星海くじら『王妃様の首飾り』

 昔々あるところに、腕はいいが偏屈な宝石細工の職人がいました。

 職人の作品は非常に人気があり、彼の作品を持っていることが一種のステータスのようになっていました。そのため、貴族はこぞって彼の作品を手に入れようとしましたが、当の本人は金や名声といった物に興味がありませんでした。

 そのため、作品の美しさではなく自身のネームバリューだけが求められている現状に嫌気が差し、とある田舎の村の、そのまた外れたところに暮らし、気が向いたときにだけ作品を作るといった生活を続けていました。

 

 そんなある日、職人のもとに仰々しい一団がやってきました。彼らは隣国からやってきたようで、王妃様のために首飾りを作ってほしいと言いました。職人は気が向かないと断ろうとしましたが、大の大人たちが必死になって頼み込むので渋々依頼を受けることにしました。そして、王妃様と打ち合わせをするために立派な馬車で隣国へと向かうことになりました。


 職人が辺鄙な場所に住んでいたこともあり、隣国への旅は時間がかかりました。お城に着く頃になると、旅に飽き疲れ果てた職人は待遇に難癖をつけるなりして、王妃に面と向かって依頼を断ってやろうと思い始めていました。

 着いた時間が夜遅かったため、職人が王妃様に会うのは翌日ということになりました。その間に、夕食として今まで食べたことがないような美味しい料理を食べたり、ふかふかのベッドで寝たりしたことで、職人の機嫌はいささか良くなっていました。

それでも、翌日に職人が自分の家三つ分はあろうかという広さに高い天井、大きな窓から日光が差し込み、選びぬかれた調度品で飾られた、正に贅の限りを尽くした部屋で待っている間も、何か不快なことがあればすぐにでも依頼を断ってやろうという気持ちは変わっていませんでした。

 しかし、偏屈な職人のそんな気持ちは王妃様をひと目見たその瞬間に、消えてなくなったのです。

 なぜかというと、王妃様がこの世の人とは思えないほど美しく、職業柄美しいものに目がない職人は魅了されてしまったからです。いえ、見た目の美しさだけではありません、王妃様の鈴を転がしたような声や、洗練された所作、巧みな話術といったもの全てが職人を魅了しました。

 とりわけ職人の心を打ったのは、王妃様が職人の作品の素晴らしさを語ったことです。先程お話したように、職人は自分の作品よりもネームバリューだけが見られているような現状を嫌っていました。そのため、王妃様が自分の作品を見てくれて、その上で求めてくれているということがとりわけ嬉しく感じられたのです。これは後世の研究でも言われていることですが、どうもこの王妃様には、そういった人を引き付ける才能というようなものが備わっていたようでした。


 そんな訳で職人は俄然やる気を出し、王妃様のために自分ができるかぎりで最高の首飾りを作ろうと思うようになりました。王妃様との打ち合わせもはずみ、出来上がった首飾りのデザインは、とびきり豪華で、それでいて職人の技術を余すこと無く活かした繊細さもある素晴らしいものでした。

 王妃様も職人も首飾りのデザインに非常に満足していましたが、職人には一つ気がかりなことがありました。何かといいますと制作期間です。これでは完成するのに2年はかかってしまう、と心配そうに職人は王妃様に言いました。しかし、王妃様が言うには心配ないとのことです。何故かといいますと、2年後は王様の在位20年の記念の年で、この首飾りはその式典の際に身につける予定だったからです。

 それを聞いて、職人はほっと胸をなでおろし、王妃様のために最高の首飾りを作ろうという思いを強くしたのでした。

 

 国に帰った職人は、それはそれは熱心に首飾りの制作に取り組み始めました。他の依頼は話も聞かずに全て断ります。もともと外に出ない方でしたが、たまに食料などを買いに行く以外はほとんど工房にこもるようになり、寝る間も惜しんで首飾りを作ることだけに情熱を注ぎました。職人がこれだけ熱心に取り組んだのも、ひとえに久方ぶりにやる気の出る依頼をしてくれた王妃様に対する感謝の気持があったからでした。

 あっという間に2年が経ちました。最後の数カ月は一層制作に集中していたこともあり、首飾りは職人にとって最高傑作と呼べるものになっていました。制作に熱中するあまり、すっかり世捨て人のようになった職人でしたが、王妃様との約束を守るために月日の感覚はしっかりと持っていました。

 王様の在位20年の式典は数週間後に迫っています。もう数日の内には使いのものがやってきて、職人と首飾りを隣国へと運ぶ予定になっていました。式典には、職人も参加させてもらう予定です。そのようなおめでたい場で、この首飾りをつけた美しい王妃様を見ることができればどんなに幸せだろうと、職人はその瞬間を待ち遠しく思っていました。

