第4話 騎士の十戒

 何かが聞こえた。

 誰かを呼ぶ声。

 ライアは、ゆっくりと瞼を開く。

 崩れかかった建物。

 その崩れた先から見える風景から、深い森だと分かる。

 ライアは、上半身を起こして周りを見ようとして、両手が後ろ手に縛られ、両足も縛られているのが分かった。

 どうやら気を失っている間に、捕まったらしい。

 そして、自分の傍で横になって寝息を立てている少女の姿を見つける。

 ノルだ。

 ノルも同様に縛られ、気を失っているらしい。

 ライアは自分の身体を見ると、あちこちに包帯が巻かれ手当のされているのが分かった。

 状況が分からない。

 手当されているのに、拘束され建物の中に無造作に放置されている。

 それは、明らかに敵意がある証拠だ。

 ライアは、そっとノルの様子を窺った。

 ノルにはケガは無く、命に別状はなさそうだ。

 ライアは、何とか縄から抜け出そうと試みるが、縄は解けそうになかった。

 仕方ないので縛られたままの状態で、身を起こしていると、人影が近づいてきた。

 現れたのは、1人の男性だった。

 長身の体格の良い髭面の男。

 年齢は30代後半くらいだろうか。

 服装は、貴族のような煌びやかな服ではないが、旅をする冒険者のような軽装でもない。

 どちらかというと、商人のような格好をしている。

 だが、腰に吊るされた剣からは、ただならぬ雰囲気を感じる。

 男は、ライア達の前まで来ると、しゃがみ込み顔を覗き込んできた。

 そして、ニッコリ笑うと話しかけてきた。

 ライアは警戒する。

 この男が、自分達を捕まえた張本人なのは間違いないだろう。

 そんな男の笑顔に騙されてはいけない。

「お目覚めですか騎士殿」

 まるで友人との会話を楽しむかのように。

 いや、実際に楽しんでいるのだろう。

 ライアの反応を見ているのだ。

 ライアは黙って睨み返すだけだ。

「おい。連れ出せ」

 男が言うと、男の背後から2人の男達が現れ。ライアを歩かせる為に、脚の縄だけを解くと表へと引っ張り出す。

「私に触れるな」

 ライアは抵抗するが、強引に引き摺られる。

 ノルは、まだ眠っているのか目を覚まさない。

 建物の外に出ると、そこは広場になっており、その中央まで連れて行かれた。

 そこには、焚き火が焚かれて、肉が焼かれている。

 その周囲に、3人の男達が集まって酒盛りをしていた。

 男達は、ライアを見て、笑いながら話し合っている。

 そして、一番奥に座っていた大柄で厳つい風貌の男が立ち上がって、ライアの前に立つと話しかけてくる。

 ライアよりも遥かに大きい。

 190cmはあるだろう。

 顔も身体も筋肉隆々だ。

 肌の色は黒く焼けていて、歴戦の戦士を思わせる。

 その男をライアは見上げる。

 その目を見た瞬間、ゾクリとする。

 瞳の奥に闇が潜んでいる。

 ライアは直感的に悟る。

(コイツらはヤバい)

