侵入禁止

梅緒連寸

苺よりも赤く染めた髪の根本は自毛の黒が目立ち始めている。そろそろ染め直してもいいけれど、2色が混じった色も悪くはない。

同じ高さで左右に括り付けて毛先を整える。買ったばかりのオイルはお菓子のような香りが少し甘すぎるが髪の艶を出すには申し分ない。

クローゼットから黒のワンピースとパニエを取り出した。服は種類多く持っている方だと思うが、仕事の時にはなんとなく黒一色で選ぶことにしている。

ウエストのリボンを結び直し、日焼け止めを塗り終えた顔にいつもの手慣れた化粧を施しながら、鏡越しに部屋の窓を眺めた。日差しと共にうっすら、虫のように細かく動く粒の集合体が影を作りこちらを覗き込んでいる。

シッ、と唸ると瞬時に煙のように消え失せた。ああいった類のものはまだ祓うまでにも至らない。静電気に引き寄せられる綿毛のようなものだ。気を取り直して唇の輪郭をリップでなぞる事に集中力を注いだ。


まだ夏の暑さが完全に姿を表す直前の季節。

日差しは強かったが涼しい風が吹きつけるので、少しだけ滲む汗もすぐ乾く。

初めて乗った沿線で各駅列車に揺られ1時間半ほどかかり、目的であるU市の駅に着いた。

降りる人もまばらなこの駅で出迎えに来た人の姿は改札を出る前からよく目立っていた。

「あのー、すみませーん。吉村さんからのご紹介を受けた者なのですが、西井戸さんでいらっしゃいますか」

「ああ、そうやけど。ほしたらアンタがアレかい、お祓いの先生なんか。またえらい若いな……」

「うふふ、先生なんて大したものではありません。でもいただいたお仕事はしっかり頑張りまーす。高裂と申します、よろしくお願いします」

《♥高裂 大悟♥》

サテンのポーチから名刺入れを取り出し、依頼者に両手で1枚差し出す。我ながらこの名刺のフォントのチョイスはいかしている。縁取りの幅もちょうどいいし、ラメの入った金のインクはとってもゴージャスアンドかわいい。

この名刺はこの仕事を始めて最初に貰った給料で注文した。名刺は黒い光沢紙にギラギラ光る加工を盛れるだけ盛り込んだ特注品だ。納品されてからそんなに渡す機会がないので、自宅に置いてある段ボール箱にたっぷり残っている。

依頼者の西井戸さんは受け取った瞬間から名刺を凝視し目を見開いている。まあ確かに私のセンスはお年を召したお方には理解を頂き辛いかもしれない。仕方がない。時代の先駆者が批判を受けるのはいつも決まった事だ。

「ハァ〜?あんた、男なんかあ」

「あっ、そっちですか。男ですよ〜。カワイイでしょ」

「若いもんの格好はようわからん」

訝しげながらも屋敷へと案内された。


離れの蔵に何かがいるのでどうにかして欲しい。

今回の依頼内容をかいつまめばこんな感じだった。

依頼者は大抵頼る術が無くなった最後の手段として私たちのような仕事の者に声をかけてくる。そんな藁にもすがる思いの人の話をしっかり聞いた上で私たちは確認して合意を取らなければならない。どこまでして欲しいのか。どこまでやり切ればいいのか。

死んだばかりの人間は眠っているのと大して変わらないが時間が経てば消化器から腐り始めて死臭を放ち無数の虫を呼ぶ。魂も同じだ。死を迎えた瞬間から切り離されたそれは故人の意志と呼べるものもわずかに残されているかも知れない。けれど時間が経てばその魂も段々と変質していく。元の姿からかけ離れ、人であった証は段々と消え去り、他の何かと交じる事で魂としてあるのみの存在を超えた事象を引き起こす。

でも昔はこれ程被害を受けることは多くはなかったらしい。よほど傷つけられた魂が自然のものとたまに混ざることはあっても、現代のように自然死を迎えた魂がこの世に残されることは滅多になかったのだと、いう。

どうしてこの時代に人間の霊、もしくは似た何かによる事件事故が多く起こるのか。いまだに確かな答えは出ていない。


元々この辺りでは随分裕福な家だったらしい西井戸家は門構えからして随分立派な造りをしていた。門の左右には石造りの土台の上に茅葺の小さな屋根がついた背の高い塀が伸びて屋敷を囲っている。

木戸をくぐると品の良い灰色の玉砂利が敷き詰められた中に飛び石が配置されていて、西井戸さんは年齢の割にはしっかりとした足取りでその上を進んでいく。

ゆったりと外からの光を取り込む造りになっているはずの屋敷だが、何故か薄暗く感じる。何か曰くがある場所はいつもこんなふうに見える。


広々とした西井戸家だが今ここに住んでいるのはたったの2人だ。今回の依頼主とその孫の男性。他の家族は他の地方に出ており、ここ数年はあまり寄り集まる事もないのだという。

全盛期の頃の裕福さはないものの、今でも定期的にお手伝いさんを呼んで掃除などをしてもらう程度には余裕はあるらしい。それに加えてこの家の主、依頼主は米寿を過ぎてもきびきびと働ける元気な身体を持っていた。少し寂しさは漂うものの、屋敷の門構えや敷地内どこにも手入れの行き届いていない部分は見当たらなかった。

「ちっと待ってくださいよ。孫にも挨拶させようと思うんで」

「お気になさらず。しかし、杖もつかずお元気な足取りで、溌剌としていらっしゃいますね。なにか健康の秘訣でもあるんですか」

「別になんもしとらんけど、そうやなあ。楽しみを長く持っておくのがええんやない」

ぶっきらぼうな口ぶりだったが、依頼主が少し機嫌を良くしたのはわかった。このくらいで気分良くしてくれるならいくらでも話すことはできる。

もっとさりげなく美辞を捧げようと口をもう一度開いた刹那、黒衣の影が視界に滑り込んだ。事前に察知する事ができずまったく気配を悟らせない様子に面食らい、一瞬は霊の類かと身構えたものの、すぐに相手が人間だと気付いた。依頼主は咄嗟の事に目を開いたまま凝視しており、なにも言葉が出てこないようだった。


「どういう事でしょうか。あなたも今回の仕事を受けた方ですか?」

「君、同業者?」

「何やねアンタは。人んちに勝手に入って!」

「私は貴女のお孫さんに依頼されて来た者ですが」

事前に話には聞いていたお孫さんがどんな人なのかはすぐに分かった。敷地の奥から慌てた様子の青年が小走りに駆け寄ってくる。

「婆ちゃん嘘やろ!?お祓いの先生には俺が連絡するって言うたやん」

「知らん。聞いとらん。ワシはヨシちゃんに相談したら孫の知り合いや言うてこの人紹介してもろたんに。何やねん誰もかれも、アンタも男か女かよう分からん格好して」

西井戸の2人がいっぺんに思い思いのことを口走るものだから、落ち着いた品の良い庭は一気に賑やかさが増した。

心なしか慇懃無礼な印象を受ける同業者と目があった。特に動じる様子はなく、少し肩をすくめて見せた。こちらも似たような気持ちだ。ダブルブッキングは意外とこの仕事には起きがちな事だったから。

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