三口目 あるいは「悠久の愛について」

 後輩が出勤してこない。


「弥生さん、なーんかやったんじゃないですかー?」


 どうやら、オレの家にあの子が行くことは、周りに相談済みだったらしい。からかわれて「別に、何も」とそっけなく返したつもりが「何もないのもなー」と笑われてしまった。こっちは心配しているのに、のんきなものだと思う。命を賭けて吸血鬼と戦っているさなか、このぐらいの能天気さも必要なのかもしれない。


 水風船をヒントにした投擲とうてき武器の試作品は、水風船という既存品があるぶん、すぐに作成できた。すぐに、とは言っても朝から始めて、もう太陽が沈み始めている頃合いなので、難航したほうとも言える。使用者の遠投力によって有効範囲が変動してしまうのは惜しいが、オレが使うぶんには問題ないだろう。発案者である後輩には扱いにくいか? ――いや、ソフトボール部出身だとか話していたから、案外オレよりもうまく扱える可能性はあるか。


 と、考えていたら後輩のほうから着信があった。

 遅刻の連絡にしては遅すぎるので、先輩らしくガツンと言ってやらねばなるまい。


「もしもし」


 語気が強くなってしまう。体調不良でこの時間まで寝込んでいたのだとすれば、人の心のない男とあらぬ噂を立てられかねないので「どうした?」と続ける。


 すると後輩は、が「弥生」と向こう側からオレの名を呼びかけてきた。


「空?」


 同居人である空が後輩の電話番号からオレのスマートフォンに電話をかけている。理屈がわからず声が裏返った。スピーカー越しに笑い声が聞こえてくる。笑っている場合か。


「今は死神かな」

「……ふざけているのか?」


 吸血鬼の話は、家で空に話している。だから、死神と呼ばれている吸血鬼の話も、空の知るところだ。自身が吸血鬼であるからか、興味津々といった様子で耳を傾けてくれていた。もっとも、インターネット上でもかなり噂になっているようで、オレよりも詳しいぐらいだった。

 オレは空に元の人間に戻ってほしいから、治療薬の開発の進行度合いに関しては特に熱量を込めて話している。こちらはインターネット上には出回らない情報になる。


 当の空自身は、治療薬云々よりも死神の所業のほうにその紅い瞳を輝かせていたわけだが。


「ふざけてはいないよ。

「冗談はよせ!」


 スマートフォンを耳につけたまま、オレは自席から立ち上がった。

 ただならぬ様子にざわつく周囲に目配せして、電話の発信元――後輩のスマートフォンの現在位置を確認させる。


「ボクは弥生のために、SNSでいろんな人たちを集めて、みんなを吸血鬼にしていった。そうすれば、みんなは人の役に立ててる。実際、みんなのおかげで治療薬も完成したじゃないか」

「でも、オマエは」


 家から出ていないはず――いや、オレがこの仕事で、吸血鬼を討伐するために夜中パトロールしている。

 その時間帯に出かけて、翌朝オレが帰ってくるまでに戻ってきていたとしたら、オレにはわからない。


「治療薬のことを真祖に伝えたら、開発元を叩くって躍起になっちゃって。ボクとキミので倒せたからいいけど」


 真祖を名乗る吸血鬼を倒した話はしている。

 その夜、初めてオレは死神と遭遇したのだから。


「あのあとからボクは取り巻きの吸血鬼たちに追われてたけども、全部返り討ちにしてるよ。、並の吸血鬼よりもボクのほうが強いっぽい!」


 クラクラしてきた。ここで倒れるわけにはいかないので、気付けにペットボトルのコーヒーをがぶ飲みする。空を救いたい一心で、オレは空を匿い、今日この日までやってきた。空の命の灯火を消さないように、研究所から花の蜜を盗み出して、与え続けている。今朝は、――今朝は、空が「部屋の前に置いといてくれたらいいよ」って言ったから、顔を見ずに家を出てきた。


「特定できました! 弥生さんの自宅です!」


 だとすると、昨日後輩が家を出てから、空は彼女からスマートフォンを取り上げた……?

 後輩は? 今どこにいる? オレの自宅に在るのはスマートフォンだけか?


「空、そこに誰といる?」


 オレが訊ねれば、空は「真祖を倒した場所で待ってるね」と言い残して、一方的に切ってしまった。答えてくれないか。オレは奥歯を噛み締める。後輩の声は一切入ってこなかった。あの子のことだから、あの時のように気絶しているだけであってほしい。


「弥生さん」


 後輩はオレにとっての後輩というだけでなく、こいつらにとっても大事な仲間だ。大事な仲間の身に何かあったとあれば、戦闘態勢で現場に集結するだろう。オレと空の会話は、オレの言葉しか聞こえていないだろうが、鬼気迫るものであったらしく、各自準備を始めていた。頼りになる。


 が、オレは「一人で行かせてくれ」と頭を下げた。


 この期に及んで、オレはまだ空を疑いたくないからだ。こっぴどく嘘をつかれていたらしい。空はオレの言いつけを守って、家に閉じこもって毎日を過ごしているものだとばかり思っていたのに、実態はこうだ。それでも、オレは幼馴染がかつてのまま、人間であった頃と変わらずにいるものだと信じていたい。


「……わかりました。周りで待機します」


 オレの次に古いやつがそう言って引き下がれば、他に意見できる者はいない。何やら言いたげにオレとソイツの間で視線を泳がせるしかないのだ。オレは「ありがとう」と再度頭を下げて、先ほど作った水風船型の投擲武器をポケットにしまい込む。

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