ひすいくも『遥か彼方の海』

 かつてここは海だった。商船が行き交い、時には海賊が跋扈する、漁師たちは舟唄を歌い、街へ海の幸を届けるために精一杯働いていた。

 ある年の海の祭、海洋の神に捧げる首飾りを偽物にすり替えた王様がいた。誰も偽物だとは気づかなかった。知っていたのは悪い宝石商と王様だけだった。その日から一粒の雨も降らず、王様は死に、人々は街を出た。






 それからここは、一面の砂漠である。





♢♢♢♢♢


 

 広い草原に、太った男と背が高く痩せた男が二人、馬に乗って歩いていた。身なりからして、商人だろう。いかにも悪そうな人相をしている。

「あの王様もバカだよなぁ、たった3000万ゴールドのために自分の国を失うなんて」

 太った方が笑いながら言う。

「そうですね、ヒヒッ」

 手下なのだろうか、細い方は笑いながら賛同の言葉を口にした。

「こんなに綺麗な宝石ならもっと高値で売れるのにな、所詮、箱入りの坊っちゃんだったってことだな」

 そう言いながら取り出したのは深い青色の宝石が付いた首飾りだ。太陽に掲げると、宝石から降る光が青く輝く。

「ん? 親父、その宝石ってそんな暗い色してましたっけ? あの王様、虹の輪がみえるとかなんとか言ってませんでしたっけ……?」

 後ろから細い方が覗いている。

「うーむ、そう言われてみればそうかもしれない。ま、これでも王都に行きゃいくらでも高く売れんだろ」

「確かに、そうでやした!」

 そういいながら二人は王都へ向かって進んでいった。


♢♢♢♢♢


 王宮。高い天井の大広間には、王様と大臣、近衛兵が揃っていた。そして中央にはあの、人相の悪い二人の商人が跪いていた。

「遠路はるばる、よくいらっしゃいましたね。さて、本日はどのような素晴らしい品物をお持ちいただけたのでしょうか」

 口調こそ穏やかなものの、いやみったらしく、警戒心の強い鋭い目つきで大臣が言った。

「各地の素晴らしい宝石を集めてまいりまして、如何でしょうか、一度ご覧になってはみませんでしょうか?」

 太った方が言う。

「うむ。では、見せてみよ」

 王様は興味があるともないとも取れる口調で話しかけた。

 大臣は終始ピリピリした空気を纏っているためか、ふたりとも頭を垂れたまま、ピクリとも動かない。

「商人、王様が見せよと仰っている。袋の中身を出して見せてみろ」

 近衛兵が二人に向かって淡々と言った。

 太った方は細い方に「早く出せ!」と小さい声で叱責した。

「は……あ、ヘイっ!」

 慌てて、袋の中身を出して敷いた布の上に、並べていく。

 太った商人は布の手前に膝をついて、意気揚々と解説を始めた。

「では、まず、王様から見て一番右の透明な宝石から。こちらは鉱山の街でプラチナダイヤモンドともいわれる大変貴重なエスカラフォライトでございます。100年生きたカタツムリの殻にできると言われておりますが、ここ数十年、採掘記録はございません」

 商人が息をついていた瞬間にすかさず大臣が話し始めた。

「そんなもの、王様はとうの昔にご存知である。何せ王冠に敷き詰められた宝石は全てエスカラフォライトなのだから。王様、こちらは必要ないのでは、ないでしょうか」

 商人は苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「うむ、確かにそうじゃな、大臣」

 商人は大臣のことを睨もうとするが、あの鋭い目つきに気圧されてしまう。

「で、では、こちらのレッドアンダマイトはいかがでしょうか」

 数ある宝石の中でも一段と紅く光っている宝石を指しながら続けた。

「鉱山の街とエルフの街の境にある村でしか取れない貴重な鉱物でございます。アンダマイトの中でも赤いものは賢者の石と呼ばれ、長寿のお守りとして重宝されております。多くの場合は瘴気を吸収する効果を持っており、吸収した結果、ヒビが入っているものが多いですが、今回手に入れたものは無傷で、まだ瘴気を吸収していないものです。……いかがでしょうか?」

「それは、つまり、瘴気を吸収しないものだということか……」

「へ? あ、いやいやいやいや、そんな、そんなことは…………」

 商人は言い訳を考えるものの、大臣に気圧されて言葉を失ってしまう。

「お前は、馬鹿にしているのか?」

 静かに怒りを込めて話しだした大臣に、商人はますます縮こまる。

「そ、そんな、滅相もございません。こちらは、本当に瘴気を吸っていないだけで……」

「もういい。静かにしろ」

 その言葉に、太った商人は焦った。

「も、申し訳ありません……」

 しかし、あと一つだけとっておきの、ある美しい宝石があることを思い出した。

「王様! あと、もう一つ。もう一つだけ見てはいただけないでしょうか!?」

 大臣は商人たちを睨んで、追い払おう動き出すが、王様がわずかに手を上げて制止した。

「うむ、よかろう。大臣、時間はあるだろう」

「はぁ……王様がそうおっしゃるのであれば、仕方ありません。お前たち、王様に感謝しろ」

 大臣は少し落ち着いて自分の立ち位置に戻る。

「寛大なお心遣い感謝致します、王様」

「よし。おい、お前! ”海の宝石”! 青いやつ、青いやつだ! あれをだせ!」

「あっ、へ、ヘイッ」

「”海の宝石”……」

 大臣は不審そうに二人を見ていた。

 宝石をまだ、並べ終わっていなかったのか、細い方の商人は袋をひっくり返して宝石を探し始めた。

「どうした、青い宝石は一つしか無いはず!?」

 しかし、青い宝石など袋の中には一つも入っていなかった。

「い、いや、それが……」

 しどろもどろになりながら、細いほうが説明しようとするが、太った方が押しのけて探し始める。

「無い、無い!? ……なぜだ、どこに……!?」

 袋の中も、自分たちの服のポケットも探したが、結局見つけることができなかった。

「親父……もしかして、これ……」

 そう言って細い方が太った方に何かを差し出した。

「……な、なんだこれは…………」

 商人たちは呆然としていた。それもそのはず、” 海の宝石”と思われる何かは元の面影を失っていた。唯一残っていたのは、海の一族の家紋だけ、美しさとは程遠い、灰色の同じ形をした石ころになっていた。