「俺は、バルデンス・シュドナ。お前らを攫ってきた盗賊団の頭だ。さて、これからどうするか分かるか?」

 バルデンスはニヤリと笑って言った。

 ライアは何も答えず、その視線を外さない。

「奴隷として売るか、それとも殺して金目の物を奪うかなんだが……。まあ殺すのは勿体無いから、少しは遊んでからにするけどな」

 バルデンスが言い終わると同時に周りの男達が、下卑た笑みを浮かべ、ライアを見る。

 ライアは、その目に嫌悪感を覚えた。

 そして、改めて自分の置かれた状況を考えてみる。

 両手は縛られていて、武器も奪われてしまっている。

 更に、周囲には武装した男達がいる。

 逃げようにも、とても無理だ。

 しかも、この場にいる全員を相手にしても勝てるかどうか怪しいところだ。

 だからと言って諦めるわけにはいかない。

 ここで、屈したらノルが危ない。

 ノルを守る為なら、例え刺し違えても戦うしかない。

 ライアは覚悟を決める。

 その時、背後から声が聞こえた。

 それは、聞いたことのある声だった。

「言った通りでしょボス。騎士なんてものは、ちょっとエサをチラつかせれば簡単に引っかかるって。村人の助けって一言でね」

 振り向くと、そこに居たのは、食堂で相席をしたスティースリッドだ。

 ライアは驚く。

 何故、彼がここに居るのか。

 それに、彼は冒険者だ。

 どうして、こんな連中と一緒にいるのか。

 冒険者としてギルドに登録しているなら、この様な犯罪行為はギルドによって処罰の対象になる。

 その疑問が、表情に出ていたのだろう。

 スティーが答える。

「だから言っただろ。すぐに、ここから離れろって。一宿一飯の恩義を返す為に、村に逗留しやがって」

 その口調は淡々としていて、特に感情は籠っていない。

 彼の目は、ライアではなくバルデンスに向けられている。

 そして、バルデンスも彼に気づいていたようだ。

「ああ、お前か。こんな単純な手で騎士が釣れるとは思わなかったぜ。よくやったなスティー」

 バルデンスは、機嫌を良くした。

 スティーは、小さくため息をつくと、ライアの傍まで来て耳元で囁いた。

「もっと賢くなるんだな」

 ライアの身体に鳥肌が立った。

 それは、恐怖だった。

 そして、怒りだった。

「貴様。よくも、私をこんな目に。何のために騎士狩りをしている」

 ライアは、震える声で絞り出すような小さな声で尋ねた。

 だが、スティーは全く意に介さず、逆にライアを馬鹿にしたように笑う。

 バルデンスは、その様子を見ながら満足そうに微笑む。

 その顔は、まるで悪魔のようであった。

 バルデンスは、ライアの問いに答える。

 ライアは、バルデンスの言葉を聞いて、絶句する。

「邪魔なんだよ。騎士がな」

 信じられなかった。

 目の前の男は、そんな理由で自分達を襲ったという

「ふざけるな」

 ライアは叫ぶ。

 そんな理由の為に、自分達は襲われたのだ。

 そんな身勝手な理不尽のせいで。

 バルデンスは手にしていた酒を一気に飲み干す。

「俺は、それをするだけの権利があるのさ」

 バルデンスは、楽しげに話す。

「どういうことだ?」

 ライアは尋ねる。

 バルデンスが話し始める。

 スティーは、その様子を見て舌打ちをする。

 そして、ライアから離れた。

 バルデンスが話し終えると、ライアは黙り込んだ。

 バルデンスの話の内容はこうだ。

 元々、バルデンスは国境線という隣国との戦闘がある度に、その混乱を利用して周囲を荒らし回る盗賊団に所属していた。ギルドに所属していない完全な無法者だ。

 だが、盗賊団は、ある時、騎士団の襲撃を受けて壊滅に至る。

 その復讐を行うために、騎士狩りを始めたのだと。

「バカか。お前は、騎士団に何人の騎士が居ると思っている。こんなことを繰り返していても騎士団は壊滅しない。いずれは捕まるだけだぞ」

 ライアはバルデンスを睨みながら言う。

 バルデンスは不敵に笑いながら言う。

「一番殺したい奴を引きずり出せれば良いんだ」

 バルデンスは述べる。

「何を言っている」

 ライアは呆れた。

 バルデンスは、さらに続ける。

「俺の狙いは、第四騎士団団長のレオ・ベルクソン。お前の所の親分だよ」

 ライアは驚愕する。

 バルデンスが狙っているのは、レオ・ベルクソンだった。

 バルデンスが言うには、バルデンスが所属していた盗賊団の頭は、レオ・ベルクソンによって殺された。

 そして、頭が死んだことにより盗賊団の統率が取れなくなり、バルデンス以外の仲間達は散り散りになった。もはやかつての盗賊団ではないと。力を取り戻すには、威厳が必要なのだ。

