【22色目】大嫌いなはずだったのに 〜赤の20日目〜
「経験者の人たちの成果発表は次の時間にしようと思う! 未経験者の人はレポートを次の時間に提出な!」
と言われてから二日が経ち、前回の時間の成果を発表することになった。
「雷輝とね、いろいろ話した!」
「いつの間に下の名前で呼び捨てにするようになったの?」
「雷輝、苗字、嫌いらしい!」
「苗字が嫌いって……始めて聞いたけど……」
「何か理由があるんだろうね」
移動教室をしながら、いつもの三人は話していた。
「紅葉は楽器、まだ嫌いなまま?」
紅葉は、少しだけ解答に困った。
楽器は大嫌いなままだけれど、ここで否定してしまったら今まで頑張ってきた自分が少しかわいそうだ。
「……まぁ……好きではないけど……嫌いじゃないぐらいにはなったんじゃね?」
だから、紅葉の口から出たのは、少し捻くれた答えだった。
「紅葉、練習したの、どんな曲だった?」
梨良が無邪気に問う。
「聞いて驚け! 俺のソロだ! まぁ、オプションで先生のドラムもいるけどな」
紅葉は、無意識ではあるがテンションが上がっている。
そして、梨良がオプションという単語の意味をわかっていないようで、首を傾げた。
「へぇ……低音のソロとか、珍しいし、ちょっと楽しみにしてるよ」
「梨良も!」
音楽室に入ると、三人以外の四人はもう着席して楽器を準備したり、周囲の生徒と会話したりしていた。
「おっ、全員揃ったな! それじゃあ早速始めよう! 授業の時間できるだけ長くしたいから号令は無しな!」
燐華がそう言いながらステージ上の楽器の準備を始めた。
「まずは草薙と誇白のペアから!」
「ぅえ⁉︎ あ、あ、ははは、はい!」
誇白が明らかな動揺を見せる。
「大丈夫だよ、誇白くん! いっぱい練習したんだし、みんなのことびっくりさせちゃおう?」
「そ、そう……だね……」
緊張しながらも、翠々夏に大して返答した時の声は少し明るかった。
演奏が始まった。
誇白のピアノ伴奏が流れ始める。
そこに乗った翠々夏が奏でるピッコロのメロディは、小鳥を連想させるような可憐な音で、二人の演奏は春の朝を連想させる。
ゆったりとしたテンポの曲だが、決して遅いと感じることはなく、むしろ安らぎを覚えるものだった。
そして、曲は終盤に差し掛かり、翠々夏が楽器を下げて歌い出した。
外国語の歌詞で、なんと言っているのかは聞き取れなかったが、とても美しいことは確かだ。
翠々夏の歌が終わると、誇白のピアノの音量が上がり、そしてまた穏やかになる。
一瞬音が止んでから、だんだんと曲のテンポが下がって、あまりにも強い余韻を残したまま、演奏は終了した。
音楽室中から拍手が上がる。
普段はこう言ったことに無関心な雷輝でさえ、少し笑顔になっていた。
「ブラボー! 文句なしで評価はAプラスだね! 素晴らしい演奏をありがとう!」
燐華がとても嬉しそうな表情でそう言った。
(俺は……これの後にやるのか? いや、まだ瑠真たちの後で、トリっていう可能性も否めない)
紅葉は一気に不安になった。
(まぁ……ただの授業だし、コンクールじゃないんだからそんなに緊張しなくてもいいはずだ)
自分に言い聞かせる。
(……ってのはわかってんだけど)
でも。
(……瑠真はソロコンで金賞貰ってるから実力は確かだし、草薙さんは言うまでもなく別次元。誇白は……別に上手いわけじゃない。けど、同じ脇役に徹する側の人間としては……うん。ちゃんと主役を際立たせることができてる。委員長に関しては聞いたことないからわかんないけど……どんなもんなんだろ?)
