第19話 風呂と糸口

 夜も更け、酒の酔いがまわってきた頃、結依が再びやってきた。

「失礼します。お風呂が沸いたので、お二人とも小浴場へどうぞ。今日は泊まってくださいって、当主から伝言です」

 結依が遠慮がちに言うと、

「わー、ありがとう、結依ちゃん」

 ナオは手放しに喜んだが、えっ、っと結弦は声を出した。

「結依。俺、今夜はナオと本家泊まるの?」

「うん。お風呂入ってる間に、私がここに二人分おふとん敷いておくように言われてるよ。お兄ちゃん、それだけ酔ってたら、帰宅するの無理でしょう?」

 結依はくすくす笑いながら、真っ赤な顔の結弦に言った。

「ここで、ナオと二人ってこと?」

「そう。嫌なら、私が使わせてもらってる、奥のお部屋でもいいと思う。予備のおふとんあるし」

 結依の提案に、結弦は一瞬遠い目をした後、ため息をついた。

「それは…やめる。はぁ、この部屋でナオと泊まるよ。ヘンタイに襲われるから、布団は二メートル以上離して敷いてもらえる?」

「えぇ~!? 何それ。ひどくない? 結弦ぅ。俺、ショックで死んじゃうよぉ!」

「ナオはまじで一回、死んだらいい」

 結弦の冷ややかな目線に、ナオはむうっと顔をしかめた。

「ダメ。紅さんじゃない結弦に言われても、全然ゾクゾクしねぇ」

「当たり前だ。さっさと風呂入るぞ、ヘンタイ」

 結弦はナオの腕を引いたが、ナオは素早く結依に顔を近づけ、

「ね、結依ちゃんもお風呂一緒にどう?」

 と、抜け目なく聞いた。

「え? あの、お兄ちゃんたちとも、もう一緒にお風呂は入ってなくて…」

「結依、ナオのセクハラは無視していいから」

 戸惑う結依に、早口で結弦が忠告した。

「へぇ~、そうなんだぁ。ねぇ結弦、結依ちゃんと何歳までお風呂一緒だった? 聞きたい、聞きたい。ナオ、気になるぅ」

 ナオがにやにやしながら言うと、

「うっさい! もう、来い!」

 と、結弦はナオの腕を引っ張り、風呂場へ引きずっていった。


 小浴場では、檜の浴槽にたっぷりの湯が沸かされていた。

 学生の頃も、本家道場で鍛えた後に、ナオと結弦はよく、ふざけ合いながらこの風呂に入っていた。

 ここ数年、結弦と会うことを嫌厭していたなんて信じられないくらい、急に時間の感覚がぼやけた。


「結依ちゃんてさ、きっとすげぇ力が内在してんだな…」

 ナオは湯船につかりながら、つぶやいた。

「うん?」

「さっきから、何か違うんだ。当主の怪我、相当だったから、かなり力使ってさ。それなのに、俺、結依ちゃん治療してから、まだまだいけるような気がすんだよなぁ…」

 ナオは、両手で湯をすくいあげ、指の隙間からこぼれ落ちる様子をじっと見た。

「はぁ? いつもの勘違いだろ、それ」

「いや、キャパの目算違いっていうより、治療自体なかったことにされてる感じ」

「なんだ、それ。どういうことだよ?」

「分っかんね。ぅあ~、風呂気持ちよすぎて、酔いまわってきたぁ…」

 ナオはバシャバシャ顔を洗い、前髪をかき上げた。

「…俺にも、結依の力については分からないことばっか。常に手探りだよ」

「ん~。不思議なんだよなぁ…。結依ちゃん見てると、引っ掛かるっつーか、懐かしいっつーか、訳分かんないけど、なんか、感情全部が沸き立って、泣きそうになる」

「俺も、結依のしぐさとか、ちょっとした言葉に、言い表せない気持ちにかられる。俺らの、魂の記憶がそうさせてんのかもな」

 結弦は言うと、ゆっくり息を吐いた。そんなもの、ちっとも歓迎できないとでも言いたげに。

「そうかもな。記憶自体は、ないのにな…」


 結弦は窓からわずかに見える夜空を見上げ、ナオも倣った。

 遥か遠いなにかを辿れば、つかめそうな気がしたが、ふわふわと酔いの回る目で見える先には、星がわずかに瞬いているだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る