第3話 初めてのお願い


 魔術という衝撃発言から約1年。魔術の勉強をしたいと父に申し出るも、まだ早いと言われ我慢中なシャーロット4歳です。


 何でも、魔術の勉強は6歳以降から行うのが通例なのだとか。あまりに幼い内だと、魔力はあっても術として成立させることができないらしい。

 より正確に言えば、体内の魔力を体の外に発現することができないのだ。その状況で魔術を使おうとすると、出口のない魔力が体内で暴れまわり自分を傷つけてしまう。

 そのため、ある程度育ち魔力を体外に取り出せるようになってから勉強を開始するそうだ。


 小さくため息を吐き、ベッドに横たわる。この世界を生き抜くため魔術を早く学ばねばと思っていたが、どうにも上手くいかない。私はやるべきことが見当たらず途方に暮れていた。

 読み書きは絵本の読み聞かせの甲斐あって、ある程度の文章は読むことができるようになった。だからこそ次のことを始めなければと考えていたが、時間ばかりはどうにもならない。


 こんなときに思い浮かぶのは前の世界のこと。

 自分の家族は元気にやっているのだろうか。弟は寂しがっていないだろうか。10歳下の弟はまだ小学生。強がって素直になれないところがあるが、本当は寂しがりやであることをよく知っている。


 貧乏な家だったため両親は共働き。家を空けることが多く、日々の食事は私が用意していた。私がいなければ親が作るだろうと言いたいところだが、恐らくそれはない。パンやレトルト食品などを置いておき自分で食べるように言うのが関の山だろう。


 うつ伏せになり枕に顔を埋める。ため息は枕に埋もれて音にならなかった。遠い日本へ思いを馳せていた私の耳に、ノック音が聞こえてきた。


 「シャ、シャーリー、今大丈夫かい?」


 扉の先から聞こえてきたのは、シャーロットの父、オスカーの声だった。身体を起こし問題ないと返事を返すと、3拍ほど置いて扉が開いた。入ってきたのは父と執事のカーターだ。


 カーターはいつも通りの執事服に身を包み、黒い髪は流れるようにかきあげ、完璧に整えられている。細い銀縁の眼鏡には一切の曇りもなく、服装に乱れ一つ見当たらない。

 一方父は、白いシャツにグレーのスラックスというラフな格好をしていた。黒く短い髪はぼさぼさとまではいかないものの、整髪料などで整えてはおらず自然に下したままだった。


 「おとうさま、きょうはおしごとおやすみなの?」


 父は医薬品開発を主な仕事としており、普段は白い白衣を上に羽織っている。今日は白衣が見られないことから休みだろうか。それとも子爵としての仕事を片付けていたのか。

 首を傾げる私に、父はおろおろと話し出した。


 「今日は領地経営……えーっと領地のお仕事をしていてね。丁度キリが、えっとお仕事が終わったんだ。その……」


 何故なのかは分からないが、父はいつもこのような話し方をする。何とか話し始めても最後まで言葉を続けることはなく、途中で口ごもってしまう。結局要件が分からないまま終わる会話ばかりだ。

 私との会話が嫌なのかとも思ったが、その考えは即座に捨てた。


 初対面のとき私をあれだけ可愛がっていたのだ。嫌悪感があるわけではないだろう。

 その証拠に、上手く会話が続かなくても父は諦めずに何度も話しかけてきた。相変わらず目元に濃いクマを抱えながら、何とか会話をしようとする父を見て邪険になどできない。


 私としても何とかしたいとは思っているのだ。何か気がかりがあるなら解決したいところではある。解決してスッキリしたところでゆっくりお休みくださいと言いたいくらいだ。クマを無くすために。

 とはいえ、原因が分からず対処できずにいた。


 「旦那様、それでは伝わりません」


 父がしどろもどろに話しているのとは対照的に、ピシャリとカーターが苦言を呈す。眼鏡のブリッジに指を添えズレを直す仕草は、呆れる表情を隠そうとしているようだ。

 カーターはブリッジから指を外すと、真っ直ぐに私を見つめる。いつも完璧な執事からの視線に、私は無意識に背を正していた。


 「旦那様には今、お休みの時間が必要なのです。シャーロットお嬢様、もしよろしければ旦那様と一緒にお過ごしいただけないでしょうか」


 カーターの言葉を受け、黙ったままの父へと視線を向けると、すぐに視線をそらされた。その姿に少し苛立つものがあったが、我慢してじっと見つめる。

 じとりとした視線を感じているのだろう。父は慌てだし、おろおろと視線をさ迷わせた。


 父が私を嫌うことはない。その意見を変えるつもりはない。

 しかし、もし私が普通の子どもだったら自分は嫌われていると勘違いしたのではないか。まともに合わない視線に、ほぼ成り立たない会話。親子仲を深めることなどまずできないだろう。


