第29話

 毎度の事とは言え、授業は退屈だった。

 ただ座って、板書して、たまに当てられそうになったら教科書を見る。座学は基本的にこんな事の繰り返しだ。

 来月には中間テストが始まるから、ちゃんと勉強もしなければならない事には変わりないのだけれど、昨日のバイトの疲れが残っていて、どうにも体がしゃきっとしない。

 ちらりと窓際の席の祈織いのりを見る。

 彼女はその名──天枷祈織あまかせいのり──からわかる通り、出席番号一番だ。ア行の苗字に生まれてしまったからには、小学校の時からもう一番は宿命だそうだ。可哀想に。

 今も、出席番号一番だからと言う理由で、問題を当てられていた。

 ただ、当てられても祈織ならば問題ない。大体の問題であれば、彼女は正解を言い当てるからだ。数学の問題でも、化学の問題でも、英語の問題でも、国語の問題でも、大体はすらすらと解いてしまう。もしかすると、先生も『祈織に答えさせれば授業がスムーズに進む』と思っているからこそ、彼女を当てるのかもしれない。


「はい、正解」


 祈織が問題の答えを言うと、化学教師がそう言い、祈織はほっと息を吐いて席に座る。その際にちらりと彼女がこちらを見て、目が合った。

 何だかちょっと困った様な笑みを作って首を少し傾げてみせて、『なあに?』と目だけで訊いてくる。俺は首を横に振って、黒板の方を見て見ると──先生がこちらを見ていた。

 何だか少し目つきが怖い。とても嫌な予感がする。


「じゃあ……女子とアイコンタクト取ってた汐凪しおなぎ、次の問題解いてみろ」

「うそぉ……」


 生徒達がクスクス笑い、良太りょうたやスモモなんかはこれでもかというくらい嬉しそうな顔をしていた。腹が立つ。

 祈織の方を見て見ると、彼女もクスクス笑っていた。祈織は可愛いから何でもOK。差別? 自分の彼女なんだから贔屓して当然だ。

 って、そんな事は今は良い。次の問題は……『五gの食塩を九五gの水に溶かした時の質量パーセント濃度』か。あ、良かった。これならわかる。


「五%」


 立ち上がってから、該当する答えを言う。


「ちっ……正解」


 教師が嫌そうな顔でそう言う。

 って、おい。今舌打ちしなかったか、この糞教師。祈織の時とは態度が随分違うものだ。男子高校生はなかなかに世知辛い。

 とはいえ、基礎的な問題でよかった。もっとわけわからない問題を言われてたらきっと答えられなかった。

 ちらりと祈織の方を見ると、音が出ない様に小さく拍手していた。バカにしやがって。これぐらいなら俺でもわかる。

 それからはまた退屈な授業に戻った。

 ちらっと窓の外を見ると、春の青々とした空が目に入った。雲がゆっくりとその空を気持ち良さそうに泳いでいる。こうした青空を見ていると、どうして自分はこんなところで座って座学など受けているのだろうか、という気分にさせられるのだった。

 などと考えていると──


「じゃあ汐凪」


 教師がまた俺の名を呼んだ。

 え、また?


「一molの食塩を二リットルの水に溶かしたときのモル濃度は?」

「えっと……〇.五モルリットル?」


 咄嗟に答えると、また教師がむっとした顔をして、「正解」と答えた。それから、「授業中によそ見はしない様に」と付け加えて、黒板にチョークを走らせた。

 なんだよその捨て台詞は。別に褒められたくないけれど、もうちょっとマシな言い方はないのか。

 俺は溜め息を吐いて、真面目に授業に取り組むのであった。

 ちなみに、良太に後から聞いた話では、この化学教師は密かに祈織の事を気に行っていたらしく、逆恨みだった様だ。いるよな、そういう教師。

 ただ、祈織と付き合っていると、どうやら一部の男性教師まで敵に回してしまうらしいという事がわかったのだった。

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