 盗賊団を壊滅に追いやった、レオ・ベルクソンの殺害することで、かつての求心力を取り戻すことができる。

 王都に直接乗り込むことが不可能な以上、この地で騎士を狩り続ければ、必ずレオ・ベルクソンが自ら出陣して来る。

 バルデンスは、そう考えていた。

 ライアは、それを聞き愕然とした。

 そして、理解した。

 この男にとって、騎士はただの獲物でしかない。

 自分の欲望を満たすための道具に過ぎないということを。

 そして、それがどれだけ危険であるかを。

「貴様がどれだけ強いか知らないが、団長の強さは別格だ。貴様のような小物では、絶対に勝てん。命が惜しければ、今すぐこんな馬鹿げたことをやめるんだ」

 ライアが忠告すると、バルデンスは鼻を鳴らす。

「手の内は知っているさ」

「何だと」

 バルデンスは語る。

「《名もなき騎士》」

 その名をライアは知っている。

 バルデンスの部下が勝ち誇ったように言う。

「国境戦時に魔物の大群を一人で倒した騎士は、王都で処刑されたという噂だが、実は生きていてな。それが、バルデンス様よ」

 その言葉を聞いた瞬間、ライアは《名もなき騎士》の話を聞いた時に涙した自分の気持ちを思い出した。

 彼は確かに処刑されたという。

 だが、名誉よりも人々の命を救うことに戦った騎士にライアは尊敬をしていた。そうありたいと思ったほどだ。

 しかし、尊敬した騎士は私利私欲を働く盗賊団の頭になっていたという事実に、絶望を感じた。

 ライアは叫んだ。

 泣いた。

 信じていた者に裏切られたことに。

「この女を使って遊ぼうかと思ったが、さっさと惨たらしく殺した方が、レオ・ベルクソンを早く引きずり出せそうだな。おい」

 バルデンスが言うと、オーガが姿を表す。

 巨大な影が、ライアの上に伸し掛かる。

「身元が判明しやすいように顔は傷つけるな。胴体を捻って殺せ」

 バルデンスの命令にオーガは従う。

 その巨大な拳が、ライアの頭に伸びる。

 死を覚悟した。

 絶望的な恐怖の中、ライアの耳に言葉が届く。

「騎士の十戒 第十の戒律を言ってみろ」

 その声に、ライアは疑問を持つ前に反射的に述べる。

「汝、いついかなる時も正義と善の味方となりて、不正と悪に立ち向かうべし」

 ライアは答えた。

「だったら、泣く前に抗い戦え」

 次の瞬間、ライアの両手が開放されていた。

 傍らを見ると、スティーがライアを拘束していた縄を切ってくれたのが分かった。

 スティーは微笑しながら、ライアのロングソードを渡す。

 ロングソードを手にすると、ライアは立ち上がる。

 目の前には、オーガがいた。

 だが、ライアは恐れない。

 バルデンスに対する怒りはあるが、それは後回しにする。

 今は、まず目の前の敵を倒す。

 そのことに集中する。

 ライアは、ロングソードを構える。

 そして、叫ぶ。

 騎士としての心構えを示す言葉を。

 己に言い聞かせるように。

 ライアは、もう一度叫ぶ。

 騎士の十戒 第十の戒律を。

「汝、いついかなる時も正義と善の味方となりて、不正と悪に立ち向かうべし」

 ライアは、オーガの腕を斬り裂く。

 血飛沫が飛ぶ中、スティーはオーガの膝裏に回ると、ショートソードで腱を切断してバランスを崩させる。

 オーガは倒れる。

 ライアは、倒れ込んで来るオーガの眉間に向かって、ロングソードを突き刺した。

 オーガは絶命する。

 ライアは、その巨体を剣を捻り横に転がす。

 そして、ライアは剣を引き抜く。

 ライアの足元には、舌を伸ばして動かなくなったオーガの死体があった。

 バルデンスは、突然の出来事に動揺していた。

 それは、他の者達も同様であった。

 バルデンスは、怒りの形相を浮かべ、スティーを睨み見る。

「スティー。テメエ裏切ったな」

 バルデンスが言うと、スティーは鼻で笑う。

