決別
19時45分。
曇った空からは、ほんの少しだけ光が漏れている程度。
いよいよだ。
足取りは軽く感じる。
なんというか、ここまでくるとね。
「ここも最後かな」
髪のケアが必要なくなれば、中学と一緒でお手軽セルフカット(ゴミ)で良いだろうか。
元々身の丈に合ってない感が強かったし。
懐かしいな。散髪屋さんとのコミュニケーションが苦手で、自分で切り始めたんだっけ。
「……」
慣れというのは恐ろしい。
あんな恐怖の対象だった美容院に、今では月一のペースで通っている。
そして――その店の扉を開けようとして固まっているんだけど。
「……行くか」
でも、ずっとそうはしていられない。
覚悟を決めてドアを開ける。
おしゃれなBGM。暖かいオレンジの光。
「あ。東町一様、お待ちしてましたよ」
「どうもどうも」
いつも通り。
いつも通りだ。
「今日は、“黒”に戻すということで
「はい」
「かしこまりました」
《――「東町様の髪染めは、我が生涯で最高傑作です!!!」――》
ちょっと引くぐらいの熱量で言う彼女の面影は、今は無かった。
気を使ってくれているのだろうか。
そんなに、今の自分は分かりやすいだろうか。
「髪のお手入れはしっかりしてるみたいですね。流石です」
「あー、ありがとうございます」
「注意点として、黒染めは次回以降のカラーが染まりにくくなります」
「そうなんですね」
「はい。なので一時的に染めたいというのであれば、ヘアマニキュアといった方法がおすすめです。色落ちしやすいので、次回以降の髪染めに影響しません。長期間黒が良いという場合はヘアカラーを用いります。この場合は、先程の通り……“影響”が出ることになります」
髪染めもたくさんの種類がある。
それも、この髪色にしてから知った事。
「じゃあ、ヘアカラーでお願いします。もう染める予定も無いですから」
「……かしこまりました」
ほんの少し間があったけれど、美容師さんは何でもないように対応してくれる。
助かる。
この美容師さんは、俺が話苦手ってのを知って基本は静かだし。
本当に良い人だ。
……でも。
黒にしたら、俺はこの店にはきっと来ないんだろうな。
「はい。あ……あの」
「どうしました?」
「あっ、いや何でもないです」
『今までありがとうございました』、なんて口にしようとして止める。
それはお会計の時で良い。一刻も早く、俺の髪色を戻してもらうべきだ。
「? それでは黒染めの準備をして――」
――プルルルル!
しかし。
こんな時に限って、店の電話が鳴ってしまった。
「申し訳ありません、ちょっと出てきて大丈夫でしょうか?」
「あー……どうぞ」
去っていく美容師さん。
手持ち無沙汰だ。
何してようか。
「……」
迷った結果、スマホを手に取る。
写真アプリを立ち上げる。
思い出は、ここにしっかり保存したんだ。
悔いはない。
そのために撮ったんだ。
視界、輝く写真の数々を眺める。
《――「こ、こうですか?」――》
撮り慣れていない二人だったせいだろう。
詩織さんと俺……両方、ぎこちない笑顔。
《――「ほら、かのん」――》
《――「ぴーす!」――》
意外というかなんというか、如月さんは取り慣れていた。
かのんちゃんも。なんなら如月さんより慣れてるよ。
整いすぎている二人の横に、どうして俺なんかが居れるのかが今でも不安になる写真。
だからこそ、大事にしたい。
もう、こんな事ないかもしれないから。
《――「とーまちは真ん中!」――》
《――「こうしたら小顔になるぜ」――》
それを言えば、こっちもそうだ。
柊さんと夢咲さんに挟まれる俺。
ピースした指を顔の下に添えたプリクラ。
スタイル、容姿も抜群。
そんな彼女達にサンドされる状況など、この先一生ないかもしれない。
だからこそ、ずっと大事にしよう。
《――「いっち!」――》
心残りがあるとしたら、初音さんとの写真がないことか。
「……」
画面をスワイプしながら、その思い出を蘇らせる。
そして、目の前の鏡を見た。
「本当に。何も変わってない」
髪だけ。
それだけ。顔のパーツが変わるわけもない。
彼女達の様に、整った外見になるわけではない。
大人になったわけでもない。
だからこそ……もういい。
元に戻るだけだ。
そう思っていたのに。
「……なんで」
どうして、鏡の自分は泣いているんだ?
何が悲しいんだよ。
元々いつか戻すはずだっただろ?
「なんのための写真だ……“決心”するために撮ったんだろ……!」
力ない声が口から出る。
ココまで来て、何を迷う?
それがあれば、それは思い出として残るから。
それがあれば、きっと――
そう思っていたのに逆効果だ。
「……ああ、くそ……なんでなんだよ!」
このまま、座っていれば全て終わる。
黒色に戻して、家族には元通り真面目になるっていえば。
《――「一兄」――》
過去の声。
妹とも、家族とも元通りになるはずなのに。
《――「は?」「えっウソでしょ? マジでとーまち?」――》
《――「『東町君って面白い人なのね』、だって」――》
《――『僕は綺麗だと思います』――》
それを、“今”で塗替えられる。
ぐちゃぐちゃだ。
写真なんて、撮らなきゃよかった――
「と……東町様、お待たせしました……」
気付けば、困惑した美容師さんが帰ってきている。
みっともない。
店の中で、子供みたいに泣いて。
「えー。あー……どうされます……?」
掛かる声。
美容師さんが、困っている。
言えよ俺。
『お願いします』って。
それだけ言えば、全部終わるだろ!
「……すい、ません」
なのに、なんで席から降りるんだよ。
「キャンセルということで?」
「……はい」
なんで、こんなことを言うんだ。
「承知しました。お代は結構ですので」
「……ごめんなさい」
「いえ。お気をつけてお帰り下さい」
俺は――!
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