那須夜壱『悪者は誰か?』

 年季の入った石畳の廊下を大勢が通り過ぎていく。走り去っている人々は皆一様に険しい顔をしていた。

「エマさんを呼んで来い!」

 その声に反応して、一人の青年が反対方向に駆け出していく。

「アディソンさんはどこだ⁉」

「はいはい、ここに居るよ。どうしたの」

 廊下の角からアディソンが声に応じて顔を出す。真っ青な顔色をした彼は、アディソンに向けて一言、叫んだ。

「大量殺人が起こりました!」

「は?」

 唖然としているアディソンに構わず、彼は事件の詳細を説明していく。

「アーセル地方に隣接しているイルダン地方の町で殺人事件が起こったんです。容疑者は若い男で、町の広場でいきなり魔法で周りの市民に襲い掛かったそうです。今は鎮圧のために治安維持隊を送り込んでいます」

「イルダン地方……? そこって魔法の使用自体が違法でしょ? 土地の魔力が強くて調整ができないから。それ、まずくない? 現場の状況は?」

「治安維持部隊によると、最低でも20人の死者、けが人は重軽症合わせて52人だそうです。犯人は被害者からの反撃で死亡。今はけが人の治療をしているそうです」

 アディソンの後ろから大きな足音が聞こえてきた。

「お待たせしました! 状況は聞きました。現場に向かうことは可能ですか?」

 エマが焦りを顔に浮かべて、走ってきた。彼はエマに対してしっかりと頷くと、二人を手招いた。



「ひどい惨状ですね……」

 エマはあたりを見回して眉をひそめた。美しかったはずの街並みは消え、凄惨な事件の痕跡だけを残している。エマ達が立っている広場の中心には見事な装飾の噴水が設置されていた。そこにはこの事件を引き起こした犯人の遺体が、そのまま置かれている。周りは黒く焼け焦げ、あたりには嫌なにおいが漂っていた。

「エマ、アディソンこっちに来てくれ」

 遺体のそばに佇んでいた青年が二人を手招きする。二人が足を進めるごとに地面にまき散らされている血の量が増えていく。足に伝わる感覚に顔を顰めながら二人は、噴水の前にたどり着いた。

「これ、二人は見覚えある? 犯人がつけてたものなんだけど…」

 青年が差し出したのは、控えめな装飾のピアスだった。

「1時間前に見たよ。人の心を読める魔法道具。発狂したり、被害妄想なんかを引き起こすから販売、使用禁止になったやつ」

 アディソンは青年からピアスを受け取ると、手の平で転がした。エマは短く息を吐く。

「ということは、この事件はその魔法道具が原因だというのですか?」

 エマはアディソンの手のひらからピアスを取ると、太陽にピアスをかざし、のぞき込んだ。

「ほぼ確実だろうね。これを使いすぎると、幻聴が聞こえるようになるらしい。その幻聴を周囲の人間の心の声だと勘違いして周囲の人間に襲い掛かるっていう事件が繰り返し起こっているし。ここまでひどいのは初めてだけど」

「イルダン地方ですし、発動させた魔法が暴走したのでしょうね……」

 わずかな沈黙の後、エマが周りをもう一度見回した。

「どうしたんですか? エマさん」

 青年が訝し気に尋ねる。

「事件を目撃している被害者の方はいらっしゃいますか? 話せる状態であれば、事件についてお聞きしたいのですが……」

「ああ、それならこちらです」

 青年の後ろについていくと、5分ほど歩いたところに簡単な作りの白いテントが建てられていた。そこには、大人も子供も関係なくけが人が設置された簡易ベッドに寝かされていた。比較的軽症な人々は、並べられた椅子に座って治療を受けている。テントの中は、けが人のうめき声や彼らの家族の嗚咽で溢れていた。その中を青年はまっすぐに進んでいく。

「世界政府の方をお連れしました。大丈夫ですか?」

 彼は一つのベッドの前で立ち止まった。そこには足に包帯を巻かれている女性が、ベッドの隣で船を漕いでいる少年の頭をなでていた。彼の言葉に反応して彼女が頭を上げる。

「大変な所申し訳ございません。世界政府のエマと申します。よろしければ、事件についてお伺いしてもよろしいでしょうか」

 エマはベッドに座っている女性に目線を合わせるように腰をかがめた。彼女は少年の頭を眺めながら、口を開いた。

「今日のお昼ごろですね。今日は休みだったので息子と買い物をしてたんです。散歩も兼ねてね。そうしたら変な声が聞こえてきたんです。怒鳴り声のようでもっと、ヒステリックな声色でした。そんな声が何回も聞こえてきたので、少し警戒して声から離れたんです。そうしたらその時、炎が起こったんです。広場の噴水を中心にして、爆発のように炎が広がりました。私はとっさに息子をかばって、そのまま飛ばされました。目が覚めたら、このベッドの上で治療されていました」

 少年の頭にのせた彼女の手が震えていた。エマは彼女の手に、手を重ねると、顔をじっと見つめた。

「すみません、嫌なことを話させてしまって。けれど、話してくださってありがとうございます。必ず元凶を突き止めて、解決します」

 エマは彼女と顔を合わせると、安心させるように穏やかに笑った。ゆっくりと彼女の手の震えが収まっていく。エマは手を離して、頭を下げた。

「情報提供ありがとうございます」

 エマが顔を上げると同時に、テントの入り口から声が響いた。

「エマさん! アディソンさん! 長官がお呼びです!」

「分かりました。すぐ行きます」

 エマは立ち上がり、彼女にもう一度一例をすると、すぐ魔法陣に向けて走って行った。



 大きな扉の前にエマとアディソンは立っていた。エマが扉を叩く。

「長官。エマとアディソンです。失礼いたします」

 エマがゆっくりと扉を開ける。そこには険しい表情を顔に浮かべた初老の男性が机に向かっていた。

「今回の件を受けて、上が本格的に心を読む魔法道具の取り締まりを厳しくするという判断をした。犯人の男はアーセル地方出身で、アーセル地方であの魔法道具を入手したと考えられる。そこで、君たち二人に頼みたいことがあるんだ」

 長官は二人を見つめた。

「あれの出所を探す……ということですか?」

 エマが口を開く。その言葉に長官はゆっくりと首を振った。

「いや、それについてはめどがついてる。後は証拠を押さえるだけだ。君たちにお願いしたいのは、アーセル地方の観光者行方不明事件についてだ。今まで我々世界政府は非同盟国であるサーザイルに介入することができなかった。しかし、今回の件が起きたのは、イルダン地方。同盟国の領地だ。これを逃す手はない。名目だけは、あの魔法道具の出所の調査としようと思う」