自分と他人を比べると、やはり自分の未熟さを感じざるを得ない。
(こんなんだったら……もっとちゃんと、練習しとくんだったな……)
あんなに必死だったのに?
実際は才能の塊で、一つ一つに集中できる時間があれば、絶対にそれを開花できたのに?
そう声をかける者はいない。
「それじゃあ、次は……皇! やろうか!」
「は、はい!」
明らかに紅葉の瞳孔が開いた。
(俺が……ソロ吹く日が来るとはな……)
バリトンサックスを首に引っ掛けながら、なぜか紅葉は微笑んでいた。
そこで紅葉は気がついた。
(……あれ、俺、大嫌いだったよな、こんな楽器なんか。なのに、なんで、これ、嬉しいんだろ)
そう、紅葉が嫌いだったのは楽器ではなく、楽器も技術も、全てを強要してきた先輩たちや顧問だ。
(そっか、俺、全部こいつらのせいにしてきた)
ただ、紅葉はそれを自覚しておらず、楽器自体を嫌ってしまっていたのだ。
(俺、本当は、楽器自体は大好きだったんじゃないのか? あいつらのせいで思いこんじゃっただけで)
わからない。けど。
(なんか、楽しくなってきた気がする)
演奏が始まった。
最初に音を放ったのは紅葉だった。
それは、長い、けれど深みのある一音の重低音だった。
紅葉の小さな体がその音を作り出しているという事実に、周囲は少し動揺を覚える。
そのあと入った燐華のドラムは、どこかで聞いたことのあるような、けれども決してブレないリズムを奏でる。
生徒たちは、それをとても美しく感じたのだろう。
燐華に釘付けになった。
けれど、瑠真の目だけは紅葉に奪われたままだった。
それが、あまりにも異常な光景だったからだ。
ずっと、いつもどこか少し不満そうだった紅葉の、楽器を吹く顔が、表情が…………
あまりにも楽しそうだったのだ。
紅葉の奏でるジャズの旋律は、深みがある低音だったが、とても明るいものだった。
そして、伴奏をやっていた頃では考えられなかったような、吹き方をしていた。
歌うようにメロディを奏でる紅葉は、6キログラムのバリトンサックスを首からかけて立ち上がり、体全体を使って、音楽を楽しんでいたのだ。
終始紅葉の演奏に魅入っていたのは瑠真だけだが、それ以外の生徒にも、それがとてもすごいことであることは伝わっていたようで、演奏が終わった途端、周囲からは盛大な拍手が巻き起こった。
(なんだ、あいつ、普通にまだ好きじゃん。嫌いだって言ってたくせに)
瑠真はいつもの無表情を紅葉に向けた。
「今日の授業、普通に楽しかったな!」
音楽室から教室に移動している時に、紅葉が言った。
「紅葉、なんかすごかった! ダダダダーッってしてて、ババンバーッって来た!」
「うーん、もうちょっと考えてから喋ろうか、梨良」
二人は本当にいつも通りだった。
「あと、黎ちゃん!」
梨良が目を輝かせた。
「そうだね。黎さんは本当に綺麗だよ」
瑠真の答えに紅葉と梨良は一瞬固まる。
身長の低い二人が一斉にいきなり止まったので、背の高い瑠真はつまずきそうになる。
「瑠真おまッ…………今、なんて……」
「瑠真、惚れちゃったの?」
「今まで『僕、そういうの全く興味ないんだよね』みたいな感じだったくせに!」
「流石に好きになるのが早すぎると思うんだけどなぁ……」
何も考えずに回答した瑠真は、一瞬戸惑ってから、
「あー違う違う! そういうことじゃなくて、なんていうのかな、音楽的に綺麗っていうか? そっちの話。僕より全然上手だよ。本当に」
と答え直した。
「なんだ、おもんな」
「面白くなくて結構だよ」
他愛もない会話が続いた。
紅葉は思った。
(大嫌いなはずだったのに、今じゃこれか。高校でも吹奏楽、続けてみるか?)
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