第二話

 思ったよりもすぐにそれは来た。


「うっわ!! なんだよこれ」


 猛吹雪な上に、気温が一気に下がった。まさか雪がここまで吹雪くなんて想像もしてなかった。山の天気は変わると言うがこんなにも天気予報と変わるものなのだろうか。遠くに見えていた木が見えない。まさにホワイトアウト。


「ホワイトアウトしてますね……。うぅ……」


 また泣きそうになる真鍋の手をぎゅっと握った。もしもっと見えなくなったとしても、ここにいるということを伝えれるように。真鍋も心なしか握り返してくるので最初よりかは大丈夫なのか? いや、でも油断はできねえし、なんといっても寒さによる死亡率は高い。しかもそれが遭難となったらもう桁外れだろう。俺も打ち身だし、なるべく動かずにいたいものだった。


 ぐうう


「あっ」

 隣でお腹の鳴る音が聞こえて無視しようかと思ったが、真鍋が声に出したので無視し辛くなってしまった。


「悪いな、俺なんも持ってねえっていうか、ザックどっかいっちまったんだわ。スマホすら無くしたっていうか、朱美に渡しちまってたし……。なんもなくてな……」


 俺がそう言うと、真鍋がこちらにずいっと顔を寄せてきた。おうおう、よく見えること。


「わ、私は持ってます!」


 少し元気そうにスマホを掲げてみせる真鍋。そしてすぐにいたっと声を出した。

「あまり動くなって……。でもでかした! やるじゃん!」

 電源をつけて——肩を落とした。圏外だったのもあるし、充電がすごく少ない。充電に関してはもしかすると気温でこうなってる可能性もある。でも圏外ということで望み薄なことは間違えようがなかった。俺は真鍋にスマホの画面を見せると、真鍋も肩を落とした。


「ごめんなさい……。なんでこんなにも……」

「い、いや、大丈夫だよ。なんとかなる。朱美や他のメンバーだってきっと無事で救助を呼んでくれてるはずだよ」


 そう言った俺にも、自信がなかった。滑落も初めて。遭難も初めて。ましてやホワイトアウトするほどの吹雪は初めて。もう助からないのではないか。救助が来るとしてもこの吹雪が止んだあとだろう。俺のプロポーズ大作戦、失敗……かな。


「朱美先輩、心配してるでしょうね」

 ふと、真鍋が口を開く。


「していてくれないと困るというか、少し残念だな」


 俺がそういうと、真鍋はくすくすと笑った。

「な、なんだよ!」

「ごめんなさい。先輩、すごく朱美先輩のこと好きなんだなって……」


 少し顔が熱く気がする。そこに体温使うなよ! っと俺に喝を入れつつ真鍋の言葉に嬉しさを感じた。だが、もう会えないかもしれない。もう、何も出来ずに終わってしまうかもしれない。


 あ、これが遭難時の現象かあ。


 なんて、納得しつつ、また会いたいなあ。また触りたいなあ。せめてプロポーズしたかったなあ。あ、でもプロポーズした後にもし、成功して、俺が滑落したらもっと朱美悲しむよなあ。なんて、思いが巡り巡った。


 ああ、朱美に会いたい。あ、目の前にいるじゃん。笑顔の朱美。

「お、朱美の顔が見えてきた。俺大丈夫かな、真鍋」

 俺が真鍋に問うと真鍋はくすくすとまた笑った。


 あれ、真鍋まで低体温症の症状出てる? いやでも俺意識はっきりしてるよな……。


「先輩、朱美先輩の写真ですよ」


 ひらひらと写真を振っている真鍋。

「ほんとじゃん……嘘、俺やべえな」

 頭を抱える。真鍋が隣でおもしろそうに笑う。まだ笑えてるだけマシかなと、思うことにした。笑えないってことはやばいかもしれないし、今を楽しんでくれてるなら、何より。


「まだ持ってますよ」


 真鍋が優しく俺の手に何かを握らせた。

「ん? って、おい! お前なんでこんなもん持ってるんだよ!!」

 怒鳴り気味に言う俺にまたくすくすと笑う真鍋。


 それは、どう見ても朱美のよく使っているフェイクファーの髪留めだった。


「朱美先輩とお揃いだったんです。これ、ふわふわしてて暖かいでしょう。先輩持っててください」


 そう言われても……。

「いや、お前がもっとけ、真鍋。俺はさっきの写真で十分だ」

 少し強引に髪留めを返す。真鍋ははいっと小さく呟き、少し大事そうにそれを抱いた。


「なんだよ、朱美と仲良いのか?」

「いや……はい、そうです」

 真鍋は少し戸惑った表情をし、そのまま笑顔を取り繕った。何かあるかと思ったが今この瞬間の体調不良の話題ではなかったから気にしないことにした。本当は朱美のこと嫌いとかだったらこっちも反応し辛いしな。


 俺たちは少しずつ少しずつ、体温と気力を失われていった。だが手に持っている朱美の写真を見るだけで力が湧いてきた。


「……先輩」


 真鍋の手がぎゅっと俺の手を握った。

「どうした?」

「私……私……」


 なんだか言い辛そうにしている真鍋を見て、トイレかなそれともなんだ? と首を傾げていると、真鍋の手がゆっくりと俺の目の前にきた。


「これ……持ってます」


 手のひらが開かれた。そこにはいくつか小さな飴玉があった。


「おまっ、なんでこんな大事なもん! つか、お前が食べろよ」

「いやです。せめて先輩とはんぶんこが……いいです」

「ってか、包装紙とかどうしたんだよ……」

 俺が呆れて聞くと、山にゴミは捨てちゃダメでしょう。と少し微笑む真鍋が見えた。


「それに、こんなことになるなんて想像してなかったので、自分しか食べないと思ったんです」

 そしたら、汚くてもいいでしょう? と笑う真鍋の手を少し力強く握り返した。


「汚くなんかねえよ。こんな中でありがとうな」


 俺がそう言うと真鍋が少し俯いた。まるで自分を極限まで責めているように見えた。たしかに、最初こそは真鍋を憎く思ったが今は真鍋に感謝すらしている。真鍋がいなければ朱美の大切さや、生きていたいと言う気持ち。食べ物もなく、そして孤独だっただろう。


 でも、今は真鍋がいるからなんとか気持ちを保てている。


「真鍋、ありがとう」

「え、いや、私のせいですし……」

 真鍋は少し気まずそうにしたが、少し嬉しそうにいえ、こちらこそありがとうございます。と言い直した。


 そして、俺の頭の中に思い浮かんだのは、後何日したらこの吹雪は止んで、救助に来るだろう。

 後何日俺たちは生きていられるだろう。


 手元に持っていたら写真をグッと握りしめて、涙を堪えた。

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