だったわけだが、関わりの少ない内はそんなこと知る由もない。ただ肩書のみで父親と思っていたけれど、こうして関わっていくことで次第に心から父と思える日がくるのだろう。
まだ私との接し方は手探りのようだから、あまり遠慮せずこちらから関わりに行くくらいで丁度いい。
穏やかに会話を続けながらお茶を楽しんだ私達は、カーターのすすめもあり庭を散歩することとなった。
新緑が美しいこの庭は、季節に合わせた花も咲いている。普段はアンナとしか散歩することはなかったが、せっかくの機会だ。父との交流を深めねばとその誘いにのることにしたのだ。
父に手を引かれてやってきたのは、お茶をしていた場所から屋敷を挟み、反対側に位置する場所。そこにあるのは美しく整えられた薔薇園だ。
薔薇園の出入り口にはアーチがあり、優しいピンク色の薔薇が来訪者を出迎えてくれた。
その薔薇は天を向くのではなくうつむいて咲いており、アーチの中で見上げると薔薇の天井が視界一面に広がる。たおやかにしな垂れ、降り注ぐように咲く姿はため息が出るほど美しかった。
レンガ造りの道を進むと、木立性の薔薇が出迎える。まず見えたのは可愛らしい白薔薇。凛としたというよりも、愛らしい雰囲気をもつ薔薇だ。
ころりとした丸いフォルムの花は、いくつもの花と合わさって咲いている。風に揺られるその姿はとても上品で、花嫁のもつウエディングブーケを連想させた。
多くの薔薇が咲く美しい花園は、どうにもあれこれと目移りしてしまう。かつては花を家で育てる経験などなく、また、花を愛でるという余裕すらない生活をしていた。美しい花は人を惹きつけるというが、この美しさならば納得だ。
「おとうさま、このむらさきいろのばらはなんですか?」
「これはブルームーンという薔薇だよ。昔は青薔薇とも呼ばれた花だ。この薔薇は比較的育てやすくてね、とても人気の高い品種なんだ」
医薬品開発をしていることもあって、父は植物に詳しかった。私が興味を持った薔薇については、名前やちょっとした小話を教えてくれる。ただ薔薇を見るだけでなく、初めて知る話に私はすぐ夢中になった。
「とってもおおきくて、きれいなおはなですね」
「そうだね。たしか花言葉は幸せの瞬間だったかな。せっかくだからいくつか持っていくかい?部屋に飾るのも綺麗だと思うよ」
その言葉に、驚いて父を見上げる。部屋に花を飾った経験がない私としては、夢のような言葉だ。ましてやこれほどに美しい薔薇を飾れるなど想像もしなかった。
キャバクラで働いていると自分に花を贈られることがある。しかしそれはバースデーなどのお祝いのためで、その花は一夜のイベントのために使われるのだ。自分の手元に残る花というのは思い出がなく、なんだかそわそわしてしまう。
本当に持って行っていいのかと聞くと、父は笑って頷いた。
「もちろんだよ。好きなだけ持っていくといい。シャーリーの部屋に飾られるなら花も本望だろう。ここには沢山の薔薇があるのだから気にせず取っていいんだよ」
そう言う父に、私はぐるりと周囲を見渡す。どこもかしこも美しい薔薇が咲き誇っており、どれも甲乙つけがたい。
「それなら、ひとつだけもってかえります。えらんできてもいいですか?」
「一輪だけでいいのかい?もっと摘んでも構わないよ?」
私が遠慮していると思ったのだろう。父は私と目を合わせるためしゃがみ込み、少し焦ったような顔で問いかけた。
愛娘に遠慮させていると思ったのか、気に入る花がなかったのではと不安になったのか。おそらくその両方だろう。あわあわと落ち着かない様子で言い募る父に、私は首を横に振った。
「ひとつでいいです。わたしはおはなのおせわをしたことがありません。きっとたくさんはおせわできないとおもうんです」
「そんなこと気にしなくていい。メイドがいるんだから、シャーリーは花の世話をする必要なんてないんだよ?」
父の言葉は確かに真実だろう。部屋の掃除を担当するメイド達は、部屋に飾られた花もきちんとお世話してくれるはずだ。
しかし、この花は特別なのだ。私個人に初めて贈られる花。仕事など関係なく、ただ私のためだけに贈られる花だ。
日々の暮らしに忙しかったときにはできなかったこと。思いがけず手に入れた日々ではあるが、どうせならばその幸運を大切にしたい。その象徴ともいえる美しい花を世話したいというのは当然だろう。
「これはおとうさまからもらう、はじめてのおはなです。だからわたしがおせわするんです」
むん、と胸を張り父に言い返す。
初めての花。いつかこの日々が当たり前になったとしても、今日選ぶ花の美しさは色褪せることはないだろうと思う。だからこそ、その花は私の手で育てたい。お世話係を取り上げられては困ると少し強めに主張する。
何だか今日は自分の意見を口にすることが多い。一つ一つは小さなことだが、言いたいことが言える環境にあるのは嬉しいものだと感じた。
「シャーリー……! なんて立派なんだ! それに薔薇一つをこれほど大切にしてくれるなんで! シャーリーほど優しく美しい心を持った子は世の中にいないだろう!」
――親馬鹿入りまーす!
