第19話

 操舵室の中は薄桃色の煙が充満していた。その中からは貴族が使役する無数の蝙蝠が、シオンたちに向かって襲い掛かって来る。


「煙で前が見えないな……。何なんだ、この煙は?」

「話しは後だ。気を抜くなよ!」

「お前もな!」

 

 話しながらも、シオンは愛刀で蝙蝠を斬り捨てながら前進し、逃した分は後ろからリカンが放つ弾丸が撃ち落とす。

 またリカンの的確な射撃によって、蝙蝠を撃ち抜いた弾が遮蔽物に当たるまでの距離や時間から操舵室の奥行や広さまで判明した。

 周囲の警戒やサポートをリカンに任せることで、シオンは目の前の蝙蝠と煙を掻き分けて進むことだけに専念したのだった。

 操舵室の最奥に行くと、舵や計器類のところに薄桃色の球体が置かれていた。掌サイズほどの大きさの薄桃色の球体からは同じ色の煙が出ていたのだった。


「貴族の姿は見当たらないな」

 

 辺りを見渡すが、操舵室内には二人以外に人の姿は見当たらなかった。

 

「何か聞こえるか?」

「……いや、俺たち以外の物音は聞こえない。そっちは? 何か匂うか?」


 シオンの耳が良いように、鼻が利くリカンにも操舵室内の気配を探ってもらうが、お互いに何も見つけられなかった。


「こっちも何も感じられない。ただこの部屋に充満する煙は嫌な予感がする。早く壊してしまおう……」

「触るな!」


 素手で球体に触れようとしたリカンを短く叫んで止めると、操られたようにリカンの手が止まる。


「ここを見ろ」


 球体から溢れた煙の流れを辿ると、煙は操舵室内の通気口の中に吸い込まれていく。


「サラやエンジュたちが居ない理由……もしかしてこの煙が関係しているんじゃないか?」

「この煙に姿を消されたとでもいうのか?」

「確証は無い。ただこの煙を止めた方がいいのは同感だ。……俺にやらせてくれ」


 リカンは「頼む」と呟くと、自分の得物を構えてすぐに反応できるように体勢を整える。シオンが球体を破壊した際に、不意を突いた貴族が襲ってくる可能性を考えたのだろう。

 俊敏なリカンなら、どこから貴族が襲い掛かってきても先手を取れる。余程のことが無い限り、遅れを取ることは無いので安心して背中を任せられる。

 シオンは両手で愛刀の柄を握ると構え直す。少しだけ自分のヴァンパイアの力を流せば、愛刀全体が紫の光を帯びる。


「はああ!」


 掛け声と共に刀を振り下ろせば、刃先は薄桃色の球体を真っ二つに割く。球体が溶けるように霧散したのと同時に操舵室を満たしていた薄桃色の煙も消えてしまう。

 操舵室内を見渡して愛刀を鞘に収めた時、微かな羽音がシオンの耳を打つ。


「リカン!!」

  

 その声でリカンは瞬時に銃の引き金を引く。

 静寂を切り裂くようにリカンが放った弾丸は、通気口から飛び出してきた蝙蝠を撃ち抜いたのだった。

 

「悪い。急所を外した」

「いや、先手を取っただけ充分だ」


 さすがのリカンも気を抜いてしまったのか、通気口から飛び出してきた蝙蝠を一発で仕留められなかったらしい。だがリカンの弾丸は羽根を撃ち抜いたようで、飛行能力を失った蝙蝠は床で呻いていた。

 止めを刺そうとシオンが刀を抜いた時、嘲笑する男の声が蝙蝠から聞こえてきたのだった。

 

「お見事と言うべきかな。ただの混血だと思って油断していたよ」

「お前がこの船を襲った貴族か? 連れ去った人たちを返してもらおう」

「連れ去ったというのは心外だな。通気口から特製の睡眠ガスを流すことで混血たちは眠らせただけだよ。幸せだった頃の記憶を見ながらね。まだ混血になる前の……」

「だが船室に姿は無かった。おれの妻子はおらず、ベッドはもぬけの殻だ」

「君たちが居る場所は現実じゃない。私が作ったレム睡眠の中。他の混血は現実で幸せなノンレム睡眠の中にいるよ」

「混血じゃない者も乗客の中に居たはずだ。混血の間に産まれた者も」


 暗にエンジュやレイラのことを聞けば、「我々の同胞には幸せな夢を見せている。ただの混血にも」と事も無げに続ける。


「夢を見ている間は起きられないはずなのに効かない者が居たとは盲点だった。全員が寝ている間に捕らえてしまおうつもりだったのに……。ただ壊された以上、この空間も終わりのようだ」

「何を……!」

「シオン!」


 目の前の景色が歪む。立っていられなくなって身体が傾くと、親友が腰に腕を回して支えてくれる。


「では、いずれまた会おう。遥か東にある国で」

「それはっ……!」


 かくりよのことだろう、と続く言葉は、激しい立ちくらみで消える。リカンが蝙蝠に銃を向けたところで、目の前が暗転したのだった。

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