地獄のカットマン
「俺の名前は
頼んでもいないのに、ふいにメタルギアシリーズのボスキャラみたいな自己紹介が始まる。
「俺は生まれた時から女の衣服を切り裂く事に快楽を憶えてきた。いい女を見ると、最初に考えるのは、どこから服を切り刻むかだった」
麗奈がガチの嫌悪感に満ちた目で刈田を見る。だが、それで怯むような刈田ではない。
「体育の時、脱いだまま机に置かれた女子の私服を切り刻むのが俺の密かな楽しみだった。外部からの侵入者がいるに違いない。そんな憶測を学校がする中、俺は腹が下ったからトイレに行きたいと言い、誰もいない女子更衣室に忍び込んではお気に入りの
「最、低」
はっきりと声に出して言った。だが、刈田には少しも届いていない。
「ある日、いつもの通りにお気に入りの
「まさか……」
先の展開が読めて、脚が震えはじめる。
その先はあまりにもおぞましいので聞きたくなかった。
「パンツを脱がすと、奴のイチモツがあらわになった。どうせこの汚ねえチンポで若い女をいたぶってるんだろうと思うと、腹が立った。俺はハサミを取り出して……」
「やめて!」
耳をふさいで叫ぶ。それ以上は聞きたくなかった。その先は言わずとも分かった。
目の前の男は想像を超える極悪人だった。
たしかに自分の妻を寝取ったからと浮気相手の局部を切り落とした格闘家はいた。だが、それも理解出来ないものではない。人としてあってはいけない事だが、同じ人間として理解が出来る要素もあった。
それに対して、目の前の男は自分の欲望を果たすためだけに極悪非道な行為に手を染めた。ここまでくるとテロリストだ。その警備員がどうなったのかは聞きたくもない。
「それ以来、人は俺をカットマンと呼ぶようになった」
刈田が誇らしげに邪悪な笑みを浮かべる。教室が静まりかえる。おそらくここの住人の価値観でもそれなりにヤバい奴という判定が下ったのだろう。
刈田がハサミをチョキチョキしながら歩いて行く。器の小さいシザーマンみたいだった。
「それじゃあ飽き足らずに自分のタマまで切り落としちまったみたいだな」
怖気のする返し。もちろん、
刈田は動きを止め、「あ?」と眉毛を釣り上げた。
――やめて。
心の叫びは、ついぞ口から出ていけなかった。
「要はただの変態じゃねえか」
身も蓋もないが、事実だった。
「そんな変態は社会で生かしておく理由が無い。よってお前を殺す」
正論だったが、無慈悲だった。
「舐めるなあああ!」
両手にハサミを持ったまま、刈田が駆ける。
狂気のハサミ男。色々な意味で逃げだしたくなる。
「うるぅああああ!」
刈田が飛ぶ。ハサミを振りかぶって、上から突き刺すつもりだ。
だが――
先ほどの死亡フラグといい、見事なまでのザコっぷりを発揮して大の字になった。
「あれ? 死んだ?」
麗奈の口から思わず本音出る。
目の前で起きたのは交通事故に等しい衝撃だった。並みの人間なら生きているのが不思議に見えるぐらいに。
とうとう登校二日目にして殺害事件が起こった。雰囲気的に、これが最初の死傷者には見えない。おそらく死者もそれなりの割合で出るのだろう。
そう思っていると、石像のように固まっていた刈田が跳ね起きる。気色悪いショーン・マイケルズのようだった。
刈田はぜえぜえと息を切らせながら、激しい怒りをその顔に滲ませていた。殺してやる――そんな声が聞こえそうなくらいに。
長く、重い沈黙。野次馬達は、息をひそめて闘いのゆくえを見守っている。
刈田が手を振る。ハサミを投げた。スナップの効いたそれは、
ナイフのように投擲されたハサミは囮だった。刈田は腰のあたりに隠し持っていたハサミを取り出す。凶悪なドラえもんみたいだった。
駆ける。低空から、突き上げるように薙いだ。スマッシュを思わせる一撃。よけにくい角度から、
ブンッ!
派手な音を立てて、ハサミが空気を切り裂いた。
「あっ……」
麗奈が思わず声を上げた時には、
鼻先でハサミの斬撃をかわした
右が刈田の鼻をとらえる。肉の潰れる湿った音。崩れ落ちそうになると、アッパーで起こした。
棒立ち。その場に居合わせた誰もが固まる中、左右のフックを連続で叩き込む。グシャっと、明らかに骨の砕ける音がした。
ほとんど意識を失った刈田が、ハサミを持ったまま膝立ちで固まる。いや、実際には気絶しているだけだった。とうに焦点の合っていない目をした悪童。その顔に
バットが何かをへし折ったような音がして、刈田の肉体は固い床に叩きつけられた。全女性の敵と言っても過言ではない男は、そのまま立ち上がる事が出来なかった。
「カットマンがやられた」
狂気のカットマンとして知られた刈田。彼はクラスの中でも畏怖される存在だった。その刈田をあっさりと倒した
「でも、織井兄弟には勝てないさ」
「そうだな。あの兄弟は異次元だよ」
ざわめき。いくらか
『ちょっ……まだあんなバケモノみたいな奴がたくさん出てくるの?』
麗奈は一人パニックになる。先ほどスカートを切り刻まれた時、死ぬほど怖かった。今まで見た事のないような変態を目前にして、小さく整った膝はまだ小刻みに揺れている。
しかも同級生達の口ぶりからして、刈田よりも強い不良がまだいるなんて。いたいけな美少女にとっては悪夢でしかなかった。
不安で心がグラグラと揺れている頃、授業中の電話が終わったダメ教師、ローリー近藤が部屋へと戻って来た。一瞥。授業を再開した。きっと関わりたくなかったのだろう。
刈田は不良仲間に介助されながら、保健室へと歩いて行った。引きずられるように歩いて行ったので、細い血の痕が床にこびりついていた。
惨事の形跡は、また騒がしくなる不良達によってすっかり
麗奈は切り刻まれたスカートを見下ろした。向こう側に下卑た視線。懲りずにパンチラを眺める下衆達。
だが、不思議と羞恥心を感じなかった。
「ああ、こうやって慣れていくんだろうな」
掃き溜めの鶴が黒く染まっていく。嫌なブラック・スワン。
そのような感覚に現実性を得て、いくらかうんざりした。
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