第18話 ゾクゾクする

「シスコンの変態だな。紅さんが泣くぞ」

 ナオは軽い口調で言った。

「家族が大事なだけだ。ナオこそ。今日紅に護送されたなんて、ずるすぎ。俺だって会いたかった…」

 結弦はうなだれて言った後、缶に残ったビールを飲み干した。

「紅さん強すぎて手も出せないし、『いっぺん死んだらええ』って言われたよ。三回も。いいよね、彼女。ゾクゾクする」

「…それこそ変態の極みだっつの」

 結弦は低く言うと、腕を伸ばしてナオに軽くデコピンした。たいして痛くはなかったものの、ナオは子どもっぽくむくれた。

「何だよ~、結弦! 当主だ妹だって言って真面目そうにしてさぁ、やることやってんじゃん。ちっくしょ、あんな超絶美人がお前の相手だなんて、それこそずりぃじゃん! 代わるか殴らせろ」

 ナオは無性に悔しくなって、テーブルの下で結弦の足をげしげし蹴った。

「馬鹿言うなよな。俺だって、まだ信じられないんだ。ナオは未だにふらふら女遊びばっかしてるらしいじゃんか。伽奈さん放っといて。いい加減にしろよ」

「あぁ? 学生の頃の結弦と変わんねぇよ。来るもの拒まず去る者追わずだ」

「嘘つけ。逃げてるだけだろ。…で? 戻る気ないのに、今日は、どうして本家に来た?」

 結弦の言葉に、ナオは動きを止めた。

「いや、…正直、来るつもりはなかった」

 適当に受け流すこともできたが、言葉は素直についてきた。

「なにか、あったのか?」

「んー、なにってわけじゃないけど、今朝の夢に、小さかった頃の結依ちゃんが出てきてさ。俺が怪我治した時、『お兄ちゃんが痛くなる』って言われたこと、俺、妙にひっかかってたのかなぁ…」

「え、お前、結依に気があったのか?」

「いや、そういう感情じゃない。でも、あんな可愛いし、今ならありかな。…うかつに手だして、当主に殺されるのはごめんだけど」

 ナオが苦笑して言うと、結弦は思いきりナオをにらんだ。

「その前に、まず俺が殺す。けど、当主の愛し方って半端ないから、結依にはちょっかい出さない方が、賢明だな」

「んー…。うん、まぁ、そんな気がする。今日来たのは、ほんとに偶然。あと気の迷い」

「なんだ、それ。結局、結依とは関係ないじゃんか」

 結弦は言うと、目元を和らげて笑った。


 その後、ナオと結弦は酒を飲みながら、たわいもない話をした。

 結弦が、ラボでの話や大学の同期の話をするのを、ナオは相槌を打ちながら聞いていた。

 ほどなく、結弦は珍しくビールを2缶飲み終えると、3缶目を手に持ったまま、真っ赤になってうつ伏した。

「なぁ、…ナオの能力、俺にくれよ…」

 結弦から漏れ出た気弱な声を、ナオは黙って耳をそばだてた。

「手ひとつで治せる病気が、癒せる傷が、どんだけあると思ってんだ。お前が苦しんでるのは知ってる。でも、医者の限界ばっか感じて、辰巳であるお前が、うらやましくてたまんない…」

 結弦は真っ赤なまぶたを重そうにあけると、ビールをさらに流し込んだ。


「もし結弦が、紅さんと別れて俺と付き合うなら戻る、って言ったら、どうする?」

 ナオは結弦に、真顔で言った。


「なっ、はぁ? 何言ってんだよ。ふざけんなよ! ビール吹いたじゃねぇか」

「本気で答えろよ」

 真っすぐ仕向けられたナオの視線を、結弦は外して手元を見た。

 ナオか紅か、親友と恋人、天秤にかけること自体、思考が拒否した。これまで、ナオを目で見たことはなかった。


 結弦は大きく息を吐いた後、

「少し前の俺なら、承諾してたかもしれないな。それでお前が、心から望んで戻るならの話だけど。今は、無理。紅が好きで、たとえお前でも裏切れない。ごめん」

 と、頭だけ小さく垂れて言った。

「っぷ~、結弦ぅ~、本気で答えてや~んの!」

 ナオは腹を抱え、足をばたつかせて笑い、真面目か、とおちょくった。

「はぁ~? マジふざけんなよ! 殴らせろ」

「わぁわわ、勘弁! 同じような質問、当主にもしたんだ」

 目の前に飛んできた結弦の拳を抑えながら、ナオは苦し紛れに言った。

「はぁ? お前、節操なしの馬鹿なのか? いくら辰巳ったって…。いや、あの人なら、聞き慣れ、てんのか…?」

「うん、だろうね。応えられないって言われた」

「すっげぇ勇気…。無謀っつーか、何つーか…」

 結弦は頭がクラクラして、前髪をかきあげて呆然とした。

「当主には、かなわねーよなぁ」

 ナオはあっけらかんとして言った。

「馬鹿。かなうわけねぇだろ。あの人に」

「…だな」

 ナオは自嘲気味に笑うと、ずずっと冷酒をすすった。

「人を治そうが治すまいが、ナオがどっちでも苦しいんなら、…戻れよ。お前を癒せるのは、そのへんの女でも、当主でも、俺でもない。お前自身だと思う」

 結弦の言葉に、ナオはきょとんとした。

「…え。俺って、誰かに癒して欲しい…のか?」

「俺にはそう見える。自分で自分、追い込みすぎ」

 結弦は一度だけ軽く、ナオの脚を蹴った。

 結弦が友人で良かったと思うことは頻繁にあるが、今日のこの日は、ナオは良かったと心から思った。この真面目で優しい目元に、ナオの張りつめた糸が、緩む気がした。

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