「承知しました」

 エマが静かに返事をした。

「けれど、サーザイルは非同盟国だから緊急時以外は転移魔法は使えない。二人とも船で移動だ。手配はしておいたからよろしくね」

「……承知しました。それでは失礼します」

 少しの間の後、エマがこわばった笑顔で返事をした。

「エマは本当に分かりやすな。相変わらず船が苦手なのか? あれほど爽快な乗り物もないだろう」

「一生得意になることは無いでしょうね」

 エマは張り付けた笑みで返事をした。



 外に足を踏み出すと、馴染みの無い湿った空気と共に潮の香りが体を包み込んだ。少し冷たい海風が、彼女の美しいブロンドの髪を巻き上げる。目の前に広がる広場は土産物を売っている店や、名物を売っている店などで大いににぎわっている。香ばしい匂いに誘われて広場へと足を踏み入れると、にぎやかな音や声があたりを包んでいた。石造りの武骨な街並みは、色とりどりの布や花で飾られ、華やかな雰囲気を醸し出している。頭上には美しいカンテラが漂うように浮かんでおり、青空によく映えていた。

「そこのお嬢さん。うちの商品を見て行かないか? 出来立てだぞ!」

 店の他にも、屋台や露店が所狭しと並べられ、客引きの声があたりを飛び交っている。

「すみません、ここの一番人気の商品をいただけないでしょうか?」

 よく通る声で客引きをしている店主に声を掛ける。屋根は煙ですすけているが、奥に見える調理場は清潔だ。手前には、不思議な形をした肉が山のように積まれている。肉にかかっているたれが輝いていて、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。薄く湯気を出しているそれから一つが浮かび上がる。紙ナプキンが巻き付いて、持ち手を作ると、店主がそれを掴んでエマに差し出した。

「毎度あり! お嬢さん、この国は初めてかい?」

「はい。つい先ほど到着したんです。このお肉の匂いにつられてこの広場を覗いたんですが、凄く活気がありますね。飾られているお花やランタンも素敵ですし……」

「そりゃちょうどいい時期に来たな! 4日後に1年に1度の大きなお祭りがあるんだ。飾られている花なんかはそれに向けた準備なんだ。良ければまた来てくれ。ついでにうちの店でまた買っていってくれよ」

 店主が上手にウインクを決める。店主の言葉に笑いながら彼女は肉の代金を手渡した。

「お祭りがあるのですか! 素敵ですね! どんなお祭りなのですか?」

「神さまが街に降りてきて、俺たちに祝福を授けてくれるんだよ」

「それは素敵ですね……。どんな祝福を授けてもらえるのか少し気になります。ところで、このお肉なんていう名前なのですか? 始めてみる形をしているのですが」

「これはターキポディというここの地域の名物なんだ。ここにはポディっていうちょっと変わった動物が居てな。そいつの肉をスパイスと一緒に焼いた後、秘伝のたれを絡めて完成! ってな。スパイスもたれも店によって少しづつ違うから食べ比べも面白いぜ」

「いいですね! それと、どこかおすすめの観光名所はありますか?」

「俺のおすすめか? ん~、ナタース城だな! 霧の中にそびえる城が大迫力なんだよ。近くで見るともっとすごいぜ!近くに行ったらぜひ寄っていくといい」

「なるほど! ありがとうございます。参考にさせていただきますね」

 彼女はにこやかに会釈をして、広場の端に見える路地に足を向けた。見たこともない色合いの宝石や花、仄かに輝いている滑らかな布、初めてお目にかかる珍しい品々に目を輝かせ、その都度、足を止めながらもゆっくりと歩を進めた。路地に近づくにつれ人影がまばらになっていく。足を踏み入れた路地は想像以上に細く、静かだった。人の姿はまばらで、控えめな会話が耳に入る。薄く影がかかったような路地の端や角では、所々で露店が開かれていた。道行く人とすれ違いながら、ゆっくりと奥に進む。露店に並ぶ商品は、小瓶に詰められた怪しげな色の液体、精緻な装飾が施された指輪やブレスレットなどの魔法道具、古ぼけた本など、どれも胡散臭いものであった。誰も彼も、下を向いて喋らない。

「そこのお姉さん。占いに興味はない?」

 声の先では、ローブの影で顔を隠した女が軒先に座り込み、彼女を見上げていた。胸元には少しくすんだ、深紅の石が添えられている。耳元には見覚えのあるピアスが飾られている。女は口元に笑みを湛え、指先で彼女を手招きした。

「申し訳ないんですけれど、占いには興味が無くて……。また機会がありましたら、お願いします」

「おや、つれないことを言うね。初めてこの国に来た記念にちょうどいいじゃないか。まだ列車の時間まで余裕があるだろう?」

「生憎ですが、あまりお金に余裕がないのです。それに、なぜあなたが心を読める魔法道具を持っているかはお聞きしませんが、違法なものを使って詐欺まがいはよくないのでは? それでは失礼します」

 彼女は笑みを張り付け、女の前を過ぎ去ろうとする。

「あんた、随分と目利きだね。普通の観光客相手だと気づかれないんだけれどね……。それじゃあ、こうしよう。私はあんたをどうしても占いたいんだ。あんたは面白い縁を持っているみたいだからね。その代わりと言っては何だけれど、無料で占って差し上げよう! ついでに、身を守れる魔法道具とこの国のおすすめの観光名所も教えてあげよう。どうかな? 交換条件としては悪くないだろう? まあ、私はしつこい性だからね、あんたが頷くまで付きまとうけれど」

「それは、交換条件でもなんでもなく脅しというものなのですよ。それに今、あなたと私は対等の立場ではありません。貴方がお願いをしている立場なのですから、下手に出てはいかがです?」

「あんた、顔に似合わず怖い性格してるね! それなら、さっきの条件に加えて、あんたの望みを一つかなえるっていうのはどうかね? もちろん、私ができる範囲内でだけれど。ああ、あと私の生死にかかわるものもなしだよ」

「……それならいいでしょう。早く終わらせてくださいね」

 先ほどの張り付けた笑顔とは打って変わった仏頂面で彼女は返事をした。彼女が軽く手を振ると、女の前に質素な椅子が姿を現した。彼女はその椅子に腰を掛け、女に占いを始めるよう、目線で促した。

「よし! あんたの気が変わらないうちに終わらせてしまおう。占いの方法は何種類かあるのだけれど、どれが良いかな?」

「……よく知らないけれど、選べるのなら一番早く終わるものがいいですね」

「おや、冷たいな。それじゃあタロット占いをやろうか。あんたもタロット占いくらいは知っているだろう?」

「何でもいいのですけれど……。早く初めてくださいませんか」

 女は懐を漁り、一束になっているカードを取り出した。そして空いている方の手を振り、小ぶりな机を斜め横に出した。机の上に裏向きにしたカードを散らばして、彼女の方に向き直る。

「よし、これで準備は完了。それでは、まずこの中からお好きなカードを一枚選んでくれ」

 彼女が手前から他のカードに埋もれるようにして隠れていた一枚のカードを手に取り、女に手渡した。女はそのカードを受け取ると、残りのカードを一つにまとめて隅に置き、自分の目の前に渡されたカードを裏返しのまま置いた。

