第9話

「あ、お……」


 腰まで伸ばした長い銀髪と目を隠すような野暮ったい前髪が特徴的な女性は、蚊が鳴くような小さな声でぼそぽそ話そうとするものの、言葉尻になるにつれて口を開閉するだけとなった。

 シオンは眉を顰めると、深く息を吐きたくなるのをぐっと堪えて話しかける。


「変わりはなかったか。エンジュ」


 怯えるように及び腰になっていた女性――エンジュは、シオンの言葉に何度も頷くと手を伸ばしてくる。恐らくシオンが身につけているマントを預かってくれようとしているのだろう。だが何も言わないので、シオンはわざとエンジュの手を避けると、マントを剥ぎ取るように乱暴に外す。

 殺風景なリビングルームに行くと、全く使われた形跡の無い食器類や日用品、娯楽品の類が目に入り、次いでシオンの分だけ用意された夕食に、ますます顔を歪めたのだった。


「今日も一日中自分の部屋に籠っていたのか?」

「……」

「リビングルームに置いているものは共同で使っていいと言っている。食事も自分で用意するから必要ないと。君は君のことだけすれば良い。俺に遠慮することはない。自由に外出してもいい」

「……」

 

 シオンの質問にエンジュはただ無言のまま俯いてしまう。その様子が困っているようにも、話す気は無いという拒絶にも思えてしまい、シオンの苛立ちはますます大きくなる。


「御触書は知っているか? 貴族の娘である君には関係ない話ではあるが……」

「……っ!」


 エンジュの頭がわずかに上がるが、長い前髪で隠された顔からはどんな表情をしているのか全く想像が付かなかった。驚いているのか、悲しんでいるのか、戸惑っているのか、それとも――喜んでいるのか。

 初めて出会った時から、エンジュにはそういった感情の表現が無かった。話しかけてもただ俯いているか項垂れているだけ。口数も少なく、ようやく話しても消え入りそうな声で必要最低限の単語を訥々と呟くだけだった。

 その態度が拒絶されているように感じられて、最近ではエンジュと顔を合わせるだけで虚しい気持ちにさせられた。


「俺にも転属命令が降った。転属先は治安部隊、一年の大半は国外だ。俺に気兼ねする必要はなくなる。良かったじゃないか」

「……っ!」

「だが一部の混血たちはこの国を出て、新しい国で生活を始めるらしい。リカンもそうだ。俺も誘われた」

「え、あっ、の……」

「俺はリカンと共に行こうと思う。サラとレイラもだ。だが君は無理して来る必要はない。それどころかこの機会に離縁してもいい。実家に帰りたいだろう。俺のようなただの混血と、愛のない結婚を続けなくてもいいんだ。君も嬉しいだろう」

「……」


 自虐的に吐き捨てるような言い方をしたから、またもや怯えるようにエンジュは胸の前で両手を握ると、床を見つめたまま黙ってしまう。


「……好きにしろ」


 背を向けると襟元を緩めながら逃げるように自室に入る。扉を閉める前にそっと振り返ると、エンジュはその場で呆然と固まっているようだった。その姿が傷ついているようにも見えるが、掛ける言葉を持たないシオンは音を立てて扉を閉めたのだった。

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