第9話

 学園祭がやってきた。


 この学校の学園祭は、土、日曜日の二日にわたって催されて、うち日曜は外部にも開放される。なにせ田舎町なので、それにクイズ大会とか、抽選会、体育館でおこなわれる演奏や、演劇部の公演が本格的なので、生徒の家族のほか、他校の学生やら、そのほか、来場者はそれなりに多い。


 目が、回りそう。あたしはとにかく忙しくって、 自分のクラスのお好み焼きをちょっとつまんだ以外、休憩というものを知らなかった。抽選会で大当たりが出たら鐘を鳴らし、かと思うと腕章をつけて構内を巡回した。


 合間にのぞいたクラスの屋台は盛況で、みんな慌ただしく働いている。テントの端、百合子は材料を切っていて、一定のリズムでキャベツや青ネギを刻む横顔は、真剣そのもの。けれどふっと顔をあげ、百合子があたしをみつけた。にっこりと目で笑って合図する。あたしはどきっとして、周囲を見回したあと、こそ泥のようにそそくさと近づいていった。


「お疲れ。雀、お昼食べた?」


 と百合子がささやく。


「まだ。すぐ、見回り戻らなきゃいけなくて」

「おやおや。ずいぶんなハードスケジュールですこと」


 と肩をすくめた。それから背後の椅子をちょっと振りむき、パックにしまわれたお好み焼きを示す。


「あげる」

「これ、百合子のじゃないの」

「私のは、ほら、だって」とまな板の上を指して微笑する。「委員会って大変ね。放送委員の子もカンヅメみたいだし」

「ごめんね、一緒にまわろうって言ったのに」

「いいの。気にしないで」

「百合子、休憩は?」

「私は、この波がおさまったら。体育館でも行ってみようかしら」


 そのとき、クラスメイトが一人、テントに駆けこんできた。あたしに気づくと、息を切らしながら「あれっ」と目を丸くして、


「雀じゃん。もう、暇なら手伝ってよ」

「ごめんっ、見回り中」

「じゃ、さぼりだ」


 ころころと笑う。その手にはビニールで包装された釣銭が握られていた。


「そう言えば、雀のとこのご両親。と、おばあちゃんとおじいちゃん、来てたよ」

「うそっ。やだ、なんか言ってた?」

「べつに、いつもお世話になってます。はい、お世話してます、みたいな。――雀のお母さん、いいよねえ、かわいくて」

「どこが」とあたしは盛大に顔をしかめた。するとプレートでお好み焼きを焼いてる子が振りむく。

「うちも来た。やあだ、この年で。授業参観じゃないんだからさ」

「うちはどうかなあ。一応来ても来なくてもいいって言っといたけど。――そう言えば松川さんちって、だれか来た?」

「ううん。どうだろう、二人とも仕事だから」

「ふうん……そう言えばさ、」

「ちょっとお、そろそろ戻ってきてちょうだい。もうだめ、助けて。泣いてもいいの、泣くわよ」


 と、会計と接客をいちどきにこなしていた子が、あたしたちを振りむいて、すごい形相で言った。おっと、という顔をしてプレートに向きなおる子と、ぺろっと舌を出して、釣銭を手にレジへ駆けていくもう一人。あたしと百合子は顔を見合わせて苦笑し、それぞれの仕事へ戻っていった。


 お祭が終わったあとの学校は、片づけをする生徒でざわつき、いまだ冷めきらない興奮がそこらじゅうをさ迷っている。


 あたしは、はがして回ったポスターとか、昇降口に飾られたクマのぬいぐるみとか、バケツとか。校門前のパイプ椅子とか。とにかくいろんなものを抱えて構内を走りまわっていた。


 それで、それからあたしはもう一度、百合子の弟に会った。


 あとで聞いた話だけど。ふつと来客が途切れた瞬間、とつぜん現れた謎の美少年が、よりによってあたしの居所を尋ねたものだから、ちょっとした騒ぎになったらしい。


 弟が屋台で言った、「松川百合子といつもいっしょにいるバカっぽい女」っていうのが、つまり、あたしのこと……。


 その場面は簡単に想像できる。どこかの俳優の子みたいな少年を、肩を寄せあい、固唾を呑んで見守っている女の子たち。


 だれか、その男の子と百合子とが姉弟だって悟った子はいただろうか。「美男美女の姉弟なのね」と、静かな熱を胸のうちに、ささやいた子は……。


 渡り廊下にさしかかったとき、ボールがうっかり腕のなかから転がり落ちた。あっ。と思うまに、段差を転がり、どんどん離れていく。あたしは両手いっぱいに荷物を持って、すぐには追いかけられない。


「待って!」


 そのとき、助けてくれたのが、そう、百合子の弟だった。

 逃げていくボールを足で止めて、拾いあげると、その子はまっすぐにあたしを見すえた。瞳に浮かぶのはやっぱり敵視のような冷たさで、前髪からちらちら覗く太い眉がりりしく、それをよけい鮮烈なものにしていた。


 あたしはつい、唾をのむ。


 渡り廊下から外れて、さしだされたボールを受けとりにいく。そのとき、


「あいつと関わるのはやめたほうがいい」


 すぐそばで吐きだされたことばにぎくりとして弟をみつめた。あたしはますます身構える。ぬいぐるみを抱きしめて、


「たしかに、きみがあたしを気に食わないのは、知ってるけど……」

「いや、そうじゃなくて」


 と言下に否定され、首をかしげた。

 間近にある顔には傷ついたような、はたまた焦りのようななにかが浮かんでいる。百合子の弟が、あたしへなにを言わんとしているのか、ぜんぜんわからなかった。


 そこである予感が頭をよぎる。ひょっとして、計画がバレてしまったんだろうか。いやいや、百合子にかぎって、まさか……。


 けれど弟の様子は真剣そのもので、頭ひとつぶんの身長差を埋めそうな気迫があった。


 あたしはひそかに半歩後ろにさがる。パイプ椅子と、腕にぶらさげたバケツがぶつかって、うめき声のような音ががたがたと響いた。

 あたしはささやく。


「……じゃあ、なんだろう」


 彼はこわばった瞼をまたたかせて、苦しげに額をこすった。

 なにかを言いかけ、やめて、をくり返し、とうとう言う。


「あいつは頭がおかしいんだ」


 それは小学生とは思えないような、疲れきった声だった。



 弟に会ったことを、結局あたしは百合子に言わなかった。

 あの子が話したことばを、かみ砕くことができなかったから。

 保健室でのできごとを、忘れることができないから。


 ……愛よりも、憎しみ。


 百合子と弟は、いったいどういう関係なんだろう。あの日百合子が弟へ向けたまなざしを、声の温度を、あたしはいまでも覚えている。家族にはなりえない、かと言って、赤の他人に向けるようなものでもない。なにか、つながりが、二人のあいだには確かに存在していた。


 記憶は心の底に溜まって、ふとした拍子に浮かびあがってくる。弟は、どうしてあたしに百合子と関わるなと言ったのだろうか。まして、頭がおかしいだなんて……。


 うんうんと熱が出そうなほど頭を悩ましてみたけれど、さっぱりだ。意地悪をしたかった感じでも、ない。ただ、なにかを恐れているふうだった。


 でも、じゃあ、なに、に?


 ……答えは出ない。それでも、時間は過ぎていく。

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