「なんだ、その石は?」

 大臣が怒りを湛えながら訊いた。

 商人たちは唖然としていて、答えることもできなかった。

 王様は興味を失った様子で、王座から立ち上がり、商人たちには目もくれず執務室へと戻っていった。近衛兵も後に続いて部屋を出ていく。

 部屋には商人と大臣だけが残った。

「二度と、顔を見せるな」

 残っていた大臣もそう吐き捨てて、去っていった。大広間の入り口で警備に当たっていた兵士たちが中へ入って来る。

 商人たちは、当然、商売どころではなく、荷物をまとめて足早に王宮を後にすることとなった。

 泣く泣く、街の広場で宝石を売りさばくことにした二人だったが、いつになっても"海の宝石"が売れることはなかった。

「なんで、こんなになってしまったんでしょうかね……」

 そう言いながら、細い方は“海の宝石”をおもむろに、沈みかけの太陽にかざす。草原で見たような、青い輝きはもはやあらわれない。

「知らねえよ! もう、引き上げるぞ!」

 太った方は終始機嫌が悪かった。広場には閑古鳥が鳴いていた。

「あ……ヘイッ!」

 そうして商人たちが店仕舞いを始める中、みすぼらしい格好をした占い師が近づいてきた。

「なんだ、もう、何もねえぞ」

「いえ、一つだけ残っておりますよね?そちらの"海の宝石"をいただくことはできないでしょうか」

「えっ!? これはただの石ころですぜ? いいんですか?」

「ええ、最後まで残っていたのもなにかの御縁でしょう。いくら、お渡ししたらよろしいでしょうか?」

 占い師は懐に手を入れて財布を出そうとする。

「親父! こんな石っころにも値段がつけられまっせ!!!」

 細い商人が興奮気味に話すが、太った方はもうやる気を失っていたらしく、背を向けて荷造りをしている。

「いいぞ、もう、そのまま持ってけ」

 乱暴に言い放った。

「ありがとうございます。ですが、それは申し訳ないので、こちらの銀貨を一枚、置いていきますね」

「まいどー!」

 細い方は景気がいいやと、喜んで受け取って銀貨を眺めていた。

「…………銀貨!?」

 銀貨という言葉に驚いたのか、一拍遅れて太った商人が振り向いた。

 しかし、その時にはもう、あの占い師は姿を消していた。

「あれ、どうしたんですかい、親父?」

「さっきの占い師はどこ行った?」

「あぁ、さっきの占い師でしたら、まだそこら辺を……あれ?」

 顔を上げて広場を探すが、細い方も占い師を見つけることはできなかった。広場には、店仕舞いを進める露天商たちしかいなかった。


♢♢♢♢♢


「あっ、あの……!」

 気の良さそうな露天商が顔を上げる。

「おう、いらっしゃい! なんだい?」

「この首飾りはどこで手に入れたのでしょうか???」

 並べられた雑貨の中の一つ、灰色の首飾りを指さしながら言った。

「あー、どれだ? ……あぁ、それか、それはガラクタだよ。占い師のばあさんが今日押し付けて……いや、違う。も、貰ってきたんだよ」

 露天商はしどろもどろになりながら答えた。

「……そうですか」

 露天商の態度を不審に思いながらも、まじまじと首飾りを眺めていた。

「お、お客さん、それ、ほしいならやるぜ?」

 おずおずと言った露天商に、勢いよく顔を上げた。

「ほんとですか!」

「あ、あぁ……そもそも、そんなガラクタ、売れるとは考えてなかったしな」

「ありがとうございます!!! では、また御縁がありましたら!」

 露天商の気が変わらないうちに、この場を立ち去ろう。急いで立ち去るためためには、あそこに見える路地に入るのが一番いいな。

「ありがとな〜兄ちゃん!」

 露天商の声を背中に聞きながら、足早に路地に向かった。

 しかし、これが災いした。

 それもそう、方向音痴が裏路地なんて入っては迷うだけだ。

「ここ、どこだ……?」

 つい先程路地に入ったばかりのはず、そんなにすぐに迷う意味が分からない。

 いつものことながら、自分に呆れる。

 頭が悪いわけでは無いはずなんだけどな……。どうも判断力に欠けるらしい。まあ、適当に進んでいればどうにかつくだろう。

 そういう考えが災いを呼ぶことを分かっていないスイ。のんきに考えていたらゴンッと何かが鳴った。

 なんだろう。痛い。

 後ろを振り返ると何か棒が降ってきた。殴られたのだと気づいたときにはもう、気を失っていた。


♢♢♢♢♢


 カラスの鳴き声がする。

 そう思った瞬間に、鼻を刺すような強烈なゴミの臭いと鉄の味が口の中で広がった。

「っっ。痛いなぁ…………」

 とりあえずこの路地裏から抜け出さないと。

 何が起こったのかも分からないが、いつものことで慣れたように荷物の確認をする。盗られたのは、ループタイに付いていたエメラルドだけだった。

 まあ、それくらいなら別にいいか。

 立ち上がろうとするけれど、思っていた以上に怪我をしていたらしい。少し体を浮かすだけで精いっぱいだった。力を入れることが難しいようだ。

「立てないか……。うーん、呼ぶしかないかなぁ…………」

 あまり気が向かない様子でズボンのポケットから笛を取り出す。ペンダントに見えるそれは、一見子どもの作った荒いものの様に見えるが、よく見ると波の形をしていて、小さく家紋のようなものも彫られている精巧なものであると分かる。

 しばらく笛をながめていたが、観念して吹口を口元にあてがう。少し息を吐き入れるだけでその笛は、高く涼やかな音を奏でた。音は裏路地を抜け、街を歩く人々の頭上を通り抜ける。そして、街の中心に居るあの少女の耳へと響いた。