「俺なんか信用してたのか。新参者を信頼するなんて、お前バカだな」

 バルデンスは歯軋りをする。

 そして、バルデンスはライアを見る。

 ライアは、バルデンスと視線が合う。

 ライアは、何も言わずにバルデンスを見つめる。

 周囲には剣や戦斧を手にした6人の男達が、ライアとスティーを取り囲む。

「バルデンスを含めて7人か。ここは仲良く半々でいくか」

 スティーは背中合わせになっているライアに向かって呟くと、ライアは、

「バルデンスは私が殺る」

 そう答える。

「その意気だ」

 ライアの言葉を聞いたスティーは、ショートソードを構え不敵に笑う。

 スティーはスローイングダガーを投擲すると、一人の男の喉に突き刺さった。

 1人目。

 その男の隣にいた奴が悲鳴を上げるよりも前に、スティーは走り出すと男の肝臓を突き刺す。

 2人目。

 そして、もう一人の男が戦斧を叩き落とすが、スティーは素早く躱し、その腕の上腕動脈を切断する。

 3人目。

 激しい出血。

 深さにもよるが、酷ければ5秒で意識不明。90秒で失血死になる。

 一撃で殺すばかりが戦闘ではない。

 いかに最小の傷で相手の戦力を削るか。

 それが重要だと、ライアは思った。

 的確だ。

 昼間から酒盛りをしていた男達とは言え、二人を取り囲んだ時の動きは、それ程悪いとは思わなかった。

 スティーは素早い動きで、次々と敵の急所を切り裂き、倒していく。

 その戦う姿に、ライアは見惚れていた。

 ライアは冷静になる。

 スティーに遅れを取らないように、ライアはロングソードを振るう。

 男の剣に自分の剣を合わせると、そのまま剣に沿って剣を振り下ろして、男の手を斬り、そのまま刺突で男の心臓を突く。

 4人目。

 ライアは、剣を引くと脇から迫ってきた男の一撃を避ける。

 最小の引きで躱すと、次の瞬間には前へと踏み出し、ロングソードで脇腹から肩へと逆袈裟に斬り上げる。

 5人目。

 スティーの方を見ると、剣を振り上げた男の両腕の間。剣を握る男の手首と手首の間にショートソードを入れると、撫でるような斬り方で腕の尺骨動脈を切断。

 だが浅い。

 スティーにとっては、それで十分であり、男が怯んだ隙きを突いて、懐に入るとダガーを抜き取り、頸椎に突き刺す。

 6人目。

 これで、バルデンスの部下は全員倒したことになる。

 残るはバルデンスのみ。

 ライアは、バルデンスの方に視線を向ける。

 バルデンスはスティーを見て、忌ま忌ましそうな表情を浮かべると、 バルデンスは剣を抜く。

 バルデンスの剣は、刃渡り90cm程の両手持ちの長剣である。

 その刀身には装飾が施されている。

 その剣の柄には、宝石が埋め込まれている。

 ライアは、その剣を見たことがある。

 それは、魔導剣と呼ばれる武器の一つだった。

 バルデンスの身体に異変が起きる。

 全身から黒い霧のようなモノが吹き出していた。

 ライアは、バルデンスの筋力が増大するのを見た。

「筋力を増強させる魔力が、その魔導剣には込められている様だな。オーガを従えさせられたのも、その力か?」

 スティーがバルデンスに向かって言う。

 バルデンスは叫ぶ。

「そうよ。俺は魔物よりも強えぇ!」

 己の欲望を叶えるために、魔物も従えさせたのだ。

 バルデンスは、両手で握った剣を横薙ぎに振るう。

 ライアはそれをロングソードで受け止めるが、あまりの威力に剣ごと弾き飛ばされる。

 地面に転がるライア。

 バルデンスは、ライアに追撃を仕掛けようと走る。

 ライアが立ち上がろうとする前に、バルデンスは剣を振り下ろしてきた。

 その剣の軌道を変えるべく、スティーはバルデンスの剣に対し横からショートソードと身体を使って、剣そのものに体当たりを決めると、バルデンスの剣はライアから逸れる。

