海
幼稚園も、小学校のときも。
小さい頃から、僕は人付き合いが苦手だった。
家には優しいお祖父ちゃんとお婆ちゃんがいたから……そのまま、二人に甘えていた。
よく遊んでもらった。
友達なんていなかったから、よくお祖父ちゃんに付いて行って山の中を探検していた。
小坂、上り坂、葛籠下り。
最初は登るのが辛かったけれど、何度も繰り返すと慣れていく。
慣れるにつれ、周りを見る余裕も出てくるようになる。
木漏れ日の暖かさに。
頂上から見る夕日の美しさ。
野鳥の呟き、流れる水の心地よい冷たさも。
いつからか、その全てが大好きになった。
《——「いつか、詩織も友達に教えてあげるんだよ」——》
頭を撫でたお祖父ちゃんの言葉に応えられる様に。
中学生、林間学校。
それに参加する時、初めて僕は学校行事を頑張ろうと思ったんだ。
意気揚々と。山について色々知識を持った今の僕なら、もしかしたら良い意味で目立てるんじゃないかなって。
大体の山菜は分かる。
火の起こし方も、焚き火の、枯れ木の組み立て方も。
飯盒炊爨も、カヌーとか、山の遊びはいっぱい知っているんだ。
だから。
内心は、期待に満ち溢れていたのを覚えている。
☆
——でも。
そんな心意気は、かすりもしなかった。
普段から話していないのに、急にそこで話せる訳もない。
気付けば荷物を胸に抱いたまま——口をぎゅっと結んで。
いつものように、存在感を消したまま。
——「あいつ何もやってなくない?」
聞こえてきたその声。
思わず俯く。そうしていても、何も解決はしないのに。
——「しおりさーん、食器洗いやっといてよ」「確かに何もしてなかったしな」「ちょっと探検しに行こうぜ!」
僕一人を置いて、どこかへ行くグループの皆。
当たり前のことだった。
意気揚々と準備をしていた自分が、酷く滑稽に思えた。
結局僕は逃げる事しか出来ない。
逃げる手段が、山遊びだっただけなんだ。
最低なんだ、僕は。
悪いのは僕だ。
全て、自分のせい。僕のせい。
「……ううっ」
カチャ、カチャカチャと。
寂しく鳴る食器を洗う音だけ。
それだけが、僕の味方の様に思えたのだ——
☆
☆
カチャカチャ。
カレーを食べたあと。
食器を二人で洗っている中——
「……も、椛さーん?」
なんかさっきから椛さんの目が凄く遠い所を見ている。
えっもしかして七キロ先に珍しい野鳥でもいるのか。
実は彼女は視力が20.0(桁違い)ぐらいあって、ソレを制御する為に長い前髪だったりするのか(バトル漫画)。
か、かっけぇ……。
ちなみに俺の視力は0.6。メガネをかけるかかけないかが、中々難しいラインである。
「椛さん大丈夫?」
「あ、は、はい」
「疲れてる? 危ないから俺洗っとくよ」
カチャカチャと食器を洗う音が響く中——ようやく俺の声の彼女に響いたようだ。
珍しい。完全に別世界に入り込んでるぐらいの雰囲気だったぞ。
「……ごめんなさい」
「色々準備してもらってたし、これぐらいはやるって」
「だ、だめですっ……。やります!」
「えっ。まあそこまで言うなら」
ソワソワしていると思ったら、今度は身体を乗り出す椛さん。
どこか気迫めいたものを感じる。
……食器洗いにそんな思い入れがあるのだろうか。まあ確かに割ったら危ないからね。
「でも、まさかココまで椛さんが山に慣れてるなんて知らなかったよ」
「子供の頃から……慣れてまして」
「はは、どこかで修行とかしてたわけじゃないんだよね」
「い、いえ。遊んでただけです。山はもう……もう一つのお家みたいなもので」
「凄いね」
「……山の中に逃げていただけです……」
そう呟く彼女は、俯いていた。
流石に察する。
俺だって椛さんと同じ——ずっと一人だったんだから。
中学時代、特に二年……暗黒の記録。
思い出したくなさすぎて、逆に記憶が全く無い。
「椛さんは山派なんだね」
「え、は、はい」
「俺は海派だったよ」
「え……ご、ごめんなさい。海の方が良かったですか?」
流石に困惑させたみたいだ。
でも、さっきの表情よりはずっと良い。
「海といっても……“ネット”の海だよ」
「えっ」
「都合の悪い現実から目を背けるために、ネットの世界に逃げ込んでた」
「!」
15.6インチの液晶の中には、無限大の情報が広がっている。
中学の頃、俺はそれに夢中になった。
宇宙の広さも。
地球の小ささも。
世界の陰謀論も。
どうでもいい豆知識も。
覚えて、忘れて、覚えて、忘れて。繰り返し。
ただ寂しさと虚しさをかき消す為に——情報の海に飛び込んだ。
「でも、それは今となっては良かったと思ってるよ」
昔の自分には感謝しかない。
現実逃避、ネットの海の中。
迷い込んだ掲示板。
その世界に触れたことは大きな価値だ。
中学の俺に言っても信じてくれないだろう。
「何言ってんだお前」なんて言われるだろうけど。
過去の自分には「ありがとう」と、胸を張って言える。
“逃げた”昔の自分のおかげで、俺は変われたんだから。
「……なんで、ですか」
「実はネットの影響で染めたんだよ。この髪色」
「!」
彼女は、この虹色を綺麗と言ってくれた。
俺も気に入ってるからね!
「だから、椛さんも同じだと思うんだ」
「……っ」
「山に逃げたおかげで今日、たくさん俺が遊べた訳だし」
「そう、ですけど……っ」
カチャカチャ、響く食器の音。
話し始めて大分経った。
洗い終わった食器をカゴに入れながら、俺は横に居る彼女に話す。
「ね、椛さん」
「逃げることは、大体は良くないことだけど」
「もしそれで“今”があるのなら、そんなに悪いことでは無いんじゃないかな」
これは、敗者の遠吠えかもしれない。
無理やりに過去を美化しているだけかもしれない。
醜い後悔を、無理やり正当化しているだけかもしれない。
それでも。
例えそうだったとしても。
「少しぐらい、誇って良いと思うんだ。昔――逃げた俺達の事を」
響く声と一緒に、風が優しく頬を撫でる。
誘うように、その行方は彼女の方向へ。
「!?」
「ありがど……っ、どうまぢ君……っ」
「えっちょっと」
「うう゛っ……」
「あ、あー!! ちょっとタオル持ってくるね!」
ふと目を横にやれば、泣き出していた彼女。
あたふたする俺の向こうでは、野鳥が呑気に歌っていた。
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