「それでは次だ。タロットカードには上と下がある。まあ、絵柄がそのままの状態のことを正位置、逆であれば逆位置というのだが、これを決めて欲しい。どちらが上になると思う?」

 彼女が無言のまま、彼女側を指さした。

「なるほど。では私から見てこのままということで良いね。それでは、見て行こうか」

 女がカードをめくった。



 話を切り上げるように彼女が席を立つ。彼女が再び手を振り、今度は椅子の姿が消えうせた。

「おやおや、せっかちだね。これが約束の魔法道具だよ。ぜひ使ってくれ」

 女が差し出したのは、女の胸元を飾っている石と同じ色合いをしたものがはめ込まれている、華奢なブレスレットだった。彼女はそれを受け取ると、身に着けることなくカバンにしまった。

「あとは、おすすめの観光名所と、君の望みを聞くことかな。では、おすすめの観光名所から済ませてしまおう。私のおすすめは、エプターマサ国立博物館とタナース城だね。博物館の方は図書館も併設されているし、歴史もずば抜けて長いから、きっと色々な伝承にお目に書かれると思うよ。城はいつ作られたかも分かっていないが、城の周りに現れる霧と森の雰囲気が相まってとても荘厳だよ」

 女は頬杖をつきながら、淀みなく話した。

「じゃあ次はあんたのお願いを聞こうじゃないか。どんな願いがいい? 私はこう見えて魔導士としても優秀でね。黄金を作るのも、不老不死の薬を作るのも、証拠を残さずに人を殺せる毒薬を作ることもできる。さ、あんたの願いを言ってごらん」

 いっそ禍々しいほどの笑みを湛えながら女は言う。彼女は平然としてその言葉を聞いていた。

「まず、あなたが持っている違法な魔法道具を全て私に渡してください」

 目を爛々と光らせながら笑みを浮かべ、彼女は女に向かって手を差し出した。

「……それは予想外だったな。分かったよ。ただ、片手ではなく両手にしてくれないかな。あんたの片手では収まりきらないからね」

 女は彼女の目を見つめ、しばし固まった後、ため息をついて腕につけたブレスレットを外して彼女の手の上に並べ、懐からも幾つか魔法道具を取り出した。

「これで全部ですか? あともう一つ。私に渡したブレスレット、あれは違法ではありませんね?」

「両方とも誓ってそうだとも。随分と信頼がないね。大切なお客様に違法なものを渡すわけがないだろう?」

 大げさに肩をすくめる女を横目に、彼女は渡された魔法道具に封印魔法をかけ、机の上に置いた。

「これはお国に使える魔導士以外は解けない封印魔法です。1週間以内に解くことができないと、爆発して魔法道具は使えなくなりますので、必ず訪ねてくださいね。では」

 呆然としている女には反応を示さず、彼女は広場の方を向いて歩き始めた。行きとは打って変わり、足早に路地を歩く彼女の背を追いかけるように、静かな路地に不釣り合いな笑い声が響いていた。



「お母さん! 見て! あんなところにお城があるよ!」

 子供の騒がしい声が狭い汽車に響く。本から顔を上げ、窓に目線を向ける。窓の中の景色からは確かに城が見れる。霧の中から姿を現した城の風貌に汽車に乗り合わせている乗客からは感嘆の声が上がった。

「立派な城だと思いませんか?」

 シンプルな白のブラウスに、バラ色のロングスカートを合わせ、深紅のネックレスをした上品な女性が彼女の目の前に立っていた。聞き覚えのある声が聞こえる。

「お隣、座らせてもらってもよろしいかしら」

「ええ、もちろん」

 彼女が体を少し端に寄せると、静かな動作で女性は彼女の隣に腰を掛けた。

「立派な城だと思いませんか?」

 視線を城に向けたまま、女性が呟く。

「そうですね。上を見上げると首が痛くなりそうです」

「確かにそうだわ。……あの城はタナース城というの。いつからあるのか、だれが作り出したのか。名前以外は何もわかっていないの」

「調査をすればいいのではないですか?」

「ああ、あなたは街の人ではないものね。あの城はいわくつきなのよ。近づけば呪われる。ひとたび城の中に入ると、必ず死んでしまうなんて噂が立つくらいよ。あながち噂ではないのかもしれないけれどね」

 女性は静かな面持ちで、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「ああ、そういえば、過去にあの城で賢者の石を作る実験が行われたという噂もあったわね。死んだ仲間を生き返らせるためだとか色々な噂が流れていたわ」

「……なぜそのお話を私に?」

 女性の手が彼女の持っていた本を指さす。

「怪異についての本でしょう? 懐かしいわね。私も読んでいたわ」

「それで、私に?」

「ええそうよ。見知らぬお若い旅人さんにお節介を焼きたくなってしまったの。私も身に覚えがあるから」

 女性は彼女の顔を見つめると、ニッコリと笑った。

「情報を事前に知っておけば、選択肢が広がるでしょう? 避けて通るのも、訪ねるのもあなたの自由だけれど、情報は手に入れておかないと飲み込まれてしまうからね」

「なぜあなたは怪異に興味を持ったのですか?」

「私は育ちが特殊だったのよ。怪異が身近に存在していたのよ。私の先祖が怪異だったの。それで……よく母からその話を聞いたわ」

「それは初めて聞きました。確かに特殊ですね……」

 汽車内にアナウンスが響く。女性は立ち上がって、身支度を整え始めた。

「次の駅で降りるのですか?」

「ええ、トリステンに行くの。初めての異国だから緊張しちゃうわ」

 女性はそう言ってはにかんだ。

「私、トリステン出身なんです。もしかしたら向こうでお会いするかもしれませんね」

「素敵ね。隣座らせて下さってありがとう。楽しかったわ。では、またの機会に」

 女性はひらりと手を振って、ゆっくりと汽車を降りて行った。

「名前お聞きするの忘れてしまいましたね……」

 扉が閉まり、鈍い音を立てながら汽車は再び動き始めた。



 騒がしい音を立て、汽車が停車する。高台に作られた一面ガラス張りの美しい駅に降りると、眼下に広がるのは美しい夜景だ。オレンジの暖かな光が、街全体を照らしている。天井は見上げるほど高く、光がガラスに反射して星のように煌めいている。乗客でごった返している駅に響くのは、歓迎の言葉と移動のアナウンスだ。アナウンスの指示に従い歩いていくと、人ごみの向こうに巨大な昇降機が見えてきた。細部まで装飾が施され、駅に溶け込んでいる。鈍い機械音と共に、昇降機が下に消えていく。あたりには旅行特有の浮かれた空気が漂っていた。昇降機が往復を繰り返すたびに乗客は消えていき、ざわめきも次第に静かになっている。昇降機が再び彼女たちの元へたどり着き、巨大な扉を開いた。周りの乗客と共に、彼女は昇降機に乗り込んだ。扉が閉まり、少しの振動と共に昇降機が降下し始める。格子状になっている床を空気が通り過ぎ、足元から天井へ緩やかな風を作り出した。

