第28話

 いつもより早く家を出られた御蔭で、今日は一本早い電車に乗れた。

 ただ、この電車は一番八高はちこう生が利用する時間帯でもあるので、生徒が多い。この後の電車だと始業間際の到着になるので、万が一遅延なんかがあると、遅刻してしまうからだ。満員電車が嫌な生徒は、この電車を避ける。

 混み具合からしても、やっぱりいつもの時間帯の電車が良いなぁと思うのだけれど、それは口には出してはいけない。

 祈織いのりがいつもより少し早く家に来たのは、この電車に乗せる為──即ち、俺を確実に遅刻させない為、である。彼女は俺のひとり暮らし事情を知った上でそうしてくれているので、その気持ちを無碍にはできない。

 しかも、俺はギリギリまで毎日寝ているけども、いつも俺の部屋に寄っている祈織は──しかも弁当まで作ってくれている──一体朝何時に起きているのだ、という話になる。

 俺の為に彼女はめちゃくちゃ早起きしてくれているのだ。そんな彼女の厚意を思えば、俺が我儘など言えようはずがなかった。

 八ヶ浜はちがはま駅で降りて、学校までの道のりを歩く。いつも乗っている電車より乗っていた生徒が多いので、通学路も当然ながら生徒が多い。

 俺達はいつも通り登校しているだけなのだが、隣にいるのは学校一の美少女こと天枷祈織だ。当然に注目を浴びてしまう。

 加えて、いつもと登校時間が異なるので、周囲の顔ぶれが異なる分、余計に注目を集めている気がした。何だか居心地が悪い。


「そういえばね」


 横断歩道を渡ったところで、祈織が下を向きながら、唐突に切り出した。少し頬が赤いようだった。


「うん?」

「昨日、車乗る前にキスしてたの、やっぱりお母さんにバレてた」

「ブッ」


 思わず噴き出してしまった。

 そうだろうなと思うのと、実際にそうだったというのでは、衝撃が雲泥の差だ。物凄く恥ずかしい。

 今度会う時、どんな顔をすればいいのだ。


「……お母さん、何て?」

「やるじゃん、って……」


 何がだよ。あのお母さん、掴みどころが無さ過ぎて全く読めない。


「でもね、お母さん麻貴あさきくんの事凄く気に入ってると思う。じゃないと家に連れて来なさいなんて言わないと思うし、それに……」


 祈織が言いかけて、口を噤んだ。


「それに?」

「えっと……『あんな男の子滅多にいないから、絶対に逃しちゃダメ』って、昨日言ってたから」


 顔から火が噴き出た。

 言った張本人の祈織も顔をまっかっかにしている。


「か、買い被りだよ。お前も、お母さんも。俺なんか、ただ惰性で生きてるどこにでもいる高校生なんだから」

「そんな事ないよ」

「そんな事あるっつーの」


 祈織が不満そうに「むー」っとこちらを睨んでくるが。実際にそう思う。

 俺はそんな大した人間ではない。それを、中学時代に経験してしまっていて、自分を凡人だとしか思えなくなったのだ。


 ──もし俺が特別な人間であるとするなら、お前の存在なんだけどな。


 凡人な俺を特別たらしめているのは、天枷祈織あまかせいのりに他ならない。彼女がいなければ、きっと俺は凡人で、それは俺が凡人である事の証明であったりもして。それはただ、祈織こそが特別な人間なだけだと思うのだった。

 そんな事を考えていると──


「うるぁ!」

「うりゃ!」


 後ろから良太りょうたとスモモの声がしたかと思えば、俺と祈織の頭に同時に衝撃が走った。手刀しゅとうが脳天めがけて振り下ろされたのだ。

 思わず頭を押さえて、振り返る俺と祈織。そこには不機嫌そうにしている良太とスモモがいた。


「いったぁい! もうっ、モモちゃん! 何するの⁉」


 祈織がスモモに抗議するが、スモモは「へん!」と顔を背けた。


「朝から砂糖を投げ散らかした罰よ!」

「そうだそうだ!」


 良太が便上して同意を示す。


「だから、昨日から砂糖砂糖って何なんだよ……」

「そうだよ。私達、ただ歩いてるだけなのに」


 俺達がそう言うと、スモモと良太がこそこそ話をする様に体を寄せて、口元を隠した。


「聞きました、スモモの奥さん? あの人達、自覚ないんですってよ」

「まさかねー? 無差別砂糖ばら撒き事件の犯人がこんな人だったなんて思わなかったわ、ばい菌の奥さん」

「誰がばい菌だよ!」

「え、あんた」


 こっちを攻撃していたはずの二人が、すぐに仲間割れを始めた。

 一体何なんだ、こいつらは……。


 ──うーん、なるほど。この時間帯の電車だとこいつらと出くわすのか。


 やっぱり明日は、いつもの電車に乗ろうと思ったのだった。

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