「…………また、怒られるなぁ……」

 先のことを思うと憂鬱になるけど、こんなところで這いつくばっていても何もできないもんな。今日は収穫がちゃんとあったから、早く持ち帰って調査をしたい。

 そのためにはやはり、彼女を呼ぶしかなかった。


♢♢♢♢♢


 噴水の縁に座る美しい髪の女性、彼女は何やら手帳と露店を交互に見比べ、眉間にシワを寄せては唸っていた。

「ヤウールポムポムを作るには、卵とポム、小麦粉、バターと砂糖が必要ですね。ですが、あのポムは少し青いですわね……どうしましょう、ポワールで代用もできますが、そのためには砂糖の量を調整しなければならないので……えーっと……」

 そこへ、通りを抜けてきた微かな笛の音色が彼女の尖った耳に触れた。ピクリと耳が動いたかと思うと、次の瞬間、彼女の姿はそのにはなかった。ただ、金木犀の香りと温もりだけが残っていた。

「ありゃ、さっきまでのべっぴんさんはどこへ行ったんだ?」

 そう言ったのは道端で、昼間から酒を飲んでいた農夫だった。

 人々の遥か上を鳥が飛んでいた。小さな影が街を駆け巡る。しかし、あまりにも空高く飛んでいるためか、人々は気づかない。

 それは、満足したのか、どこかへと飛び去っていった。


♢♢♢♢♢


「スイ様っ! よかった……ご無事で何よりです……!」

 そう叫んで泣きながら空から降ってきた。

 いつものように、抱きとめようとして自分が怪我をしていたことを思い出す。

「はは、大げさだよフィオナ」

 そう言われた彼女は、思いっきりスイに抱きついた。

 ゆっくり手を伸ばして背中を擦る。

「…………それにしても、何ですかこの傷は! ボロボロじゃないですか!」

「何のことかなぁー」

 思わず知らないフリをしてみたが、かなりご立腹のようだった。

 涙を拭いて、仁王立ちをした彼女は、ほっぺたを膨らませている。

「いいながめだなぁ……」

 思わず漏れた一言も、耳には入っていないらしい。

 危ない危ない、もっと怒られるところだった。

「ですから、スイ様はもっと気をつけて行動するべきなんです!!! 何度も言わせないでくださいませ!!!!! これでは、私いくらエルフといえど寿命がなくなってしまいます!」

「………………」

 あまりの剣幕につい押し黙ってしまう。

「おおかた、海の宝石でも見せてやると言われてついて行ってしまったのでしょう!? いつも言っておりますが、何十年も前にあれは失われているんです。そんな、どこぞの盗賊かも分からないような輩が持っているわけもないでしょう!」

 少しだけ寂しさを湛えた瞳をスイに向けながら話す。

「……うん。でも、今回は違うよ! 気づいたら殴られてたんだよ」

「意味がわかりません! そもそも、方向音痴なのは分かっているのですから、私から離れないでくださいませ!」

「ごもっともです……でも、多分手に入れられた……と思うんだよね」

 ポケットから取り出したのはあの露天商から譲り受けた灰色の首飾りだった。

「はぁーー……分かりました、分かりましたよ……!」

 手の平をこちらに向けた、と思うと、ふわっ、とした感覚に自分が持ち上げられていることに気付く。

「とにかく、今は帰って傷の手当です!!!」

「はーい」

 街を行き交う人々を横目に屋根の上を流れるように進みながら家路についた。


♢♢♢♢♢


「スイ様、いいですか?」

 薬草棚の前に立ちながらフィオナが話し始めた。

「んー」

 気のない返事に、フィオナの怒りのバロメーターが少しだけ上がる。

「ですから、毎回毎回申し上げておりますが、このような怪我はしないでくださいませ!!」

「あ、うん、気をつけるね」

 いつものような適当な返事に、怒りを抑えながらも治癒魔法のために薬草の準備をするフィオナ。

 スイは、その後ろから覗き込むように作業を見ていた。先程よりは足の感覚が基に戻ってきたようで、立ったり、軽いものを持ったりはできるようになっていた。

「もし、次、このようなことを起こした場合、自力で治してくださいませ!動きたいときに動けなくても知りませんからね!!」

 フィオナの怒りももっともである。スイは” 海の宝石”を手に入れるために、様々な商店を眺めては夢中になってしまい、物取りに襲われるというお決まりのパターンになっていた。