どうにも父は娘贔屓が強いようだ。大したことは言っていないと思うが、父にとっては感動するポイントだったらしい。意外と感動屋さんな父を見て、これはこの先も続いていくのだろうと密かにため息をついた。
親馬鹿な父はともすると暴走しやすい。それを諌めるためにも、今後は自分の意見を言う機会が増えるだろう。
それならばそれでいい。その上でいかに上手く人間関係を渡っていくか。ここは私の腕の見せ所だ。人の欲望渦巻く社交界。波風を立てず、敵を作らず、父の暴走を諫めながら渡っていかなければ!
今後の世渡りについて考えながら、ちらりと父を見る。未だ感動の中にいる父を見るに、下手に否定しても謙遜していると思われるだろう。父の中の私が一層美化される予感しかない。
ここは一時撤退だと周囲を見渡す。
「おとうさま、わたしおはなえらんできますね!」
色とりどりの花々から一輪を選ぶのは難しい。どれにしようか悩みながら歩き出した私だったが、それが悪かったのだろう。
「っシャーリー!!」
「お嬢様!!」
父とカーターの声が聞こえる。その声に気づいたときには時すでに遅し。薔薇に目を奪われていた私は、つい足元への注意を疎かにしてしまった。
ぐらつく身体を立て直すこともかなわず、視界にレンガ造りの地面が広がる。痛いのは嫌だ! と思いながら、ぎゅっと目を閉じた。
「……あれ……?」
どしん、という強打音と共に痛みが走るだろうと身構えていたが、待っていたのはポフという軽い音と柔らかな感触。体の痛みはほとんどなく、土の香りが鼻に届いた。
体を起こしてみると、レンガ造りの地面はいつの間にか土まみれになっていた。どうやらそのおかげで痛い思いをせずに済んだようだ。
不思議ではあるけれど幸運だったなあ、とのんびり考えていると父が慌てた声で駆け寄ってきた。
「シャーリー! どこか気持ち悪いところや痛むところは?!」
真っ青な顔で駆け寄るや否や、体調を確認する父にほっこりする。
頭を強くぶつけると吐き気を催すこともあるらしい。土が受け止めてくれたおかげで大事がなかった私は、心配性だなあとくすぐったくなった。少しでも父の気持ちが落ち着くよう、痛みも吐き気もないと笑って告げる。
しかし、父の顔色は一向に治らず、真剣な顔で私の肩に触れた。
「カーター、急ぎ医者へ問診依頼を。合わせて兄上に連絡をしてくれ」
「かしこまりました。ペイリン伯爵へは何とお伝えしますか?」
「……ランシアン前侯爵へお取次ぎいただきたいと」
空気が一瞬にして張り詰める。父の言葉を受けたカーターは、一礼すると素早く屋敷内へと戻っていった。
唖然とその姿を見送っていた私を、父はそっと抱き上げた。
「……おとうさま?」
「大丈夫だよ、シャーリー」
そう言ってこちらに向ける笑顔はぎこちなく、顔色も悪いままだ。大丈夫。その言葉は私ではなく、父自身に言い聞かせているようだった。
「大丈夫、お父様は何があってもシャーリーの味方だからね」
緊張感に包まれた空気に、ぽつりと言葉が落ちる。
一体何が起きているのだろう。私は何か大変なことをしてしまったのだろうか。怪我をせずに済んだ安堵から一転、心は言いようのない不安感に苛まれた。
父の胸元をきゅっと掴む。皺ひとつなかった美しいシャツは、私がつけた皺のせいかどこか寂れた雰囲気を醸し出していた。
水面へ一滴インクを零したかのごとく、この日から私の日常は色を変えることとなる。
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