第48話

「そういや、さっきスマホで何見てたの?」


 藤澤駅の歩道橋を降りた先にあるセカンドキッチンで昼食を取っている最中、祈織いのりに訊いた。


「え? さっきって?」

「ほら、待ち合わせしてた時」


 待ち合わせをしていた際に、祈織はスマホを見て頬を緩めていた。

 一体何を見ていたのか、気になったのだ。


「な、何も見てな──けほっけほっ」


 慌てて否定しようとして、喉にポテトを詰まらせそうになっていたようだ。


「な、何も見てないよ?」


 改めて言い直している。

 ひたすら怪しい。


「いや、スマホ見てただろ」

「スマホくらい誰だって見るでしょ? 麻貴あさきくんだって、待ち合わせの時とか見てるし」

「まあ、見るけど……でも祈織、さっきスマホで見てニヤついてたじゃん」

「に、ニヤ⁉ ついてなんて、ないもん……」


 慌てて頬を両手で触れたところで、俺の引っ掛けだと気付いたらしい。

 語尾がどんどん小さくなっていった。


「実際ニヤついてたぞ。それで、何見てたのかなって。いや、言いたくないなら別にいいんだけどさ」


 そこまで言うと、祈織はやや拗ねた様にこちらを上目で見て、はぁ、と溜め息を吐いた。

 そして、鞄の中からスマホを取り出して、こちらにディスプレイを向けた。


「……これ、見てたの」

「あっ」


 そのディスプレイは一枚の画像を映し出していた。

 それは、俺と祈織のプリクラだ。何度かプリクラは撮っているが、これは服装的にも初デートの時だろう。互いの緊張も解けて、帰り際に記念に撮ろうと言う事になったのだ。

 緊張は解けてきていると言っても、初デートだ。互いに顔が強張っていて、でも、どこか照れ臭そうで。二人ともそんな照れと緊張と嬉しさが混じり合っている様な、何とも言えない甘酸っぱい表情をしていた。

 今とは随分違った二人で、頬が緩んだ。


「あ、ほら! 今、麻貴くんもニヤってしてた!」

「うっ……」


 しまった。やられてしまった。


「ね? これ見たら、ほっぺた緩んじゃうのわかるでしょ?」

「いや、まあ、これ見たら……確かに」


 笑ってしまうというより、優しい気持ちになれるという方が正しい。

 さっきの祈織も、ニヤついていたというより、どちらかと言うと自然と笑みが漏れた様だった。


「私ね、この写真好きでよく見返すの」

「そうなのか」


 俺はあんまり見返さないタイプなので、意外だった。

 祈織の事を思い浮かべる事はあっても、あまり画像は見ない気がする。たまに夜中に彼女が恋しくなった時、こっそりと少しだけ見返す程度だ。

 でも、この初デートの時のものは恥ずかしくなってしまうので滅多に見返さない。どちらかというと、プリクラよりも祈織だけしか写っていない写真を見る事の方が多かった。


「この写真を見てるとね、懐かしいなって気持ちと、ちょっとだけ寂しいなって気持ちになるの」

「寂しい?」


 懐かしい気持ちはわかるけれど、寂しいという発想には至らなかった。


「うん。たった二か月前なのに、全然二人とも違うじゃない? 今はもっと自然だし、こんなに緊張もしないし、一緒に居て幸せだなって思えるから」

「それが寂しいのか?」

「あ、ううん。そういう寂しいじゃなくて……何て言えばいいのかな」


 祈織は困った様に笑って、首を少し傾げた。


「えっと……例えば、ね? 今の私達って、こんな感じじゃない?」

「うん? まあ、そうだな」

「それで、きっと……半年後とか、一年後とかになったら、今とも少し変わってて、もっと二人で一緒にいるのが自然になってると思うの。それはそれで凄く嬉しいし、もっと幸せなんだろうけど」


 祈織は一旦言葉を区切らせて、スマホの中の初々しい二人を眺めた。

 先程と同じ様に優しい笑みを浮かべつつも、その笑みには少しだけ寂しさも混じっている様に感じられた。


「その頃には、この時の私達の感覚、ううん、今の私達の感覚とも変わっちゃってて……それを徐々に思い出せなくなるのかなって思うと、ちょっとだけ寂しい気がしちゃって。なんて」


 祈織は顔をくしゅっとさせて笑って、スマホの画面を消して鞄に仕舞った。


「あ、今に不満があるとか、全然そういうのじゃないよ? 今も凄く幸せなんだけど……ちょっとだけそう思っちゃう時があるの。私、変かな?」

「いや、変じゃないよ」


 祈織の言いたい事がわからないでもなかった。

 世界は常に動いている。それは当然、人間関係も同じだ。例え関係が続いていったとしても、その中で小さな変化を繰り返し、その時々に適した関係になっていく。そして、そうして仲を深めていけば、当初の自分達とはどんどん異なっていくだろう。

 それは決して悪い事ではない。むしろ良い事だ。でも、確かに今は、初デートの時の緊張感やドキドキ感はない。そして、二度と当時と同じ気持ちになる事もないだろう。

 それを思うと、少しだけ寂しいと感じるのもわかる気がした。


「だからね、私……待ち合わせに早く来て、麻貴くんの事待つの好きなんだー」

「え、何で? それがここに繋がるの?」

「うん」


 祈織はカフェラテを口に含んで、ゆっくりと頷いた。


「待ってる時って、あーこれからデートだーってドキドキするから好きなの。きっと、これからもっとデートしたら、こうして待ってる時のドキドキとかも変わってくると思うし……今しか味わえないんだろうなって思って」

「なるほど……」


 祈織が敢えて早く来る理由が少しわかった気がした。

 彼女は待ち合わせをしている時のドキドキ感すら愛おしく思ってくれていたのだ。それは俺としても嬉しいものだった。


「それなら……今度から待ち合わせは駅じゃなくて、カフェとかファミレスとかにするか」

「え? どうして?」

「そしたら、変なのに声掛けられないだろ?」

「あー……でも、駅の改札で待つの好きだよ? 今日みたいに麻貴くんの事見つけたら、きゅんってなるから」


 少しだけ頬を赤らめて、恥ずかしそうに言う。

 ちくしょう。そんな嬉しい事を言われたら、駅での待ち合わせをやめようだなんて言えやしない。それは彼女の楽しみを奪う事にもなってしまう。


「わかったよ。でも、それならもうちょっとギリギリに来てくれよ。それか、交番が近くにある場所で待ち合わせるとか」

「うん、そうする」


 祈織が紙コップ越しに目だけで笑ってみせる。


 ──これ、絶対また早くから待ち合わせ場所に来そうだなぁ。


 彼女が早く来る事を見越して、俺が早めに待ち合わせ場所に向かう方が早そうだ。

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