伊藤さん

ジャンパーてっつん

伊藤さん

伊藤さんは私の働く日の出倉庫で働いている。

月水金の週3回しか働いていない私は直接伊藤さんを目にすることは少ないが

同僚から彼の話はよく聞いていてもうずいぶん前から気になっていた。

そんな折、仕事を終え駅までの道すがら私は偶然にも伊藤さんを見かけた。

大通りをそれて細い道に入っていくのを見た私は純粋な興味から伊藤さんの後をつけることにした。

伊藤さんは聞くところによると現在大学3年生で一人暮らしをしている。

彼女はいない。

顔が菅田将暉に似ていて独特な雰囲気があるので職場の女性の中ではいい意味でよく話題に上がっていた。

だから今日私が偶然彼を見かけたのはこの上ないチャンスなのだ。

私は小走りで彼の近くまで駆け寄り声をかけた。

「伊藤さん!」

「‥‥」

伊藤さんは肩をびくっとさせて立ち止まった。

気付いてくれたかな。

私はドキドキしながら伊藤さんがこちらを振り返るのを待った。

ところが、伊藤さんはまたすぐに淡々と歩き始めた。

私の声は聞こえているはずなのに。

伊藤さんの態度を疑問に感じるも、その疑問は案外簡単に解決した。

そういえば、私は伊藤さんと一度も話したことがない。

倉庫でも作業場が異なるため、全体朝礼でしか見かけたことがなく私が一方的に伊藤さんを見ていただけだった。

それにあたりは既に暗くなっていたし、すぐ近くとはいえ顔の見えないところからいきなり話しかけるのはまずかったか。

私は何事もなかったように伊藤さんの後をつけることにした。

こんな道があったんだな。

私は日の出倉庫に勤めて2年ほど経つのだが、こんな道が駅までの帰りにつづいていたなんて知らなかった。

さすが伊藤さんだ。

私はにやにやしながら伊藤さんに続いた。

驚かせるつもりはないのだが、冷やかしに伊藤さん。と何回か呼び止めてみた。

そのたびに伊藤さんは肩をびくっとさせるのだが、頑なに振り返ろうとはしなかった。

さては怖いものにはふたをしちゃうタイプなんだな。

私はそんな伊藤さんのことがとても愛らしく思えた。

結局、いつもの帰り道なら駅まで10分かかるところを伊藤さんの歩くこの道では20分もかかった。その間私は23回伊藤さんの名前を呼んだ。

伊藤さんが私を認識していないのならば、ばれやしない。

そろそろ後ろからちょっかいを出すのも飽きてきた私は大胆にも伊藤さんを追い抜かして正面から彼の顔をうかがいつつ、付いていくことにした。

もちろん距離を取りながらではあるものの尾行したい相手の前を歩くというのは案外難しくて、途中何回も人とぶつかりそうになった。

私は再び伊藤さんの真後ろをついていくことにした。

伊藤さんは日の出駅から3つ先にある花尾駅から徒歩5分のアパートに住んでいることが分かった。

ボロアパートのため、老朽化して今にも抜け落ちそうな階段を上っていくのは怖かった。

どうせばれやしない。

私と伊藤さんの距離は1mに迫っていた。

人は案外他人のことなど気にしちゃいない。

学生時代同じクラスだった子でさえも顔名前をアルバムなしで思い出せる人は意外にも少ない。

私は伊藤さんの後ろをなめるようについていった。

部屋の間取りは1LDK。

大学生の一人暮らしなどたかが知れている。

私は、伊藤さんがドアを開けたのと同時に器用に身をくねらせ忍者のごとく部屋に侵入した。

割と部屋は片付いている。

伊藤さんは長い廊下を進み、リビングにあるソファを背にして床に座りこんだ。

今、伊藤さん!と呼びつけたらどうなってしまうのだろう。

リビングに座る伊藤さんを私はじっと玄関先から見つめていた。

「伊藤さん!」

2人しかいない部屋の中で私の声が廊下に響く。

「・・・」

何事もなかったように伊藤さんはリビングでくつろいでいる。

これはどういうことなのか。

玄関からリビングの距離は若干離れてはいるものの人一人の声は必ず届く距離ではあった。

私はずかずかと廊下を歩き、今度はリビングにいる伊藤さんの正面にまわって目を見ながら言ってみる。

「伊藤さん!!」

「・・・」

反応がない。

しーんと静まり返る部屋の中で私は伊藤さんから気付かれない不愉快さをはるかに上回る戦慄な光景を目にすることとなる。

伊藤さんは既に喉を掻っ切って死んでいたのだ。

何が起こっているのか。

私は理解が追いつかなかった。

すると、突然、私は後ろから強烈な気配を感じた。

振り返るとそこには目の前で死んでいるはずの伊藤さんがもう一人立ったまま私の方を見ていた。

「ありがとう。智子さん。これでやっと見える。これからはずっと一緒だね。」

伊藤さんは契約書のようなものを見せながら万遍の笑みで私にお礼をいった。

契約書をよく見ると、そこにはこう記してあった。


            悪魔契約書      契約日20XX年11月7日(木)


以下の条件を満たすものは想い人との永遠の交際を認められる。


契約条件

①日の出町、死の堺通りを契約者が自死する当日午後22時22分に誰にも見られずに通ること

②死の堺通りを通る際これからあなたが呪い殺そうとしている想い人の魂から呼び止められることがあるが、決して振り返ってはいけない

③帰宅後すぐに自殺すること


契約は①の時点で執行され残り2点の条件を持って完遂される。


契約者:伊藤純也

契約執行人:日の出町死の堺通り悪魔


***

11/7木曜日22時22分林智子は自室で静かに亡くなっていた。

次の日、仕事に行く時間になっても部屋を出てこないことを不審に思った母親が死亡していることに気付いたのだ。

死因は心臓発作。

彼女の表情筋は口角を上げたまま固まっていた。


そしてある節から彼女の働く日の出倉庫ではあるうわさが流れるようになった。

倉庫から駅までの道すがら、大通りとは外れた裏の細い道からどこからともなく男女の楽しげな声が聞こえてくるのだそうな。

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伊藤さん ジャンパーてっつん @Tomorrow1102

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