 幸いにして、私は生後半年から記憶があり、父が私を愛しているのを知っている。だからこそ多少接し方に戸惑うものの、父を避けることも怖がることもないのだ。これが普通に何も知らない子どもだったらそうはいかなかったはずだ。


 「……おとうさまは、わたしといっしょはいやなのでは?」


 少し困ったかのように眉を下げ、弱々しく笑みを浮かべる。言葉に合わせるように小首を傾げる仕草もプラスした。


 父に何かしら理由があるのだろうとは分かっている。だが、毎日これでははっきり言って疲れるのだ。空気を読み指摘してこなかったが、流石にいい加減にしてほしい。私が言葉を発するまでは溺愛し、言葉を発するようになると途端に今の状態だ。


 何が問題なんだ。私の声か?それとも仕草か?純粋な幼女とは違い可愛げがない可能性はある。そうならないよう全力で心掛けてはいるものの、本物には遠く及ばないだろう。


 それでも私なりに全力を尽くしているのだ。かつてキャバ嬢時代に培った演技力を費やしてきたものの、ぎこちない関係性は変わらない。もちろん仕事で幼女のフリなどしたことはないが、相手の求める仕草や話し方は徹底してきた。

 せめて何か直してほしいことがあるのなら言ってくれればいいのに、それすらないのだ。いい加減にしてくれと言いたくもなるだろう。


 自分の思考が投げやりになっているのを自覚し苦笑をこぼすと、いつの間にか父が目の前まで移動していた。


 「違う!シャーリーと一緒にいたくないなんて有り得ない!」


 こんなに可愛いシャーリーを嫌がるはずがないだろう!と言いながら、父が私の手を両手で握る。いつの間にここに。貴族の屋敷らしく室内は広い造りとなっており、扉からベッドまでは距離がある。

 思わぬ父の行動にぱちりと目を瞬くも、父は私の様子など気づかないのか言葉を続けた。


 「僕にとってシャーリーは天使なんだ!マーガレットと僕の間に生まれてきてくれた神からの贈り物。ローズピンクの髪はどんな薔薇より愛らしいし、同じ色の瞳は宝石以上の輝きがある。それに顔立ちは世界一可愛いだろう?ビスクドールは美しいとされているが、シャーリーには美しさだけでなく愛らしさがある!こんなに可愛くてどうするんだ?悪い男に捕まる……いや、この愛らしさだ。神々すらシャーリーを奪いにくるのでは?!」


 ――シャーリー、むずかしいことばわかんなーい!


 脳内の偽幼女が憎たらしいほどに輝いた笑顔で言い放つ。その偽幼女は私だ。なるほど、可愛げがない。

 一瞬で1人ボケツッコミをこなすくらいには私の頭は混乱していた。そもそも神からの贈り物ではなかったのか。なぜ神々が贈ったものをわざわざ奪いにくるという発想になるのだろうか。神々は地産地消を義務付けられているのか?そもそも私、人間界産です。

 

 「やはりシャーリーを守る人員を補強するべきだろう。どれほど美しい花や宝石もシャーリーには敵わない。ならず者のみでなく神々からすらも守り抜く布陣を作らなければ!この3年で屋敷の守りは固めたが、今後はシャーリー個人の護衛を増やすべきか?単に身を守る人員のみでなく情報戦もこなせなければいけないな。カーター!急ぎギルドへ人員補充を、」

 「落ち着いてください、旦那様」


 カーターの冷めきった声が父の言葉を遮る。それに父はむっとしたような顔をして、カーターを振り返った。


 「何を言っているんだ、カーター。僕は落ち着いている。我が家の天使のためにでき得る限りのことをするのは当然だろう?」

 「その天使様が困った顔をされておりますが?」


 そもそも本題からずれているでしょう、と今度こそ呆れた顔を隠さずにカーターが告げる。現実逃避だろうか。肩を竦める姿が様になっているな、と関係のないことをぼんやりと考えてしまう。

 そんな私のことなどつゆ知らず、父はこちらに向き直りもう一度手を握った。


 「シャーリー、何も気にすることはないんだよ?僕はこれでもそれなりに稼ぎがある。天使を守るためなら金をかけるのは当たり前のことだし、何も心配はいらない。それとも護衛とはいえ見知らぬ人間が近づくのが不安かな?それならいっそのこと僕が常に傍で護衛するか、」