 昇降機から降り立つと、彼女はトランクを片手にゆっくりとあたりを見回した。駅前は格段に華やかで、随分前に陽が沈んだとは思えないほどの賑わいだった。

「エマ! こっち!」

 アディソンが大きく手を振って、エマのことを呼んでいた。エマは目線でアディソンを黙らせると、ゆっくりと彼女の方に歩いて行く。

「目立つ行動は控えてくださいと言っているでしょう」

 小声でアディソンを小突く。アディソンはエマの注意を意に介さず、楽しそうに笑っていた。

「時間も時間ですからこのままホテルに向かいますよ」

 エマの言葉を皮切りに、二人は夜の街へと消えていった。



 朝日が差し込むホテルの一室。カーテン越しの朝日が輝いている。壁に飾られている、森の絵が光を浴びて美しい世界を作り出していた。エマは未だに夢の世界に旅立っているアディソンをゆすり起そうとしていた。

「アディソン、早く起きないと朝ご飯を食べ損ねますよ」

「ん~。後5分……」

 何をしても一向に起きる気配のないアディソンにエマが業を煮やした。エマはアディソンのベッドのシーツを手に取ると、そのまま勢いよく引っ張った。アディソンは受け身も取れずに床に落下する。そんなアディソンの顔をのぞき込んで、エマは輝くような笑顔を浮かべた。

「おはようございます。寝坊助さん。あら、まだ起きていないのですか? ……頭からお水を掛ければ目がさめますかね?」

「おはようございます。もう眼は冷めているので、水は必要ないです!」

 アディソンは素早く体を起こすと、身支度を始めた。


「ここのホテルは食事が評判らしいですから、期待できますね」

「めっちゃ楽しみ。確かビュッフェスタイルなんだよな。ここの」

 穏やかな掛け合いが続く。のんびりと廊下を歩いていると、小窓から街の様子が垣間見れた。夜景とはまた雰囲気が変わり、穏やかで、清々しい空気が漂っていた。階段を下りた先にある大広間は多くの客でにぎわっていた。部屋番号が記入されたカードを受付に差し出し、中に入る。壁や床、机などは落ち着いた茶色でまとめられていて、天井には控えめなシャンデリアが輝いている。その真ん中に料理が所狭しと置かれた長机が設置されていた。色鮮やかな野菜から、薄く湯気を上げる焼きたてのパン、様々な種類のスープに、瑞々しいフルーツ。その他にも、たくさんの料理が並べられていた。二人はそれぞれ気になるものを少量ずつよそい、机にもどってきた。

「このスープ、少しスパイスが効いていてとてもおいしいです。具材がたくさん入っているところも食べ応えがあっていいですね」

「そうだね。このお肉もおいしい」

アディソンが食べているのは、しっかりとした骨付き肉だった。

「あ、それ知ってます。確か、ターキポディって言う名前だったはずなんですけれど……」

「あ~たぶんあってるよ。説明の所にそんな感じの名前が書かれてた」

 話している間もアディソンは食べる手を止めない。エマがスープ一杯を飲み切る間に、アディソンは皿に乗っている料理の三分の一を食べきっていた。エマはそんなアディソンを無言で眺めていた。

「どうしたの。あ、このお肉欲しい? おいしいよ」

 アディソンがフォークに刺された肉をエマに差し出した。エマは大きくため息をつくと、アディソンからフォークを取り上げ、自分の皿の上に置いた。

「それで、何か情報は集まりましたか?」

「これと言って怪しい噂とか行動とかはなかったけど、気になることはあったよ」

「どんなことです?」

「一般常識だと、賢者の石って想像上の産物じゃん。アーセル地方の人たちはこれが実在してるって信じてるみたいだった」

「賢者の石の実在を信じているんですか?」

「ん、いや、少し違うな。……賢者の石がこの世にあるのが当然のことだと思っている感じだった」

 エマが眉を顰める。アディソンは考えあぐねるように唸り声を上げながら、水を少し口に含んだ。

「もう少し分かりやすく説明してくださいな」

「私たちは魔法がこの世に存在して、それを使えることを疑問に思わないでしょ?魔法が使えるってことが普通で、当たり前のことだから。アーセル地方の人は、賢者の石について、こんな感じの態度だったんだよ。伝わった?」

「なるほど。賢者の石が存在するということが、彼らの中では当たり前の事実という事なんですね。なるほど……」

 エマが考え込んでいる間にアディソンが皿の上からフォークを取り戻し、食事を再開した。しばらくして、思考の海に沈んでいたエマが戻ってくる。

「あ! アディソン! なんのためにあなたからフォークを取り上げたと思っているのです! いったん食べるのをやめなさい!」

「食事が終わってから、部屋で話せばいいじゃん。せっかく高いところ取ったんだし、味わって食べようよ」

「……仕方ないですね。貴方の言っていることも一理ありますし、残りの話は部屋に戻ってからにしましょうか」

 エマも机に向き直り、フォークを手に取った。



「あ~、お腹いっぱい。いろんなのあって欲張りすぎちゃったかも。食べ過ぎた~」

「色々なものがあって目移りしたのは同意しますが、あれは欲張りすぎたかもではなく、まさしく欲張りすぎですよ。高級なホテルなんですし、もう少しお上品に食べてください。まったく……」

「今日はシリアさんにお会いする日なんですし、部屋にもどったら改めて情報交換もするんですよ。真面目に取り組んでくださいね」

 アディソンに対してお小言をこぼしながら、エマは部屋の扉を開けた。その瞬間、部屋から水をよく含んだ重たく冷たい風が吹いてきた。その風から、木や土の匂いが香る。

「森の匂いですかね……? それにしても随分と湿気が多いですね。窓を開けて換気をしましょうか」

 エマが部屋に足を踏みいれ、窓を開け放った。窓からは高原の様なさわやかな空気が入り込んできた。多くの家が朝の支度をしているのか、食欲をそそる良い香りも一緒に流れてくる。エマは窓から部屋に向き直ると、目を細めた。

「さてと。では原因を探しましょうか」

「エマ! これが原因みたい」

 寝室からアディソンの声が聞こえる。寝室はじっとりとした空気で満ちていた。

「なるほど、この絵ですか」 

 アディソンが示していたのは寝室に飾られていたあの森の絵だった。

「うん、この霧の部分かな? ここら辺から魔力が出てきてるんだと思うんだけど」

 アディソンはそういいながら、絵に手を伸ばした。

「やめなさい、アディソン! 触ったらそれが発動する可能性もあるんですよ!」

 エマの叫び声と同時にアディソンの指が絵に触れ、絵からあふれ出た霧が二人を包んだ。



「……何か言い訳はありますか」

 アディソンの前で怒気を発しながら、仁王立ちをするエマ。彼女たちは今、濃霧に覆われた森に佇んでいた。生き物の気配は全く存在せず、二人が立てる物音だけが響いていた。それもそのはず。彼女たちが今いるこの森は、寝室に置かれていた絵の中の森なのだから。

