第2話 世界とすれ違う


 「そうですね。フィンノリッジ王国であれば、多くの地域で見られますよ。確かジェノーネ帝国にもマンサクの木はあったはずです。ただ、エクセツィオーレでは気候が合わないのか育たないみたいですね」


 ――どこだよ、とツッコミを入れたくなる心理を誰か分かってくれるだろうか。

 

 世界に国が何ヶ国あるかという問題は、回答が容易ではない。何を基準にするのかという確固たる要件が定まっていないからだ。私の知る限り世界には190以上の国が存在するが、その国名を全て挙げることはできない。


 だが、少なくともアンナのいう3ヶ国を私は聞いたことがなかった。何が言いたいのかというと、


 (世界そのものが違う、とかそういうオチじゃないよね……?)


 一見すれば突拍子もない夢物語だ。こんなことを言う者が目の前にいたら、まず頭の心配をする。非現実的な発想であるのは私自身、重々承知しているのだ。

 その上で、私にはどうにも無視できない問題があった。


 (私の髪色、明らかに自然になる色ではないんだよね……)


 アニメやゲームなど架空のキャラクターには存在する髪色ではあるが、現実に桜色の髪をした人にお目にかかったことはない。髪を染めることで近い色合いにする人はいても、地毛で桜色というのは考え難いのだ。


 人間の髪は基本的に、黒髪、栗毛、赤毛、金髪のどれかであり、色素やメラニンの欠落により白髪や銀髪を持つことはある。しかし、桜色というのは聞いたことがない。瞳の色についても同様だ。


 この時点で私のいた世界とここは違う世界なのではと疑問視していた。

 けれど、あまりにも非現実的すぎる。それならば、時代を遡って過去に生まれたと言われた方がまだマシだとすら思っていた。


 「フィンノリッジおうこく……?」

 「あぁ! お嬢様はまだ地理をお勉強されていないですものね。

 フィンノリッジ王国というのは、お嬢様が暮らしているこの国の名前ですよ」


 明るい笑顔で言う彼女に、頬が引きつりそうになるのを抑える。


 「ほかのくには、ちかいところにあるくになの?」

 「うーん、近くはないですね。世界には3つの国があって、ここフィンノリッジ王国以外の国が先程の2つの国なんです」


 もうこの時点で確定ではないだろうか。


 有史以来、多くの国が生まれては衰退するのを繰り返してきたが、世界中に国が3つしかなかった時代などないだろう。

 太古の昔には、人々が認識できた国数が3ヶ国のみというのもあり得たかもしれないが、少なくとも中世程度の文明があるこの時代には考え難い。


 もちろん現代のようにネットが発達しているわけでもない時代だ。中世で知ることができた情報は遥かに少なかっただろう。

 だが、同じ大陸でさえあればある程度の国については知り得たはずだ。ヨーロッパはかねてより近隣諸国と戦争を繰り返していたのだから。


 「お嬢様も大きくなったらたくさんお勉強なさることでしょう。ご本を読むのが大好きなお嬢様ですもの。私がこうしてお伝えできることは、あっという間になくなってしまいますね」


 誇らしそうでありながらも、ほんの少し寂しさを滲ませたその顔を見つめる。

 ここは子どもらしさを強調すべき場面だろうか。『早くお勉強して、覚えたことをアンナに沢山お話しするね』というべきか、それとも『私はアンナに教えてほしいの!』とすねたフリでもすべきだろうか。

 どちらがより子どもらしいかを計算している中、思いがけない言葉が耳を打った。


 「私は平民で魔術が使えませんから、お嬢様には魔術の家庭教師も必要ですね」


 最低限の地理や計算、読み書きくらいしかできることがないと言って恥ずかしそうにしているアンナだが、そんなことないと言葉を返すことすらできなかった。


 今、思いがけない言葉が聞こえたのだが幻聴だろうか。異世界ではという疑いは確かにあったものの、まさか。


 「……まじゅつ? わたし、まじゅつつかえるの?」

 「もちろんですよ! ペイリン伯爵家ご出身である旦那様の血を継がれていますもの。その上、お嬢様は生まれたときから多くの魔力を持っていたんです。

 王国一の魔術師になるのではと、伯爵家の皆様も期待されているんですよ!」


 突然のファンタジー要素が降ってきた。

 いや、異世界の時点でファンタジーだろというツッコミが入りそうではあるが、魔術という単語はそれ以上の衝撃だ。


 思い浮かぶのは、黒いとんがり帽子にローブを羽織り、ぐつぐつと煮えたぎる鍋をかき回す魔女の姿。はたまた、RPGのように強い魔術を使って強力な敵を倒す姿か。


 どちらにしても非現実的、まさにファンタジー世界の住人らしい姿であった。

 

 「わたし、まりょくつよいの……?」


 アンナの言葉を信じるならば、王国一の魔術師になるポテンシャルがあるらしい。

 どういうことだ。これではまるでファンタジー世界の主人公、または主人公と共に旅をする仲間の一人くらいの存在ではないだろうか。

 何をすればいいんだ。強くなって魔物退治?いるかどうかは分からないが魔王とやらを倒しに行くのか?


