【11色目】最初の放課後 〜緑の1.5日目〜

「パパ、わたしね、ちゃんと虹寮に入れたんだよ」


そう言った翠々夏が立っていたのは、立派な墓石の前だった。


「7番だからギリギリだし……そんなにすごくはないのかもしれないけど、歌、いっぱい練習したから、すごく上手になったんだよ?」


翠々夏は、墓石に水をかけながら、話しを続けた。


「もしそっちで聴いてるなら、いつかわたしがそっち側に行ったときには褒めて欲しいな」


花を供え、手を合わせる。





『本当にあなた、謳歌属ですか?嘘つくのやめてください』

『お前、謳歌属のくせに歌うの下手くそなんだな』

『才能ないから諦めたほうがいいよ』





「…………昔はよく、そう言われてたな」





翠々夏は緑の喉を持つ謳歌属だ。


解説になるが、謳歌属というのは、生まれつき声帯に色がついており、歌を歌うことによって魔法を使える人々のことである。


しかしそれは、謳歌属以外の人間にとって都合がいいように解釈したときの説明である。


その実情は、どうしても自分の気に入った人間を独り占めしたかった精霊に、喉にその血を塗られ、住み着かれた人たちのことである。


ちなみに、精霊の血の色は体の色と同じである。

己の身を切り裂いてでもその人間を手に入れたかった、独占欲の強い精霊に愛された、少し可哀想な人々でもあるのだ。


そして、謳歌属には偏見があった。


『喉に精霊が住んでるなら、歌、上手いはずだよね?』


そう。


ただ喉に精霊が住んでいるだけで、歌が上手くなるわけなどないのだから。





翠々夏は、パパと呼んだその墓のもとを離れ、そこから少し遠い商店街へ向かっていった。


(今日は……ギターと歌だよね)


背負っていたギターのバッグを背負い直し、少し気合が入ったような表情で、翠々夏は楽器店に入っていった。


「師匠、お願いします!」

「おう、翠々夏ちゃん! よくきたね。今日はギターか」

「はい!」


この楽器店の中にあるレッスンスタジオで、翠々夏はレッスンを受けているのだった。


翠々夏が師匠と呼んだその人は、水色のメッシュが入った少しボサボサな赤髪と黒のマフラーの下に身につけたワインレッドのアウターが特徴的な、あまり師匠っぽくはない男性であった。


「まずは聞かせてもらおうか? チューニングの時間は取っちゃるよ」

「わかりました!」


翠々夏はギターのバッグを下ろし、中からアコースティックギターを取り出した。


ギターの方は念入りにチューニングをし、翠々夏自身の声出しも少しだけやった。



そして、準備ができると、翠々夏は、その美しい声で歌い出した。


その曲は、誰も知らない、今、翠々夏が思いついた曲。


ギターの旋律は優しく、少しだけ不安定だったが、心地のよい不安定さだった。


しかし、歌声には1ミリのブレもなかった。


プロのシンガーを連れてきてデュエットをしたとしても、彼女の歌声はそのシンガーの歌声と釣り合うことができるだろう。





「師匠!どうでしたか⁉︎」


歌い終わった翠々夏が顔を上げると、翠々夏の師匠は頭を抱えた。


「俺ぁ、今、困ってる」

「えっと……」


何か困らせるような曲を作ってしまったのだろうか。


不安に思った翠々夏の目の前で、師匠はガバッと顔を上げた。

布が擦れる音が店の中に響く。


「俺のレベルじゃあ、もう教えられるほどの知識がない! 即興でここまでうまく歌えてギターもそこそこ上手くて見た目もいいのはふざけてる! 俺は一応音楽の先生ではあるが、もうこれ以上は教えてる俺の頭がおかしくなる! お前もう帰れ! デビューしてこい!」


翠々夏は喜べばいいのか悲しめばいいのか怒ればいいのかわからなくなったので、とりあえず『ありがとうございます』と小さな声で言った。


「やっぱり君は、お父さんによく似てるよ」

「そう……ですか?」


「そうさね。歌ってるときに目を閉じるクセも、即興で歌うとほとんどの確率で歌詞がラブソングになるところも、全部、君はお父さんにそっくりさ」


先ほど歌っていた自分を思い返して、翠々夏は少し恥ずかしくなる。


「わ、わたしは、あんなにすごい人になれる自信、ないです。けど、ロックでも、ジャズでも、なんでもいいからパパみたいに歌って、誰かの表情を動かしてみたいんです」


翠々夏がそう言うと、師匠は、少し悪そうににまーっと笑った。


「へぇ〜……心意気はもう大物シンガーだね」


「あ、ありがとうございます」


少しだけ嬉しそうな翠々夏を見て、師匠は再び顔を綻ばせる。


「明日からはもう俺のこと師匠って呼ばなくていいよ」


「え? そしたら、なんて呼べば……」


「普通に俺には螢火ほたるび燐華りんかっつーかぁっこいぃ〜名前があるんだから、燐華さん、って呼んでもらえればいいよ」


「わかりました! 燐華さん、ですね!」


「はい、燐華さんでーす」





こうして翠々夏はレッスンを終え、楽器店を後にした。


帰り道で綺麗なクラリネットの音を聞いた気がしたが、多分どこかの店のBGMだろう。


翠々夏はその音を無視して、商店街の出入口の方へ進んでいく。


道中、自分へのご褒美として、翠々夏はピンク色のタピオカドリンクを買った。

隣の店にあるメンチカツとも迷ったが、今は甘い物の気分だった。





タピオカドリンクを右手に、ギターを背負って翠々夏は帰宅した。


その頃には夕日は西側に沈みかけていた。


玄関でローファーを脱いでギターのバッグを壁にかけ、リビングに入ると、


「おかえり、翠々夏。パパに挨拶、行ってきてくれてありがとう。お礼に、今日の夕飯はメンチカツね」


緑色の長い髪の毛を持っており、優しい目をした美しい容姿の女性……もとい翠々夏の母親が暖かく迎えてくれた。


「ほんと? 嬉しいな!」


翠々夏はニコニコと満面の笑みで答えた。





夕食を終え、自室で眠りに着こうとしていた翠々夏は、誇白のことを思い出していた。


(話しかけただけでビクビクしてたけど……わたし、怖い話しかけ方しちゃったかな? 明日は気をつけなきゃ)

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