「はいはい、ご忠告ありがとうございます」

 こんなこと言いながらも、いつも丁寧に治してくれるんだよなぁ~

「はぁぁぁ……」

 フィオナは怒りをこらえながらも、着々と薬草を調理していっていた。

「フィオナ、いつもありがとう」

「へぁっ?」

 スイの母親に似た声で、突然言われたお礼に、フィオナが奇声を上げてしまう。振り向いた拍子に小鉢が落ちそうになり、スイが受け止めた。

「どういたしましたか? 頭を打ったことでどこか何か後遺症が……」

「ひどいなぁ〜」

 なんとも、信用のない主人である。

「僕はただ、君のおかげで自由に母さんの故郷をもとに戻すための研究ができるから、そのお礼をいっただけなのになー」

「えぇ、そう、そうですわね……そうですわよ! ええ、スイ様は感謝するべきです!」

「照れてるな」

「そ、そんな事関係ないでしょう! ほら、あっちの腰掛けに座ってくださいませ!」

 照れているのを必死に隠そうとフィオナは作業を進めようとする。当然、隠せている訳もないが。

 スイが座ると、彼女の頭にフィオナは傷薬を塗り始めた。

「そういえば、フィオナに確認してほしい物があるんだよね」

「何をですか?」

「さっき、広場で手に入れた首飾りだよ。アルトネリア公国の家紋が入ってると思うんだけど、やっぱり確証がなくて……」

「笛は持っていらっしゃいましたよね?」

「ん? うん?」

 いまいち意味が分からないという様子でスイが返事をする。

「……笛には家紋、付いているのじゃありませんか?」

「……あっ!」

 全然気づかなかった……

「だからいつも申し上げておりますが! スイ様、気をつけてくださいませ。注意力散漫なのですから」

「もー、分かったって」

 言いながらスイは急いでポケットから笛を取り出して家紋を見比べる。

 うん、やっぱり同じだ。

 そうして会話を進めているうちにも、フィオナはテキパキと治療を進めていた。

「でさーフィオナ、怒らないで聞いてね」

「何でしょうか? ……怒るかどうかは私が決めますが」

「えー、怒らないでね。明日、アルトネリア公国があった所に行きたいんだけど、連れてってくれないかなー……なんて」

「……はぁ、言うと思っていました」

「なんだ! じゃあ、いいってことだね! 分かってるな~」

 はしゃぐスイを抑えながらフィオナが話し出す。

「いいとは言っていませんよ。」

「えー」

「あなた自分が頭を殴られたことを忘れたんですか?」

「いや、忘れたわけじゃないけど、大丈夫かなーって」

「その楽観的な思考も直していただけませんか?」

「今日、フィオナいつもよりもいじわるだー」

「自業自得でしょう」

「えーーーー、せっかく手に入れたのにー」

「はいはい、子供じゃないのですから数日ぐらい我慢してください」

「……はーい」

 あまりだだをこねても、結局フィオナに敵わないんだよなー

 スイは、仕方なく引き下がる。

「はい、治療が終わりました。ですが、まだ安静にしていてくださいませ。薬草の上から治癒魔法をかけましたが、まだ心配です」

「はいはい、分かりましたよ〜」

「返事は一回」

「はーい」

 二人で片付けをしながら、今度はフィオナが話し始めた。

「スイ様の気持ちも分かります。ですから、3日後、もしその時に私が確認して傷など問題がなかったら向かってみましょう、アルトネリア公国に」

「ほ、ほんと! やったー! ……痛たた……」

 急に動き出してしまったためか、頭が痛くなるスイ。

「治癒魔法は確かに、傷を治します。ですが、完全に直せる訳ではないので気をつけてください! いつも申し上げているでしょう!」

「ふふっ……分かったよ」

「何を笑っていらっしゃるんですか!?」

「いやいや、何でも無いよ」

 また、かわいいなんて言ったら怒るもんな。

「じゃあさ、お昼ごはん食べよう!」

「そうですね、準備するので食卓でお待ちくださいませ」

 そう言いながら食品庫に向かおうとするフィオナだったが、ふと足が止まる。

「はっ……これでは、おやつのケーキが焼けません……」

 先ほど広場で買い物をしそびれていたことに今気づいたのだった。

「どうしたの?」

「い、いえ、何でもありません、大丈夫です」

 また、一人ブツブツと言いながら、食事の準備に取り掛かるフィオナだった。


♢♢♢♢♢


 スイの怪我から3日後。二人はアルトネリア王国に向かっていた。

 暑い、日差しが強すぎる。とにかく、太陽にやられそうだ。

 スイは布の端をいじりながら眠たそうにしている。

「フィオナ〜、まだ着かないの〜?」

 スイは浮いたクッションの上にだらけた様子で横たわっている。おおよそ外に居るとは思えない格好だった。

「ちょっと、もう少し、しゃんとして頂けませんこと? スイ様。これでも、通常人間の足であれば五日はかかる道のりを半日で来ているんですよ!」

「……んぁ? ……うぅん、だって暑いんだもん。僕は地質を調査するために体力を温存せねばならないのです」

 そう言いながら、うとうとしている。

「運んでるのが誰かわかっていらっしゃいますか? 魔力の消耗が激しい浮遊魔法と移動魔法の同時使用なんてそこら辺のエルフでは成し得ないことだとわかっていますの? ましてや人間たちになんて……」

 返事が返ってこないことで、スイが眠ってしまったことを悟る。

「仕方ありませんね、この間の怪我もありますし、このままにして差し上げましょう」

 フィオナは小さくため息をついて、日よけのために傘を開く。そして、そのままなにもない枯れた土地を進む。

 そうして進むこと約1時間。

「このあたりはなぜ、こんなにも荒れているのでしょう……このような時こそ起きていてほしいのですが……仕方ありませんね」

 そうして、もう少し続く荒れ地の上を進んでいく。

 しばらくすると視界の先に草原が見えるようになってきた。空気も先程の乾いた土の匂いとは違い、瑞々しい草の香りが漂ってくる。

「さぁ、ここからがアルトネリア公国でございます。起きてくださいませ、スイ様」

 日よけにしていた傘をずらしながらスイを起こす。

「……おはよう、フィオナ。んん、眩し…………あれ、砂漠は?」

 寝ぼけ眼をこすりながら見渡してみるスイ。そこは、一面美しい毛並みの草原が広がっていた。

「まだです、ここは国の一部ではありますが街自体ではありません。ご存知の通り、砂漠と化したのは街だけなので、その周辺は今も昔の景色を残しているようです。スイ様にもお見せしたいと思い、声をかけさせて頂きました」

 爽やかな風が吹き、近くにある木を揺らす。

「…………それにしても、本当に変わらない、美しい景色です」

「うん、それにしても、手入れが行き届いているね。草は短く切り揃えられていて、雑草も生えていない」

「確かにそうですね。この近くに人は住んでいないはずですが……」

 そう言いながらも、フィオナは木の方を見つめて不思議そうな顔をしている。

「昔から変わっていないとすると、何か……フィオナ?どうしたの?」

 フィオナの様子に気づいたのかスイが声をかけた。

 ほぼ同時だったか、フィオナが何か唱えた。

 すると、さっきまで何もなかった草原に一軒の家が現れた。

「おぉ……こんなのがあったのか……」

「はい。こちらの家は普通の人には見えないような特殊な魔法がかけられていました。……もちろん、私のように魔力の強いものには見えますし、私であればかけられた魔法を解除するなんてお茶の子さいさいでございます」