「貴方も子供ではないのだから、得体のしれないものにすぐ触ろうとする癖を治しなさいと再三言っているでしょう! あなたは世界政府直属の防衛隊の一員なのですよ! 私に対する態度は大目に見ますが、仕事は別です! 他の人間を差し置いて選ばれているのですから、もっと責任と緊張感をもって取り組みなさい!」

 よほどお冠なのだろう、肩を怒らせて怒鳴り散らしている。アディソンは彼女の前で縮こまっている。いら立ちをごまかすように長く息を吐きだしてから、エマは自分の頬を両手で叩いた。

「さて、切り替えていきましょう。ここで怒り散らしても物事が解決するわけでもありませんので。ですが、今言ったことはあなたの大きい課題ですよ。十分に反省して、念頭に置いておくようにしなさい」

 エマが顔を輝かせたアディソンを横目で睨む。睨まれたアディソンはわかりやすく肩を震わせると、あからさまに顔をひきつらせた。

「全く。反省する素振りはうまいのですから……。さて、ではここから脱出方法を考えましょうか。まず一つ目。純粋にこの絵の魔法を解除して脱出する方法ですね。しかし、木の葉網は私も初めて見る形式の様なので、細かい仕組みなどは分かりません。対象をものの中に引きずり込むようなものでしょうが、我々の知識では解呪は不可能でしょう。では、次に行きましょう。次は、内側から絵の破壊を試みる方法ですね。おそらく通用すると思いますが、我々も破壊に巻き込まれる可能性があるため、危険度はある程度高いですね。これくらいでしょうか。他に何か思いつくことはありますか?」

「……この絵には限界があるじゃないですか。この魔法が純粋に絵だけにかけられていて、他に幻惑魔法とかが使われていないんだったら、絵の端に行って、額縁を壊せば出られるんじゃないかな」

「なるほど……試す価値はありますね。では、アディソンの案で行きましょう」

 エマとアディソンは横並びになり、森の中に足を踏み入れた。



 絵の中に取り込まれ二時間ほど経ったころ。エマとアディソンの前には茶色い、巨大な壁が立ちふさがっていた

「なるほど、これが額縁ですね」

「よし! ふっとばしちゃおう」

アディソンが壁に向かってありったけの攻撃魔法を使おうとする。しかし、いつまで経っても、魔法は発動しようとはしなかった。

「どうして発動しないんでしょうか……」

「……たぶん、あの絵が魔力を吸収してるんだと思う。昨日、寝るときは魔力なんてかけらも感じなかったから」

「なるほど……」

「たぶん、私たちの泊まる部屋にこの絵を置いたのも故意なんじゃないかな。たまたま魔法道具になってる絵が紛れ込んで、魔導士が泊まる部屋の家具になって、たまたま魔力を吸収して発動するなんてのは、偶然にしては出来すぎな気がする」

「……行方不明事件の誘拐手段は判明しましたね。我々も誘拐されている最中ですが。この大きな壁、どうしましょうか……。魔法も使えないようですし……」

「……! 分かった! この絵が吸収しきれないくらい魔力を放出したらはじき出されるんじゃないかな!」

 唐突にアディソンが声を上げた。

「可能性はありそうですね。我々がそこまで出せるかが問題ですが……。やるしかありませんね」

「では、私の掛け声と同時にお願いします。3、2、1、始め!」

 先ほどまでは奥行きを感じられた森が、まるで紙のように平面に変わっている。絵が波打っているのだろうか、まるで生物のように揺れていて、とても気持ちが悪い。揺れが最高潮に達した時、二人は押し出されるようにして、絵の中から飛び出した。寝室の床に倒れこむように着地する。アディソンはそのまま床に仰向けで寝そべった。

「アディソン、汚いですよ。疲れているのはわかりますが、床に寝っ転がるのはやめなさい」

 エマがかろうじて注意するが、エマも床に座り込んだまま、立ち上がろうとしなかった。お互い喋る余裕もなく、無言で疲れを癒していた。

「この後、リシアさんとお会いするのでしたよね……。せめて、汗を流して身支度を整えなければ……」

 エマが呻くように呟き、体を起こす。ふらふらと頼りない足取りでシャワー室に消えていった。



 空はオレンジに染まっていた。窓から入ってきた光が部屋を染め上げる。3人分の影が浮かび上がる。

「改めて、世界政府直属、防衛隊所属のエマと申します。隣は私の部下のアディソンです」

「ご丁寧にありがとうございます。トリステン政府に雇われているしがない石の専門家、リシアです」

 二人の前に立っている、リシアという人間は、眼鏡をかけた色白の男性だった。目の下には薄く隈が浮かんでおり、ずっと何かを警戒している様だった。

「せっかくですし、ぜひ座ってください。今お茶を持ってきますね」

「お気になさらないでください。早速ですがお話を伺ってもよろしいでしょうか?」

「……ああ、そうですね。……この町の人々はおかしいのです。彼らは賢者の石の存在を信じている。彼らは賢者の石を神からの贈り物だと考えているのです。行方不明になった観光客たちは神への貢ぎ物に違いないんです!」

 リシアは顔を赤くして叫び始めた。振り回している手は大きく震え、ちぐはぐさが目につく。次第に息は乱れ、錯乱し始めてしまった。

「アディソン、リシアさんを押さえてください」

 傍らに立っていたアディソンにそう指示をすると、エマは鎮静の魔法を使う。リシアの体から力が抜けて、呼吸も落ち着いたものに変わっていった。

「すみません……取り乱しました」

「いえ、大丈夫ですよ」

 リシアはぐったりと椅子に座っていた。深呼吸をすると、姿勢を正して二人に向き直る。

「改めてお話させていただきます。先ほども言いましたが、この町の人々は賢者の石の存在を信じています」

「我々も同じ考えですね。アディソンがそのように言っていましたし」

「流石ですね。……西の森にそびえたつ城についてはご存じですか?」

「……汽車に乗っている最中に見えましたね。濃い霧があたりを覆っていたのが印象的でした」

「あそこも不穏な噂が流れているのです。あの城の名前や、作られた時代は誰も分からないんですが、城付近で行方不明事件が頻発して、今は立ち入り禁止区域になっているんです。」

「あの霧が一年中かかっているのでしたら、仕方のないことだとは思いますけれどね……」

「まあ、確かに霧のせいだという人もいます。ですが、政府が立ち入り禁止区域に設定している場所を町の住民が観光客にお勧めするのはいささかおかしいと思うのです」

「……では城の付近に何かが存在していて、それが住民と手を組んで、観光客をさらっているとリシアさんは考えていらっしゃるのですか?」

「はい、そのように予想しています」

 エマは険しい顔をして黙り込んだ。

「どうかしました? エマさん」

「いえ、汽車に乗っている最中に親切な女性が城について説明してくださいまして。……ナタース城というそうですよ、あの城は」

「その女性は町の住民でしたか?」

 リシアの顔はこれまでにないほど青白くなっていた。

「少なくとも、町の住民ではないでしょうね。彼女が言っていることは明らかに街の方にとっては不利益ですから。ああ、それと彼女によると、城では賢者の石を作る実験が行われたという噂があったとも言っていましたね」

