第8話
夏休みが終わると、学校は、学園祭準備で大忙しになる。
九月になったからといって暑さがやわらぐでもなく、女の子たちは、汗だくになりながら、放課後の校舎を走りまわっていた。
ふわふわした、気分。みんなどことなく落ち着かなくて、そわそわしている。地面から五センチくらい浮かんで漂っているみたい。ちょっとのことで大笑いしてしまう。
実行委員のあたしは生物室で、当日にやる抽選会の準備をしていた。細かく切った紙に、ひたすら数字を書いていく。
テーブルには別のクラスの子や、中学生がいて、いろいろな世間話をしながら手を動かす。ときどき別のテーブルで作業している先輩が振りむいて、話にまざってくるのも、楽しい。
先輩の一人が声をひそめて
「――そういえば、学校裏の雑木林。あそこは出るらしいわよぅ。何年も前にあそこで自殺したって。ほんとよ。だからだれも近づかないのよ。ねえ」
とにこにこ笑った。それから同意を求めるように隣へするりと腕を絡めた。
「こら。手、動かせ。手」
と叱られている。
「もう、つれないわねえ」
眉をひそめてから、彼女はあたしたちへ舌をぺろっと出して、また仕事に取りかかった。先輩たちの仕事は、色紙で作った輪っかを根気強く繋げていくものだ。
それを盗み見ながら、あたしもことさら太い字で、紙に大きく四五と書く。先輩たちにはふしぎな貫禄がある。歳だって一つ違うだけなのに、なにかが決定的に違っていた。
廊下から軽い足音が響いてきて、
「あっ。雀ちゃん、ごめん、買い出し、お願いしていいっ?」
副委員長が息を切らしながら教室を覗くなり、あたしへ向かって言った。
「ガムテープと油性マジック。もう予備もないみたいなの」
「はあ? なにそれどういうことよ。大量にあったのどこいったわけ」と、さきほど叱ったほうの先輩が、作りかけの輪っかをぶらさげたまま入口まで詰め寄った。副委員長はぷんぷんしながら腕組みする。
「クラスで使ってるとこ多いのよ。需要に供給が負けたってこと。――そういうわけで、雀ちゃん、頼まれてくれる? 私、これから生徒会に顔出さないといけなくて。佐藤先生が車出してくれるって言ってたから。じゃ!」
と言うなり駆けだしている。先輩は呆然と見送っていたけれど、すぐに肩を落として戻ってきた。
「悪いね、雑用押しつけて。とりあえず、三個と、マジックは、一セットでいいと思う。領収書忘れずにもらってきてね」
あたしは凛々しく「はい」とうなずいて、席を立った。
「いいなあ、雀」と、隣りのクラスの子。
「へっへっへ」
「雀せんぱぁい、お土産お願いしますぅ」と、後輩の女の子。
すると先輩がたちまち眉をつりあげてまた叱る。
「あのね、遊びじゃないんだよ」
「あらあら、こわい先輩だこと。ごめんなさいね、根はいい子なのよぉ」 と、持っている輪っかにどんどんつけたしながら、にっこり笑う、もう片方の先輩。
「あんたは、もうっ」
「それじゃあ、雀ちゃん、ありがとう。気をつけてね」
あたしは本当は、すごく、わくわくしてるのを隠して、重大な任務を負った戦士のように生物室をあとにした。
駐車場に着くと、教えられていた車のそばに先生はまだいない。けれど、なんと、百合子がいた!
あたしはびっくりして駆けよった。西陽に眩しく目を細めながら、百合子もにこにこ笑って手を振ってくれる。
きょうは珍しく髪を一つにまとめていて、いわゆるポニーテールというやつだった。百合子が首の角度を変えるたび、夢のように毛先が踊った。
どきどきするあたしをよそに、百合子は、
「雀も買い出し?」
「う、ん。ガムテープと、マジック。百合子は」
「薄力粉。試作だけで足りなくなっちゃいそうだからって」
あたしたちのクラスは、中庭のテントで、好み焼きを販売することになっていた。
「えぇーっ。すごい、気合い入ってるね」
「そう。私も充分おいしいと思うんだけど、まだまだ改良が足りないって言うのよ」
と、片手で庇を作りながら百合子が答える。声がいつもより弾んでいて、百合子も宙に浮いてる気分なんだ、と思った。あたしはつい、にやにやと頬をゆるめてしまう。目聡く気づいた百合子が
「なによぅ、雀」
と脇腹を小突いてくるので、うっひゃっひゃと笑い声をあげて身をよじった。
そのうち、職員玄関から先生がやってくる。やっぱり眩しそうにバインダーをかざしていて、先生は、あたしたちをみつけると
「よっ」
と手を挙げた。
「おー、すまん、すまん。待たせたなぁ。途中保科先生につかまっちまってな」
とは、保健室の先生だ。
「先生、具合悪いんですか」
とあたしが尋ねた。
「いやいや。くれぐれも安全運転でお願いします、と念を押された」
車のなかは熱気がこもりきっている。先生はすぐさま窓を全開にして、冷房をつけた。
あたしが後部座席からぼんやり眺めていると、先生は、座席を前に動かして、鏡を調整して……。思えば、親以外が運転する車に乗るのって、はじめてかもしれない。嗅ぎなれないにおいが鼻をくすぐる。
ちらりと百合子をうかがえば、平気な顔で座席に腰掛けている。ちぇっ、とふてくされてみる、あたし。――ふいに百合子がこっちを見て、あたしが唇を尖らせているのをみつけると、おかしそうに笑った。それからささやく、
「雀、アイス、こっそり買っちゃおうか」
車を走らせること二十分。到着したスーパーマーケットで、先生は集合時間を伝えるとタバコを片手に外へ出ていってしまった。
あたしと百合子は各自必要な買い物を手早く済ませて、アイス売り場に集合した。それぞれ好きなものを選んで、またレジへ。
そして屋上駐車場へ向かった。
ベンチに並んで座る。
百合子はバニラアイスとチョコをモナカで包んだやつで、あたしはかき氷。
隠れて食べるアイスは、格別においしい。口のなかで溶けて、あっという間になくなってしまう。あたしたちはアイスをかじって、ときおり笑い声をこぼした。陽は暮れかかって、背筋がぞっとするくらい真っ赤な太陽が、真正面で輝いていた。
「雀」
と百合子があたしを呼ぶ。
振りむくと、口にアイスが押しつけられて、へんてこな声がもれた。バニラアイスが溶けて、モナカのかけらが唇にくっついた。うかがった先で、百合子は唇を三日月の形にしている。あたしは眼をつむって、えいっと、一口かじりとった。あまい。舌の根から、からだじゅうに広がって、くらくらしためまいを感じる。
「雀、かわいい」
と百合子はかすかな笑い声を転がして、もう正面を向いてしまう。そうしてあたしの歯型をゆっくりと胃袋へ収めてしまった。
ふいにお客さんが建物から出てきて、自動ドアの隙間から、冷気と、店内放送が束の間もれてくる。
あたしは、夕暮れに染まった百合子の頬を眼に焼きつけようとする。
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