「すごいなぁ……」

 スイの素直な褒め言葉に急に勢いをなくすフィオナ。

「……え、えぇ、ありがとうございます」

 照れてる、照れてる。

「じゃあ、入ってみますか!」

「えっ?」

 フィオナが静止する間もなくスイは現れた家のドアノブに手を掛けていた。

 しかし、スイが開くよりも前に勢いよくドアが開いた。

「おばあさま!! おかえり!!!!」

 ドアが開くと同時に飛び出してきたのは小さな少女だった。

 開かれるドアを避けるのに精一杯だったスイは倒れそうになる、それをすかさずフィオナが魔法で支えた。

 そのため、スイはなんとも中途半端な格好でこう訊いた。

「……だれ?」


♢♢♢♢♢


 それほど大きな部屋ではない。最低限の衣食住が揃っているようだった。中央には食卓と思われる机と2脚の椅子が置かれていて、雑貨が入っていそうな棚もあった。

 現在、椅子には先程の少女とスイが座っていた。フィオナはスイの後ろに控えている。

「こほん……先程は取り乱してしまい申し訳ありませんでしたの、まさか、おばあさま以外であの魔法に気づける人間がいたんですのね」

「いや、僕が気づいたというか……っていうか、君は……」

「そうですわね、驚かせてしまったお詫びと言いますか、私から自己紹介をさせていただきますのよ」

 そう言うと少女は、静かに立ち上がった、椅子の上に。

「ネリルと申します。ドワーフ族ですが、現在一族とは離れて暮らしておりますの。以後お見知り置きくださいですわ。さあ、次はあなたの晩ですよ、人間」

 ストンッ、と自分の席に座り直すネリル。

「はは、うん。僕はスイ。うーん、たぶんアルトネリア公国の末裔に当たるみたいなんだけど、いまいちよく分からないや」

「お前は?」

 ネリルはフィオナのことを見ながら訊いた。

「私はフィオナです。スイ様に仕えております」

「どうして、エルフが人間なんかに仕えているんですの? エルフなら、もっと自由に生きていけるのではないんですの?」

「ふふっ、それは私の自由にしているからですよ、ネリル様」

 片目を閉じてウィンクをするフィオナに、怪訝な顔をネリルは向ける。スイとフィオナは目を合わせて微笑んだ。

「ふーん。よく分かりませんのよ。でも、いいです、ネリルはそのような些末なことは気にしないのです」

「ところで、ネリルちゃん、君はどうしてここに一人で居るの?」

「気安く呼ぶでないのです」

 すかさずネリルが返す。

「そうか、じゃあ……なんて呼ぼうか……?」

 考え込むスイに、ネリルが慌てて言い直す。

「……ぃや、呼んではいけないとは言っていないのですよ! ……ネリルで、ぃぃのですよ……!!」

「ふふ、照れてんのかー!」

「て、てれ…………はぁ!? 人間ごときがな、な、何を言っているんですの!」

「ふふふ」

「笑っているのですわ、人間が、笑っているのです!!!」

 怒った様子でいるけど、本気ではなさそうだな。

「スイ様、からかうのも程々にしてください」

「はーい」

 これ以上スイがからかってしまっては本当に怒られかねないと思い、フィオナが制止していた。

「こ、こほん……では、ネリルがこの家で一人で過ごすに至った経緯を、人間でも分かりやすいように説明して差し上げますのよ。感謝するのですよ。よーく聴いていなさいですのよ」

 あ、そこは素直に教えてくれるんだ。

 ネリルが先程と同じように、椅子の上に立って経緯を話し始めた。

「まず、ネリルが一人になるまで、それより先におばあさまについて、お話しなければなりませんの。おばあさまは大魔法使いなのです。アンという名前ですの。アルトネリア公国を復興させるべく、王都に向かっていったのです。ですが、おばさまはずーっと帰ってきませんでしたの。いまでも時々おばさまからはお手紙が届くので生きてはいるのですよ。死んではいないですのよ。」

 少し、寂しそうに見える。

「……手紙? 見えないのにどうやって?」

「伝書鳥のお陰ですの。人間ごときにはこの家は見えないのですが、強い魔力を持つ者と動物だけはこの建物が見えるようになっているのですのよ」

「なるほど、だからフィオナにはこのお家が見えたんだね」

「そうですね」

 そう言う間も、ネリルの話は進んでいく。

「おばあさまは、こちらを離れる前にネリルのためにお家を建ててくださいましたの。そして、おばあさまがお帰りにならない限り、ネリルが家から離れることができなくなるように魔法をかけましたの」

「えぇ?」

「いえ、ネリルがそうお願いしたのですよ。この家に選ばれた者しか入れなくするには、それだけの対価が必要なのです。おばあさまが不在の間、ネリルには大掛かりな魔法は使えないのです。それでもおばあさまの作ってくださった家を大切にしたかったですのよ」

