幼稚園も、小学校のときも。

小さい頃から、僕は人付き合いが苦手だった。

家には優しいお祖父ちゃんとお婆ちゃんがいたから……そのまま、二人に甘えていた。


よく遊んでもらった。

友達なんていなかったから、よくお祖父ちゃんに付いて行って山の中を探検していた。


小坂、上り坂、葛籠下り。

最初は登るのが辛かったけれど、何度も繰り返すと慣れていく。

慣れるにつれ、周りを見る余裕も出てくるようになる。


木漏れ日の暖かさに。

頂上から見る夕日の美しさ。

野鳥の呟き、流れる水の心地よい冷たさも。


いつからか、その全てが大好きになった。



《——「いつか、詩織も友達に教えてあげるんだよ」——》



頭を撫でたお祖父ちゃんの言葉に応えられる様に。

中学生、林間学校。


それに参加する時、初めて僕は学校行事を頑張ろうと思ったんだ。

意気揚々と。山について色々知識を持った今の僕なら、もしかしたら良い意味で目立てるんじゃないかなって。


大体の山菜は分かる。

火の起こし方も、焚き火の、枯れ木の組み立て方も。

飯盒炊爨も、カヌーとか、山の遊びはいっぱい知っているんだ。


だから。

内心は、期待に満ち溢れていたのを覚えている。



——でも。

そんな心意気は、かすりもしなかった。


普段から話していないのに、急にそこで話せる訳もない。

気付けば荷物を胸に抱いたまま——口をぎゅっと結んで。


いつものように、存在感を消したまま。



——「あいつ何もやってなくない?」



聞こえてきたその声。

思わず俯く。そうしていても、何も解決はしないのに。



——「しおりさーん、食器洗いやっといてよ」「確かに何もしてなかったしな」「ちょっと探検しに行こうぜ!」



僕一人を置いて、どこかへ行くグループの皆。

当たり前のことだった。

意気揚々と準備をしていた自分が、酷く滑稽に思えた。


結局僕は逃げる事しか出来ない。

逃げる手段が、山遊びだっただけなんだ。


最低なんだ、僕は。

悪いのは僕だ。

全て、自分のせい。僕のせい。



「……ううっ」



カチャ、カチャカチャと。

寂しく鳴る食器を洗う音だけ。


それだけが、僕の味方の様に思えたのだ——






カチャカチャ。

カレーを食べたあと。

食器を二人で洗っている中——


「……も、椛さーん?」


なんかさっきから椛さんの目が凄く遠い所を見ている。


えっもしかして七キロ先に珍しい野鳥でもいるのか。

実は彼女は視力が20.0(桁違い)ぐらいあって、ソレを制御する為に長い前髪だったりするのか(バトル漫画)。


か、かっけぇ……。

ちなみに俺の視力は0.6。メガネをかけるかかけないかが、中々難しいラインである。



「椛さん大丈夫?」

「あ、は、はい」


「疲れてる? 危ないから俺洗っとくよ」



カチャカチャと食器を洗う音が響く中——ようやく俺の声の彼女に響いたようだ。

珍しい。完全に別世界に入り込んでるぐらいの雰囲気だったぞ。



「……ごめんなさい」

「色々準備してもらってたし、これぐらいはやるって」


「だ、だめですっ……。やります!」

「えっ。まあそこまで言うなら」



ソワソワしていると思ったら、今度は身体を乗り出す椛さん。

どこか気迫めいたものを感じる。

……食器洗いにそんな思い入れがあるのだろうか。まあ確かに割ったら危ないからね。



「でも、まさかココまで椛さんが山に慣れてるなんて知らなかったよ」

「子供の頃から……慣れてまして」


「はは、どこかで修行とかしてたわけじゃないんだよね」

「い、いえ。遊んでただけです。山はもう……もう一つのお家みたいなもので」


「凄いね」

「……山の中に逃げていただけです……」



そう呟く彼女は、俯いていた。

流石に察する。

俺だって椛さんと同じ——ずっと一人だったんだから。


中学時代、特に二年……暗黒の記録。

思い出したくなさすぎて、逆に記憶が全く無い。



「椛さんは山派なんだね」

「え、は、はい」

「俺は海派だったよ」

「え……ご、ごめんなさい。海の方が良かったですか?」



流石に困惑させたみたいだ。

でも、さっきの表情よりはずっと良い。



「海といっても……“ネット”の海だよ」

「えっ」

「都合の悪い現実から目を背けるために、ネットの世界に逃げ込んでた」

「!」



15.6インチの液晶の中には、無限大の情報が広がっている。

中学の頃、俺はそれに夢中になった。


宇宙の広さも。

地球の小ささも。

世界の陰謀論も。

どうでもいい豆知識も。

覚えて、忘れて、覚えて、忘れて。繰り返し。


ただ寂しさと虚しさをかき消す為に——情報の海に飛び込んだ。



「でも、それは今となっては良かったと思ってるよ」



昔の自分には感謝しかない。

現実逃避、ネットの海の中。

迷い込んだ掲示板。


その世界に触れたことは大きな価値だ。

中学の俺に言っても信じてくれないだろう。

「何言ってんだお前」なんて言われるだろうけど。


過去の自分には「ありがとう」と、胸を張って言える。

“逃げた”昔の自分のおかげで、俺は変われたんだから。



「……なんで、ですか」

「実はネットの影響で染めたんだよ。この髪色」

「!」



彼女は、この虹色を綺麗と言ってくれた。

俺も気に入ってるからね!



「だから、椛さんも同じだと思うんだ」

「……っ」

「山に逃げたおかげで今日、たくさん俺が遊べた訳だし」

「そう、ですけど……っ」



カチャカチャ、響く食器の音。

話し始めて大分経った。

洗い終わった食器をカゴに入れながら、俺は横に居る彼女に話す。



「ね、椛さん」


「逃げることは、大体は良くないことだけど」


「もしそれで“今”があるのなら、そんなに悪いことでは無いんじゃないかな」



これは、敗者の遠吠えかもしれない。

無理やりに過去を美化しているだけかもしれない。

醜い後悔を、無理やり正当化しているだけかもしれない。


それでも。

例えそうだったとしても。




「少しぐらい、誇って良いと思うんだ。昔――逃げた俺達の事を」




響く声と一緒に、風が優しく頬を撫でる。

誘うように、その行方は彼女の方向へ。



「!?」


「ありがど……っ、どうまぢ君……っ」

「えっちょっと」


「うう゛っ……」

「あ、あー!! ちょっとタオル持ってくるね!」




ふと目を横にやれば、泣き出していた彼女。

あたふたする俺の向こうでは、野鳥が呑気に歌っていた。

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