ピースオブショートケーキ

秋乃晃

一口目 もしくは「緩慢な死について」

 ホールケーキのような月を隠すように、その吸血鬼は現れた。燕尾服を着ている。銀髪を夜風に踊らせて、にいっと口角を上げた。吸血鬼の身体的特徴の一つ、鋭い犬歯が確認できる。真紅の瞳で睨まれると、オレの隣でファイティングポーズを取っていた後輩が「キュウ」と鳴いて倒れてしまった。不可視の攻撃も、この世界の吸血鬼の特徴にある。

「お仲間を連れて、巣まで逃げ帰るがよい。我が輩はお主らのようなの巣に用事があるでな」

 クハハと嘲笑ってくれる。オレたちがだとわかった上で現れるとは、随分とまあみくびられたもんだ。倒れた後輩を庇うように一歩前に出て、対吸血鬼用武器のレイピアを構える。

 オレは勤続三十年。今年入ったばかりのこの子とは違う。出会った吸血鬼は全員倒す。こんなところでやられるわけにはいかない。オレの帰りを家で待っている幼馴染がいるんでな。こいつには悪いが、とっとと逃げるような真似もしない。

 同期には死んじまった奴も、辞めちまった奴もいる。が、オレは吸血鬼に殺された姉貴ほのかのためにも、吸血鬼となってしまった幼馴染のためにも、止まれなかった。がむしゃらに走り抜けた三十年だ。

 全ての吸血鬼が憎い。まだ吸血鬼による殺人事件が数例しかなかった頃に姉貴は襲われた。今となっては口が裂けても言えないが「この世界に吸血鬼なんているわけないでしょう」と鼻で笑われる時期があったのだ。オレも空もまだ大学生で、何も言い返せなかった。事件の目撃者は、犯人を『銀髪で燕尾服の男』だと証言している。目の前の吸血鬼が姉貴の仇とは限らないが、怒りは普段より増してきた。

 吸血鬼憎しといえども空は治したい。空を人間に戻して、昔のように笑って過ごしたい。太陽の下を歩けるようにしてやりたい。吸血鬼は普通の食事ができないから、空は大好物だったショートケーキを食べられなくなってしまった。

 矛盾した想いは、ワクチンや治療薬の開発に打ち込むことで解消される。研究所には同志が集まっていた。吸血鬼絡みで大切な人を失った者ばかりだ。この世界から吸血鬼を根絶やしにするまで、昼は生捕りにした吸血鬼を使用した実験および生態の研究、日が暮れて吸血鬼が活動を始める夜はパトロールの日々を送る。他に生きていく道を見つけられなかった。

「吸血鬼を治すお薬ができたんじゃろ?」

「!」

「図星じゃな? わかりやすくていいのう!」

 今度はカカカっと高笑いする。吸血鬼化を防ぐワクチンに関しては報道された。しかし、吸血鬼となってしまった人間を元に戻す治療薬のほうは、理論上は可能であっても確実性に欠けるため、また、人間を殺めた吸血鬼の処遇並びに罪状について討議を重ねている段階だ。内部の人間しか知り得ない情報となる。

「なぜ、お前が知っている」

 銀髪赤目のスタッフはいない。仲間を疑いたくないが、機密情報を吸血鬼サイドに横流しするような不届き者がいる。こいつを倒してから、犯人を特定せねばなるまい。

「とある吸血鬼からメールが来てな。我が輩の覇道を、遮らんとするお薬の存在があると。そうでなければ、直々に馳せ参じはせんよ」

 そのメールの送り主はどこの誰だ。こいつは倒さずに捕まえる方向性でいくか?

「お主、物怖じせんのはいいが……蛮勇と勇気は違うでな」

 言葉の端々に呆れが混じっている。よっぽどオレに逃げ出してほしいのか。こいつからしてみればオレに観光案内してほしいのだろう。お断りだ。レイピアを握る力を強める。

「我が輩はぞ」

 真っ赤に塗られた指先をオレに向けてきた。オレの足が地面から離れて、身体は宙に浮かび上がる。抵抗しようともがいた。真祖――始まりの吸血鬼――。レイピアを手から離してしまう。


 そのレイピアは重力に逆らって、


「んなっ!?」

 真祖は驚愕の表情を浮かべて、オレに向けていた指先で左胸に突き刺さるレイピアを抜こうとする。数メートルほど浮ばされていたオレの身体は地面に落とされた。不意の落下だが、日頃の鍛錬や戦闘経験のおかげで着地には成功し、足は挫いていない。

 物体を念動力で動かすのはむしろ吸血鬼のほうが得意なはずだ。オレに超能力は使えない。けれども、レイピアは物理的にあり得ない軌道を描いている。

「あ、アア、ァ……」

 突き刺さった箇所からジュワジュワと音がしていた。真祖はうめき声を上げながらうずくまる。始まりの吸血鬼が相手であっても、対吸血鬼用武器は通用しているようだ。程なくしてこいつの身体はとなって消えるだろう。と、その前に聞き出さなくてはならない。治療薬のことを誰から聞いたのかを。メールの送り主の名前を。

「うぅう裏切りおったなァ! キぃサマぁ! 我が輩をぉお!」

 真祖はよろめきながら立ち上がり、敵であるはずのオレに背を向けて絶叫した。もはやオレは敵扱いされていない。レイピアは真祖の肉体を貫いている。

 視線の先、ビルの上に人影があった。目を凝らして見れば、そいつは白い仮面を顔につけている。真っ白のフード付きパーカーと迷彩柄のカーゴパンツといったカジュアルな出立ち。――俗に〝死神〟と呼ばれている吸血鬼だ。噂には聞いていたが、その姿を見るのは今夜が初めてになる。吸血なのに死とは、最初に言い出したやつのセンスを疑う。

 この世界には、がいた。馬鹿馬鹿しい話だ。吸血鬼になりたくないのに、不意に襲われて、血を吸われて、次に目覚めた時には吸血鬼人ではないものになってしまう不幸が大半なのに。オレには理解できない。吸血鬼になったら、鏡に映らなくなり、食事は花の蜜しか吸えなくなり、もし太陽光に当たったら泡となって死んでしまうから太陽の出ている間は活動できなくなってしまうというのに。

 そんなを望み通りに吸血鬼にしていく吸血鬼が、この〝死神〟である。

「長生きできりゅと思うなァア! キサぁマなどぉ! 眷属どもがすぅぐに粛清してやるぞあぁアアア!」

 これを最期の言葉として、真祖は泡となって消え去った。オレが泡の中からレイピアを拾って顔を上げると、ビルの上の人影もなくなっている。吸血鬼が吸血鬼ハンターを助けたのか、もしくは、ただの気まぐれだったのかは、死神に訊ねないとわからない。

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