 バルデンスは、スティーに向けて剣を振る。

 スティーはスローイングダガーを喉に向かって放つ。

 刺さる。

 急所を捕らえたかに見えたが、バルデンスが気合をかけるとスローイングダガーが弾き飛ばされた。筋力増強で、筋肉が鎧のようになっていた。

「いつまで転がっている。さっさと逃げろ」

 スティーの叫びにライアは、起き上がると安全圏に走り出す。

バルデンスが、剣を左から薙いで来る。

 スティーは身体の左にショートソードを立てて盾のようにして、バルデンスの剣を受ける体制に入る。

 スティーはバルデンスの剣を受け止める。

 だが、勢いを殺すことが出来ずに、身体ごと弾き飛ばされる。スティーが身を起こして自分の武器を見ると、ショートソードが折れていた。

 脇腹を見ると、革鎧が裂けて出血しているのが分かった。

 スティーは舌打ちし状況の危うさを痛感する。

 バルデンスは、それを見据えて笑う。

「俺の勝ちだ!」

 バルデンスはスティーとの距離を詰めて来る。

「逃げろ。スティー!」

 武器を失ったスティーの状況を理解し、ライアは叫ぶ。

 だが、スティーは動かなかった。

 スティーは折れた剣を捨て、ダガーを引き抜く。

 それは戦闘の継続を意味していた。

「騎士の十戒。第五の戒律 汝、敵を前にして退くことなかれ」

 スティーの言葉、加えて諦めない姿勢にライアは思った。

 なぜ盗賊が、そんなことを言うのか。

 生き残るならば、ライアとノルを見捨てて自分一人で逃げることも出来るはずだ。

 スティーは、その言葉を口にした。

 それは、自分が死ぬことを覚悟した上での行動なのか。

 スティーは考える暇もなく、バルデンスの攻撃を避け続ける。

 だが、ダガーの様な刃渡りの短い武器では、バルデンスの剣を止めることも攻撃することも出来ない。

 バルデンスの剣は、スティーの腕を掠めていく。

 バルデンスの剣撃は止まらない。

 このままだと、スティーは殺される。

 ライアは動こうとして足首に痛みを覚える。

 バルデンスの一撃を受けた時に足首を痛めたらしい。折れてはおらず歩くには支障はないが、十分な戦闘を行えるかと言えば、そうではない。

 自分が今できる事。

 そう思うと、ライアは自分のロングソードを見た。

 剣は騎士の誇りや勇敢さ、強さを象徴する物だ。

 甲冑を着ていなくても、剣を身に着けている。

 剣を帯びていなければ裸でいること同然と考えられるほど、剣は騎士にとってなくてはならない物だ。

 だが――。

 体が勝手に動いた。

「スティー!」

 ライアはロングソードをスティーに向けて投げる。

 スティーの間近にロングソードが地に突き刺さった。

「使え!」

 ライアの言葉に応じるように、スティーはロングソードを取った。

 彼は、バルデンスに向かって走る。

 バルデンスは、向かってくるスティーに対して剣を振り下ろす。

 だが、その一撃は空を切った。

 スティーは、身を屈めて避けると、そのままバルデンスの懐に入り込む。

 そして、ロングソードを振り脇腹を斬り裂く。

 鮮血が飛び散り、バルデンスは苦悶の声を上げる。

 さらに、バルデンスの剣をスティーはロングソードの平で受けていなすと、胸元に剣を突き立てる。

 一旦引くと、スティーはロングソードを顔の横に立てて構える。

「屋根の構え……」

 ライアの口から、スティーの姿が言われる。

 スティーが行った剣の構え。

 西洋剣術の基本4種の構えの一つで、屋根の構えと称される。

 攻撃と防御の両方に優れ、最も頻繁に使われる構えだ。

 東の果にある国では、八相の構えと呼ばれる。

 戦士や剣士が剣の構えを知っているならば理解できるが、なぜ盗賊のスティーが剣術を使うのかライアには理解できなかったが、先程の剣の扱いを見てもスティーの腕前は確かだった。

