第17話 記憶の交錯

「はい、おしまい。いいよ」

 ナオが言うと、結依はゆっくり目を開けた。


 結依の全身が温かさに包まれ、ふわっと軽くなったように感じられた。まめや擦り傷も、さっきまで動かすとピリッと痛みが走った右手首も、全く痛くなかった。

「わぁ、魔法みた…」

 そこまで言いかけ、結依はバッと反射的に起き上がってナオの右手首を取った。

「ナオさんは? ナオさんは手首、痛くないですか!?」

 焦りながら尋ねる結依の必死な表情に、ナオは今朝の夢で見た、幼い結依が重なった。同時に、デジャヴのような記憶の交錯が脳内を駆け巡り、ナオは目眩のようにくらりとした。

「…驚いた。結依ちゃん、今も同じ反応するんだね」

「え?」

「いや、こっちの話。…俺は痛くないよ。ほら、大丈夫」

 ナオは、両手首をぷらぷら振ってみせた。

 結依がほっとした表情を浮かたのを見て、ナオは違和感のような、胸の奥にひっかかりを感じたが、うまく言葉にできなかった。


「結依ちゃんは? 痛いのが治った以外に、変わったところ、ない?」

「いえ。なにも…ないと思います」,

 ナオは、首をかしげる結依をじいっと見た。

「念のために、言霊出せるかやってみて?」

「言霊ですか? はい」

 結依は返事するとすぐに、言霊をナオへ送った。


『治していただき、ありがとうございます』


 結依の素直な言葉が伝わると、ナオはほっと胸をなでおろした。

「…うん。じゃあ、問題ないね。お酒ありがとう。俺が治したことは、内緒で宜しく。結弦と、もうしばらく話させてね?」

「はい。ありがとうございました。ごゆっくり」

 結依はお礼を言うと、一礼して退室した。


 ナオはその後ろ姿を見送ると、すぐに結弦の方へ向き直り、先ほどと同じ畳を指さした。

「なぁ、結弦。お前もここ横になれ。結依ちゃんのこと言えないだろ。無理しすぎなんだよ。治療してやる」

 ナオは態度を一変し、わざとぶっきらぼうに言ったが、結弦には真顔を返された。

「当主と結依を治してくれたことには、心から礼を言う。けど、俺はダメだ。ナオが正式に戻るまで、辰巳からの治療は受けない」

「な…っ!」

 結弦の言葉に、ナオは目を見開いて、思わず結弦の白衣の襟をつかんでいた。

「当主の怪我に気づいてたのか? なんてことしでかした? あの人は、一族の根幹なんだぞ?!」

 ナオは声を張り上げ詰め寄ったが、我に返ってすぐ、その手を離し目線をそらした。

「…わり。お前責めんなって言われてた。一度決めたあの人には、何言っても、通じないよなぁ…」

 ナオは力無くそう言うと、そっぼを向いて座り直し、酒を注いで飲み干した。

「そうなんだ。今日ナオが治療してくれて助かったし、俺はもちろん、ナオに戻って欲しいけど、当主と同じ立場をとる。ナオに戻れとは、強要しない」

 結弦は、ナオの背中に言った。


 当主には返事を待ってもらっているんだと、ナオは言えなかった。束の間の期待を与えるだけ、傷つけることが分かっていた。

「俺が戻ったところで、同じことだと思うんだ。戻らなくても、同じ。ただ、俺の中の踏ん切りがつく分、マシってだけ。どうしたって苦しくて、息が詰まりそうになる」

「…そうだな。俺も似たようなもんかもな。結局のところ、誰も救えやしない。医者になって、より痛感してる」

 そう言うと、結弦もお盆にのったビール缶を手に取り、半分ほど一気に飲んだ。

「結弦、弱いのに無理して飲むな」

「それでも思うんだ。常に最前線で戦う当主には、心から信頼できる医者が必要だ。俺だけじゃ、あまりに力不足。ナオたちがいなくなって、もう俺だけじゃ支えきれない。それなのに、加えて結依が…」

 結弦は吐き出すように言ったが、ぐっと口をつぐんだ。その横顔が今にも泣きそうに、ナオには見えた。

「…覚醒が、近い?」

「当主から、聞いたのか?」

 ナオは小さくうなずいた。

「俺らの能力の根源は、日御子様なんだろ? よく分かんないけど、そんな際限ない力、生身の女の子が一人で抱えきれるもんじゃないだろ」

「なんで、そんな役割が妹に巡ってくるのか…。俺にできる最善を尽くす。でも、運命を呪いたくなる」

 結弦がつぶやくように言ったあと、結弦のつかんだ缶ビールが、パキッと音を立てた。

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