七色の空模様



未だにそれは、僕の世界で響いている。

思わぬ言葉だった。

紙が切れて、もう何も受け取れないと思っていた。



《――「ありがとう。元気出たよ」——》



図書室。左耳で受けたその声が。

忘れられない。


今の僕の表情を、見られているわけでもないのに本で隠してしまう。

恥ずかしい。

でも、嬉しい。



「……頑張って、ください」



遠く。行ってしまう彼に小さく呟く。

思い出すのは過去の風景。

あの時……僕がこの場所で、彼を拒絶してしまったときの事。





「ちょ、ちょっと良いかな」

「ご、ごめん、なさ……っ」


図書室。

ほぼ二人っきりの図書室で。

せっかく話しかけてくれたのに、彼を拒絶した。


「……」

「……」


でも、僕は彼の近くに行った。

謝りたかったから。

あの言葉が、己の気持ちとは異なる事を伝えたくて。


あの元気な二人が居ない、この美術室なら彼と二人になれた。

チャンスだと思った。

時々、前の方から視線を感じたけれど……大丈夫だった。


――でも。


声は、出なかった。

幽闇ゆうやみに閉ざされた様に。


「ぇ……」

「……どうぞ」


そう思ったら、彼がまた話しかけてくれた。

その――『紙』を手に。


『お隣失礼します』、見ればそう書いてあった。


「っ――」


嬉しかった。

正直なところ、彼が僕にこうまでしてくれる理由は分からない。


きっと優しい理由なんだろう。

それに甘える僕は最低だった。


でも、“これなら”返せる。

話すのではなく書くことなら――


「……」


しかし。

その手は、氷野ひょうやおおわれたかの様に固まっていて。


あふれる言葉とはあれど、どれを選べば良いのか分からない。

『こちらこそ』なのか、『さっきはごめんなさい』なのか、『さっきの本を知ってるんですか』、なのか。


分からない。

気付けば、チャイムも鳴っていて。



「……!」



『今日は良い天気だね』

『ごめん室内だった というか雨だった』

『このノート中古だから気にしなくて良いよ』

『いやノートに中古とかないか というかごめんなんか気持ち悪いね中古って』

『今日は良い天気だね』


5分毎ぐらいに渡されるノートの欠片。

正方形に切られた拳程のサイズのそれが、僕にはとても暖かくて。

答え切れなかったその紙を、ポケットに仕舞った。


『デッサンって難しいけど楽しいね』

『このリンゴ模型年期入り過ぎじゃない?』

『割引品の果物は基本外れだよね』

『今更だけど迷惑だったらごめん』


「!」


そんな事ない、そんな素振りで首を振る。


『良かった』

『なんか楽しくなってきちゃったよ↑』


また新たな紙切れ。それがまた嬉しくて、僕はソレを消さずにポケットに仕舞った。


『それじゃ、また明日』


……もちろんこれも。


「っ」

「え、ちょ……」


その後は、いけるかもなんて思って声を出したけど無理で。

僕はそのポケットを手で抑えながら走った。




そしてさっき。


――「……今日も来たよ」「ほんと凄い髪色」「意外と成績は良いらしいよ」――


図書室。

彼の制服は、わずかに濡れていた。

髪は乱れていて、そして一番目に入ったのは。



「……はぁ」



彼の暗い、元気のない顔。

思わず席を立つ。

声は、掛けられないけれど。


「……っ」

「!」


彼が座った席の前に行った。

目が合った。



「ぅ……」



まるで、暁闇あかつきやみの空の様に光の無い目。

何か辛い事があったのだと分かった。

だから。



『顔色が悪いです 大丈夫ですか』


僕は、初めてそれを渡した。



『失礼します』

『紙は大丈夫?』


『前貰ったものがあるので……』

『取っててくれたんだ 捨てたかと思った』


『捨てられません』

『そうなんだ。でも椛さんは、どうしていつも俺の近くに居るの?』


『その 謝りたくて』

『俺何もされてないけど』


小さな紙に、積まれていく言葉。

表が僕。裏が東町君。

気付けばそんなルールも出来ていて。


『ずっと付きまとっていて ごめんなさい』

『別に気にしてないけど なんで近くに居たの?』


相談と言いながら、延々と同じ話。

……恥ずかしくて言えなかった。話しかけて貰いたかったから、なんて。


――でも。



「……!」



まるで朝月夜あさつきよの空の様に。

ゆっくりと。

この会話とも呼べない会話でも。


彼の表情が明るくなっていく様子が嬉しくて、僕はこの堂々巡どうどうめぐりを続けてしまった。


こんな恥ずかしくて口を開けない自分でも――彼を元気に出来たんだって。



「!」

「!?」



やがて鐘の音が鳴るころには、東町君の表情はいつも通りだった。

ビクッとする。

思っていたよりも時間が経っていたみたいだ。


『ごめん 最後に一つだけ聞いて良いかな』

『やっぱり、この髪色だと近くに居づらくない?』


最後の紙を彼は手に取る。

その内容を見たとき、考えるより先に手が動いた。


『居づらくありません ちょっと目立ちますけど』

『僕は綺麗だと 思います』


本心だった。

紛れもない、ずっと思っていたこと。



「……そっか」



その声と共に席を立つ東町君。

そんな光景の中に、もう“空”の紙は無くて。

彼がゆっくりと近付いて。気付けば僕の横で――




「ありがとう。元気出たよ」




図書室。左耳で受けた声。

七色の彼が離れて行く中で。

未だにそれは、僕の世界で響いている。






▼作者コメント

椛視点は彼女の嗜好もありポエムチックになっております。クサかったらごめんなさい。

もう一話は夕方頃に投稿します。

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