二口目 ならびに「変化したものとしないもの」

 後輩の姿が廊下から見えたので、待ち合わせの時間にはまだ早いが迎えにいく。


「先輩!」


 お互いに非番の日。

 後輩がどうしても「先輩のお家に行きたいんです!」と駄々をこねるので、空には自室に引きこもってもらうよう頼み込んだ。

 いつもなら休みの日は二人でゲームをして過ごしている。


 空のほうが上手い。オレが仕事をしている間にやりこんでいるからだと思う。

 ゲーム以外は掲示板やツイッターに張り付いて反吸血鬼ハンターな連中とレスバトルを繰り広げているらしい。

 そんなことに時間を費やすぐらいならゲームをやっていてくれと思うので、最近はローグライクというジャンルのゲームを買い与えた。入るたびにダンジョンの形状が変わるから、最適解がその時によって異なる。


 後輩にはすぐに帰ってもらおう。


「見てくださいよ、あれ」


 マンションの前は公園のようになっていて、子どもたちが何かを投げつけあって遊んでいる。キャッキャとはしゃぐ声が響いていた。太陽のあるうちは平和なものである。吸血鬼騒ぎなんてなかった頃と変わらない。


「水風船か」

「そうですそうです! 懐かしいなぁ」


 ぶつかると破裂して、中の水が飛び出す。

 後輩は「対吸血鬼用投擲武器に使えませんかね?」と真剣な眼差しを向けてきた。


「中に薬を入れてか。面白いかもしれないな」


 吸血鬼の中では不可視の力を使う個体があるので、視認した瞬間に撃ち落とされる可能性はあるが。

 防犯用のカラーボールのように、足元を狙って投げつけて液体を付着させるのはありかもしれない。

 自殺志願者な吸血鬼たちの協力もあって、吸血鬼から人間に戻す薬はその一滴だけでも効果があると実証されたことだし。


「でしょでしょ。明日、試作品を作りましょうね」


 基本的には仕事熱心ないいやつなのだ。

 もしオレが結婚していたとすれば、これぐらいの年齢の娘がいてもおかしくはないので、娘を見るような視線で見てしまう。


 ――真祖なる吸血鬼を目の前に気絶してしまったことは、本人も気にしている。


 今日のことを強く断れなかったのは、彼女を励ましたい想いと同時に、仕事を「辞めてほしい」と伝えたいからだ。

 この子にもこの子なりの決意があるのはわかっている。

 薬の開発はつつがなく成功し、あとは認可が下りるのを待つのみ。

 やがてこの世界から吸血鬼はいなくなるだろう。


 だからこそ、この子がこのタイミングで身体を張って吸血鬼を倒す必要はない。

 あとはオレたち年寄りが戦えばいい。


「せんっぱいのおうち〜♪」


 鍵を開けるとき、つい癖で「ただいま」と言ってしまった。

 後輩にはと伝えてある。


 テンションの高い後輩は「お邪魔しまーす!」と気付いていない様子なので、よかった。

 考え事をしていると気が緩んでしまう。


「一人にしては広いですね!」

「まあな」

「歯ブラシが二つあるのは、……さては彼女さんの分ですか!?」


 恐るべき観察眼。

 オレには彼女はいない。

 恋にうつつを抜かしている暇があったら吸血鬼を撲滅せよ。


「先輩も隅に置けないですねー! 堅物かたぶつの弥生先輩に隠し彼女!」


 このこのー、と肘で突いてくる後輩。

 さてどうしたもんか。


「彼女ぉ!?」


 考えあぐねていたら奥の部屋から空が青ざめた顔で――もとより色白ではあるのだが――這い出してきた。

 隠れてろって言ったのに……オレの計画が音もなく崩れていく。


「あ、あれあれあれ?」


 混乱した後輩がオレと空の顔を交互に見て「ええ、えっと?」とオレに答えを求めた。


「弥生おじさんのの空です。おじさんがお世話になっています」


 這い出してから膝をパッパッと払って、スッと立ち上がって礼儀正しく嘘を並べる空。

 正しくは幼馴染だが、吸血鬼は加齢しない。

 オレと空とでは、容姿だけなら三十年の時の差が生まれている。


 口を覆い隠すように黒いマスクをしていた。

 これなら鋭い犬歯は見られない。


「あ、ああー! なるほどー!」


 後輩は納得してくれたようだ。

 オレより後輩のほうが年齢は近く見える。

 納得した上で「イケメンの血筋を感じますねー」とうんうんと頷いていた。


「先輩は正統派のイケオジっぽいドーベルマンな感じで、空さんは童顔で人懐っこそうなポメラニアンみたいな感じ!」


 空は切ってやれていない黒髪をかき上げながら「どうも」と照れている。

 三十年ほど鏡を見ていない空にとって第三者からの容姿の評価は新鮮に感じたようで、なんだか嬉しそうだ。

 表情がマスクで隠されてしまっているのが残念なぐらい。


 引きこもっているつもりだったからか、服装は高校のジャージ姿のままだ。


「この歯ブラシは彼女のじゃなくて、空さんのなんですね?」


 彼女説を否定すべく「ああ、そうだ」と空の編み出したおじとおいの関係性に乗っかる。

 他に聞かれたら『大学が近所にあるから預かっている』と嘘を付け加えようか。


「なら、私が彼女になってもいいですか?」


 視線を床へ落とす。

 どうしても伝えたかったんだろう。


 後輩は自分の袖を握りしめて「だめですか?」とダメ押ししてくる。

 オレが顔を上げれば、後輩の死角に


「空!」


 一喝すると、ナイフは床へと落ちる。


「ボク、邪魔しているみたいだから部屋に戻るね。


 目を白黒させている後輩を一瞥して、オレとは目を合わせようとせずに、空は自室へ戻っていった。

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