「なるほど、だからドワーフ族の弱い魔力でも家を消すことができたんですね」

「そうですのよ」

「……分かったのですか?人間」

 一通り話が終わるとまたストンッ、と自分の椅子に座った。

「うんうん、ありがとう」

「ふんっ……分からなかったら、相当の馬鹿なのですよ」

 悪態を付きながらも、長年一人で生活していたからか、動物以外と話ができて嬉しそうにしていた。

「あ、もしかして……」

「スイ様、いかが致しました?」

「この首飾りを手に入れた時の商人が言ってたんだ。」

 そう言いながら、スイは灰色の首飾りを机の上に置いた。

「占い師のおばあさんから貰ったって。僕はてっきり盗んできたのを誤魔化していっていたものと思っていたけれど……」

「おばあさまなのですわ!!!!! おばあさまは相手に触れれば少し先の未来は見れるのです!!!」

 前のめりになり、テーブルに手を付いているネリル。

「きっと、お前に渡すためですのよ!!!」

「そっか、そうだったのか……母さんは魔法が得意な妹が居たという話をしていたことがある。もしかしたら、君のおばあさんは僕のお母さんの妹なのかもしれないね」

「ふんっ、おばあさまをただの人間と同じにするんじゃありませんの」

「ごめんごめん、あくまで推測だから、気にしないで。王都に帰ったら、アンさんを探してみるよ」

「いい、心がけですのよ、人間」

 嬉しそうに、誇らしそうにネリルは話を続ける。

「でも、心配ご無用ですのよ。おばあさまはこの家の魔法が解ければ帰ってこられるのですの」

「他にも何か制限をかける魔法を掛けているんでしょうか?」

「いいえ、そうではないのですよ。ただ、おばあさまはアルトネリア公国復興を望んで王都に赴きましたの」

「そうだね」

「それを考えれば、この首飾りはアルトネリア王国復興に繋がるものなのですよ」

「確かに、僕達もそう思って持ってきたんだよね」

「その首飾りを自分で持っているだけで復興できるのであれば、おばあさまはもっと早く帰ってきているのですよ」

「確かにそうですわね。ということは、アン様は意味があってスイ様に首飾りを渡したということですね」

「そうですの。自分が持っているだけでは意味がなかったのですよ」

「なるほど!!!」

「そうなると、スイ様が持っていることに意味があるということかもしれませんね」

「癪だけど、そういうことですのよ」

「いちいち突っかかるなぁ〜」

「ですから、スイ様、子どもをからかうのは止めてくださいませ」

「エルフ! 流石に失礼ではないですの? ネリルは子どもではないのですのよ! お前も、ドワーフの成長速度はご存知のはずですのよ!?」

「エルフに比べてしまえば世界は子どもだらけということです、ふふっ……」

 すると突然、コツコツと窓を叩く音が聞こえた。

「何の音? 鳥かな?」

「ええ、きっと伝書鳥なのです」

「あぁ、さっき言ってたアンさんからの?」

 頷きながら、ネリルは席を立ち、座ってい た椅子を持っていって窓を開ける。

 そこには首に小さな宝石をぶら下げた閑古鳥が、首を傾げて待っていた。

「いつもありがとう、ですの」

 ネリルが首にかかっていた宝石を受け取ると、閑古鳥はどこかへと飛んでいってしまった。

「それ、どうやって読むの?」

「これに置くのですよ」

 そう言いながら、ネリルは再び椅子を使って棚の上の方に置かれていたランプのようなものを取り出してきた。

「これは、おばあさまが置いていった、書簡再生魔水晶燈ですのよ」

「なるほど、なるほど、それは精巧にできた魔道具ですね」

「当然なのですよ!」

「フィオナ、分かるの?」

「ええ、再現できるかは分かりませんが、見ればなんとなく構造は分かります。これは、そうですね創造主の魔力が込められていて、同じ魔力を込められた魔石を感知すると光るという感じでしょうか」

「そうなんだね、すごい……! ネリル! 早く再生して〜!」

「当たり前ですのよ、もう少し待ちなさいですの」

 そう言って、机に水晶燈を置く。スイは期待を隠せていない様子で、上半身が揺れている。

 カチッという音とともに、空中に映像が映し出された。

“「お久しぶり、ネリル。元気にしていたかしら。そこにはきっとランの娘も居るのでしょうね。ごめんなさい、あの子とは色々あったのでまだ顔を合わせる勇気がないの。許してくださいな。少し前に、私が露天商に無理を言ってあなたに渡してもらうために、あの首飾りを商店に置いてもらいました。今まで、見つけられなくてごめんなさい。そして、あなたが倒れていたときに未来を見にいったのに、何もしなくてごめんなさい。きっと、一緒にいるエルフさんに怒られてしまいますね」”

 フィオナは確実に怒ってはいるものの、アンのおかげでスイの望みが一歩進んでいるため、複雑な表情をしていた。

“「ところで、あの灰色の首飾りは元々、アルトネリア公国の海の祭で海の神様に捧げられるはずだったものです。悪い商人が国から奪ってしまったのです。そのためか、街が廃れてしまい、現在は砂漠の下に埋まってしまいました。このような事態になるなんて、国民が考えていたわけもありません。この方法が正しいのかわからないのですが、一つ試してほしい事があります。アルトネリア公国の末裔であるアンの娘に首飾りを海の神に捧げてほしいのです。何か復興するきっかけになるかもしれません。ネリル、今回は急いで作ったので少しいつもより短いお手紙になってさしまってごめんなさい。でも、明日の朝にはそちらに着けると思うから、待っていてね。今日は、ここまで、また明日ねネリル」”

 そういって、フッと映像は消えた。

 ネリルは泣きそうになるのを必死に堪えているようだった。

 そうか、母さんを追って王都に行ったものの、本人が見つからなくて、そのままになってしまっていたのか。

「スイ様、ネリル様、申し訳ありません」

 それまでほとんど口を挟まなかったフィオナが静かに話しだした。

「どうしたの、急に?」

「お前に謝られるようなことをされた覚えはないですのよ」

 ネリルは涙を拭きながら応える。

「いいえ、アン様がスイ様を見つけられなかったのは、私が妨害していたからにほかなりません」

「そうなの?」

「はい。ラン様、スイ様のお母様です。にスイ様に万が一が無いようにと言われたため、わずかに流れる魔力を外から感知できないように封印魔法を掛けてあります。その妨害によって、アン様の探索が進まなかったのだと思います」

 かなり傷心しているフィオナに明るくスイは話始めた。

「そんな、気にすることないよ。もちろん、それで時間がかかってしまったのかもしれないけど、結局こうしてアンさんの話を聞くこともできたし。このまま、僕が海の神に首飾りを捧げることができれば何か変わるかもしれないんだろう?」

