第47話

 ──日曜日。今日は祈織いのりとのデートだ。

 デートと言っても、トースターを買いに行くのがメインで、それほどデートっぽくはない。ただ、ただトースターを買って終わりというのもつまらないので、ご飯を食べたりぶらぶらしたりしよう、という事になっている。

 春休みに榎電沿線でできるデートらしい事は一通りやってしまっていて、今更何をしようか、という気持ちもある。まあ、いつも通り適当にぶらぶらする事になるのだろう。


 ──あー、でもそういや榎島水族館はまだ行ってなかったっけ。今度の休みにでも行ってみようかな。


 そんな事を考えながら準備をして、家を出た。

 ちょうど六ヶ峰駅に着いたところで電車がきたので、慌てて飛び乗った。

 予定より一本早いのに乗れたので、待ち合わせ時刻にも余裕を持って間に合いそうだ。

 榎電は学校へ行く方向へとは逆方向に進んでいく。いつもとは異なる車窓からの景色を見ながら、小さく息を吐いた。

 スマホをタップしてメッセージアプリをチェックするが、特に誰からも連絡は来ていなかった。良太からのつまらない連絡は来ていたが、彼はミュートリストにぶちこんであるので通知は来ない。

 祈織からは特に連絡は来ていないので、待ち合わせ時刻等に変更も無さそうだ。

 藤澤駅の榎電改札前で待ち合わせという事になっていて、まずはお昼を食べながら今日何をするか考えるという手筈になっている。

 俺と祈織はあまりスケジュールをがちがちに組みたがらない。その日の体調や二人の気分、そういったものからその時に合ったデートをする、という感じだ。

 例えば、今日なんかは『藤澤でトースターを買う』という事だけを決めて、それ以外はその時の気分で決める。こうしよう、と決めたわけではなく、何となく俺達はそんな空気感が当たり前になっていた。

 俺としても、デートだから頑張らないと、と気張らなくていいので、非常に助かっている。

 ただ、俺達がこうしたデートへの気負いがないのは、どんな時間でも二人なら楽しめる、という自信があるからかもしれない。例えば、目的もなく町をぶらぶらして、気になる店にふらっと入るだけでも楽しめるのだ。何もない海岸を散歩するだけで楽しめるのと同じ様に。

 もちろん、最初からこうだったわけではない。

 俺達は互いに付き合うのが初めてで、しかも相手はあの天枷祈織あまかせいのりだ。とにかく楽しませなければならない、と初めてのデートの時は気合を入れまくっていたものだ。

 しかし、いざ初デートを迎えた当日、とにかく空回った。予定していたデートコースは全然回れないわ、入る予定だった店は行列ができているわで、ミスを連発。

 ただ、空回っていたのは俺だけではなく、祈織も同じだった。緊張して上手く話せず、変な日本語がいきなり出てくるなど、それまでに抱いていた天枷祈織のイメージが崩れた瞬間でもあった。

 俺達は互いに空回っている様を見て、互いに顔を見合わせて、噴き出した。きっとこの時、もっと自然体でいいんだ、とお互いが思えた瞬間だったのだろう。

 それから俺達は、なるべく自然体で接する様になった。気張ったり過度に遠慮したりする事をやめたのだ。それが続いて、今の様な関係になった。

 自然体で過ごせるのは本当に良い。お互いに気が楽だし、何よりずっとこんな感じで一緒に居られるんだろうな、という気がしてくる。

 それから暫く榎電に揺られていると、榎島電鉄の終点・藤澤駅に着いた。

 時刻は十一時四十五分。予定より一本早い電車に乗れたので、待ち合わせ時刻より十五分程早くに着いてしまった。

 あと十五分どうしようかな、と思って改札を出ると……見覚えのある姿が目に入った。

 黒くて長い綺麗な黒髪に、いつもよりお洒落な洋服を身に纏っている天枷祈織だ。

 彼女は道行く男性からちらちらと視線を送られている事に気付いた様子もなく、ちょっとだけ頬を緩ませてスマホの画面を見ていた。


 ──やっぱり、祈織って学外でも目を惹くんだなぁ。


 自分の彼女が色んな男の目を惹いているのは、悪い気はしない。

 ただ、同時に不安にもなってくる。彼女は大人しいタイプなので、声も掛けられやすいのだ。前も、待ち合わせより早くに来て、ナンパされていたくらいだ。

 それ以降、俺もこうしてなるべく待ち合わせ時間より早くに来る様にしているのだが……


 ──お前がこんなに早くに来てちゃ意味ないだろうに。


 俺がそんな事を考えている間に、男二人組が祈織に声を掛けようと近付いていた。


 ──ああもう、言わんこっちゃない。またナンパされる気か、お前は。


 そう思って祈織に近づこうとした時──彼女がまるで俺の気配に気付いたかの様に、ふとこちらを見た。

 そして、柔らかい笑みを顔一面に広げたかと思うと、嬉しそうにこちらに駆け寄ってくる。近付こうとしていた男達は舌打ちをして、反対方向に歩を進めていた。


麻貴あさきくん!」


 祈織が声を弾ませて俺の名前を呼んだ。


「おう……てか、来るの早くない? 俺、一本早いのに乗ったんだけど」

「うん。私もそわそわしちゃって……それで、早く家を出たら」


 早く着いちゃった、と困った様に笑って付け足した。


「早く来るのはいいんだけどさ……お前、またナンパされそうになってたぞ」

「え⁉ ほんとに?」

「ああ。丁度今ナンパされる寸前だった」

「そ、そうだったんだ……」


 祈織は不安げな表情をして、あたりをふと見まわした。

 もう先ほどのナンパ男どもはこの場から姿を消していて、見えない。

 祈織は結構人見知りするし、初対面の人と話すのは苦手だ。それがナンパ男ともなれば、余計にどう対処していいのかわからないのだろう。


「お前さ、自分がナンパされやすいって事、もうちょっと自覚しろよ。待ち合わせ時間に早く来たら、それだけナンパされるリスクも高まるんだから」

「うん……ごめん」


 祈織がしゅんとして肩を落とした。


「どうして私なんかをナンパするんだろう……?」


 他に可愛い子なんてたくさんいるのに、と祈織が迷惑そうに言った。


「そりゃ、可愛いからだろ」


 実際に可愛いし、と心の中で付け足していると、祈織が顔を赤らめた。

 いや、照れるなよ。


「私は麻貴くん以外興味ないのにね」


 今度は俺が顔を赤くする番だった。


「そ、そんなのわからないだろ。めちゃくちゃイケメンな奴が声掛けてくるかもしれないし」

「わかるよ。だって、麻貴くんの方がイケメンだもん」


 性格もイケメンだし、と付け加えてから言って恥ずかしくなったのか、祈織は照れ笑いを見せて、視線を逸らした。

 こっちはこっちで赤面大爆発だ。嬉しくてむず痒くて、もどかしい。


「もうそれはわかったから……行くぞ。昼、食べるんだろ?」

「うんっ」


 俺の言葉に彼女は頷き、自然と手を取り合って、歩き出す。

 きっとこういうのをバカップルって言うんだろうなと思うけれど、幸せなので見過ごしておいて欲しい。

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