 「はい! とってもお強いんですよ! ペイリン伯爵家には、代々強い魔力を持った方が生まれるそうなのです。中でもローズピンクの色を持つ方は、国一番の魔術師になるほどだとか!」


 お嬢様も素晴らしい魔術師になられること間違いなしです! と100点満点の笑顔で言われ、内心頭を抱える。


 ここでフラグ回収のようだ。この桜色の髪と瞳――こちらの人にとってはローズピンクらしい――は、それだけで特別な意味があるらしい。てっきり異世界であればそこそこ存在するのだと思っていた。


 何故私にこのような設定がされているのか。ここが異世界、それもファンタジー世界というのなら創造主とかいるのだろうか。とりあえず今すぐここにきて、説明という名の自供をしてほしい。カツ丼を出せるかは分からないけれど。


 「まじゅつ……がんばらないとだね」


 方針転換。方向性を180度変える必要がありそうだ。とにかく目立たず、周囲に溶け込み生きていくつもりであったがそうもいかないらしい。


 今回生まれた家は下級とはいえ、貴族の家柄だ。金策に走り回る必要もないだろうし、控えめな貴族令嬢として生きていけばいいと考えていた。

 日本人として生きてきた私だ。慎ましく波風を立てず生きていくのは得意という自負すらあった。和を重んじる国民性は私にも息づいているはずだと。


 しかし、私を取り巻く環境はそれを許さないようだ。全てにおいて優れた存在となる必要はないだろうが、ある程度の優秀さは必要だろう。

 ローズピンクを持つのに無能、なんて嫌な目立ち方だけは避けたい。優秀である以上に目立ちそうだし、生き辛い未来が待っているのは間違いない。


 仮にこの世界がRPG世界ならば、何よりも優先して身につけるべきは戦闘知識か。

 幸い私は魔力が強いらしいので、魔術師として後衛での戦闘が可能だ。前衛で敵相手に突撃する必要がないのは有り難い。

 いくら敵と分かっていても直接攻撃したり血を見るのは恐ろしい。戦場で恐怖に支配されたら一瞬でお陀仏だ。そういう意味では魔術師としてポテンシャルが高いことは運が良かった。


 と、それだけで終わればよかったが、後衛には後衛の問題がある。俗に言う紙装甲だ。

 大体にして後衛キャラクターというのは前衛と比べてHPが低い。特にレベルが低い内は攻撃をくらったらアウトという可能性すらあるのだ。後衛だからと気を抜いているとあっさりと追い込まれてしまう。


 ここで現実的に考えてみると、後衛キャラクターのHPの低さは、物理面での訓練が足りていないことの現れではないだろうか。適性の有無を差し引いても、攻撃を受けた際のダメージが大きすぎる。


 ゲームの中のみで考えれば、キャラクターの能力値はバランスを考えて決められているから問題ないのだろう。後衛キャラクターが攻撃を受けても、仲間がアイテムや回復術を使用すれば瀕死状態から立て直せるのだ。前衛の残HPが多ければ多いほど、立て直せる可能性は高くなる。


 しかし、ここは現実だ。

 ろくに鍛えてもいない人間ならば攻撃を受けたら一瞬で死ぬだろう。ダメージを負って瀕死で留まれるのはゲームだけと考えるべきだ。

 私が敵の立場なら、極力一撃で仕留められるよう急所を狙う。戦闘など長引くほど手の内を晒すことになるのだから、サクッと倒したいと思うのは敵味方関係ないはずだ。

 そんな戦闘技術に長けた相手に何の準備もなく戦うのは無謀でしかない。攻撃を避けるための訓練や受け身のとり方、防御術など身につけるべきものは多い。


 また、ゲームでは瀕死であっても回復できるアイテムや術などがあるが、それが実際に使えるかもわからない。急所に一撃食らえば意味はないし、仮に瀕死で留まれたとして回復薬とか飲めるのだろうか?体力的な部分もそうだが、戦闘中なら自身も味方もそんな余裕はないだろう。

 後衛だから安全、とは決して言えないのだ。


 ここまで考えておいてなんではあるが、私は痛い思いをしたくない。できれば怪我だっていやだ。注射の針も嫌で毎年の健康診断を逃げたいくらいには嫌いなのだ。そんな私としては回復薬を飲まなければならない状況そのものを避けたくて仕方ない。

 できることなら戦闘など関係のないところで暮らしたい。社交の場という戦場ならいざ知らず、こちらはかけるのが命だ。痛みを殊更に忌避する私からしてみれば勘弁してほしい。


 だが、その願いは叶わないのだろう。ここがRPG世界なら常に危険と隣り合わせと考えるべきだ。

 その上、持って生まれたスペックの高さがある。主人公やそれに近しい役割を負っている可能性が高く、戦闘は避けられないといえる。

 せめて怪我をしない、いや、死なずに済むだけの技術を身につけなければならない。


 そしてRPGの世界では無かったとしても、魔術の使用が当たり前の世界であることは変わらない。科学が発展することで起こる事件事故の被害が大きくなったのと同様に、魔術があるからこその危険というのは覚悟しておくべきだ。


 これからの未来に備えて出来うる限り強くなり、少しでも安全に生き抜けるよう努力しなければ。



 ――魔術という予想外の言葉に衝撃を受けていた私は、近い将来、予想が思わぬ形で裏切られることにまだ気づいていなかった。

 

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