「……今私たちが考えていることが事実だとしたら、まずいですよね…」

「ええ、大変よくない状況になりますね。事実でないことを祈るばかりです。それと、1つ、……いえ2つですね。お話したいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

「ええ、もちろん。どうしたんですか」

 エマはカバンから最初の日に占い師に押し付けられたブレスレットを取り出した。ブレスレットを机の上に置くと、リシアの方に差し出した。

「これについてです。最初の日に怪しい占い師に押し付けられまして……。私もできる限り調べてはみたのですが、やはり一度専門家に見てもらうべきだと思いまして……。お願いしてもよろしいでしょうか」

 リシアはブレスレットを手に取り、赤い石をしげしげと観察していた。

「もちろんです。分かり次第連絡しますね。それで、もう一つは何でしょう?」

「あ、それは私が話すね」

 今まで無言で二人の会話を聞いていたアディソンが名乗りを上げた。

「魔法についての話なんだけど、魔力を吸い取る魔法と人を物の中に取り込む魔法について聞いたことある?」

「申し訳ないんですが、記憶にないですね……。どうしてですか?」

「今朝、寝室にあった絵に取り込まれてしまったのです。脱出方法は省きますが、絵に描かれていた森の中に取り込まれてしまって……」

「おまけに魔力が吸い取られて、その中ではろくに魔法は使えないし……。散々だった……」

「……もしかしたら、この土地にずっと昔に住んでいた、シャーマンたちの技かもしれません。彼らは私達とは全く違った魔法を使う様で……。エプターマサ国立博物館に併設されている図書館なら彼らについての資料が載っているかもしれません」

「なるほど……。ありがとう! 訪ねてみる」

「ああ、そうだ。4日後に開催される祭りについてはご存じですか?」

「1年に1度開かれて、神からの祝福が授けられる大切なお祭りだ、と町の方からお聞きしましたけれど……。何か問題があるのですか?」

 リシアの表情が硬くなり、言いよどむ。震えている手を握りこんで、大きく息を吸った。

「推測の範囲を出ないのですが、この祭りで神から授けられる祝福こそが彼らの考える賢者の石なのではないかと考えているんです」

「なるほど……。理由をお聞きしてもよろしいですか」

「……この町に古くから伝わる詩がありまして」

 リシアが少し声を潜めて二人に言う。エマはメモを取り出して、書きとる準備をしている。

「少しあやふやになってなってしまっていますが、こんな詩でした」



 西は神がおわす所。決して足を踏み入れるなかれ。

 仇なす者には、神の罰が下るだろう。

   神に感謝を捧げぬ者、自らの宝を奪われるがよい。

   神を傷つけし者、自らの意思を奪われるがよい。

   神の聖地を荒らす者、自らの身を神に捧げるがよい。

   神の宝を持ち出し者、神の怒りに触れるがよい。

 神に命をささげたまえ。さすらば、祝福が訪れん。



 エプターマサ国立博物館の前には大勢の観光客が訪れていた。巨大なレンガ造りの門をくぐると広がるのは、美しい庭園とレンガで作られた貫禄のある二つの建物。大きさに差があり、大きい方が門の真正面に立っている。少し斜めに言った所に一回り小さい建物がある。建物のレンガは所々が灰色に色あせていて、歴史を感じさせる。庭園にも草花が生い茂っていて、レンガとのコントラストが美しかった。門から少し進んだところに、大型案内板が描かれている。門の真正面に立っている大きい方が博物館で、小さい方が図書館の様だ。小脇に作られた細道を辿り、図書館の前に行く。博物館よりも小さいとはいうものの、こちらも十分立派だった。外観は教会の様な作りになっており、不思議な雰囲気を醸し出していた。道の正面に木で作られた扉が設置されていた。今は開け放たれ、中の様子がよく見える。

「すみません。ここの見学をしたいのですが……」

 エマが受付の職員に話しかける。

「こんにちは。ようこそおいで下さいました。図書館へのご入場ですね。承知しました。この用紙を記入していただいてから、もう一度お声がけをお願いします」

 職員が個人情報を記入する用紙を二枚差し出した。用紙を手早く記入すると、再び職員の方へ向かう。

「ありがとうございます。世界政府の方なんですね! では、身分証明できるものをご提示ください。……ありがとうございます。エマ様、アディソン様は世界政府所属の方ですので、閲覧制限はございません。ただし、持ち出しは禁止になっておりますので、この点はご注意ください」

「あの……過去の新聞が保存されてるのってどこですか?」

 アディソンが珍しく敬語で話しかける。

「案内しますね。こちらです」

 職員は奥まったところにある昇降機に二人を案内すると、起動のスイッチを押した。そのまま地下に下ると、そこには本棚が所狭しと並べられていた。

「ここですね。およそ、過去五百年分は保存されていると思います。では、失礼します。ごゆっくりどうぞ」

 職員は一部の本棚を指さすと、一礼して、そのまま戻って行った。

「さて、読みましょうか……」

 二人は付近の棚から適当に新聞を抜き取ると、地道に新聞を読み始めた。



「当図書館にご来館いただき誠にありがとうございます。閉館の一時間前となりました。貸出は許されておりませんので、当館の中で読み切っていただくようお願いします」

 アナウンスが二人の耳にも入ってきた。エマは我に返ったように、あたりを見回すと、長時間酷使した首をほぐし始めた。

「アディソン、何か情報はありましたか?」

「面白いのがあったよ。二年前って、行方不明になった人が少なかったじゃん?でも、こんな事件が街の中で起こってた」

 そういって彼女が指し示すのは、新聞の見出し。

「学校から丸ごと人が消えた…?」

「そう、霧に包まれて、その霧が晴れたら、もうそこには人がいなかったみたい。先生も生徒も。阿鼻叫喚だったみたいよ。この後の新聞、しばらくこのことしか触れてないもん」

 アディソンが他の日付の新聞を取り出してくる。

「エマはどうだった?」

「細かいことは分かりませんが、リシアさんが話していたシャーマンについての資料を見つけましたよ。シャーマンがこの地に先住民として暮らしていたところに、今の人々が移ってきたみたいですね。そこで、シャーマンが差別されていたようで……。差別に抵抗して立ち上がったら、虐殺されてしまったようです……。シャーマンの族長が作った魔よけのブローチが領主、トロント家に代々伝わっている、だそうです」

