第16話 辰巳家の秘術

 ナオがさらに冷酒を一本あけたところで、玄関の方から音がした。バタバタと足音が近づき、ダイニングのドアが勢いよく開いた。


「ナオ!」

 白衣を着たままの結弦が、入ってくるなり大声をあげた。

 ナオの姿をいち早く目にとめると、

「本家に来てるって、聞いてっ…」

 結弦は息をきらしたまま、唇をかんで震わせた。


 ナオは、ふっと目元をやわらげて結弦を見た。

「…相変わらずだな、結弦」

「はぁ、くっそぉ! 無茶振りばっかしやがって。心配してたんだからな!」

 結弦は怒りと安堵の入り混じった声を上げ、ナオに近づくと、軽く頭を小突いた。

「分かってる。悪いな」

 ナオからは、自分が最も出しやすい音程の声が、素直に出た。

「悪いとかじゃない。今は、歯車が噛み合っていないだけだ」

 結弦は真剣な眼差しをナオに真っすぐ向けた。

「ばーか。真面目すぎんだよ、昔っから」

 ナオはそう言うと、結弦の額を小突き返し、また学生のような笑顔を見せた。


「お~、お~。男同士でいちゃこらすんな。話すんなら和室行けや」

 二人の様子を見かねて、頭をかきながら佐助が言った。

 結弦はその声にハッとして、即座に当主と佐助に一礼したが、ナオは箸をくるくる回しながら、赤ら顔でへにゃりと笑った。

「だってぇ、結弦。和室借りて、いちゃいちゃしよっか?」

「つまんない冗談言うな。…でも、二人で少し飲みたい。どう?」

 結弦は椅子の背もたれに手をかけ、ナオの顔を覗き込んだ。

「え~。結弦、酒弱いからヤダ」

「せっかく来たんだ。付き合えよ」

「蓮の間、自由に使って構わないですよ。お部屋に入られたら結界を張りますが、後ほどお酒もお持ちしますので。どうぞ?」

 当主もにこやかに言った。

 結弦は、当主と佐助に再度一礼すると、箸を手に持ったままのナオの腕を半ば強引に引いて、和室へ移動した。

 


 蓮の間では、結界に遮られて外には漏れないものの、ナオと結弦の声が響いていた。


 今朝、紅に護送された際、結界ごと八階の窓を突き破られ、死ぬ思いをしたとナオが身振り手振りを交えて嘆くと、結弦は自業自得だと言って、呆れ気味に笑った。


 気の置けない結弦との時間は、とたんに学生時代に時が戻ったように感じて、ナオの心はひどく落ち着いた。張り詰めていた分、余計に。


「今朝、ナオが電話くれた妊婦の患者な」

 結弦はしばらく話した後、話題をゆきと朔也に切り替えた。

「死産だったらしいけど、最期の数分だけ、胎児の心音が聞けたって」

 ナオは横目で結弦を見た後、納得したようにゆっくりうなずいた。

「…うん。そっか。よかった」

「俺、産婦人科担当じゃないんだけど?」

「うん。知ってる。結弦なら何とかしてくれるって」

「お~ま~え~なぁ~、いっつも唐突すぎんだよ。しかも、美人ばっかよこしてくんな」

「なんだよ、嫉妬か?」

「違う。俺じゃなくて…」

 結弦は言いかけてやめ、ナオの背後へと視線を移した。


 ナオが振り返ると同時に、結依がお盆を持って現れた。

「失礼します。お酒お持ちしました」

 ナオは歓声をあげ、ウキウキしながら立ち上がると、礼を言って、結依から酒とつまみがのったお盆を受け取った。


 しかし、ハタとあり得ない事実に気づき、目の前の結依をじっと見た。

「え、嘘。結依ちゃん、…今、もしかして、当主の結界、外から通り抜けた?」

 あまりの自然さに、ナオは何度か瞬きした。式神であるとか、特殊な能力といった感じはなかった。

「あ…、あの…」

 結依が言い淀んでいると、

「結依、そのお酒って、俺らに持って行けって、当主から言われた?」

 二人のやり取りを伺っていた結弦が、横から聞いた。

「うん。…そうだけど?」

「はぁ、当主も策士だなぁ」

 結弦はため息まじりに言って苦笑すると、横目でナオを見た。

 ナオは、その意図を読み取ると小さくうなずき、お盆をテーブルにのせ、

「結依ちゃん、ちょっとそこに横になってくれる?」

 と、何もない畳の上を指して言った。

「え…?」

「結依、言うとおりにして。大丈夫」

 戸惑う結依に、結弦は優しく言って微笑んだ。


 結依は訳が分からないまま、ゆっくりと畳に仰向けになった。

「ん〜。背中と腕の筋肉痛は仕方ないとしても、両手指のまめと擦り傷は痛そうだね。あと、右手首捻挫してるでしょ」

 ナオは膝足で近づきながら、淡々と言った。

「手首? あぁ、なんだか痛いかも…。捻挫してるとは、思わなかったです」

 最近悩んでいる症状をぴたりと言い当てられ、結依は驚きの様子でナオを見上げた。

「それ以上無理すると、腫れて悪化しちゃうよ? 結依ちゃんは、自分の身体に鈍感すぎだな」

 ナオが苦笑して言うと、結弦も同調してうなずいた。

「ナオ、もっと言ってやって」

「結依ちゃん、修行は確かに大事だけど、無茶しすぎです」

「はい…。ごめんなさい」

 二人に責められ、結依は肩をすくめて反省のポーズをとった。

「どうしたの。なんか、焦ってる?」

 ナオは結依を覗き込んで聞いた。

「そう…かもです。早く、強くなりたくて」

「そっか。気持ちは分かる。けど、頑張る身体をいたわってあげて。結依ちゃんの場合は…、特に睡眠かな。それだけで、身体への負担はだいぶ変わるよ」

「…はい」

「眠れないなら相談して。俺でも結弦でもいい。じゃあ、ちょっと目を閉じてて。いいって言うまで、動かないでね」

 ナオは結依の横で膝をつくと、ふぅっとゆっくり息を吐いた。姿勢を正し、両手を軽く合わせた後で、結依の手首にそっと触れた。


 相手の意志に同調し、自然治癒力を最大限まで高めて時間軸を加速させる、辰巳家の秘術だ。

 一見、相手に触れているだけのように見えて、膨大なエネルギーが必要になるこの術は、一族の間では『風が降りる』とも呼ばれる。

 治癒の術が発動する際、一瞬風のような振動を伴うからだ。

 辰巳の家系の中でも、『当代』と呼ばれる選ばれた者のみが使える特殊能力で、現在はナオしか発動できない。

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