 バルデンスは、苦痛に顔を歪ませる。

 バルデンスの傷口からは、黒い霧のようなモノが漏れ出している。

 魔力は血液に作用することで、筋力を増強させているのだろう。出血と共に、その力が失われていくのが理解できた。

「スティー。テメエ何者だ。なぜ、剣を使える?」

 バルデンスは、苦しそうな声でスティーに問う。

 スティーと剣を合わせたことで理解しているのだ、スティーの剣の扱いは器用さとか敏捷性などとは異なる剣術としての完成された剣の動きがあった。

「お前、自分で名乗っていただろ」

 スティーは答える。

 何のことかバルデンスには分からなかったが、思い当たる言葉があった。

「まさかテメエは……」

 バルデンスは危機感を感じつつも逃げ道はないことから、斬りかかって来る。

 スティーは、右脚を踏み込みながらロングソードを捻り、バルデンスの剣を自分の左へと移す。

 力技で叩きつけたり、無理やり軌道を変えているのではない。木の葉が風に流され舞うように、バルデンスの剣を左側にやると共に、スティーは前へと踏み出す。

 バルデンスの剣はスティーのロングソードの鍔に当たるが、前へと踏み出すスティーの勢いのままに押しやられる。

 スティーのロングソードはバルデンスの左肩まで突き進む。

 スティーは腕をできる限り伸ばして、バルデンスの剣を遠ざけると共に、剣を受けている鍔を支点に、ロングソードの刃をバルデンスの左頚部に斬り込んでいた。

 この時、スティーの身体は真横に向き、横目でバルデンスを見る形になっていた。

 ライアは思わず叫ぶ。

「流し目斬り!」

 この技は、経験に乏しく、力任せに押してくる猪武者に非常に効果的な技とされる。

 最後に切り付けた時、相手を横目に見ることになることから名前の由来があるだけでなく、西洋剣術の奥義の一つであった。

 バルデンスの首から血が噴水のように吹き出し、辺りに血臭が漂う。

 怨み声を叫びながら、バルデンスは、ゆっくりと倒れる。

 バルデンスは息絶えた。

 スティーはロングソードを振って残心を決める。

 決着がついた。

 スティーは、そのまま落ちるようにしゃがみ込んだ。

 ライアは、スティーに駆け寄る。

 スティーの脇腹からは出血が続いていた。

「スティーしっかりしろ」

 ライアの心配に、スティーは、脇腹を抑えながらも笑顔を見せる。

「大丈夫だ。それより、あの女の子を助けないと……」

 スティーの言葉に、ライアは自分の不甲斐なさを感じると同時に、ノルの安否が気になった。

 スティーは剣をライアに返すと、二人は廃墟に向かう。

「スティー。バルデンスを倒した剣技。どこで学んだ?」

 ライアは歩きながらスティーに尋ねる。

「剣技?」

 スティーは分からない口調で言う。

「とぼけるな。あれは流し目斬り。西洋剣術の奥義の一つだ。偶然や運だけで、あの技ができるものか。私は知っていても実戦で使ったこともなければ、使いこなす自信は欠片もない。ましてや、盗賊である貴様が知っているはずがない」

 ライアの言葉を聞き、スティーは笑う。

 まるで悪戯が見つかった子供のような笑みだ。

「そうか。ならもっと修業をしろ」

 スティーは忠告する。

「それにだ。なぜ、お前が騎士の十戒を知っている。いや、知っているだけじゃない。お前の戦っている姿勢は正しく……」

 ライアは言いかけて、ノルの姿を見つける。

「ノル!」

 ライアは叫ぶと、ノルの元に走り寄った。

 縄を解き、ノルの安否を確かめる。

ケガはないようだ。

 ライアがノルの頬を撫でていると、ノルはゆっくりと目を覚ます。

 ライアの方がノルに抱きついた。

 ライアがノルの無事に泣きじゃくる中、ノルは言葉を零す。

「……騎士様」

 と。

「こらこら。言ったでしょ。私のことを《様》付で呼ばないことって」

 ライアはノルの顔を見て、そう呼びかけるがノルの視線はライアを見ていなかった。

 ノルの視線はライアの肩の向こう。

 そこにいるスティーに向けられていた。

 ノルは涙を流しながらスティーの元に近づくと、スティーの足下に座り込む。

 そして、頭を下げた。

 その姿に、ライアは戸惑う。

 なぜ、盗賊のスティーに対して、こんなにも必死になるのか分からなかった。

 だが、一つだけ分かることがあった。

 それは、ノルがスティーのことを信頼していることだった。

 スティーは自ら膝をつくと、ノルに顔を上げるように言う。

 スティーは、ノルに優しく微笑む。

「覚えていますか。村が魔物に襲撃された時に助けて頂いた娘です。その節は本当に、ありがとうございました。あなたのおかげで私達は生き延びることができました。あなたがいなければ、今頃は、私もお父さんもお母さんも、この世にいなかったでしょう」