 しかしながら、使いの者は予定から一週間過ぎても来ることはありませんでした。数日の遅れはあるだろうと思っていましたが、あまりにも遅いので職人は心配になり、何かあったのではないかと村に事情を知るものがいないか聞きに行くことにしました。

 

 そこで職人が聞いたのは、にわかには信じがたい話でした。村の人が言うには、隣国では数ヶ月前に王政に不満を持つ庶民による革命が起こり、王妃様含む王族は全員捕らえられたとのことでした。現在は裁判が行われているものの、王様と王妃様の処刑はほぼ確実とも噂されていました。

 それを聞いた職人は居ても立っても居られず、親切な村人の忠告も無視して、隣国へと旅立ちました。革命の影響で苦労しつつも、なんとか隣国へとたどり着いた職人を待っていたのは、王妃様――今となっては元王妃様――が明日処刑されるというショッキングな話題でした。


 翌日、職人は王妃様の処刑が行われる広場に居ました。直前まで行くか行くまいか迷っていましたが、やはり最期に一目でも王妃様を見たいと思ったのです。

 人混みをなんとかかき分けて前に出ると、ちょうど王妃様が処刑台に引き立てられてきたところで、広場の熱気は一段と高まりました。しかし、その熱気とは裏腹に、職人には王妃様の変わり果てた姿があまりにも衝撃的で、どこか現実のものでないように感じられていました。

 いよいよ王妃様が処刑されるというそのときのことです。王妃様は広場に集まった群衆をぐるりと見渡しました。すると、奇跡なのか職人の勘違いなのかはわかりませんが、職人はたしかに王妃様と目があったように感じました。そして、今から殺されるというのに、王妃様は職人に向かって微笑みました。王妃様の、陽の光を浴びると黄金のように輝いていた金色の髪は艶を失い白髪が混じり、顔は10歳以上歳をとったようにやつれ、薔薇色の頬も宝石のように輝く瞳も失われていました。

 それでも、その微笑みは、やつれ果てているにも関わらず、かつて職人が魅了されたものと何ら変わりのない気品に満ちあふれていました。それを見た瞬間に職人は王妃様の処刑を現実のものに感じ、約束を果たせなかった後悔が身を包みました。

 間もなく首は切り落とされ、処刑人によって王妃の首が掲げられると、広場の熱気は最高潮に達し、職人はそっとその場を立ち去りました。

 

 それから間もなく、職人は国に帰りましたが、一切宝石細工を作らなくなりました。いつの間にか工房も作品も手放し、どこかに引っ越したようでしたが、誰もその行き先を知りませんでした。それから職人がどこでどのような人生を送ったのかは誰もわかりません。

 しかし、職人の作品は時代を超えて今にも数点伝わっており、その中にはあの最後に作った首飾りもあります。

 革命から随分と時間が経ち、今では王妃様が暮らしていたお城は観光名所になりました。後世に様々な作品で王妃様が悲劇の人として取り上げられたこともあり、お城はいつも世界中から来た観光客で賑わっています。その中の一室、王妃様の寝室を再現した部屋の、王妃様の肖像画の側に例の首飾りは展示されています。

 首飾りは殆どの作品を手放した職人が唯一、死ぬまで大切に持っていたと言われています。そして職人の死後、持ち主を転々としていたのですが、持ち主がいずれも不幸な目にあっていることから、「呪いの首飾り」なんて呼ばれるようになっていました。

 紆余曲折を経て、お城で展示されることが決まった際にも何かトラブルが起きやしないかと心配されたそうですが、今のところトラブルは起こっていません。

 しかしながら、お城から動かそうとすると話は別です。首飾りはその美しさや歴史的価値ゆえに、世界中の博物館や美術館から貸し出してほしいという依頼が殺到しました。ですが、貸し出すためにお城から出そうとすると必ずトラブルが起こり、今のところ首飾りがお城の外で展示されたことはありません。そんなこともあり、人々の間では職人の霊がトラブルを引き起こしているのだと、まことしやかに語られています。


 職人の霊といえば、こんな噂もあります。夜中、誰もいないお城に職人の霊が出るというのです。といっても、人を襲うとか呪うといったことはなく、その傍らには王妃様の霊もいて二人で談笑しているということです。

 その光景を目撃した人によると、王妃様の霊は職人の首飾りをつけていて、王妃様の胸元で輝く首飾りを見て、職人の霊はようやく後悔から解放されたように満足げに微笑んでいるようです。

 不思議なことに、その瞬間は確かに、展示されているショーケースの中から首飾りが消えていると言われています。

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