「血なまぐさいね……」

「まあ、どこの国でもこのような歴史はあるんですけれどね…。やるせないですね」

「今日、どうする? あと、一時間らしいけど……」

「今日はもう撤収しましょう。また明日、改めて訪ねましょう」

 アディソンはエマの言葉に頷くと、自分が散らかした資料を片付け始めた。



 日が傾き始めている、図書館の帰り。長官から思わぬ連絡が入った。

「エマくん、アディソンくん。調査は順調か? 一つだけ緊急で頼まれて欲しいことがあるんだ。明日、アーセル地方の領主、レスト・トロントの所に行って、話をしてきて欲しいんだ。彼には今、あれの製造、販売容疑がかかっていてね。逃げないように見張っていて欲しいのと、せっかくの機会だから、今回の件に関しての情報を得ることができないかと思ってね。彼には、私の部下が明日の十時に行くといっているからよろしく!」

「長官⁉ お待ちください、明日は……! ……切れましたね」

エマが頭を抱える。アディソンも苦笑いを浮かべていた。

「マジか~! 別に情報は手に入りそうだからいいけど……」

「しょうがありません。明日は予定変更です」



 翌朝、二人は領主の屋敷の前に立っていた。

「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

 二人はメイドについて歩く。奥まったところに、ひときわ大きい扉があった。

「話は聞いていたよ! 私はアーセルの領主、レスト・トロントだ。よろしく頼むよ」

 亜麻色の髪を後ろになでつけていて、胸には美しい細工が施されたブローチが輝いている。差し出された手をエマが握ると、手首には見覚えのある形のブレスレットが輝いていた。

「それで、何が聞きたいんだい?」

 領主はテーブルの上に準備された紅茶を口に含んだ。

「この地域で、観光者がよく行方不明になっているのはご存じですよね?今回、我々はこの件の原因について調べておりまして……。なにがご存じのことがあれば、教えてくださると大変ありがたいのですが……」

「ああ、知っているよ! その件ならすでに解決したと思ってくれて構わない!」

「どうしてそう言い切れるのですか?」

「あれはね、昔、我々の祖先を大量に殺害した、シャーマンによる術なんだ。もう全員死に絶えたと思っていたのだけれど、実は生きながらえていたらしくてね。だけど、もう私が対処したからね。それに関しては心配ないよ」

 胡散臭い笑みを浮かべる領主。エマはアディソンを顔を見合わせた。

「エマさん! アディソンさん!」

 廊下から大きな音が響き、領主の部屋に飛び込んできたのはリシアだった。髪は乱れ、服は皺だらけ。召使いに追われながら必死の形相で飛び込んできた。手には、見覚えのあるブレスレット。

「なんだ貴様は! 不法侵入だぞ!」

 領主が叫ぶ。廊下からは召使たちの怒号が聞こえた。

「これ、召喚魔法がかかってます。特定の日時に、特定のことをすることで発動するみたいですけど……」

 リシアは周りのことなど気にも留めず、二人にブレスレットの説明をし始める。まさに現場は混沌としていた。エマはとっさに、部屋の鍵をかける。同時にアディソンが動き、領主を黙らせた。

「リシアさん。もう一度説明していただいても良いでしょうか」

「ええ、まず、ブレスレットですが、特定の時刻に特定の行動をすると、転送魔法が発動するようになっています。おそらく、今日の祭りの時に、持っている人物をナタース城に転送させるためのものの様です。見たことのない形式なので、先日お話したシャーマンの技である可能性もなくはないです」

 アディソンは領主の手首を眺めた。

「石の色は違うけど領主さんも同じ形の奴持ってるんだね」

「これは占い師に貰ったんだ。自分で作るわけないだろう。それに! 私が犯人ならばこんな分かりやすいのはおかしいだろう!」

 領主が必死の形相で訴えかける。

「今はブレスレットの犯人捜しをしている時間ではないでしょう?」

 エマが領主を宥めていると、廊下から召使いの声とはまた別の声が聞こえ始める。エマはそれを聞くと、鍵を開けてその声の持ち主を部屋に招き入れた。

「世界政府直属、治安維持隊のデイヴと申します。世界政府からの要請で、アーセル領、領主、レスト・トロント。違法な魔法道具の所持、および、製造、販売の容疑で連行します」

 青い制服に身を包んだ三人組が扉から姿を現した。領主は唖然として、声すら出せないようだった。彼らはエマとアディソンに軽く会釈をすると、領主に近づいていった。

「違う! 私はそんなことしていない!」

「あくまで容疑ですから、裁判がありますよ」

「今日は無理だ! せめて明日にしてくれ! 今日は大切な祭りがあるんだ!」

 領主が懇願するが、三人は意に介さない。強制的に連れて行こうとして、抵抗にあっている。デイヴが一言言う。

「これ以上抵抗するのであれば、余計に罪が重なりますがよろしいですか?領主殿?」

 その言葉を境に、彼はぴたりと抵抗をやめ、素直に連行されていった。エマ達もデイヴたちの後に続き、屋敷を出る。屋敷の前には、転送魔法の魔法陣が大きく描かれており、存在感を放っていた。エマが淡い光を放つ魔法陣の中に滑り込むと、目も眩むほどの光が放たれ、エマ達の姿がかき消えた



 転送されたのは世界政府の中央棟の門の前だった。

「ご苦労だったな。エマ、アディソン」

 門に寄りかかるようにして長官が佇んでいた。領主が連行されていくのをしり目に、会話に花を咲かせる。

「本当ですよ……。事前に連絡を入れてください……」

「でも、どっちにしろ話をしに行く必要はあったから、一石二鳥じゃない?」

 門の前で軽口をたたきあう。達成感も相まって口がよく回る。

「長官! エマさん! アディソンさん! こちらに来てください! 動きがありました」

 廊下を走ってきた部下に引っ張られた先は、監視室。後ろの方に領主と首元に赤を添えた見覚えのある女性が佇んでいた。大きなモニターに移されているのはアーセル地方の風景だった。上空から取られたそのアングルには、霧をまとったナタース城も映り込んでいた。本来は森でしか発生していないはずの霧が、街の方に大きく動いていた。

「長官! アーセルに住んでいる人々を違う地域に避難させてください!」

 エマが大きく声を上げた。

「どうしたんだ? なぜそんなに慌てている?」

「二年くらい前に、霧で覆われた学校から人が全員消えてしまったという事件がアーセルで発生してたの。それに、霧はそれ以前、百年以上森以外で発生してない! 原因はわかんないけど、今回も行方不明者がでる可能性がある!」

「リーレ! サーザイル政府に問い合わせろ! 事情を説明して、避難をさせるんだ!」

 長官の素早い指示が飛ぶ。すぐさま一人が監視室を飛び出していた。続けざまに飛ぶ長官の指示に、部屋は騒然とした。

「西は神がおわす所。決して足を踏み入れるなかれ。仇なす者には、神の罰が下るだろう。神に感謝を捧げぬ者、自らの宝を奪われるがよい。神を傷つけし者、自らの意思を奪われるがよい。神の聖地を荒らす者、自らの身を神に捧げるがよい。神の宝を持ち出し者、神の怒りに触れるがよい。神に命をささげたまえ。……さすらば、祝福が訪れん」