 そして、ノルは大粒の涙を零しながらスティーの胸に縋りつく。

 スティーは、そんなノルを抱きしめる。

「覚えているよ。ドングリのブローチをくれた女の子だね。君の名前は?」

 スティーは、優しい声で尋ねる。

 ノルは、スティーの胸の中で答える。

「ノル」

「ノルか。大きくなったね」

 スティーは、ライアの方を見た。

 ライアは全てを理解した。

「スティー。あなたが、《名もなき騎士》」

 スティーは、ノルを離すと立ち上がる。

 ノルは立ち上がりスティーを見る。

 そして、再びスティーに頭を垂れる。

「ただの、盗賊だ」

 スティーは呟く。

「《名もなき騎士》の話は、第四騎士団でも噂として語られていたが、処刑されたと聞いているぞ。どうやって生き延びた」

 ライアは尋ねた。

 スティーの答えは簡単であった。

 スティーは捕らえられ王都で処刑されることになったが、第四騎士団団長のレオ・ベルクソンはそれを良しとせず、ボヤ騒ぎを引き起こした。

その間に、野盗の死体を消し炭にし、死体をスティーと偽ることで彼の命を救ったのだ。

 その後、スティーは各地を放浪し盗賊へ身を堕として生きながらえることになった。冒険者の中でも、盗賊はかなりアウトローに入る部類だ。身を隠すには最適であった。

 ここへは盗賊ギルドからの指令で入ったという。

 騎士狩りを行っている無法者の正体と、その目的を探るために。

 奴らの仲間になったフリをしたのは、組織の規模を調査する為だった。殺すだけなら、後ろから斬り付ければそれで済む。

 だが、組織の規模と目的が分からないままでは、息を吹き返す恐れがある。だからスティーはバルデンスに従い、騎士狩りの計画の片棒を実行したのだ。

「それがまさか、巻き込みたくなかった女騎士がかかるとはな」

 スティーは自嘲気味に言い、頭を下げて謝る。

「ライア。恐ろしい目に遭わせて、済まなかった」

 ライアは、首を振る。

 死んだと思っていた《名もなき騎士》が、無事で良かったと心の底から思ったからだ。

「でも。バルデンスは、どうして《名もなき騎士》を名乗ったのかしら」

 ライアは疑問を口にする。

「カリスマだ。あいつの仲間は、騎士に怨みを持つ奴らで構成されていた。《名もなき騎士》は騎士であるにも関わらず騎士に処刑されている。同じ怨みを持つ者としては、仲間に引き入れやすいと考えたのだろう」

 スティーの言葉にライアは納得した。

「騎士様。どうか私の村にお立ち寄り下さい。騎士様が生きていらしたと知ったら、村の者は喜びます」

 ノルは懇願するようにスティーに言った。

 だが、スティーは首を横に振る。

 ノルの申し出を受けることはできないと。

「俺は、もう死んだ人間だ。俺が生きているとなれば、騎士団は総力を上げて俺を狩り出す。それを知っている村人は、容赦なく連行されるだろう」

 その言葉にノルは絶望する。

「そんな。では、私達は騎士様にどうやって恩返しをしたら良いのですか。私達を救ったばかりに、騎士様は名誉を剥奪され罪人にまでされるなんて酷過ぎます」

 ノルは顔を両手で覆い、涙を流す。

 スティーはノルの肩に手を置くと、諭すように言った。

「ノル。君の気持ちだけで十分だ」

 スティーは、ノルの涙を拭うと微笑む。

「では、せめて、お名前だけでも教えて下さい」

 ノルの頼みに、スティーは、やはり首を横に振る。

 ほんの些細なことでも、村人に迷惑がかかる恐れを考慮してのことだった。

「騎士物語として後世に名前は無くとも、そんな騎士が居たことを覚えていてくれるだけで、俺がしたことは無駄ではない」

 スティーは言うと、ライアに向き直る。

「ライア。俺は、お前の口を封じるつもりはない。騎士団に届けたければ好きにしてくれ」

 スティーの言葉を聞いたノルは驚き、ライアの顔を見る。

「ダメです。騎士様のことを、これ以上傷つけないで下さい」

 ノルは必死になって止めようとする。

 ライアは、ノルを見てからスティーに言った。

「私を見くびるな。私が、そんなことをするとでも思っているのか」

 スティーは礼を述べる。

「済まない」

 ライアに向かって口を開く。それは別れの挨拶だった。

「じゃあな」

 スティーが一人離れて行こうとすると、ノルは、スティーの服を掴み、彼の胸に顔を埋めた。

 スティーは何も言わずノルの背中を優しく叩く。

 ノルは、スティーから離れ顔を上げる。

 そして、泣きはらした目で言う。

「騎士様。お元気で」

 スティーは、ノルを離すと歩き出した。

 ライアは、その後ろ姿を見送った。

 スティーは振り返ることなく去って行った。

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