「そ、そうですのよ。人間のことなんて気にする必要ないのですのよ」

 ネリルも心配そうに覗き込んでいる。

「ふたりとも、ありがとうございます。とても、お優しいのですねネリル様」

「そ、そ、そ、そんなことないのですよ」

 照れているネリルを微笑みながら見ているスイだったが、フィオナに不平を言う。

「どうして僕は優しいって言ってもらえないんだろうな〜」

「いえ、スイ様、決してそうではなく……!」

「ふふっ、分かってるよ」

「もう、スイ様っ……真剣に申し上げていたのに……!」

 困ったような表情をしながらはにかむフィオナに、スイは続ける。

「やることは決まったみたいだし、そろそろ出よっか」

「ええ、そうですわね」

「それなら、ネリルもついていくのですのよ」

「えっ、いいの? あんまり離れられないんじゃないの?」

「街の入り口までは行けるですのよ」

「そうなんだね、じゃあ一緒に行ってもらおうかな」

「そうですわね、私も来たことがあるのは砂漠になる前のアルトネリア公国です。こうも何も見えない状況では心配になってしまいます」

「そうと決まれば早く行こうか!」

「ええ」

 スイは席を立ってフィオナとともに外に出る。ネリルは、小さなポシェットバッグを方にかけて、小声で「いってきます」と言ってから家を出た。

 三人で軽口を叩きながら、アルトネリア公国へ向かっていく。砂漠をしばらく進んでいったところで、フィオナが不意に止まった。

「こちらが、アルトネリア公国の城下町の入り口があった場所です」

 フィオナが説明したその場所には、もちろん、城門などはなく、砂漠の砂がさらさらと風で動いているだけだった。

「なーんにもないねぇ……」

「……はい」

「まぁー! ここでうだうだしてても仕方ないし、進むとしますか!」

 少し落ち込んだ様子のフィオナに気づいてスイが進んでいこうとする。

「そうですね……」

「ちょっと、早く進めなのです。うだうだしていたら、夏が終わってしまうのですよ」

 そう言いながらネリルは急かす。

「そうだね、じゃあ、お願いっ!」

「かしこまりました、スイ様」

「では、ネリルはここまでなのですよ。早く要件を済ませて帰ってくるのですよ。ぐずぐずしているとティータイムをのがしてしまうですのよ。」

「そうだったね、ありがとう、ネリル」

「い、いいのですよ、いいから早く行ってしまえですのよ」

「ありがとうございます、ネリル様」

 そうして二人は街を抜けて海に面している崖を目指す。ネリルはそんな二人を心配そうに眺めているのだった。


♢♢♢♢♢


 そして、遂に砂漠の端、崖の上に着いた。風が強く吹くけれど、海はとても静かだった。

「これを海に捧げればいいんだよね」

「そうですね、何が起こるか分からないので、投げたらすぐに私の後ろに隠れてください!」

 頷いて、スイは首飾りを海に投げ入れた。すかさず、フィオナの後ろに隠れる。

 それまで静かだった海がゆっくりと、でも確実に波が大きくなっていって渦を巻き始めた。

 すると、その中心から魚のような人のような何かが飛び出てきて、こちらへ向かってきた。

「おぉおぉ! 君はランちゃんの娘とみた! そぉーっくりだな!!!」

 海から現れたそれは、まるで船を惑わすセイレーンのような、人魚だった。人魚はそのまま、スイとフィオナの周りをくるくると回りながら、スイを楽しそうに眺めていた。

「ふふふ、やっと来てくれた〜」

 何をされるかと、フィオナは腕が力む。しかしそれに気づいたのか、人魚はフィオナに近づいてくる。

「もーう、別に何もしないって〜」

 その言葉と、パン!という音とともにフィオナの体勢が崩れた。

「えっ……」

「フィオナ! 大丈夫?」

「ふっふっふ〜すごいでしょ〜」

 手を叩いただけでフィオナの警戒態勢を解いてしまったのである。

「え、ええ。スイ様は大丈夫でしょうか?」

「うん、大丈夫……だけど、あの子神様なのかな……?」

「ちょっと、置いてかないで〜! っていうか、神様かどうか疑わないでよ! 流石にちょっとおこですよー! あたしは、マーレ! 海の神様で、アルトネリア公国の守り神! でも、人が居ないからこんなに小さい姿になっちゃったよ〜しくしく……」

 え、普通の姿がそれじゃないの? 人間より大きいよね。

 驚きを隠せないスイにマーレが続ける。

「あたしはね、元々、あの崖の高さぐらいあったんだよー!」

 こーんくらい! と思いっきり手を伸ばして見せるマーレ。

「そ、そうなんだね。じゃあ、話をすこし聞いてもらってもいいかな?」

 緊張のせいか、スイの話している文章が変になっていることに、スイもフィオナも気づくことができていない。

「いいよ〜たくさんお喋りしよ! お喋り大好き!!」

 さっきまで、頭の上の方で漂っていたマーレだったが、目線と同じぐらいの高さまで降りてきてくれた。

「えっとね、アルトネリア公国の街を昔みたいに戻せないかな……なんて……?」

 恐る恐る、スイは訊いた。

「おっけー!」

「そんな、いくら海の神だからって……「「え?」」

どことなく、ギャル感が否めない海の神さま。そのノリなのか、考えていた以上にあっさりと、街を元に戻してくれるという話を受け入れてくれて、二人は呆気に盗られている。

「だから、いいよって言ってるの〜」

「そんなに、簡単に許していいものな

の?」

「いやいや、恨んでるとかそういう訳じゃないしー?」

「え、じ、じゃあ、どうして街を沈めたの?」

「だってー、最初からそういう契約だったしね〜毎年新しい首飾りくれる代わりに街の維持を手伝うよーって……あれ? 知らなかった??」

「……そういえば、アルトネリア公国の伝説に続きがあったような気が致します。確か……」

「神様は街を元に戻そうとしたけど人が居なくて何もできなかった。ってやつか! 母さんが昔話として聞かせてくれたことがある!」

「ですが、あれはあくまでも伝説であって、歴史にはそのような話は残っていないはず……」

「そうそうそれだよ〜君のお母さんはいいお母さんだねーよしよし〜」

 そう言いながら、マーレはスイの頭を撫でる。

「あっ、あと、その遠くで見ている君もおいでよー! お話しよっ!」

 また、パン!という音とともに何が起こったのかだれも気づくことができなかった。

「な、な、ななな!!」

「えっ、ネリル!?」

「ふふふ〜話したいから呼んじゃった!」

 何が起きたのか理解することも追いついていないネリルだったが、その上話しかけられてしまっては完全にキャパオーバーだった。立ったまま気絶したような状態になって、何を話しかけてもぼーっとしているだけになってしまった。