 女性が呟く。領主は青ざめた顔で、モニターに釘付けになっている。

「エマ! アディソン! お前たちが一番事情を把握している! 原因を探れ!」

「了解しました!」

 アディソンは領主の腕を掴んで尋問室に連れて行く。

「こんにちは。またお会いしましたね」

 エマの前には汽車で出会った女性が佇んでいた。

「……あなたはどうしてここに居るんです?」

「私が、レスト・トロントは違法な魔法道具を作って、売りさばいていると証言したのですよ。それが、ここに居る理由です」

「そうでしたか。ご協力ありがとうございます」

「私こそ、あなたが魔導士とは……しかも国直属だとは知りませんでした……優秀なのですね」

「褒めていただきありがとうございます。けれど、私の素性など初めからご存じだったのでは? 占い師」

  エマの瞳が細められる。

「素晴らしい観察眼ですね。改めて自己紹介をさせてください。私の名前はサーリャ・エルケンド。あのシャーマンの生き残り、です」

「……ああ、なるほど。では、これは民間人を巻き込んだ復讐劇なのですか。随分と身勝手ですね」

「いえいえ。これはレスト・トロントの罪ですよ。違法な魔法道具の製造、販売は私が復讐のためにでっち上げた冤罪ですが、神の怒りに触れたのは紛れもない彼でしょう?」

「……埒があきませんね。尋問室までご一緒してもらっても? そこですべてを説明してください」

「喜んで」

 エマの鋭い、刺すような視線とは裏腹に、彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべた。




 アーセル地方における、行方不明者と霧、怪異の関連性について

 

 アーセル地方に先住していた、シャーマンの末裔のサーリャ・エルケンドの証言を元に、怪異発生の経緯、その後の状況をまとめたものである。

 

 怪異発生の原因 直接の原因は、ナタース城に乗り込んだナタース・エルケンドによる虐殺と人体実験である。この時生まれた怪異が、彼を核として成長した姿が今の姿だと考えられる。

 

 怪異発生の経緯 当時の領主、ダーウェル・トロントによりシャーマンの虐殺が起こる。それに怒った族長のナタース・エルケンドが当時、場内にいた人間を軍人、民間人含め、虐殺する。そして、賢者の石の実験を開始する。彼は実験の材料として人間を使っていると考えられる。この時期に「西は神がおわす所~」という詩が生まれたと予想される。この詩に登場する神というのは、ナタース・エルケンドが核となった怪異のことを指し示しており、これを破ると、罰が発生する。


 街が霧に包まれた今回の事件について

 今回の事件の発生の要因は、レスト・トロントが装着していた、魔よけのブローチである。これはナタース・エルケンドが妻のために作成したものと伝えられており、これが、神の宝だったのではないかと考えられる。しかし、トロント家に代々伝わるものであったために、発見が遅れた。詩に記述されているように、神の宝をアーセル地方から持ち出したため、ナタース・エルケンドの怒りに触れたのではないかと考える。今回の件を鑑みて、今後アーセル地方は封印処理を行ったのち、禁足地として設定し、出入りを禁じる。


 追記 神に感謝を捧げるというのは、生贄を捧げることだと考えられ、学校で起きた行方不明事件は自らの宝物を奪われるという罰が与えられたのではないかと考える

                              

                              エマ・ブライトン


 彼女、サーリャは真っ白い病室の中、ベッドに埋もれていた。手元には本が置かれており、その本を持っている腕には点滴がつながっていた。エマはお見舞いの花束を片手に、サーリャの病室に訪れていた。

「調子はどうですか?」

 小さな机の上にある花瓶に花束を入れると、そのまま近くにある椅子に腰かける。

「あれがどうして違法になっているかが分かったわ。あなたにナタース城について話してから頭痛が止まらないもの」

 サーリャは読みかけの本を閉じて、エマに苦笑いを向ける。

「それはそうですよ……。今日はもう一つお聞きしたいことがあるのですよ」

 エマは机の上に、ブレスレットを二つ置いた。赤と青が美しく輝いている。

「これはいったいどういう目的で我々に渡したんです?」

「これですか。……二年前の事件は知っていますか?」

「子供が多数行方不明のものですか?」

「ええ、そうです。あれは神に捧げる生贄が少ないと、起こるのです。詩の中に、神に感謝を捧げぬ者、自らの宝を奪われるがよい、というフレーズがあるでしょう? 捧げる生贄、すなわち観光客ですね、が少ないと子供が攫われるのです。だから、彼らは必至で観光客を生贄にしようとするのです。破ったらどうなるか知っているから。……人間って怖いですね。話を戻しますね。私は今回、これを意図的に起こそうとしたんです。すなわち、生贄とみなされていたエマさんを、他の場所に移動してしまえば、生贄の数は足りなくなります。貴方に渡したこの赤いブレスレットは、祭りの十分前にトリステンの世界政府中央棟に転送するように魔法を込めました。リシアさんの思っている通り、シャーマンの技術でね。領主に渡した青い方は、ナタース城に転送する魔法が込められています。彼は魔法使いではないですから、生贄にはなりませんが、自分がしてきたことを目の当たりにしてほしかったのです。これが、私の復讐ですよ」

 静かな語り口で、彼女は話した。

「では、なぜ、違法な魔法道具についての罪をでっち上げたのです?」

「それは、ただ、直前まで現地で拘束してくださるかなと思ったからですよ。証拠が見つかるまでは、アーセル地方で拘束してくれるだろうと。そうすれば、彼が私の思惑に気づいたとしても逃げられませんからね」

「なるほど。ありがとうございました。今日はこれで失礼しますね。また、伺います」

 エマは扉の前で一礼すると、そのまま去って行った。



「死者、32名、行方不明者、526人と今入ってきている情報ではなっています」

「封印は施せたのか?」

「はい、ほぼ終わりかけています」

「そうか」

 長官は長い溜息をついて、背もたれに体を預けた。長官もエマも薄く隈ができていて、顔色がいいとは言えない。

「これを一件落着というのも違うが、何とか落ち着かせることは出来そうだな……」

「生き残った住民は半分程度ですね」

「まあ、仕方がないところもあるだろう。これだけ大きな怪異の事件でここまでの被害で済ませられただけでも御の字だ。エマくん、上がりなさい。後は私達でやっておく」

「では、お言葉に甘えて。失礼します」



 着替えもせず、シャワーも浴びないまま、ベッドに飛び込む。付けっぱなしになっている通信道具からは、政府の放送が流れていた。



「死者、32名、行方不明者526名という、これまでにない被害を出した、アーセル地域のナタース城の怪異ですが、魔導士たちの迅速な対応により、すでに封印の作業が開始されています。そして、アーセルの領主であるレスト・トロント氏はアーセルにおける観光客の行方不明事件や、その他の殺害事件にかかわっていると見て、調査が行われています。それでは、次のニュースです。……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る