第6話

「圭一、見つけたよ」

「何を見つけたの? この前失くしたって騒いでたイヤホンの右耳?」

「六年前のシャインマスカット」

「え、土に還ったとばかり」

 私の報告を聞いて、圭一は目を丸くした。無言になった二人の間に蝉の声が割って入る。

 今日も何ら変わりなく放課後を迎えた私たちは「話があるから帰ろう」と真っ直ぐに私の部屋に戻ってきていた。

 話をするなら、この場所じゃなきゃいけない気がしたからだ。

「ごめんね圭一」

 まだ驚きから冷めやらぬ圭一に頭を下げる。彼はすでに腹の辺りまで消えかけていた。

 これがルール違反の代償だというのなら、この責任の一端は私にもある。

「私、こわかったの。圭一が死んだ日のこと思い出すのが」

「そんなの普通だよ」

「ううん、そうじゃない」

 思い出すのがこわかった。でもそれは悲しみに呑まれるからというだけじゃない。

 本当にこわかったのは、私が思い出したら圭一がここからいなくなることだった。

 ずっとここにいてほしい。

 そんな私の身勝手で、記憶の蓋を力ずくで押さえこんでいた。

「私は圭一が成仏しようとしてるのを邪魔してたんだ」

 彼は何も言わなかった。ただじっとこちらを見つめている。

 傷つけただろうか。嫌われてしまったかもしれない。

 それはとても辛いけれど。

「いや、そもそも私がいなきゃ圭一の未練も生まれなかったかもね」

 それでも私は、彼を二度死なせたくない。

「六年前、圭一にシャインマスカットのことを教えたのは私だったから」

私は布の下に隠していた皿を持ち上げる。

「六年前、あの日の前日、私ははじめてシャインマスカットを食べたの。お父さんが買ってきてくれて、家族みんなで食べて、すごく美味しくて。これは圭一にも分けてあげなきゃと思ってこっそり取っといたんだ」

 そして次の日、私は圭一に『今日の夜、うちで一緒にシャインマスカット食べよ』と誘ったのだ。彼に夜が来ないことも知らずに。

 私の手にある白い皿の上には数粒のシャインマスカットが転がっていた。

 彼にもあげようと両親の目を盗んで確保したものだ。もちろん当時のものではないけれど、できるだけ再現したつもりだ。

「そっか。だから僕が蘇ったのはこの部屋だったのか」

「うん。そういうことだと思う」

「わかるよ。確かにこのシャインマスカットだ」

 圭一は一粒のシャインマスカットを手に取った。

 すり抜けることなく、しっかりと指先で摘まんでいる。

「僕はただシャインマスカットを食べたかったんじゃなくて、彩夏と一緒に食べたかったんだね」

 彼はそのまま大粒の果実を口に放り込む。

 その瞬間、弾けるように彼の全身を淡い光が覆った。薄っすらと黄緑がかった光はやわらかく彼を包み込む。じわじわと蝕むように消えていた下半身もいつの間にか蘇っていた。

「――彩夏」

 あまりの急展開に思考停止していた私は自分の名前を呼ばれて我に返る。いつの間にか手に持っていた皿からはシャインマスカットがこぼれ落ちて床に転がっていた。

 声のほうに目を向けると、彼はいつものように笑っている。

「これすごくない?」

「すごい。全身マスカット色人間」

「なんか急にダサいな。シャイン・マスカット・シャインとかにしてよ」

「それもそんなにかっこよくないんだよなあ」

 私たちは二人で見合わせて少しだけ笑った。

 そして圭一は私の名前をもう一度呼ぶ。

「僕のためにシャインマスカットを取っておいてくれてありがとう」

 そう言ってから彼は「ちょっと遅くなったけどね」とまた笑った。

「ところで最後に訊いてもいいかな」

「だめ」

「え、なんで」

「何を訊くかわかる気がするから」

 圭一の纏うぼんやりとした光が徐々に白んできていた。

 そう見えるのは彼の身体から小さな泡のような光が散っているからだ。その光は徐々に数を増し、圭一の輪郭を崩していく。

 彼の言った『最後』がもう近いとわかった。

「彩夏、寂しい?」

 圭一は私にそう尋ねた。もう、だからだめだって言ったのに。

 そんなこと訊かなくても私の答えはわかってるでしょ。

「寂しくないよ」

 私は真っ直ぐに彼の目を見て答えた。そのまま引き結んだ唇をわずかに開いて言葉を続ける。

 やっぱり私は、どこまでも身勝手に、彼に告げる。


「六十年後、また会えるから」


 私の言葉を聞いて圭一はさらに目を丸くした。

 それから徐々にその瞳を弧状に歪ませていく。

「……まったく。ほんと彩夏は非常識なんだよな」

 ため息をつくように圭一は言った。

 しかしその口調とは裏腹に、彼はくしゃりと嬉しそうに笑っている。

 真っ白な光が一層強さを増した。 

「成仏しそうな幽霊に新しい未練残さないでよ」

 ――じゃあ、また。

 微かな声だけを残して、圭一は光とともに消えた。

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