 「「考え直してください」」


 幼女の演技も忘れ本気でストップをかける。何を言ってるんだお前は。父に対しあまりに不遜な言葉であるが、口に出していないので許してほしい。

 そしてカーターも同じくストップをかけた。その表情は笑顔を保っていたが、こめかみに青筋が浮かんでいるのは見間違いではないだろう。


 「おとうさま、わたし、そんなことおもってないの」


 一語一語、しっかりと区切って話し出す。明後日の方向に暴走しだす父を止めるにはまず話を聞いてもらうしかないだろう。


 普段はあまり意見を言おうとしない私の言葉に、父が目を見張った。さもありなん。そもそも私は自己主張が苦手だ。これは昔からのことで、我の強さで人間関係を怖さないためだった。我儘と思われると人間関係の構築にも苦労する。もちろん、どうしても譲れないことにはNOと言うが、それ以外は大体受け入れてきた。


 そんな自分の在り方にときには嫌気がさすけれど、おかげで波風立てず20年以上生きてこれたのだ。キャバ嬢時代もあまり嫌がらせとかされなかったしね!だからこそ簡単に在り方を変えることはできず、シャーロットとなった今でもあまり自己主張をすることはなかった。


――でもここはNOと言うべきタイミングですよね!


 ちらりとカーターに視線を向ける。先ほどの青筋を浮かべた笑顔はどこに行ったのか、真顔でこちらを見ている彼に、私も真顔で見つめ返す。ここは任せてくれ。戦場に赴く戦士のようにキリっとした表情で頷くと、彼はにっこりと笑顔を浮かべ頷き返してきた。


 父を止めなければという点で、今の私たちの心は一つだ。一つのはずだ。

 ゆっくりと父の方へ視線を戻す。ちょっぴりカーターの笑顔が怖かったなんてそんな。もしかしなくても腹黒さんなんです?


 「おとうさま、おとうさまはおしごとがあるでしょう?だから、ずっとわたしといっしょにはいられないとおもいます」

 「っそんなことは気にしなくていい! 僕が目を離した隙にシャーリーが攫われるなんてことがあったら僕は生きていけない!」


 父は端正な顔を歪め、今にも泣きだしそうな震える声で言葉を紡いだ。

 落ち着け、それは妄想だと言えたらどれだけ楽か。それでも口に出せないことはある。世知辛い。


 「それならむかえにきてください」


 父の瞳を見つめながらそう言うと、驚いたのだろうか、びくりと肩を震わせた。口を開いて言葉を発しようとするも、音にならないのか唇を震わせるだけだった。


 「おうちのなかはあんぜんで、こわいとおもったことはありません。それはここにいるみんながとてもやさしいからです。いつもわたしをまもって、たいせつにしてくれるからです。だからわたし、こわくありません。……それでも、もし、」


 一度言葉を切り、顔を僅かに斜めへ俯かせる。悲しげな表情を浮かべ、しかしそれを直視させないのがポイントだ。

 視線は相手ではなく握られた手に向ける。絡まない視線というのはそれだけで焦燥感を煽るものだ。儚げで庇護欲をそそる姿を垣間見せるも、視線は決して合わない。そうなれば、私の視線の先を追うだろう。

 父の視線が私の顔から離れたのを感じ、握られた手にぐっと力を込めた。


 「もし、さらわれたなら、どうかおとうさまがむかえにきてくださいね」


 悲しげな雰囲気はそのままに、弱々しく微笑みを浮かべる。恐怖を抑え、健気にも涙を見せまいとしている姿を演出した。

 そんな私の姿を父が啞然と見つめる。その瞳は揺れ、私の手を握る父の両手は何かをこらえるかのように震えていた。


 「おねがい、おとうさま」


 父にそっとおねだりをする。先ほどよりずっと小さな声で告げた。

 恐らく、言葉全てを聞き取れたのは父だけだろう。少し離れて佇んでいるカーターには、何を言ったかまでは聞き取れなかったはずだ。他の誰でもなく、父にだけ聞こえるように告げたおねだりは抜群の効果をもたらした。


 「もちろんだ、シャーリー!」


 感極まった声で言い、私を強く抱きしめる。その腕の中、抱きしめ返すことはせず最後の一押しをした。


 「おしごとがんばって、でも、もしものときにはむかえにきてくださいね」

 「あぁ!約束するよ、僕の天使!」


 ――ミッション・コンプリート。


 いざというときは迎えに来てほしいという願いと共に、仕事を頑張ることを付け足しておく。これで父が仕事を放り出し、私の護衛をするなどという話はなくなるだろう。


 ほっと息を吐き、両腕で抱きしめ返す。父の胸に埋めていた顔を肩の上に出し、後ろに控えるカーターへ視線を向けた。カーターもこちらへ視線を向けてきたのを確認し、そっと親指を立てる。サムズアップだ。

 それを見た彼は一瞬目を丸くするも、すぐに理解し今日一番の笑顔を向けてきた。


 父がいつもお世話になっております。本当に。

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