「おーい!」

 マーレが目の前で飛びながら手を振っても、何も反応が返ってこなかった。

「仕方ない、今回はあたしが張り切りすぎちゃったしね!」

「あ、あの……」

 フィオナが話出そうとするが、再び思いついたようにマーレが話始めた。

「そっか!そうだ!!!思いついた!いまくれた首飾りと同じものを君のために作ってあげるよ!」

 スイを指さしながらマーレは言う。

「えっ、僕?」

「そうそう、だってランちゃんの娘でしょ?つまり、王位継承者だ!」

「そうですね」

「ってことは、君用にちゃんと首飾りを作れば、そうしたら多分、街は顔をだすよ!」

「なるほど、先程のアン様作られた書簡再生魔水晶燈はここに発想があったのですね」

「どゆこと?」

「そうそう、アンちゃんは小細工が得だったからなぁ〜懐かしいな〜」

 マーレは一人で感慨にふけっている。

「つまり、マーレ様の作った首飾りで、スイ様の魔力に反応する首飾りができれば、街は王位継承が完了されたと言うことで顔を出すのではないかということです」

「そうそう! さっすが、エルフ族は頭がいいね!」

「アルトネリア公国では、王位の継承の際だけ、神様から首飾りが贈られるという伝統がありました、それを今行ってしまおうということです」

「なるほど、分かった。それで、街が復活して国の復興に繋がるなら、母さんのためにもやるよ」

「おーいいねいいねその意気だ! じゃあ、いっくよ、よーく見ててね!!」

「え、う、うん」

 何やら海の方を向いてマーレは手を動かし始める。スイとフィオナもすっかり、マーレの勢いに押されてしまって、一緒に覗いている。

 しばらくすると、水面から、人の頭がすっぽり覆えるくらいの水の塊がくっ付くでもなく、離れるでもなくといった具合に崖の上まで上ってきた。

 マーレはその水ごと、パン! と手を叩いた。

 すると、その手の中には先日アンがスイに託した灰色の首飾りと全く同じ形をした、海色の首飾りが現れた。それは、灰色の首飾りとは似ても似つかないほど美しかった。

 中央は深い海の底の色、外側に広がるように浜辺を揺らめく薄い水色で輝いている。瑞々しい海のきらめきが見え、石から微かにでも確かに、目の前にある海とは違うリズムで波の音が聞こえてくる。

 最後にマーレは、太陽の光を取り込むように首飾りを太陽へかざす。するとそこから虹の輪が降り注ぐのだった。

「完成!」

「お、おぉ……「「すごい……」」

 いつの間にか正気を取り戻したのか、スイとネリルの感嘆の声が重なる。

「素晴らしい輝きです」

「えっへん! そりゃーそうだよ、なんてったってこのマーレ様が作っているんだからね〜!」

「ありがとうございます、マーレ様」

「いいってことよ!っていうかー”様”はなしね!話すの楽しくなくなっちゃうー!」

「それもそうだね、ありがとうマーレ……」

「うーん! 久しぶりに名前を呼んでもらった気分だー! よしよし、そしたらそのまま戴冠式だー!」

 こんな、ノリと勢いでいいんだろうか、という一抹の不安がよぎったスイだったが、その不安もマーレの笑顔と勢いで消えていった。

「僕は、何をすればいいんだろう」

「えーっとね、なんだったっけなぁ〜うーん……ま、いっか! よし、宝石を受け取ったら跪いて宝石に口づけをしよーあ、あと、魔力封印の魔法は解いちゃうねー」

「そうでした、ありがとうございます、何から何まで」

「いやいやーあたしは好きにやってるだけだから気にすんな〜よし、じゃあやろう!」

 そう言うと、先程までの笑顔とは打って変わって、真剣な表情に変わる。一気にその場の空気がピリッとした雰囲気に変わった。

 何か言うのかな。

「吾、汝を王位継承者と認めむ。汝、国と共にその生涯を生きることを誓え。さすれば、吾、共にあらむ。」

 スイは言われた通りに、跪いて首飾りに口づけをした。

 ドドドドドドド

 いきなり、地響きが鳴り出した。

「いえーい! 始まった始まった! ぱちぱちぱちぱち〜」

 先程の厳格さはどこに行ってしまったのか、マーレは元の女子高生のような振る舞いに戻っていた。

 地響きとともに白っぽい、塔のようなものがあちこちから浮き上がってくる。

「あっ、今は動かないほうが身のためだよ〜」

 マーレの言うとおりだった。崖からすぐ近くに街があったのだろう、すぐ近くからも様々な形の建物が飛び出てくる。次々と、出てくる建物にスイは驚いていた。

 しばらくすると、地響きも街の動きも止んだ。また、海のさざ波の音だけが辺りに響いていた。

「ふーう、終わったー終わったー!」

「驚いたんですのよ、まさか、このような大きな街がこの砂漠の下に隠れていたなんて……」

 (読者に忘れられないように)街の出現に驚いて声が出ていなかったネリルも、ようやく話し出した。

「こんなに大きな街だったんだね」「ええ、長い間訪れていなかったので忘れていました」

「よかったーよかったー! ここからは、君たちの番だよ! もうあたしはこれ以上手伝ってあげられないから、自分たちで頑張って! もちろん助言はしてあげる。だけど、今は……!」

 そう行って、マーレはスイに思いっきり抱きついた。

「おかえり!!!!!」

 スイはいつの間にか、涙を流していた。自分では最初気づいてはいなかった。

「長かったよね、ありがとう……あたし、お話してくれる人ができて、ほんとに、ちょー嬉しいんだ!」

 抱き合う二人を更に、フィオナが包み込んでいた。ネリルは相変わらず、すねたような表情をしていたけれど、その手はスイの手を握っていた。

「みんな、ありがとう。僕の勝手なわがままだったのに、本当に街が見れるなんて正直、思ってなかった。だから、本当に現れたときにどうしようかなんて、何も考えてもいなかった。でも、この空っぽの街を見て、人が居たらどれだけ素晴らしい場所か、想像したんだ。だから、もう少し、もう少

しだけ協力してくれないかな?」

「もちろんです、スイ様!」

「もっちろーん、あたしにできることであれば協力するよ!」

「別に、協力してやらないこともないですのよっ……!」

 ネリルは必死にもらい泣きをするのを耐えていた。

「きっとこれからも、色々迷惑かけるかもしれないけど」

「心配だけは、あまりさせないでくださいね!スイ様!」

「そうだよね、がんばるね」


♢♢♢♢♢


 それから、スイはアルトネリア公国史上一番に街を栄えさせるのだった。

 それはまた、別のお話。

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